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トラジック・チャージャー-8

 西桜庭町の南西に位置する超高層ビル。そのビルの上層、『番犬』のアジトの一室に、いつもの無表情を顔に貼り付け黙する慎治郎がいた。

 椅子に座す慎治郎は目の前の机に置かれたコンピューターのモニターを、感情を宿さない表情でただ眺めている。


 モニターに表示されているのは西桜庭町の地図。そして慎治郎が視点を固定しているのは、その地図上に点在している内の寄り添うように並ぶ二つの光点である。


 地図上の光点は、『番犬』一人一人が身に付けている発信機の位置を表している。

 慎治郎が見詰める二つの光点は画面の右下、南東の橋の上にあり、姫乃と真琴、この両名の居場所を示していた。


「遅いですね……」

「もうそろそろかと思います」


 秋人との接触を知らせる無線が入ってからというもの、姫乃達からの報告は今のところ無い。それに焦れた慎治郎の呟きに対し、コンピューターを操作する一人男性が間を置く事なく即座に答える。

 言われるまでもなくもう間も無くだろうと推察していた慎治郎はそれに言葉を返さず、代わりに一つ息を吐いてから背凭れに体を預けた。


 第三指令室と呼ばれるこの部屋は、約十メートル掛ける二十メートルと、一般的な小中学校の教室を二つ繋ぎ合わせた程度の大きさの部屋であるが、大きさに反して作りは大学の講堂を連想させるものになっている。

 出入り口は重厚な作りの木の扉が短い辺の中心に一つ。そことは別のもう一方の短い辺に、壁に背を向ける形で一際立派な机が一つ置かれ、そこから波紋が広がるように、扇状にコンピューターの置かれた机が配置されている。

