チェリー・オーバー-5
「あっ、慎治郎さん! 一体何があったのですか?」
「私にも分かりません」
廊下のカメラから襲撃の様子を伺っていた慎治郎は今、指令室を飛び出し秋人達の部屋へと駆け足で向かっている。
そして警報を聞きつけ飛び出して来た『番犬』の面々を不本意ながらも引き連れて、進むにつれ新たに加わる者により繰り返される煩わしい問いに答えていた。
彼の内心には焦燥と苛立ちが渦巻いている。
秋人が扉を打ち破った事は襲撃の実行者にとってだけでなく、慎治郎にも予想外の出来事であった。引っ掛かりを感じつつも秋人を見下していた彼は、秋人が抵抗する事無く事態は収束するものと考えていたし、例え抵抗を見せてもここまで大事になる事は無いだろうと高を括っていたのだ。
今回の事は『秋人の実力を計る』のではなく、『秋人の無能を暴く』為に行われたと言っても過言ではない。
それが今や大名行列よろしくゾロゾロと皆で様子を伺いに行く事態となってしまっている。
襲撃の存在すら周知させない心算だった慎治郎にとって、これは非常に不味い展開だった。
指令室でシステムによるサポートをしていた慎治郎には、警報を鳴らさないという選択肢もあるにはあった。だがそれをしてしまえば実行者の単独犯に仕立て上げる事が不可能となる為、慎治郎はその選択をしなかった。
単独犯に仕立て上げるという事はつまり、慎治郎は実行者の男に罪を着せ切り捨てる決断を既にしているという事。否、最悪の場合は見捨てるよりも更に劣悪な決断を下す事も辞さない構えである。
現在、秋人の扱いに関しては団長であるルーシーが全権を握っている。生かすも殺すも彼女が判断すべき事であって、そこに慎治郎の個人的な感情や思惑が介入する余地は無い。
団長というルーシーの立場からしても、これは『番犬』の中では法律さえ凌駕する絶対の決定事項である。
だが慎治郎はその意に背いた。今回秋人に手を出した彼のこの行動は、組織を離反する意志を示した事と同義と言える。
離反する意志が無いならば慎治郎はこれを誰にも知られる訳にはいかない。そして慎治郎には『番犬』を離れるつもりは毛頭なかった。
――私はまだこの組織を離れる訳にはいかない。場合によっては、不要な事を喋る前に彼を始末する必要がありますね……
となると、自身が今回の襲撃を画策した首謀者であると唯一知る実行者の男は、慎治郎にとっては自らの立場を揺るがす最大の不安因子でしかなく、どうにかしてこの不安を排除しなくてはならなかった。
だが慎治郎はその方法を決めかねていた。
殺害の方法を、ではなく、殺害を含む不安を排除する方法を、である。
殺害する事自体は言ってしまえば簡単な事だがしかし、それはまた別の不安の種をまく行為に他ならない。そうなれば、その芽を摘み取る為にまた新たな種をまかなくてはならない悪循環に陥るのは自明の理。
出来る事ならばもっと別の穏便な手段で男の口を塞ぐべきである。
甘い汁で釣るか、恐怖の鎖で縛るか。男の出方次第になるが、そうするのが現状のベストである。
しかし『出来る事ならば』、という事は出来ない場合も無論あるという事である。むしろ慎治郎はその可能性の方が高いと踏んでいた。
――今は、秋山が真相に辿り着いていない事を祈るしかないですね……
慎治郎は扉が破られた瞬間から秋人達の部屋へと向かい始めた為、その後の展開を把握出来ていない。
逃げられたり誤魔化せたならば良いが、男が保身から開き直り、秋人に全貌を明かしていた場合事の収拾は困難を極める。
あくまで困難だというだけで不可能という訳ではないが、面倒な事この上なく、更に『番犬』内に自分に対する裏切りの疑惑という禍根を残す事になってしまう。
――まったく、私の行く末をあのような二人が握る事になるとは、何とも忌々しい……
後ろから従う者達には見えない慎治郎の顔はいつもの無表情ではなく、苛立ちにより酷く歪んでいた。
