セル・コーディネート
『番犬』のアジトを秋人と緩奈、そして小枝子の三人が歩いている。
その並びは縦。先頭を緩奈が歩み、その後ろを秋人が追従、そして秋人のシャツを掴む小枝子が更に後ろに続いている。
まるでゲームの勇者一行のようなこの縦隊は不自然極まりないのだが、三人は自然とこの位置関係を築いていた。
今し方緩奈のお説教を嫌という程、もういっそのこと殺してくれとさえ思う程受けた秋人が緩奈と肩を並べて歩ける筈が無く、小枝子が秋人の前を歩く筈も無い。
自然と形成されたこの縦の並びは、そのまま一種のヒエラルキー、食物連鎖のピラミッドか、もしくは絶対的な階級を表していた。
――す、凄かった……
目に生気を欠片も宿さない疲れ切った様子の秋人は、ほんの数分前の出来事を思い出し、天を仰ぎ心の中でそう呟く。
今回のお説教は、これまでの比ではない凄まじさであった。
部屋に入ってきた緩奈は目を覚ましている秋人を見るや、怒りの表情を作りながらも徐々に瞳にジワリと涙を滲ませ、結局は号泣しながら秋人に抱き付き、良かったと譫言のように繰り返し無事を喜んだ。
おやおや? いつもと勝手が違うぞ? と秋人が思ったのも束の間、次第に緩奈の涙は乾き、いつものお説教へと指針は戻された。
涙どころか喉まで乾く時間が経つ頃には、秋人の精神は削りに削られ、小枝子の目にはこの数分の間で秋人が酷くやつれたようにさえ見えた。
だがこれはまだ序章に過ぎなかった。
小枝子の買ってきていた飲み物により給水を果たした緩奈は、その後、延々三時間に渡るお説教を展開したのである。
かくして、秋人は自分がどれほど愚かしい行動を取ったのかを、洗脳の如く思い知らされたのであった。
最早ここまで来ると緩奈のお説教も偉業と称する事の出来る域に達しているのだが、真に恐るべきはもし三時間を迎えたあの時、小枝子の腹の虫が鳴かなかったならば秋人は未だに地獄の時を過ごしていたであろうという事だ。
小枝子の腹による空腹の訴えを聞いた事で緩奈は説教を切り上げ、三人はこうしてアジト内にある食堂へと向かう事になったのだ。
息継ぎにより緩奈が僅かに勢いを殺した絶妙なタイミングで、ぐぅ、というお間抜けな音を鳴らした小枝子の腹の虫を、秋人は拍手喝采で感謝状を送りたいという気持ちであった。
「だ、大丈夫……?」
「ん? ああ、何とか生き長らえたようだ」
背後から聞こえるか聞こえないかという微妙な声量で尋ねる小枝子に、秋人は歩みを止めず肩越しに振り向いて答える。
その僅かな動きにも小枝子は怯え、秋人の視界の隅へ逃げるように背中に隠れた。だがシャツを掴む手は離さない。
畏怖と依存。この二つの心理がせめぎ合った結果の行動なのだと貴子の話を聞いた秋人は理解したが、懐いているのか恐れているのか、どっち付かずの小枝子の扱いには正直窮してしまっていた。
「心配なんかしなくて良いわよ、小枝子ちゃん。この馬鹿、どうせ屁とも思ってないんだから」
正に地獄耳。緩奈は聞き取った二人のやり取りに棘しかない言葉を投げて寄越した。
「そんな事はないぞ。ちゃんと反省している」
「反省だけなら猿でも出来るわ。一体何度同じ事を言われていると思ってるのかしら」
秋人の返答に緩奈はジト目で睨み返す。
確かに秋人は何度となく無謀な行動を緩奈に怒られているので、そう言われてしまうとぐうの音も出ない。
捨て身の策、緩奈の言うところの自殺行為こそがその時は最良の手段だと判断し、事実それで窮地を凌いできたのだし、今後はしないと確約出来る事ではないと秋人は思っていた。
無論、仕方がない、結果無事だったのだから良いではないか、などと言ったところで緩奈を納得させるどころか怒りを煽るだけだと秋人は理解しているし、お説教の時にはそんな事を言える雰囲気ではないので秋人は言わない。
「すみませんでした……」
結局、秋人は肩と落とし頭を下げ、ただ謝罪するしかないのだ。
「次はもう許さないから。分かった?」
「ああ」
「じゃあ今回はもう許してあげる。だから隣に来て? この並びだと何だか私がボス猿みたいで恥ずかしいわ」
まだ憤りは収まってはいなかったが、過ぎた事をいつまでもグチグチ言うほど緩奈は陰湿ではない。先程の猿を引き合いには出したが、今回の事はこれで水に流す事にした。
