【01】変死体(1)
その夜、指定暴力団〇〇組傘下<雄仁会>幹部である小谷剛は、舎弟二名と共に、〇山市内の繁華街である、富〇町に繰り出していた。
時刻は深夜一時を回っており、三人とも足元がかなり覚束ない状態だった。
富〇町では、昨年末に起こった連続爆破事件の一つである、雑居ビルの爆破事件があり、一時期町全体が騒然とした雰囲気に包まれていた。
しかしその騒ぎも犯人逮捕によって沈静化し、年が明けた今では、繁華街にも元の活気が戻っていたのだ。
一方小谷はというと、活気があるというには程遠い気分だった。
原因は明らかで、組内での地位が新参の鶴岡康夫に脅かされていることだった。
鶴岡は<雄仁会>傘下の半ぐれ集団<阿奈魂蛇>の元リーダーで、二年前に<雄仁会>組長の盃をもらい、直参組員となった男だった。
そしてその後、豊富な資金力を背景に、組内での地位を見る見るうちに昇らせてきた。
今では、小谷ら古参幹部の地位を脅かす場所まで、駆け上がってきたのだ。
鶴岡の資金力の元は、彼が今でも影響力を持つ<阿奈魂蛇>にあり、半ぐれどもを使って、ありとあらゆる手段で金を集めていた。
元々彼は相当以上に頭の切れる男で、正業に就いたとしても、かなりの地位まで上り詰めていただろうと思われる。
その男が法律を無視して商売を行うのだから、儲かるのも当然と言えるだろう。
そしてその金に群がるように、<阿奈魂蛇>の勢力も拡大していった。
一方で小谷ら古参幹部は、暴対法の影響で日々の<しのぎ>にも苦労していた。
かつての<みかじめ料>や<守り料>の徴収といった手段は、警察の監視下では、事実上不可能になっていたからだ。
それ以外の集金手段も、昨今では極端に制限されているのだ。
その点が、表面上は<雄仁会>と直接繋がりのない、すなわち暴対法の網の目を潜り抜けて活動する、半ぐれ集団<阿奈魂蛇>との大きな違いだった。
元々鶴岡康夫が<阿奈魂蛇>を仕切っていた頃、<雄仁会>の中で彼とつながっていたのは小谷だったのだ。
そして二年前に、彼を<雄仁会>の直参に推したのも小谷だった。
それなのに鶴岡は、今では自分への恩などすっかり忘れたかのように、日に日に態度がでかくなっている。
そのことが小谷には、無性に腹立たしかった。
今日も舎弟二人の前で、散々鶴岡を罵っては、管をまいていたのだ。
既に人通りの引けた繁華街を歩きながら、小谷たち三人はタクシーを探して大通りに向かっていた。
そして彼らが雑居ビルの合間の、狭い路地の前に差し掛かった時、誰かが路地から、のそりと出て来たのだ。
小谷たちはヤクザ特有の直感で、すぐに警戒体制をとる。
「てめえ、何もんだ?」
そして舎弟の一人が、相手を威嚇するように前に出た。
すると相手は目深に被っていたフードを下ろして、小谷に顔を向けた。
その顔を訝し気に見た小谷は、やがて記憶を呼び起こす。
「何だ。お前あの時の」
それが彼の人生最後の言葉だった。
***
県警捜査一課の鏡堂達哉が、富〇町の事件現場に到着したのは、午前7時を過ぎた時刻だった。
彼が到着した時、相棒の天宮於兎子や鑑識課の小林誠司らは、既に現着して検証に当たっていた。
「ホトケは?」
鏡堂は先着していた天宮に、短く声を掛ける。
「あちらです」
天宮の答えも短い。
彼は現場検証用の手袋とシューズカバーを着けると、天宮を伴って路上に被せられたブルーシートの方に向かった。
シートの周辺では、小林や国松由紀子たち鑑識課員が、遺体の検証に当たっていた。
鏡堂が近づいて来るのを認めた小林は、その場で立ち上がると彼に声を掛ける。
「朝っぱらからご苦労さん」
「お互いにね」
小林と短い挨拶を交わした鏡堂は、彼に現場の状況を尋ねた。
「ホトケは三人らしいね」
「ああ、三人とも背中に倶利伽羅紋々背負ってるよ。
間違いなくヤ―さんだな」
「ヤクザ?じゃあ抗争かい?」
「それがなあ」
鏡堂が不審に思って訊くと、小林は渋い表情を浮かべた。
「今のところ、外傷は見つかってない。三人共だ」
「外傷がない?」
鏡堂は益々不審な顔をした。
「ああ、だから現時点で死因は不明だ」
そう言って小林も顔を歪める。
「可能性として考えられるとしたら、毒殺かな。
この辺りの店で、一服盛られたとかな」
小林は困ったような表情で続けた。
口ではそう言ってみたものの、信憑性がないと考えているのだろう。
それは鏡堂も同じだった。
「そんなことあり得るのかい?
