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バラエティー・アイ-2

 高層ビルの屋上。

 いつものようにそこに吹く強い風が、吐き出されたタバコの煙を掻き消し浚らっていく。見えなくなった紫煙のその行く末を、ルーシーはボンヤリと眺めていた。


 思うはただ、哲也の事。


 まだ若かった。一生の半分も生きていない。哲也の人生は、これからだった。

 だというのに、それは不意に終わりを告げた。

 彼の人生は何者かに、唐突に奪われた。


 やり残した事もあったろう。当然だ。そもそも死というのは非情にも、誰しもいつかは迎えるものでありながら、満足いくものとするには余りに困難なもの。殺害という形で道を絶たれたならば尚更である。


 ルーシーが思い、感じるのは自責の念ばかりであった。


 例え非凡な世界に生きようと、それは決して不幸な事ではない。だがもし彼が平凡な世界に生きていたならば、という考えは止まない。

 こんな世界にいなければ死する事もなく、哲也は何物にも代え難い幸せをきっと手にしていた筈。その思考がルーシーの頭にこびり付いて離れなかった。


 ふと、頬を伝う滴に気が付く。


――私は、何様だ……


 涙を拭う事もせずに、ルーシーは顔を伏せギュッと瞳を閉じた。


 ルーシーは『番犬』の者達を愛している。血は違えど志を同じくした皆を、同志であると同時に家族だとそう思っている。

 無論、哲也に対してもその愛は際限なく注がれていた。否、死して今尚注がれている。


 だがしかし、残念ながらその愛は類似してはいても、母が我が子に注ぐような無償のものでは決してなかった。


 大規模な能力者集団ほど所属する非能力者の割合は増える傾向にある。組織を運営していく上で能力の有無に関わらず人手は必要不可欠なものになり、そこで希少性の低い非能力者が使われるのは当然の事だ。

 そしてその中でも『番犬』は、その構成員の半数を悠に超える割合を非能力者が占めるという特異な組織であった。


 『番犬』に組する非能力者の大半は、能力者の起こした事象に巻き込まれた者達である。

 理不尽な力により日常を掻き乱された者達の中には、行き場を失ってしまう者も少なくない。『番犬』はこれまでそんな境遇の者達に居場所を与えてきたのだ。

 そして哲也もその少なくない内の一人であった。


 一見すれば慈善的とも取れるこの行いは、見方を変えれば弱味に付け込んだとも取れる。

 事実、組織の運営に関わる仕事を与える事でルーシーは彼等を利用している。


 そんなルーシーの抱える後ろめたさが、哲也に対し哀悼の念を抱く事を許さなかった。


 哀悼の涙を流して良いのは、彼を思い、彼の為を思い、彼を純粋に愛した者だけだ。

 ルーシーは違う。彼女に涙を流す事など許されない。


 彼女は純粋に哲也を思ってなどいなかった。

 彼をこの世界に引きずり込み、そして利用した。


――哲也を殺したのは、私だ


 彼女の頭の中では、哲也に対する贖罪にはなりえない謝罪の言葉が延々とリフレインしていた。


 二、三度口元に運ばれただけの煙草が根本まで灰になる頃、不意に風と棚引く髪の音で塞がれていたルーシーの耳に重い扉の開く音が届く。

 そして振り替えりはしなかったルーシーと僅かに距離を置いたところで、やって来た者の足音が止まる。


「先程『墓荒らし』が帰ったよ。丁重に埋葬してくれると言っていた」


 穏やかな声でそう告げたのは和臣だ。声を聞く前から何となく誰かを分かっていたルーシーは、顔を向けず一つ頷いた。

 正規のものではない故に、死が発覚してから僅か数時間足らずで葬儀が済んでしまった事への漠然とした悲しみを抱えながら。


「秋人くん達には裏から帰って貰った。誰かと顔を合わせるのは互いに辛い事になるだろうからね」


 もし『番犬』の誰かに会えば、あらぬ疑いを掛けられ秋人が怨嗟(えんさ)の声に晒されるであろう事は火を見るよりも明らかである。そんな簡単な事にも頭が回らなかったルーシーは、続けられた和臣の言葉にまた一つ小さく頷く。


 和臣はそれきり口をつぐみ、しかし何かを求めるでもなく間を置くと、今度はルーシーがゆっくりと口を開いた。


「貴子に謝らなくてはな。彼女には悪い事をした……指導者としてあるまじき行為だった」


 そしてそうポツリと呟いた。

 救護室に駆け付け哲也の変わり果てた姿を確認したルーシーは、貴子に掴み掛かり彼女を叱責してしまっていた。貴様は側にいながら何をしていたのだ、と。


 貴子の役割は治療であって護衛ではなく、本来ならばルーシーは激昂ではなくむしろ巻き添えを喰わなかった事に安堵すべきである。護衛を付けなかった己の愚を嘆くならまだしも、この行動が八つ当たりも甚だしい行いなのは明白だった。