苦節三時間とちょっと。やっとの事で許しを得た秋人はホッと安堵の息を吐き、僅かに歩みを早めた。
シャツを掴む小枝子も秋人と共に緩奈と距離を縮めたが、位置は変わらず二人の後ろを歩む。
「ところで聞いて置きたいんだが、俺は一体どんな能力で治療されたんだ?」
起きてからずっと気になっていたが切り出せずにいた疑問を、秋人は隣を歩く緩奈に見せるように左腕を持ち上げ、手を開いたり閉じたりしながら尋ねる。
折れていた筈の腕は違和感はあるがこうして治っているし、首の傷も完全ではないが無くなり貧血の症状も無い。
即効性はなくとも由貴のボディ・メンテナンスよりも完全な形での治療法に、秋人は疑問を抱いていた。
その問いと見せられた腕に、緩奈の頬がピクリと痙攣した事に秋人は気付かない。
「……言わなきゃ駄目?」
「は?」
緩奈が答えを知っているか否かを考えていた秋人は、知っているのだが言いたくないという思いを含めた緩奈の返答に首を傾げた。
「な、なんだ? 俺、ヤバいのか?」
「そう言う事じゃないのよ、だけど……はぁ、思い出したくないんだけど、仕方ないわね……」
緩奈は後ろを歩む小枝子に一度視線を送るが、助け舟は出そうにないと分かると観念して溜息を零した。
「血、肉、骨。人体のあらゆる部品を培養し、粘土のように癒着させる能力、セル・コーディネート。それが貴子さんの力よ……」
貴子の能力セル・コーディネートは、自らの体から摘出し培養した肉で傷を埋め、失った血液を同じく培養した血液を足す事で治療する、言わば『移植』という療法の『治療を施す能力』である。
培養した部品を粘土のように造形する事で、命を持たないという一点を除けば、貴子の能力は新たな人間を創り出す事さえ可能だ。
『番犬の癒やしの女神』という神の名を冠する異名は決して伊達じゃない。セル・コーディネートは神の領域すらも侵す力を有しているのである。
しかし偉大なる能力の反動と制約はやはり、天秤の平行を保たせるが如く、大きい。
まず対象が人である事。そして無論、人体に対する知識は不可欠である。
次に継ぎ足した部品が完全に馴染むまでには時間が掛かる。現に秋人の傷も塞ぎきってはいない。
更に一片の肉片や骨片、一滴の血液から無尽蔵にそれらを増やし続ける事は出来ない。定期的に自らの体から培養の元となる部位を取り出す必要がある。
定期的に、というのは、培養するのに時間が掛かるという事と、摘出し培養した部品に寿命がある事が理由である。
いつ必要となるか分からない立場にいる貴子は常に備えていなければならない故に、短いスパンで自らの体を傷付け培養元を摘出していなくてはならないのだ。
最後にセル・コーディネートには、継ぎ足した部品は移植された肉体の記憶する形となって完成する、という最大の欠陥がある。
貴子の実体験を上げると、例えばセル・コーディネートによって豊胸したとしても、数日すれば肉体の記憶する元の形に戻ってしまう。顔の整形もまた同じ事である。
過去に失った手足を再生する事も出来ないし、病を患った部位を取り替えても数日のうちにまた同じ病を再発させてしまう。
つまり貴子が治療出来るのは、極めて鮮度の高い傷に限定されているのだ。
ちなみに貴子の露出癖などの内面の複雑さは、能力による反動は関係がない。
「腕……」
思わずそう呟いた秋人は、自らの左腕を青い顔で見詰めていた。
制約などは分からずとも、秋人は緩奈の説明により貴子の能力をある程度は把握した。
傷と失血の治療は予想が付く。だがそれが分かるからこそ疑問なのは折れた腕の治療方法だった。
骨折は裂傷や失血のような足し算では解決出来ない。足されるべき腕は折れてはいるが存在するからだ。
そして貴子の能力は足し算のみが可能な能力だ。
そうなると、
「肘から先を切り落として……その腕、まるまる作られた物よ……」
足し算の前に引き算が必要になるのは道理である。
これこそが、あの日姫乃と真琴の行き先をバタフライ・サイファーで追って目撃した、緩奈の思い出したくない出来事であった。
言われてみて、秋人は視覚的にも左腕に違和感を覚える。少し色が白いような気がするし、元々濃い方ではないが毛も少し薄い気がする。
