【05】変死体(3)―そして急展開
8年前に発生した岡部綾香殺人事件を捜査し始めた鏡堂は、犯人として実刑判決を受けた竹本瞬が、年明け早々に仮釈放されていることを知った。
服役態度が良好ということで、刑期が短縮されたようだ。
現在彼は〇山市在住の親元に戻り、生活しているらしい。
鏡堂は取り敢えず竹本を訪ねることにした。
当初あれ程頑強に無罪を主張していた彼が、何故裁判で有罪を認めたのかを確かめようと思ったからだ。
竹本瞬の実家を訪れた鏡堂は、彼の母親に身分を告げ、本人から話を訊きたいと申し出る。
しかし母親の反応は、鏡堂が予想した通りのものだった。
「瞬はもう刑務所で罪を償ったんですよ。
今更刑事さんが、何のご用なんですか?」
「大変申し訳ありません。
息子さんの事件を掘り返そうということではなく、現在捜査中の別に事件に関連して、8年前のことを少しお訊きしたいだけなんです。
何とか取り次いで頂けませんか?」
鏡堂が極力丁寧な言葉で頼むと、母親は少し俯いて考え込んだ。
そして諦めたように顔を上げると、感情の籠らない口調で彼に答える。
「瞬は今、この家にはいません」
「ではどちらに?」
「ここを真っ直ぐ行った左手にある、<緑ハイツ>というアパートで暮らしています。
今部屋にいるかどうか分かりませんが、そちらを訪ねて下さい」
最後は早口で吐き捨てる様にいう母親に向かって、丁寧に礼を述べた鏡堂たちは、彼女が指示した方向へと歩いて行った。
300メートルほど歩いた場所に、<緑ハイツ>という3階建ての小さな建物が見つかる。
玄関に設置された郵便受けを見ると、<竹本瞬>の名前があった。
階段を2階に上がり、4つ並んだ一番奥の部屋に<竹本>という手書きの表札が張られている。
鏡堂がインターフォンを鳴らすと、「どなたですか?」という女性の声が聞こえた。
「〇〇県警の鏡堂と申します。
こちらは竹本瞬さんのお宅でしょうか?」
女性の声がするのを不審に思った鏡堂が、インターフォン越しに名乗ると、一瞬の間を置いた後に警戒感を滲ませた返事が返ってきた。
「刑事さんが、どのようなご用件でしょうか?
瞬さん、竹本さんは今不在ですが」
その返事に鏡堂と天宮は顔を見合わせた。
「竹本さんに、少しお話をお訊きしたいことがあるのですが、今どちらに行かれているか、教えて頂けませんでしょうか」
鏡堂が来意を告げると、インターフォンが切れ、少しして部屋の扉が開いた。
中から警戒心を顕わにした女性が顔を覗かせる。
鏡堂と天宮はその女性に向かい、改めて警察手帳を提示して身分を名乗った。
その上で女性に尋ねる。
「あなたのお名前をお訊きしてよろしいですか?」
女性は暫く躊躇した後に、「岡部です」と名乗る。
岡部という名前に鏡堂たちが驚くのを見て、女性は続けた。
「お察しの通り、8年前に亡くなった岡部綾香の妹の澄香です」
その時背後から男性の声がする。
「澄香ちゃん、その人たちは?
何かあったの?」
鏡堂が振り向くと、そこには竹本瞬が立っていた。
竹本は8年前とは見る影もなく窶れていたが、鏡堂はすぐに彼だと分かった。
竹本の方も一瞬不審そうに鏡堂を見たが、すぐに察したようだ。
「刑事さん…」
そして岡部澄香と同様に警戒心を顕わにする。
鏡堂はそんな竹本に向かって、出来るだけ穏やかな口調で話し掛けた。
「竹本さん、お久しぶりですね。
仮釈放されたそうで、良かったです」
そんな鏡堂を、竹本は睨みつける。
「僕はもう罪を償ったんですけど。
今更僕に何のご用なんですか?」
その言葉は鏡堂個人というよりも、警察に対する敵意で溢れているようだった。
――無理もないな。
彼の気持ちを察した鏡堂は、極力冷静な口調を心掛けながら用件を口にした。
「実は現在捜査中の事件に関連して、8年前の状況について少しお訊きしたいことがあるのです。
あなとの過去の事件について、蒸し返して何かしようという心積もりはありません。
お辛い気持ちは分かりますが、ご協力頂けませんか?」
その言葉に竹本が答える前に、アパートの部屋から飛び出して来た岡部澄香が、彼の前に立ち塞がった。
「瞬さんは何年も刑務所で苦労したんですよ!
もうそっとしておいてあげて下さい!」
その剣幕に事情聴取が困難だと悟った鏡堂は、諦めて懐から名刺を差し出した。
「もしお話して頂けるようでしたら、こちらまでご連絡頂けますか?
