熱砂に埋もれし炎光
空から火が降り注ぎ、海は血に染まっている。人の生存圏は確実に縮小した。しかし、人々は防火壕を作り、大気から水を生成した。たとえ大地に潤いがなくとも、人は大地を確かに踏み締め、一日でも未来を生き長らえようとする。
少年は鳴り響く警鐘とともに目が覚めた。寝ぼけた思考を振りほどき、手元に置いておいた財産の全てをリュックに背負い、非常口と書かれた通路に向かって走っていく。
吹きさらしの窓から、耳を覆いたくなるような轟音が響き渡り、襲撃が始まったことを肌身に感じる。少し外を見てみれば、村の周囲を囲う防壁が燃え上がっていた。何度も襲撃を受けてきた壁は既に至る所が欠けており、その隙間から村に残された戦士たちが応戦している様子が見える。
*
人は化け物を倒すために、ある対価を支払った。熱砂の地でも適応できる体を、敵を殲滅できる力を、そして生き延びるための知恵を得るために。
「こんな小さな村に大勢で押しかけるだなんて、よほどあたしたちが邪魔に感じるのね。でも、ここにあんたたちが通る道はない。ここから先は地獄すら生ぬるい狩り場よ!」
「姉御に続けぇっ!」
誰よりも先頭を女性は駆け抜けた。目の前に現れたトロールのような巨体の敵を踏み台にして戦場の中心に降り立つ。片手に持つ大口径の散弾銃が火を吹く。すると、トロールの胴体に風穴が空いた。
続いて散弾銃を上に投げて、周囲にいたゴブリンほどの小さな敵に向けて腰に括り付けていた短剣に持ち替えて、その喉笛を噛み千切る。
「ッ!」
気が付くと、脇腹にナイフが刺さっていた。背後にいたゴブリンは満悦の表情でナイフを引き抜こうとするが、力をかけた途端に顔色を変えた。
「へぇ、ほんと悪趣味なやつ!」
ゴブリンが呆然と顔を上げると同時に、その顔に握りしめた拳が振り落とされる。女性は手元に落ちてきた散弾銃を掴み、トドメの一撃を放つ。
脇腹に刺さったナイフを抜き、追い付いてきた部下に背中を預けた。
「姉御、大丈夫か?」
「どうってことないわよ。それより、思った以上に敵が多い……活路を見出すには大穴を開けてやるしかないわよね!」
前方に銃口を向け、その先端に一切を一掃する火砲を込める。瞳孔が細まり、流れていた血は沸騰し、傷が塞がっていく。もはや体は一般人のそれではない。侵略者の因子を特殊な手術によって取り込み、超再生能力と特殊な異能を手に入れた。
銃口で収束された炎の弾丸は放たれ、行き先には燎原の火だけが地面に残る。この瞬間、大勢は決した。
最後の一匹が地に伏した頃には、太陽が地平線の彼方へと沈み始めていた。死体の山の上で、静かな暗闇が彼女を包み込む。それは一日の終りを告げていた。
彼女の日常は気付いたら戦場へと変わっていた。平穏な頃、覚えているのは家族と行った最初で最後のサーカス。幼い彼女が小さな身長で精一杯覗こうとしたとき、父親が彼女を肩に乗せ、誰よりも高い場所から人々の笑顔を見た。だから、成長すればより良いものを見れると信じていた。
夜空を見上げると、大地に降り注がんとする天火が流星のように暗闇を切り裂いていく。いつからか、夜空は人が安心して寝る場所ではなくなった。地に流れ落ちた飛星は大地を灼き、死体の山は燃え上がる。
あの星の鮮烈な輝きも、何かを燃やして光を放つのなら、人は何を燃料にして燃え上がるのだろう。
*
村は天幕に覆われ、侵略者から守るための防壁を囲うことで、世に蔓延る天災から逃れていた。人々は暗がりで生活し、生きるために必要な水や食料を村の戦士と分かち合う。彼らにとって、火が降り注ぐ夜が最も気を緩められるオアシスだ。
少年は怪我した戦士の手当てや食事を配給しながら、慌ただしく村を駆け回る。彼らの傷はすぐに塞がるとはいえ、常に万全の状態に戻すわけでもない。限度を超えれば、再生能力が間に合わないこともある。応急処置程度でも傷口を保護することで、感染症や再生能力を促すことができる。
周囲を見れば、少年の手伝いをして処置を施す者、料理を振る舞う者、地下に貯水した水を取り出す者がいる。料理は侵略者たちの中から比較的獣に似た外見の生物から得た肉を煮込んでいた。筋張っていて、いくら噛んでも子どもには噛み切れないから、ドロドロになるまでよく煮込まれている。水は大気から水を生成して、必要なときに必要な量を取り出す仕組みになっている。
少年は怪我人を一通り見回ったあと、この村で一番高い見張り台に向かった。見張り台の頂上で、女性は後ろにまとめた鮮やかな赤い髪を靡かせて、膝をつきながら酒を飲んでいる。
「またこんなところで酒を飲んで……お願いだからちゃんとした寝台で寝てくれよ、姉さん」
「……んぅ? あぁ、なんだ弟か。ひひっ、姉ちゃんは今、すぅごい良い心地だからぁ、小言はやめやめ〜」
彼女は満面な笑みのまま千鳥足で少年の首に手を回し、ふらっと地面に倒れた。
地に落ちゆく流星から天幕と砂塵は村人たちを隠してくれる。けれど、生きていくには戦うしかない。
「あの空を目指せば、私たちの日常を奪った奴らを殴ってやれるのにね」
空に突き上げられた拳を強く握りしめ、決意を口にする。これは奪われた人間が再び地上を手にするための復讐であると。
「……姉さんが何を取り戻そうとする過去が、どれだけ素晴らしいかは分からない。でも、もう少し命を大切にしてくれ」