あらゆる事態を想定し思考を巡らす慎治郎とその一行は、足早に廊下の最後の角を曲がった。
まず慎治郎を含む全員の目に映ったのは一人の人物、寝間着姿の秋人だ。
そして廊下に膝を付き、上体を起こさせるように誰かを抱き寄せるその姿から皆の視線が下がり、次に倒れる三人を視界に捉えた。
秋人が様子を伺う二人、緩奈と小枝子。そしてそれより近い位置に大の字で倒れる実行者の男である。
「て、哲也!?」
捕らえられはしていたが、意識を失い口を割る心配がない状態にある事に安堵した慎治郎とは違い、大勢の者が息を飲み、親交の深い一人の女性が悲鳴のような上擦った声を上げる。
そして先頭に立つ慎治郎を押し退けるようにして、倒れる男、哲也の側に駆け出そうとしたが、
「止まれ。近寄るな」
それを秋人が止めた。
その静かながらも迫力のある声に、女性はビクリと体を震わせて無意識に足を止める。
「一体これは……どういう事ですか?」
女性の肩に手を掛け彼女の前に出ると、慎治郎はまずそう秋人に問うた。
「どういう事か聞きたいのはこっちの方だな」
視線を僅かに動かし女性から慎治郎を見て、問いに対し鼻で笑うようにして秋人は即答する。
「今し方、コイツの能力による攻撃を受けた。問答無用の不意打ちだ、敵意が無かったとは言わせない。これは『番犬』の総意によるものと捉えて構わないな?」
問われた経緯を端的に話し、結論を決定事項として話す秋人の言葉には取り付く島もない。
だが全容を知っていればそうかもしれなかったが、そうでない者にとっては根本的に秋人の弁には穴があった。
「嘘、嘘よ! 哲也は能力者じゃない!」
慎治郎が指摘する前に先程駆け出そうとした女性がそう叫んだ。
哲也は最近になって能力を開花させ、そして今回の襲撃を隠匿する為に未だ非能力者として組織内で通っている。女性にしてみればこれは本心からの言葉である。
「哲也はやってない! どうせアンタが――」
「ならばコイツと協力し俺達を攻撃した能力者がいる筈だ。そいつを引き渡して貰おうか。体温を奪い幻覚を見せる能力者だ」
下らない言いがかりで非難される事が容易に予想出来た秋人は、女性が言い切る前に至って冷静に言葉を返す。
何を言われようと、はいそうですかと引き下がる気は秋人には無い。
自分だけではなく、小枝子、そして緩奈に危機をもたらしたのだから当然の事だ。
秋人は今回の襲撃が『番犬』によるものかどうかをハッキリさせる心算であった。
「私の知る限り、『番犬』にそのような能力を持つ者はいません」
そして秋人の問いに慎治郎が答える。
「だからどうした? お前の知らない奴の中にいるんだろう」
「いえ、私はここに籍を置いて長い故に、所属している者の能力は全て把握しています」
秋人の反論に慎治郎は首を振ってそう答えた。それに対し秋人は眉間にしわを寄せ、怪訝な表情を返す。
「悪いが隠し立てしているとしか思えない。いや、正直に言うと悪いなんて少しも思っていないんだがな」
「私を信用出来ないのでしたらどうぞ、私以外の者に確認を取って下さい。『番犬』に貴方の言う能力者はいないという事実は変わりません」
「無意味だな。初めに言ったが、俺は『番犬』の総意で今回の襲撃が行われたのだと疑っている。お前が言う事と、それ以外の『番犬』が言う事が同じであったところでこの疑惑は晴れない。もっと言えば、そこの彼女が言ったコイツが能力者じゃないというのも信用していない」
「嘘なんかじゃない! 嘘をついてるのはアンタよ! アンタが罪のない哲也を襲ったのよ!」
再び声を張り上げた女性には見向きもせず、秋人は慎治郎から視線を動かさない。
視線を受け止めている慎治郎は小さく溜息を吐いてから口を開いた。
「このままやったやってないの不毛な問答を繰り返したところで埒が明きません。今回の事に哲也が関わっているのでしたら、彼から真実が聞ける筈です。彼が目を覚ますのを待つ、という事でこの場は収めましょう」