 講堂との違いがあるとすれば、講堂では教鞭を取る者が立つ位置に、ここでは作戦の指揮を取る者が腰掛けるという事ぐらいのものだ。


 慎治郎が座るのは、この部屋の最も奥の席。つまり指揮を取る者が腰掛ける席に座しており、すなわち今回の作戦は彼、慎治郎が指揮取っていた。


 慎治郎は野良能力者を軽視している。秋人に恭一郎の返還を求める際、奪還すべきだと進言していたのも慎治郎を主軸とする一派だった。

 そんな慎治郎が秋人に貸しを作るという、言わば秋人の実力を認める作戦を考案する訳がなく、今回の作戦の発案者は指揮を取る慎治郎ではなく和臣であった。


 秋人達との繋がりに疑惑を持たれている和臣が指揮を取るのは後々また問題になる事が予想された為、和臣が慎治郎に指揮を取るよう要請したのだ。

 疑惑を持つ者の一人である慎治郎はそれを了承し、腑に落ちない内容ではあるものの、こうして作戦の指揮を取っているのだった。


 しかし狙いこそ同じものであっても、和臣の考案した策と慎治郎の実行した策には致命的な違いがあった。

 正当な理由を付け、秋人に目的の代行を申し出る、というのが和臣の策だった。秋人が突破という選択肢を上げるまでもない、あくまで協力的に振る舞うというものだ。

 だが実際に実行された慎治郎の作戦はまるで違う。どう言いつくろっても協力的とは言い難い策だ。


 落ち度があるとしたら慎治郎ではなく和臣の方だ。和臣は、秋人をよく知らず野良能力者を軽んじる傾向にあると分かっている慎治郎に対し、作戦の細かな指示をしなかった。


 そのミスが、僅かな対応の違いが、作戦の明暗を大きく分ける事になった。


 唐突に、扉が打ち破られるような勢いで開け放たれる。

 そこから息を切らし駆け込んで来たのは、『番犬』の指導者であるルーシーだ。


「姫乃と真琴を引き上げさせろ!」


 そして部屋中の視線を一身に浴びるルーシーは、声を張り上げ作戦の中断を意味する指示を飛ばした。

 慎治郎だけではなく、部屋にいた全員がルーシーへ向けていた目を丸くする。


「どういう事ですか、団長?」

「それはこちらの台詞だ、慎治郎。野良とは言え私の許可なく秋人と敵対関係を築くとは、一体どういう了見だ?」


 立ち上がり部屋の奥から問い掛ける慎治郎に対し、ルーシーは厳しい口調で言葉を返しながらツカツカと音を鳴らし歩み寄っていく。


「敵対などしていません。真っ当な理由をもって、彼の進行を食い止めているだけです。まさか彼を見逃せと言うのですか?」


 慎治郎からすれば後ろめたい事など何もない。睨み付けるような視線を寄越し距離を狭めるルーシーにも、一切の動揺を見せる事はせず問いを返す。


「今回の事を頭から否定している訳ではないが、他にやり方があったろう。秋人に銃口を向けさせてどうする」

「銃口を向ける? 一体何の事ですか?」


 目の前で立ち止まったルーシーの言葉に、慎治郎は眉をしかめた。

 慎治郎がルーシーの言葉を理解できなかったのも無理はない。

 慎治郎の指示にそのような展開を招く内容はなかったし、姫乃がそのような行動に出るとは夢にも思っていなかったのだ。


「秋人に対し、姫乃に銃口を向けさせてどうするのだと言ったんだ。確認も取った、間違いはない」


 慎治郎の指示により姫乃がそのような行動に出たものと思考しているルーシーは、同様の内容で詰問を繰り返す。


「一体どうして……私はそんな指示はしていません!」

「だとしたら姫乃の独断か。何かあったな……秋人の策略か……?」


 慎治郎の狼狽するその様子に嘘はないと見たルーシーは、視線を慎治郎から外し顎に手を当てて、僅かに思考しそう推察した。


「団長は何故それをご存知で?」


 自分を余所に思考に没入しようとするルーシーに慎治郎はそう尋ね、視線を再び自分へと戻した。


 今回の作戦はそれ程大規模なものではない。

 指令室の中で最も小さな部屋に作戦本部を設置しており、更に半分どころか三割も椅子が埋まっていないこの部屋の現状が、それを如実に物語っている。

 動員人数も最低限の数にした為に諜報系の能力者の動員もなく、町中に設置してあるカメラに映らない場所にいる姫乃達の動向を掴むことは出来ない。

 故に慎治郎は待ち一辺倒のこの状況に焦れていた。


 しかしルーシーは現状を把握し確認にまで動いている。慎治郎がそこに疑問を抱くのは当然の事であった。


「秋人の仲間から連絡が入った。そこからの情報だ。恐らく諜報系の能力者だろうな」


 ルーシーの予想通り、連絡を取ってきたのは諜報系の能力者、緩奈である。

 緩奈からの情報により、ルーシーは現状と作戦の概要を知る事となった。


 今回の作戦にルーシーは全く関与していなかった。

 今でこそ作戦の概要や狙いを知っているが、緩奈から連絡が入ったその時は、まだ何かが起きている事すら知らされていなかった。

 ルーシーに情報が行かなかったのは、今回の作戦が突発的であり急を要する事態であった事が原因である。


 秋人への攻撃の開始、つまり『番犬』が事態に気付いてから秋人が西桜庭町へと移動を開始するまでの時間が余りに短く、ルーシーへの報告より先にまず秋人の進行を食い止める布陣を敷かなくてはならなかったのだ。