毒を盛ったとしても、店を出て三人同時に効き始めるなんて、ちょっと考えにくいだろう」
「まあ、そうだわな。
それより、ホトケの顔を見てくれんか?」
「顔?何かあるのかね」
そう言いながら鏡堂はブルーシートの脇にしゃがんだ。
天宮も彼の背中越しに覗き込む。
小林がブルーシートを捲ると、仰向けに寝かされた被害者の顔が顕わになった。
その顔を見た鏡堂は思わず顔を歪め、後ろでは天宮が息を呑んだ。
――何があったら、こんな相貌になるんだ?
彼がそう思うのも無理はなかった。
被害者の眼はそれ以上ない程大きく見開かれ、口も何かを叫び出そうとするかのように大きく開かれていた。
そして顔のあちこちに、深い皺が寄っている。
「三人とも似たような顔で死んでるんだよ。
他も見てみるかい?」
小林に声を掛けられて我に返った鏡堂は、立ち上がって彼に頷いた。
そして他の二体を確認すると、小林の言葉通り、最初の被害者と酷似した表情のまま亡くなっていたのだ。
「これは一体どういう表情なんだろう?
何かに驚いたんだろうか?」
遺体から顔を上げて、そう独り言ちる鏡堂に、天宮が呟いた。
「恐怖、じゃないでしょうか?」
その言葉に振り向いた鏡堂は、彼女に肯いた。
「確かに、恐怖というのが一番しっくりくるな」
「でも、どんな恐ろしいものを見たら、こんな顔になるんでしょうか?」
しかし天宮のその問いには、鏡堂も小林も答えることが出来なかった。
その時、何台かの車が現場に到着する。
降りてきたのは、県警捜査一課熊本班の刑事たちともう一人、捜査四課の安藤恭一刑事だった。
熊本班の刑事の一団は、早速小林の周囲に集まって状況を確認する。
そして安藤は鏡堂に近づいて笑いかけた。
「鏡堂、早いな。相変わらず仕事の虫か?」
その砕けた口調が、二人の仲を物語っていた。
鏡堂と安藤は警察学校の同期で、鏡堂のあまり多くない友人の一人だったのだ。
次に安藤は、鏡堂の傍らに立つ天宮を見咎める。
「あんたがこいつの新しい相棒か?
この偏屈野郎のお守は大変だぞ」
そう言って笑いかける安藤に、天宮も思わず笑い返すが、鏡堂はムッとして安藤に言い返した。
「下らんこと言ってないで、ホトケの顔を確認してくれ。
お前、そのために呼ばれたんだろうが」
その言葉に、「へいへい」と返しながら、安藤は路上の遺体を覗き込む。
後着した熊本たちも、彼に習って遺体を囲むようにして覗き込んだ。
そして彼らは、一様に不可解な表情を浮かべた。
「ホトケはヤクザらしいが、誰だか分かるか?」
鏡堂が問いかけると、安藤は彼に振り向いて答えた。
「酷い面相になってるが、こいつは<雄仁会>の小谷剛って奴だ。
今は落ち目だが、一応幹部だな」
「他の二人は?」
「顔は見たことあるが、名前は知らんな。
小谷の舎弟のチンピラだろう。
ところで、こいつらの死因は?」
安藤の問いに、鏡堂は難しい顔をする。
「死因は今のところ不明だ。
外傷は三人とも確認されていない」
「外傷がないということは、喧嘩や抗争じゃないということか?」
二人の会話に熊本が割り込んだ。
他の刑事たちも、興味深そうに話を聞いている。
「喧嘩はともかく、抗争の可能性は低いですね。
現時点で<雄仁会>と揉めている組織は、報告されていませんから」
熊本の質問に、暴力団対策が専門の安藤が答える。
「それに<雄仁会>の内部抗争という線も、ちょっと考えにくいと思います。
一応内部の統制は取れてる組織なんで」
安藤は続けてそう補足した。
それを聞いた刑事たちは、一様に複雑な表情を浮かべた。
全員が最近立て続けに起こっている、いくつかの不審な事件を想定したからだ。
その思い空気を破るように、熊本が刑事たちに指示を出す。
「とにかく現場周辺の検分と訊き込みに当たってくれ。
それから遺体は三体とも司法解剖に回す。
早速始めてくれ」
その言葉を契機に、刑事たちが一斉に動き始めた。
鏡堂と天宮も同様だったが、彼らの胸裏を言い知れぬ不安が過っていった。