是非ご協力をお願いします」
そう言いながら鏡堂と天宮は揃って二人に頭を下げた。
その時鏡堂は、竹本が怯えた顔でアパートの外に顔を向けたのを見逃さなかった。
そしてその場を離れる際に、彼の視線の先にそれとなく目を向ける。
アパートの外には、派手なシャツを着たチンピラ風の男が立っていた。
竹本はその男に怯えているようだった。
しかし鏡堂たちがアパートから通りに出ると、男の姿は消えていた。
男のいた場所に鋭い目を向ける彼を、天宮が怪訝な表情で見上げる。
「何かあったんですか?」
「さっきあそこに、チンピラ風の男が立っていたのに気づいたか?」
鏡堂の問いに、彼女は首を横に振る。
「竹本はその男に怯えた様子を見せていた。
もしかしたら、彼は見張られているのかも知れんな」
その言葉を聞いて、天宮は驚きの表情を浮かべた。
「それは8年前の事件に関連しているということでしょうか?」
「何とも言えんが、その可能性は否定出来ん」
そう言いながら鏡堂は、尚も厳しい表情を浮かべていた。
――上月の考えは当たっていたのかも知れんな。
――だとすれば竹本は、何故裁判で罪を認めたのだろう?
改めて竹本瞬についての疑問が、彼の胸に沸き起こってきた。
それから5時間後、県警本部に帰庁していた鏡堂は、竹本から緊急の電話を受けた。
「刑事さん、助けて下さい。
澄香ちゃんが拉致されたんです」
彼の声は緊迫感に溢れていた。
「拉致されたというのは、どういうことでしょうか?」
「僕と彼女が夕飯の買い物に出かけた時、突然車が近づいて来て、彼女を攫っていったんです」
「岡部さんだけが攫われたんですか?
その時あなたはどうされたんですか?」
「僕が抵抗したら、犯人は慌てたらしくて。
彼女を車に押し込んで、僕を置き去りにして走り去ったんです」
「あなたは今どこにいるんですか?」
「富〇町の<上坂第一ビル>の前です。
彼女はここに連れ込まれたみたいなんです」
鏡堂が場所を復唱するのを、隣の席の天宮がすかさずメモに取る。
「どうして岡部さんが、そこに連れ込まれたと分かるんですか?」
「彼女を拉致した犯人を見たからです。
あれは<阿奈魂蛇>とかいうグループのチンピラでした。
だから僕は、あいつらの溜まり場まで来てみたんです。
そんなことより刑事さん。
早く澄香ちゃんを助けて下さい」
「分かりました。
すぐに行きますから、そこを動かないで下さい」
そう言って電話を切った鏡堂は、高階と熊本に手短に状況を告げ、手の空いている刑事たちの出動を求めた。
そして天宮を伴って、富〇町に急行する。
現場に到着した鏡堂たちは、狼狽える竹本瞬をとにかく落ち着かせると、<阿奈魂蛇>の溜まり場という2階の一室に踏み込んだ。
そこで彼らが眼にしたのは、床に倒れ伏した5人の男たちと、部屋の隅に怯えた表情で座り込んでいる岡部澄香だった。
鏡堂たちは手分けして、床に倒れた男たちの様子を確認する。
しかし彼らは全員既に息絶えていて、その顔には先日変死体で発見された、小谷剛や瀬古慎也と同じく、恐怖の表情が浮かんでいたのだ。
現場は一瞬で騒然となり、本部から追加の捜査員たちが緊急招集されることになった。
そんな中で鏡堂は、岡部澄香から事情を訊いていた。
彼女は最初怯えて言葉が出なかったが、天宮に介抱されて徐々に落ち着きを取り戻してきた。
「私はここに無理矢理連れて来られた後、気を失っていたんです。
そうしたら部屋の中が騒がしくなって。
その音で目が覚めたら、その人たちが全員倒れていたんです」
「目が覚めたら倒れていたということは、あなたは彼らが倒れたところを見ていないんですね?」
鏡堂の言葉に岡部澄香は肯く。
「あなたが目覚めた時、室内に誰か他の人間はいませんでしたか?」
その問いに彼女は、俯いて束の間考え込む。
そして思い出したように顔を上げて答えた。
「はっきり憶えてないんですけど、一人男の人が部屋から出て行ったような気がします」
「男の人ですか。
その人の背格好とか服装は憶えていますか?」
「背の高さとかは分からないんですけど、フード付きの黒いコートを着ていたような気がします。
フードを頭からすっぽり被っていたような…」
「フードですか」
「はい、だから顔は見ていないんです」
彼女がそう答えた時、救急隊員が到着した。
岡部澄香は、念のために市内の病院で診察を受けることになり、搬送されて行った。
その様子を見送りながら、鏡堂は深刻な表情で考えを巡らせていた。
――何故<阿奈魂蛇>は、今頃になって竹本と岡部の妹を狙ったのか?
――その理由については、竹本から事情を訊くしかないだろう。
――これはもう事故ではなく、事件として捜査すべきだろう。
――もし事故なら同じ現場にいた岡部澄香が、無傷でいられる筈がない。
――同様に犯人が-毒ガスのようなものを使ったという考えは、捨てた方がいいだろう。
――もしそうなら、岡部も只では済まなかっただろうから。
――では、犯人はどうやって5人の男を一瞬で殺害したのだろうか?
――見たところ、今回もガイシャの体に外傷はなかった。
――毒物以外で、大勢の人間を一瞬で殺すようなことが、人間に可能なのだろうか?
考えれば考える程、彼の頭には昨年起こった<雨男事件>と<火の神事件>のことが思い浮かぶ。
――これも人外の力のなせる業なのだろうか?
――だとしたら一体誰が、どんな理由で、その力を行使しているのだろう?
無言で考え続ける鏡堂を、傍らで天宮が心配気に見ているのだった。