正論ではあるが、時間を置き、哲也と二人になれる状況を作りたいというのが慎治郎の本音である。適当な言い訳を哲也に仕込む時間が慎治郎には必要であった。それもなるべく早い内に。
というのも『極楽蝶』へと出向きルーシーも和臣もいない今、自分がアジトを任されている今ならば、哲也からの聴取を行う者の選定も、更には聴取を行うか否かまで慎治郎の思うがままだからだ。
「それで構わない。白黒付かないのは予想出来ていたしそうするつもりだった」
――馬鹿め
そして張本人を抜きにしていては事態が動かないと理解していた秋人は、慎治郎の胸中を知るはずもなくその提案を飲んだ。
慎治郎はその返答に、秋人の無知を嘲り内心で満面の笑みを浮かべる事を禁じ得なかった。
「それでは、哲也を救護室に運んで下さい」
予想していたよりもスンナリと事態を収める事に成功した慎治郎は、ルーシーへの報告内容を思案しながら後ろにいた適当な者に哲也を運ぶよう指示する。
「その必要はない」
だがそれに秋人が口を挟む。
慎治郎は表情に苛立ちを僅かに覗かせながら、秋人に振り返った。
「目を覚ますまでのコイツの身柄はこちらで預からせて貰う。それを伝える為にわざわざ誰かが来るのを待ってたんだ」
そして秋人は慎治郎が先の台詞の意味を問う前にそう答えた。
『番犬』そのものを信用していない秋人が、哲也の身柄を『番犬』に引き渡す訳がない。『番犬』が敵であると仮定して考えればこれは当然の提案である。
慎治郎が暗躍するという考えには秋人は至りようがないが、現行犯を解放して隠蔽工作の時間を与える馬鹿はいない。
だがそれを理解しながらも、慎治郎は否定の言葉を返す。彼はそうしなくてはならないのだ。
「申し訳ありませんがその提案は了承出来かねます。私共からすれば、今回の事は貴方が哲也に対し不当に危害を加えたものとしか思えません。そんな相手に大事な仲間を預けられる訳がないのは理解して頂けるでしょう?」
全容を知らないポーズを取る慎治郎は、疑心暗鬼に陥っているのはお互い様だという自身に都合の良いスタンスを取った。
先程から声を荒げている女性が何かを言おうと口を開いたが、慎治郎の言葉に満足したのかうんうんと頷き、秋人は反対に首を振った。
「治療をするのは一向に構わない。貴子を呼んでも良いし、なんなら俺が運んでやっても良い。俺が危害を加える心配をしてるなら護衛を付けても良い。だが引き渡しには応じられない」
秋人がここまでこだわるのは、『番犬』との今後の信頼関係の為だ。
例え納得のいく襲撃の全容を報告されたとしても、それが一度解放し自分の目の届かない場所で仕込まれたものである可能性があれば、回復した『番犬』に対する信頼は純粋なものにはなり得ない。
納得出来る形で納得出来る報告を受けなくては、秋人は未来永劫『番犬』を心の片隅で疑い続けなくてはならなくなる。
心底から信用したいというのは何も『番犬』に対する友愛の情が理由ではない。個人に対してはまだしも、組織に対してのそのような感情を秋人は持ち合わせていない。
ただ『四重奏』という敵を前に、視界から外せない危うい存在を新たに作りたくなかったのだ。
秋人の提案から、慎治郎も秋人のその心中を察している。
秋人の思考が『番犬はやっていない』という前提の上に成り立っているというのも十分理解出来ている。
本来ならば慎治郎は秋人の譲歩した提案を飲み、『番犬』の信頼回復に努めるべきである。秋人の案は『番犬』に不利になる要素は無い。
だが彼の事情がそれを許さなかった。
慎治郎は己の立場を守らなくてはならない。秋人の、野良能力者の信頼となど天秤に掛けるまでもなく今はそれこそが最優先事項なのだ。