「さすがにあんな状況では平常心を保つのは難しいよ。それが例え指導者であってもね。彼女も分かってるさ」


 胸倉を捕まれながらも貴子は反論もせず、ただただ沈痛の面持ちを浮かべていた事からも和臣の言が的を射ているのは分かるが、ルーシーに非がある事には変わりはない。

 しかしここで言葉を返す必要はなく、和臣の言葉を慰めとして受け取ったルーシーはまた一つ頷いた。


「……和臣」

「なんだい?」

「お前は、どう思う?」


 この漠然とした問いに対し、和臣は逡巡するでもなく再び間を置いた。何を問われたかは理解したが、口に出すのを躊躇したのである。

 そして躊躇したという事こそが、ルーシーと同じ考えに至っているという事を示唆していた。


「口封じ、だろうね」


 そして和臣は、先程と打って変わって憤りの感情を乗せた声色でそう口火を切った。


「恐らく昨晩の襲撃に哲也は関わっていた。それもかなり深く。そして事が露見してしまった為に、その黒幕が口封じに哲也を殺したのだろう」


 和臣の推察にルーシーは俯く。

 ルーシーも和臣と同じ考えに至っており、そしてこの考えがどこへ行き着くのかを理解していたからだ。


「昨晩、秋人くんは朝まで俺と一緒にいた。彼の身の潔白は証明されている。そして慎治郎がアジトを巡回し、彼の指示で防犯カメラによる警戒もあった。見知らぬ者が入り込み、脱出するのは非情に困難な状況だ。つまり――」


 秋人ではなく、そして外部からの侵入も極めて可能性が低い。


 ならばこう考えるのが自然。


「『番犬』の中に、仲間殺しの裏切り者がいる」


 同じ結論を導き出していたとはいえ明確に言葉という形にして突き付けられ、胸の奥がきつく締め付けられるのをルーシーは自覚する。彼女の小さな右手は無意識に煙草を手放し、その胸を苦しげに鷲掴みにしていた。


 その様子を見ながらもなお、厳しい視線をルーシーの背中へと注ぎながら和臣は言葉を続ける。そこにはもう躊躇いはない。


「忠告しておくよ。今の内に……いや、今、君は覚悟しておくべきだ。しなければならない。裏切り者をその手で粛正する覚悟を」


 ルーシーは『番犬』を率いる指導者だ。いつまでも悲しみに暮れていてはならない立場の人間である。突き詰めれば、そもそも一人になりたいからとこんな場所に逃避しているのもあるまじき行為だ。

 彼女は無慈悲なまでに冷静に、組織の為ならば冷酷に徹しなくてはならない。

 失ったのが我が子同然に思っていた者であり、そしてその手に掛けなくてはならないのが同様の者であっても、彼女には俯瞰で見た正しい行いこそが求められる。

 嘆く暇はない。彼女の肩には『番犬』全員の命運が掛かっているのだ。


「粛正、か……お前は巧いな、和臣。よくもまぁ何ともそれらしい響きの言葉を持ち出す」


 和臣の言葉を受け、ルーシーは苦笑を零しそして振り返った。

 その瞳に、痕こそあるが涙は無い。


「だが私のするのは粛正なんて小綺麗なものじゃない。復讐だ。正義も悪もない、我が子を奪った憎悪を武器に私は裏切り者に復讐する」


 ルーシーは再度強く胸を掴む。それまでの胸の奥の刺すような痛みを鎮める為のそれではなく、煮えたぎる復讐心をその手に握り締める。


「私情をもって、裏切り者に哲也の命を奪った代償を必ず払わせる。それが、哲也を巻き込み殺した事に対する私の償いだ」


 有無を言わさぬ迫力を孕むルーシーの眼差し。割り切る事が出来ずとも、結果として指導者に相応しい対応が出来るなら良しとして、和臣は頷いた。


「それともう一つ言っておきたい事がある。今後、慎次郎の動向に注意を払った方が良い」

「……流れからして、アイツが裏切り者だと言ってるように聞こえたが?」

「断言はしない。確信がないからね。たけど、限りなく黒に近いと思うよ」


 眉を寄せ怪訝な表情を作るルーシーの言葉を、和臣は両手を軽く上げるジェスチャーで躱し語を次ぐ。


「少し前から彼は哲也を使い秋人くんを尾行していたんだ。睨まないでくれよ、君に伝えるべきか悩んだけど、何を企んでいるのか尻尾を掴むまで泳がすつもりだったんだから。まぁ今やそうも言ってられない状況になってしまった訳だけどね」