コレは、自分の腕ではない。
「…………」
予想の遙か彼方にあった事実に秋人は叫び声を上げる事も出来ず、腕を見詰めたまま彫刻のように固まってしまった。
しかしその治療の光景を思い描いてしまった小枝子が、キュッとシャツを引っ張った事により秋人は現実に引き戻され、反射的に左腕を遠ざけるように動かした。
寝て起きたら自分の腕が別の物になっている。これが気持ち悪くない筈がない。
が、最早自分の物となっている腕を遠ざける事が出来る筈もなかった。
「だ、大丈夫よ! 貴子さんは昔の傷跡とか全部含めて元通りになるって言ってたから! それに、えっと、ちょっと気持ち悪い気もするけど、うん、ほら、大丈夫よ!」
緩奈は離れた場所にいたので治療を食い止める事など出来なかったのだが、由貴に治療させれば良かったのだと一端の責任は自分にあると思っている。
その責任感と、何より秋人が余りに哀れな為、緩奈はほらと言って思い切って秋人の腕に両手で触れた。
その優しさと思い切らないと触れられない、そして自分はこの腕に対して触れる云々というレベルを超越しているという事実に、秋人は何だか泣きたい気持ちになった。
「だ、大丈夫だよ……」
そして小枝子も秋人の左腕に触れる。
小枝子は別の意味で恐る恐る触れたのだが、秋人はそれにますます泣きたい気持ちになった。
「ぜ、全然大丈夫よ秋人、これぐらいよくある事だわ! トカゲなんて自分で尻尾を切って自分で生やすんだから、もっとずっと気持ち悪いわよ! あ、違うわよ? 秋人のは気持ち悪くないからね? それによくよく考えてみると出所が分からない由貴の能力よりもずっと安心よね!」
緩奈の必死のフォローに小枝子は逐一頷いて見せたが、秋人はまるで同意出来なかった。
どうしたらいいのだろうか。
姫乃はここ数日繰り返しているこの漠然とした自問に、解を見出せずにいた。
苦悩の根源は、言うまでもなく秋人が西桜庭町を目指したあの日の事である。
あの日秋人に重傷を負わせてしまった事と、作戦を瓦解させてしまった事の二つに対し、姫乃は強く責任を感じていた。
姫乃にとって始末が悪いのは、秋人は助かり、作戦もルーシーの機転により目的を達している事、つまり今や全てが丸く収まってしまっているという事だ。
事態が解決せずに泥沼化すれば良いと思っていた訳では無いが、自分以外の者達が終わったものとしているのにそれをわざわざ蒸し返し、自身の責任を追及して自己満足に浸るのはやはりはばかられてしまう。
理想的なのは気にしない事だ。
作戦については仕方がなかったとルーシーは姫乃に責任はないと許しているし、秋人に関しても意識を失う前にすまなかったと言い秋人自身が自分に非があると認めている。
姫乃が無かったものと考え行動したところで誰もそれを非難したりなどしないし、むしろそうあるべきだとお膳立てされているのが現状だ。
だがそれでは姫乃の気が収まらない。姫乃はしっかりとした形で責任を取りたかった。
だがその為にどうすれば良いかがまるで見当が付かない。
責任は無いとされている状況で責任を取る方法など分かりよう筈もなかった。
作戦については、今後の活動で挽回すれば良いという和臣の助言で既に折り合いをつけた。
問題は秋人の方だ。
謝るのは違うと姫乃思う。秋人は謝罪など求めていないだろうし、それこそ無用に過去を掘り返す行いだ。
ならばどうすれば良いのか。
「どうしたら良いんだよ……」
姫乃はその答えが全く分からなかった。
アジトの一室に住まう姫乃は、秋人が目を覚ましたと聞き居ても立ってもいられず部屋を出たが、解を持たずして病室へと向かう事も出来ず、アジトを宛もなくウロウロ徘徊しながら頭を抱えるのであった。
目的地へと向かえない姫乃は、足の赴くままに曲がり角を曲がる。
「大丈夫よ! ちょっとリアルな義手のようなものだから!」
「俺は治る腕を義手にされたのか……」
「ち、ちがっ、無し! 今の例えは見当外れも甚だしいミスよ! 無かった事にして!」
「ん?」
角を曲がり不意に聞こえた声に姫乃が顔を上げると、そこには必死な様子の緩奈と小枝子、そして酷く落ち込んでいる秋人の三人がいた。
――何でこんなとこに!? や、ヤバい!