「何か、勘違いをされているように思えてなりませんね。まさか客人である貴方に、ここ『番犬』の本拠地で、その構成員を拘束する権限がお有りだとお思いですか?」
慎治郎はそうゆっくりと噛み砕くようにして告げた。
裏など無い。対等ではなく、貴方は何かを提案出来るような立場にないと、慎治郎はただそう言っている。
これも正論ではある。他人の家で部外者が厚かましい振る舞いをする事など本来は有り得ない。だがそれは余りにも卑怯な言い分である。この状況で持ち出すのは脅し以外の何物でもない。
慎治郎の後ろに立つ『番犬』の面々もそれを感じながらも、しかし、苦言を呈す事はしなかった。
仲間である哲也を秋人という脅威から遠ざける事に一丸となり、敢えて不利になる事を口にする者はいなかったのだ。例えそれが汚い手段だとしても。
「…………」
秋人は呆れ果て、閉口した。
秋人の言い分を信じずとも僅かでも思慮すれば、哲也が裏切り者である可能性が極めて高い事に考えが行き着く筈。それだと言うのにここにいる者は皆その思考を端から捨て、疑わしき者を保護しようとしているのだ。
それは慎治郎の論調に半ば誘導されたせいでもあるが、自ら思考する事を止めた彼等が愚者である事に変わりはない。
「反論が無い、という事は哲也を渡して頂ける、という事で宜しいですね。下がってください。念の為、哲也からもう少し距離を置いて頂きます」
そして無言である事を肯定と受け取った慎治郎は、そう秋人に指示を出す。
こうなると秋人に残された選択肢は二つしかなくなる。大人しく指示に従い哲也を引き渡すか、『番犬』と全面的に対立するかの二択である。
どちらの選択が身の安全を守れるかは明白だ。この場だけでも、慎治郎の圧力に屈する形で事を収めるのが最善の選択である。
「……『番犬』でもない俺に対し、何かを指示する権限がお前にあると思うか?」
しかし秋人が選択したのは後者であった。
秋人にもプライドがある。むしろ彼は自尊心の強いタイプの人間だ。立場を利用した高圧的な抑えつけなどに屈するのは我慢ならない。
そして何より慎治郎の言により、最早『番犬』に対する信頼は回復不可能な段階に限りなく近付きつつある。慎治郎がその気ならば、これ以上彼等との関係改善の為に何かを思考する必要も、自らの感情に辛抱を強いる必要も秋人にはない。
ならば、例え幼稚な自尊心だとしても己の心に正直に、我を貫く。そう判断した秋人は、これまでの『番犬』との関係をここに、断ち切ったのであった。
「……今のお言葉、撤回されるならば聞かなかった事にする事も出来ます」
声色を更に厳しくする慎治郎は、高圧的な態度を崩しはしない。
今回の事で秋人に一目置く事自体には納得したが、重要視しなくてはならないかと問われて首を横に振る判断は変わらない。
お咎め無しとはいかないだろうが、哲也を守る為であったという大義を掲げて秋人という『番犬』に巣くう寄生虫を排除出来るならば、それはまさに好都合。棚からぼた餅であると慎治郎は考えていた。
更に哲也も一方的に襲われた事にすれば良いだけになり処遇も楽になるという事もある。
秋人という野良能力者に対する姿勢という点では慎治郎もまた、自分に正直な選択をしようとしていた。
「撤回すると思うか?」
「するでしょうね。命が惜しいならば」
熟慮の末に出した結論ではなくとも、秋人にそれを覆す気はなかった。
両者が己に忠実であろうとするが故に、この衝突は避けられない。
無言で睨み合う二人の発する空気は徐々に、誰かが僅かでも動けばそれに触発してしまいそうな程に張り詰めていった。
短いようでいて酷く長く感じる間、これ以上の問答は無駄であると二人が会話を打ち切った為に無音の時が流れる。
ジワジワと高まり続ける緊張感を孕んだ一瞬触発の空気は既に、敵と対峙した戦場のそれへと変貌していた。
そして一瞬の油断も許されない雰囲気が向き合う二人の周囲にまで伝染した、その時、その緊迫感に飲まれたのであろう『番犬』の誰かが鼻をすするというただそれだけの行為で、図らずも引き金を引いてしまう。