 そして何も知らないルーシーの下に、緩奈からの連絡が入る。


 『番犬』の対応の早さから、緩奈は『番犬』内で今回の情報が行き渡っていないのではないかと予想していた。

 そこでルーシーの連絡先を秋人から聞いていた緩奈は、ある意味では組織の末端、最上位のルーシーへと連絡を取ったのだ。


 事情を知らない可能性が高く、影響力の強いルーシーは緩奈からすれば連絡を取るに打ってつけの存在であった。

 そして『どうした?』というルーシーの第一声に、緩奈は予想が正しかった事を確信する。


 緩奈はまず、秋人が姫乃と真琴と接触している現状を伝えた。確認を取れば直ぐに真実だと分かる情報だ。

 次に、姫乃が秋人に銃を向けているという嘘の情報を伝えた。連絡を取ったこの時、姫乃はまだ銃を抜いていなかった。

 足止めをしているのをバタフライ・サイファーで見た緩奈は、この偽りの情報を流す事で姫乃達を排除しようと画策したのだ。


 先に伝えられた情報が真実であった事から緩奈を諜報系の能力者だと確信し、作戦を知らないルーシーはこの偽りの情報を信憑性が極めて高いと信じる事になる。


 『番犬』という一大シンジケートをまとめ上げる器を持ち、切れ者のルーシーを言葉巧みに丸め込むのは決して容易な事ではない。

 だがしかし、今回に限っては情報というカードの量で圧倒的にルーシーを凌駕していた緩奈に軍配が上がり、ルーシーは作戦を中断させる為に行動する事となったのだ。


 姫乃が銃を向けている事の確認を取ったのはルーシーが緩奈の話術にハマりきらなかったからだが、緩奈の嘘が皮肉にも真実になってしまっていたのは、ある意味では幸運であり不幸であった。


「今、秋人のいる南のルートから翔子が、酒井新平が北のルートから西桜庭町を目指している。秋人に何かがあった場合、目的の為には強行手段を取る事も辞さないと宣告してきた」

