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バイブリカル・スレイブ-3

 新平は顔を離し、美和子と同様背凭れに体重を預ける。

 そして美和子から視線は切らず、氷の溶け切ったアイスココアのグラスを引き寄せ一口飲んだ。


「その行動は余裕の表れなのか、それともそう見せようと努力しているのか。どうにも判断に迷うな」

「どのように取って貰っても結構です。それで、具体的には僕と何のゲームをする気ですか?」


 新平の問いを受けた美和子は、まず由貴の前にあったアイスティーを手に取り勝手に口を付けた。そして赤い舌を潤った唇にゆっくり這わせながら新平の眉根が寄る様を堪能し、それから口火を切った。


「これから行うのはシチュエーションパズル、というゲームだ。今回出題する内容からするとシチュエーションではないからして、推理パズル、イエスノーゲームとでも言った方が適当かも知れないが」

「名称は何でも構いません」


 新平が暗に御託(ごたく)はいいと言っているのを理解しつつも、美和子は何かを考える風を装いまた短くない時間を掛けてアイスティーを一口飲む。


「ふむ、では今回は推理パズルと呼ぶ事にしよう。よくよく考えてみれば実に理にかなった良い名称だ。さてさて、お待ちかねのルール説明をする訳だが、一度しかしないからよく聞くんだぞ?」


 そして一人得心が行ったと頷くと、美和子はようやく本題に入った。


「出題された内容だけでは決して答えに辿り着けない問題を私が出す。それに対し、君は三回だけイエスとノーでのみ答えられる質問をする事が許され、その質問で得た情報を基に正しい解を導き出す、といったゲームだ」

「手間の掛かるナゾナゾ、といったところですか」

「あながち間違いでもないな。そう考えてくれればいい。まずは私が例題で出題者と回答者の両方を担い、手本を見せよう」


 新平はその申し出を無言でいる事で了承した。

 美和子の説明は簡潔であったが、それだけで全ての概要を把握するのは難しい。

 一度どういったゲームであるか流れを見せてくれるのならば新平には嬉しい限りだ。それを拒む理由はない。


「では例題。今、私が思い浮かべている丸いものを答えよ」


 そして出された例題は、新平に小さくない動揺を与えた。


 問題はシンプルではあるが、それ故に推理の余地がない。こんなふざけた問題がまかり通るのか? というのが新平の率直な意見であった。


「丸いものなどこの世に数多存在する。三回の質問でそれを絞っていく訳だな」


 そして新平の気持ちを察したのか美和子はニヤリと微笑を浮かべながら手順を再び確認し、この難題とは毛色の違う難解な問いを解くための質問を開始した。


「質問は例えばこうだ。『私はそれを見たことがあるか?』。答えはイエス。続けて二回目の質問。『私はそれに触れた事があるか?』。答えはノー」


 新平の動揺が鎮まるのは待たず、美和子は『出題』『質問』『回答』というこのゲームのファクターの実に半分強を早々に消化させる。

 そして美和子は今更ながら一拍おいてアイスティーを啜った。


 それに意味は無いと睨み付ける事もせずに、新平は急いで問題に対しされた質問の答えを整理し、そこから導き出せる事を思案した。

 そしてその思考が纏まるか纏まらないかという絶妙な間を計ったかのように、新平が考えを整理し終えると同時に美和子はコップを置いてゲームの続きに着手した。


「二回の質問が終わり後は一回しかない訳だが、この時点でかなりのヒントが出ている。額面のまま捉えれば『見た事はあり、触った事のない丸いもの』だが、実際はそれだけじゃない」


