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チェリー・オーバー-4

 秋人達がいる部屋の扉に視線を向けながら、襲撃の実行者である男は近くの物陰に身を隠していた。

 彼が部屋から離れないのは、効果を持続させる為の能力の条件故。そして隠れているのは、廊下に設置されたカメラなどは今回の首謀者である慎治郎が掌握しているので気にする必要はないが、偶然通り掛かった誰かにここに自分がいるのを見られるのは不味いからである。


 未だに攻撃を継続させているという事はつまり、誰もここには来ていないという事を意味する。それは決して運が良いからではなく、部屋の位置と時間帯からその可能性が極めて低い事を考慮して作戦が決行されたからであった。


「いい加減勘弁してやろうか、秋山? もう手も足も出ないもんなぁ」


 安全圏からヒッソリと事の行く末を見ている男が厚めの唇を歪め、ニヤニヤとほくそ笑みながらそう呟く。


 男は秋人の意識を刈り取ったその時点で僅かにあった緊張感から解放され、今となっては新薬を投与したモルモットを観察する研究者のような心境になっていた。

 もっとも男は生殺与奪を手中に納めたこの状況を楽しみ、どこまでいけるかという一方的なチキンレースで知識欲を満たしているのだから、使命感に燃える研究者となど比べるべくもなくずっと性質が悪い。

 唯一の救いは命まで奪うつもりはない事だろう。男はとことんやっても構わないと思っていたが、さすがに慎治郎の意に背く気は無かった。


「へへ、俺の完封勝利だな。手応えのな……ッ!?」


 頃合いかと考え能力を解除しようとしたその時、男は唐突に驚きから大きく目を見開いて言葉を切る。

 その視線は扉から僅かに逸れ、壁越しに秋人の倒れる洗面所へと注がれていた。


――これは……まさかあの野郎、這い戻って来やがったのか!?


 男は能力による感覚から秋人が目覚めた事を察知したのである。

 勝利を確信し、そろそろ引き上げようとした時の事だっただけに男は酷く狼狽えた。


――いや、無駄だ! 戻ってきた事に努力賞はやるが、倒れた位置が悪い! このままもう一度落とせる!


 そう考えると同時に、そもそも倒れた場所がどこであろうと関係がないと男は思い直す。その理由は部屋の唯一の出入り口である扉が、慎治郎によってロックされているからだ。

 男の能力、チェリー・オーバーは影響こそ有機物にのみ与えるが、その効果範囲は部屋を丸々飲み込んでいる。何をしようと、そして部屋のどこに逃れようと体温の低下からは逃れられない。

 一時的には防げるかも知れないが、それも時間が解決する障害でしかない。


――出る杭は打つ! 出なくても打つがな!!


 焦燥感を理論的に押し殺し、男は平常心を取り戻して自らを奮い立たせる。

 そして既に虫の息となっている秋人を再び眠らせ、有終の美を飾ってやろうと考えた、次の瞬間、


――ゴギッ!


 重い、そして耳障りな破壊音と同時に扉がくの字にひしゃげ、周囲の壁の塗装に亀裂が走った。


 秋人が能力を発動したのである。


「……は?」


 破壊したその方法故に予兆は無く、一瞬足裏に振動を感じたと思った次の瞬間には、男の視界に映る光景は変わり果てていた。

 そのコマ送りしたかのように唐突に変形した扉を見て、驚愕から男の思考がピタリと止まる。そしてそれと時を同じくして、男の中であるものが断ち切られた。


 チェリー・オーバーを発動させる最大の条件、密閉された空間である事。それが今、秋人の行動により破綻していた。

 男の中で途絶えたのは、張り巡らせていた能力を操る糸のような感覚であった。


「な、ば、な、話が……」


 何をした。そんな馬鹿な。

 男の頭の中を駆け巡る意味の無い思考が最後に導き出したのは、話が違う、という結局は意味のない悲痛な叫びであった。


 秋人の能力は『番犬』の誰にも知られていない。実際に目にしたのは姫乃だけであり、姫乃がその効果を見抜けなかったからだ。

 見抜く気がなかった、という方が正しいかも知れないが、どちらにしても秋人の能力は暴かれていない。


 しかしある程度の話を聞いた限りで、秋人は強化型でありドアを打ち破る程の力は無いと慎治郎は判断し、そして男は慎治郎からそう聞かされていた。


 つまり、密室を打ち破られ能力を使用出来ないこの事態に陥るのは、完全に想定外の事だったのである。


「あ……」


 喉元に突き付けていた筈の刃が一瞬にして消え失せる。そんな状況に一向に対応出来ないまま男の目に映る変形した扉が、金属を引き摺る音を鳴らしながらゆっくりと開かれていく。


 誰が出て来るのかを、そしてその人物が自身の脅威である事を知りながらも、混乱する男はゴクリと唾を飲み込むだけで逃げ出す事はおろか視線を外す事も出来ない。

 意識の無い二人を抱えた秋人が部屋から出て来るのを、ただ呆然と男は見ていた。


 図らずも能力という異常の根源を排除した秋人は身体機能を取り戻し、小枝子と、そしてダイニングで小枝子を抱き締めたまま気を失っていた緩奈を抱え、こうして部屋を脱出したのだった。