 和臣は判断を誤った自嘲の苦笑を漏らすが、ルーシーは事が事だけにクスリともしない。


「更に昨夜も彼はアジト内を自由に歩き回れる立場にいた。彼が裏切り者なのはかなり濃厚な線だと思うけど?」


 確かに、和臣の言っている事は筋が通っている。だがルーシーはそれに頷く事が出来なかった。


 昨夜和臣と共にいた秋人に哲也を手に掛けた疑いが無いように、秋人と共にいた和臣にも疑う余地は無い。立場からして秋人に和臣を庇う理由が無い故に、和臣は完全に白だ。

 つまり現在、ルーシーが手放しに信用して良い仲間は和臣しかいないのだが、だからと言って彼女は他の者全員を疑ってかかる事が出来るようなタイプではなかった。


「慎次郎が裏切り者だなど有り得ない。生真面目なのは困りものだが信頼は出来る奴だ。それにアイツは『番犬』立ち上げ当初からの仲間でもある」


 故に、ルーシーは何の弁護にもならない理由を持ち出し、和臣の憶測を否定するのだった。


 甘い。和臣はそう思わざるを得なかった。

 だがこの答えを半ば予想していただけに、そこに失望の色は無い。


「疑えとは言わないよ。ただ彼の動きに気を配り、ある程度行動を制限した方が良い。何もしないまま再びの被害者を出す訳にはいかないだろ?」


 第二の被害者を出す訳には絶対にいかない。それはルーシーも強く思っていたが、その為に何をすべきかというと明確な答えは出せずにいた。

 そこに何をすべきかを提示されたにも関わらず、私情で難色を示して何もしない訳にはいかない。何もしないのはルーシーも望むところではない。


「……分かった。慎次郎には申し訳ないが、お前の言う通りにしよう」


 先程の自分の言葉が理論的でなくただ願望を口にしただけだと自覚していたルーシーは、あくまで一応の予防の為という形を取る事で折り合いを付けた。


 少し置かれた間で和臣は言うべき事を全て話したのだと察したルーシーは、タバコを取り出し火を着け、再び紫煙を風に乗せる。


――慎次郎……お前なのか……?


 消え行く紫煙の先には、朝日を隠すように暗雲が広がっていた。







 『番犬』のアジトを後にした秋人は緩奈と別れ、自宅へと向かい早朝の東桜庭町を一人歩いていた。その表情は晴れない。


 ルーシー、和臣と同室にいた秋人は、二人を呼びに来た者から哲也が死んだという話は聞いている。

 昨日まで哲也と関わりの無かった秋人は、彼は死んでも当然、もしくは仕方がない人物だったとこそは思わないが、心に僅かながらも波が立つという事も無かった。


 秋人の思考はルーシーよりも和臣寄り。今後どうするかという事で満たされていた。


 慎次郎に信用を置いていない秋人は彼の敷いた警戒網も信用していない。故に外部からの侵入者の可能性を捨て切れてはいなかったが、裏切り者の可能性も強く意識していた。

 秋人は『番犬』の存亡に興味は無い。内部から崩壊したところで構わないし、それを危惧するつもりもない。

 秋人が考えているのは自分が引き取る事に決まった小枝子の事だ。

 『番犬』の中に『四重奏』の手の者がいるならば、彼女をそこに置いておくのは宜しくない。


 恐らく、というより秋人はこれを確信しているが、小枝子は『四重奏』について何も知らない。

 となれば彼女を野放しにしても『四重奏』に不利益は無いが、能力者だという事実が小枝子に価値を与えてしまっている。

 これまで小枝子を捨て置いた事から、『四重奏』に犠牲を払ってでも彼女を奪還する気は無い事が伺えるが、隙あらば間違いなく奪い返しに来る。

 そして素知らぬ顔で『番犬』の内部に刺客が入り込んだのならば、見渡す限り隙だらけの状態である。


 渋々ではあったが引き取る以上、秋人に手を抜くつもりはない。全力で小枝子を守る。

 それにはまず、早期に小枝子を『番犬』から離さなくてはならなくなった。


――早めに学校に行って、朝の内に彩に会おう


 出来れば今すぐにでも『虫食い』に電話番号を売って貰い、詩織とコンタクトを取りたいところだが、残念ながら二宮健一の一件で秋人の携帯電話は破壊されている。

 直接会うしか『虫食い』と接触する方法がなく、そして直接会えるのは教師として学校に来る彩だけだ。

 ならば彩が学校に来るのを待つのが一番早い方法だと考え、秋人はそれを採用したのだった。


 三日も無断で外泊した事で放任主義の母親も心配しているだろうが、今朝は時間がない。

 家には数分もいられない為、話をろくに聞く事も出来ないであろう事を、秋人は申し訳なく思うのだった。

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