集中力を極限まで高めていた慎治郎はその音によりほんの僅かに身構えてしまい、それを初動と捉えた秋人は即座に重心を前方に移したのだ。
状況に流されたと言って良いだろう。
この場でやり合うのは誰にとっても不利益にしかならない。
秋人にとって慎治郎個人を打ち倒す事になど何の意味もなく、慎治郎にとっても秋人を『番犬』から遠ざけるだけにしては払う代償が大きすぎる。
だが売り言葉に買い言葉を繰り返す内に、二人は互いに引き返せない状況を作り出してしまった。直情的に二人は争う事になってしまったのだ。
だがそれを嘆く暇もない。
二人が己の射程距離にまで飛び出そうと同時に足裏で地面を掴んだ、その時、
「そこまで!」
予想外に遠い場所から、しかし力の籠もった制止の声が掛かる。
絶妙のタイミングであった。動き出す前ではなく、そして間合いが遠く止まれない程の勢いも無い。
それ故に秋人と慎治郎の両者は、端から見れば棒立ちと大差ない姿勢の段階で止まる事が出来た。
そして警戒するようにたっぷりと視線をぶつけ合ってから、秋人が視線を慎治郎の背後に移し、それにならうようにして慎治郎も秋人から視線を切り後ろへと振り向く。
そこに居たのは息を切らしているルーシーを先頭にした、和臣、真琴などの『極楽蝶』に赴いた面々であった。
先程声を上げたのはルーシーである。
「まったく……お前等は怪我人をほっぽりだして一体何をしているんだ、馬鹿者共め」
そう言って汗で額に張り付いた白金の髪を掻き揚げ溜息を吐くと、ルーシーはゆっくりと歩み出し、人だかりが左右に割れる。
ルーシーの登場に対する秋人と慎治郎の心象は正反対だった。
秋人は初対面の慎治郎よりも話の出来る人物の登場に安堵し、慎治郎は予想以上の早い帰宅に焦燥を感じ舌打ちを打ち鳴らしたい気持ちであった。
「お早いお帰りで。団長――」
「要らん。真琴の能力で大体の概要は把握している」
すれ違う際、状況の説明をしようとした慎治郎を制し、ルーシーは秋人の警戒線を躊躇なく踏み越えそのまま哲也の下へと歩み寄る。そして膝を着いてその様子を伺ってから、また一つ溜息を吐いた。
「これはまた、手酷くやられてるな。秋人、そちらの二人の容態は?」
「今はまだ意識が無いが、じきに目を覚ます筈だ。問題無い」
「よし。誰か哲也を救護室に運んでくれ」
秋人の返答に安堵の様子を見せたルーシーは、立ち尽くす人だかりにそう指示を出した。
これにいち早く反応を示したのは他でもない、秋人である。無論、指示に従う反応をなどではない。眉間に皺を寄せ不服の表情を作ると秋人は直ぐさま口を開いた。
「ルーシー」
「ここは『番犬』の本拠地。ここで行われる全ての事に対し我々『番犬』が決定権を有するのは当然の事だ」
秋人の低く唸るような声による反論に被せて語を紡ぎ、ルーシーは秋人がその先を口に出す事を許さなかった。
やっと話が分かる者が出てきたと思った矢先に、秋人のその期待は裏切られた。彼女もまた慎治郎と同じ手段を用いるのかと、秋人は憤りと失望から眉間の皺を一層深くし、そして奥歯をギュッと噛み締める。
「だが、同時にここで起こる全ての事に対し我々は責任を負わねばなるまい。分かるな?」
しかし予想に反しルーシーはそう言葉を続けた。
続けられた言葉は秋人にではなく慎治郎に対するものであり、これは明確に秋人の肩を持つ発言である。
そしてルーシーのこの問いに、慎治郎は不承不承といった様子ではあったが頷く他無かった。
「うむ、よろしい。健児はいるか?」
慎治郎の首肯に満足したルーシーはまた人だかりに向けて声を掛ける。すると直ぐにごった返す人と人の間をスルリと抜けて、やけに華奢な男が前に出て来た。
「呼ばれるだろうと思ってたよ」
「すまんが頼めるか?」