少年は何度も口にしてきた忠告をしたが、それが彼女の瞳を遮るものでないと知っている。
「僕が、必ず姉さんの病気を治してみせるから」
衰退した世界では、人が化け物を倒すには狩人が化け物になるしかない。武器を制作するための資源も、生きていくうえで必要な物資も、目の前の化け物から調達すれば良い。たとえ、そのためにいくら犠牲を積み重ねたとしても、人類が生きていくために。
だが、奪った力には代償が伴う。人間の身には耐えきれない力を一つの体に込めることで、徐々にその姿は変容していく。
「また悪化してるわね。発作も、以前に増して強くなった気がする」
手袋を外すと、黒い鱗のようなものに覆われた肌が露わになる。少年は顔を険しくし、調合していた薬を彼女に渡す。
「もうこの薬でも抑えきれないかもしれない。少なくとも、効き目はどんどん悪くなってる。安静にしていてくれ」
少年が差し出した薬を受け取り、数錠を酒とともに胃に流した。口からこぼれた酒を腕で拭い、少年の頭を撫でる。
「でも、それはできないって分かっているでしょ? まあ、死んでやろうとは思ってないけどさ、ここは一番の前線だから。ここを守り切ることが、結局は私たちを生き永らえさせる。ここが正念場なのよ」
彼女がここから退くことはないし、最期まで力を尽くす覚悟で多くの人がここにいる。
「だから、あたしについてきなさい。あの流星のようにいずれは地に落ちるかもしれないけど、あたしがその最前線を切り開く。急がないと、置いてくわよ」
彼女は不敵に笑い、少年の下から去っていく。残された少年はため息をつき、再び立ち上がった。
*
少年が物心がついた頃には、世界は生存を賭けた戦場と化していた。少年には、姉と姉ともに拾ってくれた義理の父親しかいない。本当の両親は、既に炎の中に消えた。だから、家族を奪おうとする侵略者はただの敵でしかない。
少年の心を駆り立てたのは、いつも姉のことだった。成人になるのも待てずに戦場に出て、時には大怪我をして数日寝込む事もあった。
だが、少年には姉を止める方法はないと知っていた。せめて、少年にできることといえば少しでも姉が万全な状態で戦場に赴けるように支援することだけ。
何度も何度も、繰り返し繰り返し、大怪我をして帰ってきては戦場に戻れるように治療を施した。姉に呆れたのも一度や二度のことではない。それでも、見捨てられないのは家族であると同時に、戦場で輝く一等星である姉のために尽くしたかったからかもしれない。
「まだ、起きてるのか?」
少年が部屋で調薬していると、父が飲み物を片手に入ってきた。
「寝る間も惜しい。時間がないんだ」
「お前らと来たら……二人とも少しは気を緩めることを学べないのか? しばらくは気を休めても大丈夫だそうだし、羽を休めても良いと思うんだがなぁ」
少年は仕方なく椅子をもう一つ用意して、作業を中断することにした。
「準備にはいくら時間をかけても足りない」
少年は手元に置いたカップをスプーンでかき混ぜ、熱が冷めるまで父の話を聞くことにした。
「そうだな、でも家族の団らんの時間も足りてないと思わないか? 今日は俺が腕によりをかけて用意するから、楽しみにしてろよ」
姉も少年も食に拘る性格ではないが、二人を拾ったときから父はよく料理をして二人に食べさせていた。最初は焦げが目立っていたものの、前線を退いてから料理に力を入れて、今では近所でも人気のおじさんとして親しまれている。
「姉ちゃんはどうだった?」
「あまり良くない、……発作を抑える薬も時間の問題だろう」
体の変化を抑える薬は戦場での治癒能力を減衰させる。戦場で戦う時間がながければ長いほど、その姿は人から遠ざかっていく。言うなれば、こちらは毒だと言えるだろう。だが、こちらの問題は実のところ対策しやすい問題だ。なぜなら、一人当たりの戦闘を長引かせないように部隊を作り、定期的に戦線を離脱すれば進行を抑制しやすいからだ。
「衝動は、本当に厄介だ。いくつもの事例を見てきたが、多少は抑制することができても……改造戦士は長年、その苦痛に苛まれる」
怒り、悲しみ、苦しみ……あらゆる感情が激流となって理性を壊そうと襲いかかる。本当の化け物になるとはこういうことだ。
「今の薬では、いずれ効き目が薄くなる。いや、もうなっている。いくら新しいものを開発しようと、完治できなければ意味がない」
いくら精神を鍛えた戦士であっても、いずれは老いる。化け物はその隙を伺い、人の皮を食い破る時を待ちわびている。
「……俺は、お前ら二人に戦場ではなく、ただの子どもとして守られながら、自分の命を大切にして生きてほしいんだがな。っても、俺が言ったところでな」
父が大きな怪我を負った足を見て、小さくため息をつき、少年の瞳を真っ直ぐ見詰めた。
「確かに姉ちゃんも心配だが……あれはじゃじゃ馬娘だ、聞く耳を持たんし、俺には手に負えん。だが、お前もあいつの後を追うのは良いが、しっかり見極めろよ。お前は頭が良いんだからな」
「……分かった」
父が部屋を去っていったあと、少年は長い袖で隠していた鱗が生えかけていた腕に注射器を刺した。しばらく経過を観察したあと、日記にバツをつける。そしてすぐさま次の調薬に取り掛かる。
少年も死ぬつもりはない、ただ最善を尽くすために、必要な代価は全て払うだけだ。