今最も会いたくない人物に遭遇し半ば反射的に隠れなくてはと思った姫乃であったが、焦燥した思考ばかりが先行し視線を周囲に振り撒くだけで体が動かない。
今来たばかりの曲がり角へ逃げ込むという考えにも姫乃は思い至らない。それどころか、姫乃は焦る余りに気付けば腰に挿した拳銃に手を添えてしまっていた。
「あ……」
そうこうしている間に、姫乃は小枝子と目が合ってしまった。
姫乃の脳がアドレナリンを全開で大放出する。
――ダメ! 小枝子、ダメ!
小枝子だけならばまだ誤魔化せる。そう判断した姫乃は小枝子にジェスチャーで意思疎通を図る。
――秋山、ダメ! アタシ、いなくなる! 小枝子、何も見てない! オッケー?
身振り手振り、更には口をパクパクさせて必死に訴える姫乃。そして親指と人差し指の先を着けて円を作った最後のサインに、小枝子はしっかりと頷いた。
小枝子の返事に危機は回避されたと確信した姫乃が胸を撫で下ろすと、小枝子は掴んでいた秋人のシャツを引き、そして姫乃を指差した。
姫乃の意思はこれっぽっちも伝わっていなかったのである。
「ん? ああ、姫乃か」
そして振り向いた秋人に姫乃は見つかってしまった。
こうなってしまったら逃げるという選択肢は無い。仕方なく、姫乃は予定が不本意に早まっただけだと腹を決めた。
「よ、よう! 元気か、秋山?」
姫乃は平静を装い、片手を上げてそう挨拶しながら、僅かに空いていた距離をぎこちない歩調で歩み寄った。
「あ、ああ、お陰様でな。ひ、姫乃はこんな所でどうしたんだ?」
――あ、あれ?
そう言った秋人は、頬を歪めるようにして引きつった笑みを浮かべていた。連れの二人も明らかに歓迎ムードとは程遠い表情を作っている。小枝子に至っては秋人の背に隠れてしまった。
姫乃はサッと体温が下がるのを自覚した。
――も、もしかしてアタシ、完全に嫌われたのか?
気を失う前に謝罪してきた事から、自分はともかく秋人は確執を抱いていないと考えていた姫乃だが、それは甘い勘違いだったのではないかと思った。
考えてみれば秋人が謝罪を口にしたのは、自身がどれほどのダメージを負わされたのか判明する前。三日も目を覚まさなかったのだから、『姫乃の野郎、いくら何でもやり過ぎだろ』と秋人が思い直していてもおかしくない。
姫乃の頭にネガティブな思考が溢れ出す。
『アイツ頭おかしくね? 絶対ヤバい奴だよ』等々と秋人が緩奈と小枝子に話していたのではないかと思えてきた。
むしろそうでなくては秋人以外の二人までもが自分を避ける理由が姫乃には分からない。
「ちょ、ちょっとタバコを切らしちまってね」
秋人の問いに答えながら姫乃はそうじゃないと自身を叱責した。
対応からして秋人は自分を完全に避けている。それを覆せずともきちんと謝らなくては駄目だと、姫乃は思わず口にしてしまった嘘を即座に後悔した。
「そ、そうか。それじゃあ――」
「それと! それと、お前が目を覚ましたって聞いたから、様子を、その、見に行こうと思って……」
話を切り上げようとする秋人に焦って出た言葉は、勢いを失いつつも何とか言い切る事が出来た。
これは姫乃にとっての快挙であった。
恋人である和臣に対してでさえ、姫乃は自尊心からなかなかこういった類の本音を話せない。秋人が特別だという事ではなく、今回は自身に非があると純粋に思っていたからこそ言葉にする事が出来たのであった。
気恥ずかしさから視線は真下、自身の爪先を向いてしまっていたが、姫乃は言い切った自分を手放しに褒めてやりたかった。
「……トドメを刺しに行こうとしたのか?」
「ッ!」
しかしそれに対する秋人の返答は冷ややかであった。
秋人が警戒心を露わにするのは仕方が無い事だ。そう考えても、姫乃の心にその言葉はズシリと重くのし掛かり、きつく胸を締め付けた。
「き、聞いてくれ秋山、そうじゃな……ん?」
何とか弁解の余地を。そう思い視線を上げ秋人の顔を正面から見た姫乃は、秋人が予想していた侮蔑の表情ではなく、未だに引きつった笑みを浮かべたまま何かを指差している事に気が付いた。
姫乃は疑問符を頭に浮かべながら秋人の指差す方へと顔を向ける。
「あ」
そして指を差されていた自身の右手を見て、それまで駆け巡っていた姫乃の思考は全て停止した。
右手には、いつの間にやら拳銃が握られていたのだ。
――こ、これはアタシのか……? 何で、というか何時からだ!?