 今し方まで巡らせていた新平の思考をなぞるようにして美和子はそう言った。

 これは推理するゲームである。三回のみの質問で三つだけのヒントを得ているようでは決して解に辿り着けない。

 得た回答を掘り下げ、見方を変えて謎を紐解かなければならないのだ。


「例えば答えがゴルフボールだったとしよう。事実、私にゴルフの経験は無く見た事はあっても触れた事はない。そして言わずもがなゴルフボールは丸い」

「そんな問題……」

「解ける訳がないな。そう狼狽えるな、安心していい。答えはゴルフボールじゃないし、これでは様々な球技に用いられるボールが該当してしまう」


 新平の言葉を引き継ぎ、美和子は微笑をたたえた表情を変えずに自らの仮定を否定する。


「更に今回は私一人が出題者と回答者の両方を担っているが、本番はそうではない。つまり本番では回答者が何を知り、何を経験したかを出題者は知り得ないという事だ。そしてこの例題は本番を想定して行っている」

「……つまり回答者が見た事がある。また触った事がないと、出題者が断言できるものこそが答えだという事ですか」

「その通りだ」


 荒唐無稽(こうとうむけい)な問題ではないのだと分かり多少落ち着きを取り戻した新平は、美和子の言葉の示唆している意味を汲み取る事が出来た。

 そしてそれに美和子は満足そうに頷き応える。


「二つの質問から、誰にでも見えるが絶対に触れないものだと分かる。美術館などで厳重に警備されてるものか、途方もない距離があるものだと推理出来るが、出題者が断言した事から答えは後者だ。ほら、かなり絞られてきただろう?」


 触った事が無いと断定出来るだけならば『触れば命を落とすもの』とも考えられるが、新平はそのようなものを見た事など無い。

 美術品などは見た事が無い可能性があるし、遠くにあるものという推理は正しいと新平は思った。


 答えは絶対に触れないほど遠くにあり、それなのに誰もが見た事のあるもの。


「最後の質問だ。『それは常に丸いのに、丸く見えない時もあるか?』。答えはイエス」


 二回の質問でほぼ特定出来ていたが、三回目の質問は決定的であった。

 新平は美和子の置いた僅かの間に思案し回答を答える。


「……月、ですか」

「正解だ」


 そして美和子はまたも口角を歪め、新平の回答を正答と認めた。


 二回の質問で的を絞り、三回目で確信を得る。恐らくこれがコツなのだろうと新平は思った。

 だがそうなると一つの疑問が浮かび上がる。三回目の質問は果たして妥当であったのだろうか、という疑問だ。


 三回目の質問は、答えが月だと断定するにはいささか頼りない。極論を言えば『答えは月か?』という質問もルール上は有りだからだ。

 月だという推理が違った場合に質問を無駄にしないよう、踏み込みすぎないものにしたのかとも思えるが、美和子は答えを初めから知る訳であるからしてそれでは納得し難い。


「大体分かったかな? おっと、忘れていた。質問に対する答えは『イエス』と『ノー』の他に、そのどちらでも回答出来ない場合の『答えられない』がある。先程の例題で言うと『それは常に丸いのに、丸くは見えないか?』と問うた場合、丸く見える時もあるし丸く見えない時もある為『答えられない』、とこうなる」


 そして話された美和子のルール説明に、新平はなるほどと一人納得した。


 美和子は思い出したかのように話したが、少なくとも三回目の質問をする時点で説明が抜けている事に気付いていたのだろう。

 故に三回目の質問を最適なものではなく、例題の答えが導き出せ、かつ説明に利用し易いものにしたのだ。


 しかしこれは簡単な事ではない。

 問題を解くだけでも難しいと新平は思っていたというのに、美和子は更に自ら条件を足したようなものである。それであってなお、あえて間を置き解を知らない新平に正答させた事から、質問が本来の目的を果たした事が証明されている。


 そう考えるとこの桂木美和子、かなりの切れ者だという事が推察出来る。

 見くびっていた訳ではないが、新平は美和子を油断ならない相手だと再認識した。


「質問によりピースを集め、推理して解の完成を目指す。言った通り、推理パズルは理にかなった名称だろう?」

「僕も言った筈ですよ。名称はどうでもいいと」


 しかし厳しい態度は崩さず、美和子の戯れ言を新平は一蹴する事で応えるのだった。


「さて、ゲームの内容はこれで全てだが、どうする? 契約を結んでいない今ならば、君はまだ私とのゲームを回避する事も出来るが」

「愚問ですね。勿論、お相手します」

「よろしい。では」


 新平の応との答えを受け、美和子はテーブルの上に開かれていた本のページを捲る。そして開いた白紙のページをピッと破ると本を閉じ、おもむろに皮の表紙の上に手を置いた。

 視線に促され新平も同様に本の上に手を置くと、美和子は契約内容を口上する。


「桂木美和子とのゲームに酒井新平が勝利した場合、桂木美和子は藤森由貴との間に結んだ全ての契約を破棄しなくてはならない。逆に酒井新平が敗北した場合、酒井新平は桂木美和子の物となる」