 扉が開く事が想定外だという事はつまり、男が秋人と向き合う状況になるのも完全に想定外。この状況に対する心構えも何もあったものではない。

 滝のような汗を流しながらもしかし、男はまるで傍観者の如く、やはりただ黙って秋人を見ている。


 力無い歩みで部屋から出て来た秋人は、崩れるようにして膝を折る。そしてそのまま抱え上げていた二人を廊下の床に可能な限り静かに横たえると、次に周囲へ視線を這わせた。


「……ッ!」


 当然、隠れる事も出来ないでいた男と秋人の視線がぶつかる。闘志を宿したその瞳に射抜かれ心臓が跳ね上がるのを感じた男だったが、皮肉にもそのお陰で置き去りにされていた思考を何とか取り戻した。


「何があったんだ!? 大丈夫か!?」


 そして男はそう言って秋人に駆け寄った。

 真相を知る者から見れば実に滑稽だが、男のこの行動は次善の策と言えるだろう。


――どうせ終わらせるつもりだったんだ。なにもここから仕切り直してやり合う必要はねぇ!


 今回の襲撃は実行者を特定出来ないよう策を張り巡らしてある。被害を受けた秋人にも誰が攻撃していたかは未だ分からない筈。

 ならば少々予定とは違う展開になりはしたが、このまま何食わぬ顔をしてれば問題無くやり過ごせるだろうと、男はそう判断したのだ。


「頼む、手を貸してくれ!」


 そして秋人のこの返答を受け、やはり襲撃者の特定には至っていない事を男は確信した。


 こうなればもう何も憂慮する必要はない。あたかも偶然通りがかったように装い、何の裏もなく救助に手を貸せば良い。

 そのまま幕引きとなればそれで良し、例え疑いをかけられ問いただされたとしても知らぬ存ぜぬを押し通し、自分が能力者で無いと誰かが証言するのを待てば良いのだ。


 内心で笑みを浮かべながらも顔には困惑の仮面を被り、走り寄った男は膝を着いて意識の無い緩奈に手を伸ばした。


「オイオイ、こりゃあ一体何があったん――」

「感謝する」


 しかし緩奈へと伸ばしたその腕は、秋人に掴まれ阻まれる事になった。

 秋人の予想外のこの行動と手に込められている強力な力に、男の背筋にゾクリと冷気が走る。だがそれを表に出さないように、男は何とか笑みを取り繕った。


「き、気にすんなよ。能力者でなくたって俺も『番犬』の端くれだからな。アジトで起きてる事態に手を貸すのは当然の事だぜ」

「いや、礼を言わせてくれ。まだ影響が残っていて思うように動けなくてな。お前から近くに来てくれなかったら、ここまで接近する事は出来なかった」


 僅かに頭を振って答えた秋人の台詞が、助力の要求に応えた者に対するそれでないのは明らかである。

 そして瞳の奥の燃えたぎる闘志が、真っ直ぐ自分に向けられているという事にも男は否が応でも気付かされた。


「逃げていれば機会を失っただろうが、ノコノコ近付いてきてくれて助かったよ。ああ、機会というのはお前をぶん殴る機会の事だ」


 そして明確な敵意を秋人は言葉にした。


 ジットリとした大量の汗が額を伝うが、男はまだ誤魔化せると考え咄嗟に言葉を返す。


「わ、悪ふざけしてる場合じゃねぇだろ。早く怪我人を運ばねぇと……」

「怪我人? 驚いたな。外傷もないのに怪我人と分かるのか?」

「ッ!!」


 秋人の切り替えしに男は思わず息を飲み目を見開くが、秋人も同様に男の言葉に驚きの表情を作っていた。無論、形だけであるが。


「食い違いがあったようだ。お前が以前から尾行していた奴だと分かったから、俺は殴ると言ったんだ。今回もその延長かと思いきや、どうやら余罪が発覚したみたいだな」


 以前、麗奈と健一との待ち合わせで緩奈と喫茶店に向かう際、バタフライ・サイファーで尾行に気付き秋人達はそれを振り切った。

 そしてこの時、尾行をしていた者の素性を暴くべく緩奈の蝶は男の追跡を開始していた。

 その後の騒動で蝶での追跡は打ち切られ、素性こそ掴めたかったがしかし、容姿は把握出来ていた。


 中肉中背、二十歳前後の男。茶髪の長髪で肌は日に焼け浅黒く、唇が厚く、垂れ目で眉が酷く薄い。

 臭そうだったと総評した緩奈の言う特徴と、今部屋の外で出会った男の容姿は物の見事にピタリと一致していた。


 しかし秋人は追跡者の特徴を聞いただけであり見た事はなく、言葉にはしたがこの男が追跡者だという確信は無かった。あたかも確信しているかのように話したのは虚言である。

 だが、殴ると宣言したのは嘘じゃない。

 今の怒りを心中に内包している秋人は、疑わしきは罰する心構えであった。


 ならばなぜあえて『尾行していたから』という攻撃を宣言した理由を伏せたのかと言うと、もし口を滑らせ敵である事を確認できれば殴る事への罪悪感が払拭出来て儲けものだ、ぐらいの考えでしかなかった。