答えは初めから、手を上げ挨拶した時からである。
無意識に拳銃に添えていた手は、そのまま無意識に拳銃を抜き取ってしまっていたのだ。
――もしかして、避けられていた原因はコイツか!?
正解である。
秋人は撃たれた事など気にしていない。自ら誘導した事なのだから当然である。
そして拳銃を振り上げ挨拶してくる者に普通に接しろという方が無理なのもまた当然の事である。
そもそも意思疎通のジェスチャーに普通に対応していた小枝子が唐突に怯えだしたのだから、姫乃は自らの推理を疑問に思うべきであった。
「翔子から銃が好きとは聞いていたけど、常に手にしてる程好きなのね……」
「そう! アタシったらいつも触っていたいぐらいコイツが好きなんだよ!」
姫乃は緩奈の一言をこれ幸いと言い訳にし、苦笑いしながら急いで拳銃をホットパンツに挿し戻した。
拳銃を放した姫乃に秋人は呆れたように苦笑して見せ、やはり手にしていた拳銃が微妙な距離感の原因だと分かった姫乃はホッと安堵するよりも、何だか気の抜ける思いを抱くのであった。
だが姫乃の異常行動により生み出された気まずい雰囲気は、原因を取り払って尚この場を支配している。
「……あはは」
沈黙に耐えかね姫乃は笑ってみたが、そんな事ではこの空気は改善されない。
「えっと……そ、そういや秋山。なんだか慰められてたみたいだけどどうかしたのかい?」
そして何故か縋るように腰の拳銃へと向かう手を抑えつけながら、姫乃は話題の転換を試みた。
しかしこれも愚挙である。慰められていたのだから、この話題が秋人にとって愉快な話題である筈が無い。
再び肩を落としてしまった秋人を見てそれに気付き姫乃は焦ったがしかし、緩奈に事情を聞くにつれ込み上げる笑みは抑えられなかった。
話を聞き終える頃には、姫乃は口を手で押さえる始末であった。
「ぷくくく……秋山、意外に繊細なんだなぁ、お前は。アタシなんかそこら中アイツの能力で継ぎ接ぎだらけだよ」
ココもココも、と姫乃は足や指、ヘソの見えているタンクトップを持ち上げかなり際どい箇所など、貴子に治療された所を秋人に見せた。
「無くなった訳じゃないんだ。男なら腕の一本や二本、ちょっと入れ替わってぐらい気にすんじゃないよ」
「ちょっとどころか丸々入れ替わってるんだぞ。それにこれは男も女も関係ないだろ」
「女々しい奴だね。何にせよ治ったんだから、儲けもんぐらいに考えてりゃ良いんだよ」
そう言って高らかに笑う姫乃に、秋人は背中をバシバシと叩かれた。
空気を変えたいという思いから、謝罪という本来の目的を果たす機会を失っている姫乃であったが、本人はそれをすっかり失念してしまっていた。
その日の夜に、踏ん切りが付いたみたいだね、と和臣に言われ姫乃はそれを思い出すのだが、今更責任を云々と秋人に言う雰囲気にはなりよう筈もないので、もともと自分は細かい事を気にする柄ではないかと思い、姫乃は気にしない事にするのであった。
一方、秋人も姫乃を見ていて腕がどうこうと気にするのが馬鹿らしくなり、どうせ打つ手はないのだしと、気にしない事にするのだった。