「まぁ仕方ないね」
ルーシーは健児に礼を言ってから、当事者にして意図が掴めず蚊帳の外となってしまっている秋人に向き直る。
「健児はここに常駐している『虫食い』だ。彼等は常に中立、『番犬』に荷担するような事は無いから安心出来るだろう? 『虫食い』だというのを疑うならタトゥーを確認すると良い」
「ほら」
健児と呼ばれる男はティーシャツの裾を捲り上げ、腰のタトゥーを秋人に見せる。それは紛れもなく『虫食い』の証である。
確かに中立である『虫食い』が側に控えるというならば、秋人自身が哲也を見張らずとも隠蔽工作の心配はなくなる。
これで良いかと尋ねるルーシーの視線に秋人は了承の意を込めて頷き、ルーシーもそれに頷き返した。
「それと、私が朝まで秋人達と一緒にいよう」
「見張りか?」
「違うに決まっているだろう、ひねくれ者め。今回の事が『番犬』によるものであるならば、朝までにまた次の襲撃があるやもしれん。だが私が一緒ならばそんな馬鹿な真似はしないだろう」
それは指導者という重要なポストにいるが故に襲撃は無いと言っているのか、はたまたその実力による抑止力なのかは秋人には判断出来ないが、ルーシーの確信を持っている様子にどちらにしても確実に襲撃がなくなる事だけは理解出来た。
「それなら俺が一緒にいるよ」
秋人が応と返答しようとする前に、今日も白いスーツを着ている和臣が前に出てそう提案する。
「肉体的に団長はまだ幼いからね。時間ももう遅いし『極楽蝶』の件で疲れも溜まってるだろう? それに諜報系の能力者である俺の方が何かと安心だろうしね」
見張りとしての色合いは濃くなるものの、諜報系ならば秋人の身を危ぶませる事は出来ず、更に異常が起きても察知し易い。和臣の言うとおり諜報系の能力者の方が適役である。
「うむ、では寝かせて貰うが一応私も秋人達の部屋にいる事にして、朝までの間は和臣に任せよう。悪いな秋人、少し手狭になるが二人でお邪魔させてくれ」
「元々そちらの所有する部屋だし、緩奈と小枝子を寝かせる場所があれば俺はそれで構わない」
「決まりだな」
話が纏まった所でルーシーは再び集まっている『番犬』の面々に視線を移した。
「解散だ! 第三者の攻撃であった可能性も高い! それぞれ真っ直ぐ自室に戻り、不要な外出は控えるように!」
そしてパンパンと手を叩いてお開きの宣言をし、それに従いそれぞれが自身の部屋や哲也を運びに動き出した。
その者達と同様にこのまま帰る訳にはいかない慎治郎はルーシーに歩み寄り、自分が不在の間を任せていた責任を不問のまま帰すつもりのなかったルーシーも慎治郎と向き合う。
「お前にも言い分があるだろうが、それはまた明日聞こう」
「はい」
「能力者だけで部隊を編成し侵入者を探せ。人選はお前に任せる」
「了解しました」
「慎重にな」
そう言ってから視線を切ったルーシーに一礼し、慎治郎は存在しないと分かりきっていながら指示された通りに侵入者の捜索に動き出した。
こうして、秋人は直接ではなくとも哲也を監視する事が出来、『番犬』は哲也を保護し秋人達を見張る事が出来る、互いに不満のない状況となった。
哲也に付き添いながら、彼と仲の良いあの女性が睨み殺すようにして秋人に視線を向けていたが、その些細な事以外は奇跡的に全てが丸く収まったのだ。
それもこれも全てルーシーの手腕によるお陰である。秋人はそれを理解していたため、口にはしないがルーシーに深い感謝の念を抱いていた。
その後、ルーシーに連れられ緩奈を背負った秋人は、小枝子を抱き上げた和臣と共に扉を失ったあの部屋ではなく、新たに広い部屋へと案内される事となった。
しかし、全てが丸く納められたように思えたこの時の判断を、行動を、皆が一様に後悔する事になる。
それは翌朝、胸に深々とナイフを突き立てられ、救護室のベッドの上で物言わぬ姿となった哲也が発見される事になるからであった。