 美和子が紡ぐ言葉に連動し、破られ本の横に置かれた紙にインクが滲むようにして文字が浮かび上がる。

 新平は美和子の言葉と契約文に差違が無いのを確認すると、


「既に下している命令の撤回もです。由貴さんを完全に元の状態に戻して返して貰います」


 追記事項を書き足すよう美和子に指示をした。

 これは契約の破棄が今の気絶状態の改善に繋がるか分からないという事と、『数日後に命を絶つ』などの時限式とでも言うべき命令を抑止する為の一文である。


 しかし美和子は破られたページを視線で示す事でそれに応え、そこで新平は自分の言葉も契約文に追記される事を知り、自分にも契約を書く権利がある事を理解した。


「それと」

「ゲームは正々堂々行うものとする。意図的な不正が行われた場合、不正を行った者の敗北と見なす」


 更に条件を足すべく口を開いた新平の言葉に被せ、美和子は新平の言わんとした事を契約に書き足した。


「藤森由貴との時は時間がなかったのと、人質にする為と目的が違った。君とのゲームは真剣勝負だ。真剣に暇を潰させて貰う」


 怪しむような視線を向ける新平に美和子はやはり楽しそうに自身の胸中を語ったが、無論、不正を行えなくする事が出来れば動機など新平にはどうでもいい事である。


「ゲームは契約を結んだ直後に開始するものとし、質問に対する答えを長時間保留するなどのゲームの進行を著しく妨害する行為も禁止です」

「疑り深いな。そんな真似はしないが、まぁ君の精神安定剤として追記しておくのも悪くはないだろう」


 美和子は由貴のアイスティーを再び口にすると、契約の書かれた紙をつまみ上げその内容を確認し、それから新平に差し出した。

 新平はそれを奪うように受け取り、その内容に目を通す。


 ゲームは真っ当なものとし、旗色が悪くなったからと延々時間を稼ぐ行為も封じた。勝った場合の不安も潰してある。


――契約に不備はない


 後は勝負に勝利するだけだと確認した新平が美和子に紙を返すと、美和子は破った紙を元のページに戻し、破る前の元の状態に紙を復元させてから本を閉じた。


「準備は整った。後は契約を結ぶだけだ」


 そう言って美和子は再び本に手を置く。


「私、桂木美和子は契約に同意し、定められた取り決めを遵守すると誓う」


 そして法廷において聖書に宣誓するように、契約を結ぶ誓いを口にした。

 新平もそれにならい本に手を置き誓いを口にすると、その瞬間、唐突に美和子との間に不思議な繋がりを感じるようになった。


 決して断ち切れない、逃れられない、隠れられもしない、だがしかし一方的ではない不思議な繋がり。あえて具体的な言葉にするならば、互いの首と首とを繋ぐ鎖の(えにし)とでも言ったところだろうか。


 恐らくこの感覚は美和子も感じており、これこそが契約が結ばれた事を証明するものなのだろうと新平は察した。

 そして引き返せない契約書にサインした事を深く再認識し、表情と共に気を引き締める。


「では契約に基づき、早速出題させて貰おう。問題――」


 ゲームは契約を結んだ直後に開始するものとする。美和子はこの契約の一文に基づき、これまで繰り返し続けてきた無駄口も叩かずゲームを開始した。


 しかし、いざ出題される事になる問題は、先の例題とは比べものにならない程の動揺を新平に与える事となった。


「――君の今いるこの店の中、店内に私の仲間がいる。誰かを答えよ」

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