「否定したところで無駄だが、一応聞いておく。今回の襲撃、お前が敵で間違いないな?」


 そしてこれも結果は覆らない、無駄な問いかけである。

 男の反応から彼が尾行を行った追跡者であり、攻撃を行った襲撃者であると既に秋人は確信しているし、そもそも確信が無くとも結果は変わらない。


 そしてその事を男は秋人の眼差しから察していた。


――も、もう白は切り通せねぇ! ならばッ!!


 最早戦闘は決定的であり回避出来ないと覚悟した男の視線がスッと下方へ向き、秋人との間に横たわる小枝子を捉える。

 この状況で男にとっての小枝子の有用性など一つしかない。人質である。


 秋人との相性からして正面からやり合っても敵わないと分かりきっているならば、卑劣な手段を取ってでも活路を開かなくてはならない。


 男は掴まれていない左手で上着の裾を払い、ズボンのポケットに忍ばせていたナイフへとその手を伸ばした。

 一連のその動作は、目を見張る程に素早い。


「その行動、肯定と受け取る!」


 常人からすれば躊躇の無いその動作は確かに速かった。だが男の相手は常人ではない。


 射程圏内で敵だと確信している相手に対し、強化された身体能力と反射神経を有する秋人が遅れを取るなど有り得ない。

 そして視線を自分から外し、更には自ら両手を封じたその隙を見逃す筈もなかった。


「どゥッ!?」


 ねじ込むように放たれた秋人の拳が男の鳩尾に突き刺さる。

 余りに強烈かつ速すぎる一撃に突き上げられた男は、肺から空気を吐き出したまま呼吸が止まった事さえ自覚出来ない。


 そして続けざまに側頭部に襲い掛かる、恐ろしいまでの勢いを乗せた蹴りにも対応する事など出来ず、頭を振り子のように揺らし横にすっ飛んだ男は無残なまでに強かに、思い切り壁へと叩き付けられた。


「今のは緩奈と小枝子の分だ。そしてこれが――」


――自分の分か……ッ!


 足を擦らして踏み込み、床に焦げ臭さを残す秋人のショートアッパーで顎から頭を打ち上げられた男は、唐突に視界に躍り出て来た天井を見ながらそう思った。


 最初の一撃により、男は勝てる見込みも逃げられる見込みも無い事を理解せざるを得なかった。それ程までに、秋人と男の身体能力の差は圧倒的だった。

 男は絶望を通り越して最早諦観し、早く終わってくれとただ切望するばかりであり、そして今の攻撃で全てが終った、


「向こうに残してきた緩奈の分だ」

「……ふぇ?」


 事にはならなかった。

 自分の分だろうという男の甘い推測は間違いだったのである。


「ま、まだ……?」


 そう、まだ終わりではない。秋人の分の支払いが終わっていないのだからまだ終われない。


 天井を見上げていた男の視界いっぱいに秋人の掌が映り、男はそのまま顔面を鷲掴みにされる。

 そして景色が流れていく事を僅かに知覚した次の瞬間、浮遊感の後に背中から床に叩き付けられた。


 型の崩れた背負い投げのように、男は顔を掴まれ強引に投げられたのだ。


――これ、で、終わ……


「今のは……そうだな、壊れた扉の分だ」

「ッ!?」


 まだ終わりではない。


 良い扉だったのにと、秋人はまるで良い奴だったのにと帰還を果たせなかった仲間を惜しむ兵士のように遠い目をして呟く。

 無論、脱出に邪魔であっただけで扉に対して特に思い入れは無い。


 その証明に秋人は直ぐに扉に対する無用な思考を切り捨てて、大の字に横たわり何とか呼吸しようと必死に喘ぐ男の胸倉を掴んで体を引き起こさせた。


 酸欠のせいか、はたま恐怖によるせいか、男は死体のように青い顔をしてカチカチと歯を鳴らし、終わりの見えない秋人の罰に怯えきっている。

 そんな男の焦点がにわかに定まらない眼前に秋人は顔を寄せ微笑を浮かべた。


「俺は慈悲深い。俺の分は次にお前が俺の視界に映った時までの貸しにしといてやる。いいか、努々忘れるなよ。次にお前が視界に映ったその時、俺の分を清算する」

「ば、ばい……ばかり、ばした」


 既にこれだけやっておいて自分を慈悲深いと言う秋人を疑問に思う余裕など男には無い。

 あくまで先送りにするだけという譲歩にも、虚ろな目をして涎を垂らす男はただただ安堵していた。


 ば行ばかりで話す男にフンと鼻を鳴らすと、秋人は胸倉から手を放す。支えを失い倒れ込む勢いでゴンと床に頭を打った男は、そのまま呆気なく意識を手放すのであった。


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