「宣戦布告、ですか……」


 指令室に動揺が走る。

 予想だにしていなかった血生臭く大事になっていく展開に、そのような事態を覚悟していなかった彼等が戸惑うのも至極当然の事である。

 しかし、それに反して慎治郎は僅かに笑みを浮かべた。


「丁度良いです。この機会に東桜庭町の目障りな野良能力者を――」

「丁度良いだと?」


 ルーシーの一言が慎治郎の言葉を遮る。その声は一層の厳しさを宿していた。


「姫乃や真琴、果ては『番犬』を巻き込んだ戦いになりかねないこの事態を、お前は丁度良いと言ったのか?」


 怒りではなく、まるで獣が放つような純粋な威圧感を宿すルーシーの眼光に慎治郎は狼狽えた。

 それと同時に前言がどれ程自分本位で身勝手な思考だったのかを自覚する。


「慎治郎。お前個人が野良能力者をどう思おうと構わんが、そいつ等と潰し合いがしたいならお前一人でやってろ。そもそも秋人の扱いに関しては私が請け負ったはずだ」

「申し訳ありません、私情を挟みました……指揮官としてあるまじき行為です……」


 うなだれ力無く言葉を返す慎治郎に、ルーシーは一度だけ頷く。

 返答に満足したのでも許したのでもなく、問答はこれで終わりだという意図を、慎治郎はそこから汲み取った。


「本作戦はこれより私が指揮を引き継ぐ。異存はないな?」

「はい」


 ルーシーは再び頷き、事の成り行きを静観していたオペレーター達へと振り向く。


「本作戦により出払っている者全員に連絡を取れ! 作戦は中止だ、直ちに帰投させ――」

「団長! 真琴さんから、い、医療班の要請です!」


 医療班の要請。それが意味するのは一つの事態だけだ。

 指令室にいる全員の顔に焦燥の色が浮かぶ。


「医療班を準備が整い次第出動させ、他の者に帰投命令を出せ! 真琴の通信はこちらに、私が対応する!」

「はい!」


 指示を飛ばし、ルーシーは直ぐに指揮官の机の上にある受話器に手を添え、息を吐き伝えられるであろう最悪の事態に覚悟を決め、そして受話器を取る。


「真琴か? 状況を説明しろ」

『団長!? 何故団長がそこに――』

「こっちの事は良い、何があった?」


 ルーシーは(はや)る気持ちを抑え、冷静に努めて真琴をなだめる。


『跳弾です! 姫乃にそんなつもりはなくて、本当に不幸な事故だったんです!』

「落ち着け、真琴。端的で構わん、結論から話せ」

『は、はい』


 受話器の向こうから真琴が一度息を吐くのが聞こえ、ルーシーはゴクリと唾を飲み込んだ。

 オペレーター達も、指示された作業をしながらも意識は真琴の次の言葉に集中し、固唾を飲んでいる。


『姫乃が秋山さんを撃ちました!』


 そして真琴は最悪の事態を報告した。


「クソッ、間に合わなかったか……ッ!」


 再び指令室に一瞬の動揺が広がるが、ルーシーの机に拳を叩き付けたその行動が広がりかけた波紋を即座に静める。


『事故だったんです! 空に向けて放った銃弾が橋の主塔に当たり跳ね返って……秋山さんに命中してしまったのは偶然なんです!』

「ああ、お前が付いていたのだし、姫乃も決して愚鈍な奴じゃない。意図しての事ではないと分かってる」


 だが意図していなかったとは言え、事態は最悪の方向へと転がり出してしまった。


 課程はどうあれ結果として姫乃は秋人を撃ってしまった。

 この事実は緩奈を通じ、西桜庭町へと向かっている翔子と新平にも即座に伝わるとルーシーにも予想出来る。

 そして進行を続ける彼等がもし『番犬』と接触したならば、その時は問答無用で能力という牙を向けてくるだろう。


――いや、それは良い


 良くはないが、撤退命令を出した今、その問題自体は回避出来るとルーシーは思考した。


 重要なのは、秋人達と敵対関係とも言える状態になってしまった事だ。

 ルーシーは秋人を軽んじない。秋人達は敵にするには余りに惜しく、そして何より脅威であると認識している。


 拒絶され、一切の関わりを断絶されれば最早関係の修復は絶望的だ。

 西桜庭町を目指すという目的によりギリギリの所で繋がりが残っている今、何としてでも悪化した関係を修復しなくてはならない。


 しかし、その手が無い。


 翔子と新平、この後続組を黙って通した所で、それは緩奈の脅しに屈しただけであり、秋人を撃った事に対する償いを『番犬』がした事にはならない。

 秋人達もそれで『番犬』へと剥いている牙を納める事はしないだろう。


 ならば他に何が出来るだろうか?


 何も出来ない。秋人達の為に出来る事が、何一つ『番犬』には残されていない。


 秋人達との関係の修復は既に絶望的であり、敵対は決定的であった。


 そう思い至ったルーシーの脳裏に、一つの疑問がよぎる。


――秋人がこの展開を望むだろうか?


 ルーシーはその自問に一縷(いちる)の希望を見た。


 確証は何もない。

 だが、何故かルーシーには秋人が敵対を望まないという確信があった。


 秋人に対し貸しを作ろうと動いた『番犬』。

 姫乃達を退けようとした緩奈。


 現状に至るまでそれぞれの思惑が交錯していたが、姫乃が秋人を撃った今、この二つの計略は既に瓦解している。


 そしてその行動を取らせたのは他でもない、秋人自身だ。それはルーシーにも予想出来ていた。


――自身が撃たれれば、敵対は免れられないと秋人は理解していた筈だ


 しかし秋人は敵対を望んでいない。思考と行動が明確に矛盾している。

 だがそれは、自身が撃たれる事により仲間が西桜庭町へと入る事で、秋人の狙いが完遂したとすればの話だ。

 まだ達せられていない、『番犬』が償いを果たす為の秋人の思惑がある筈だとルーシーは思った。


「真琴、秋人は私に何かを言っていなかったか?」

『秋山さんが団長に? いえ、特にそういった事は……』

「そう、か……」


 真琴の返答にルーシーは肩を落とし、自らの甘い考えを嘲笑した。


 秋人は何も残してはいなかった。

 敵対するのも(いと)わない程に、秋人には手段を選ぶ余裕が無かったのだろうと考え、ルーシーは現状を脱却すべく巡らせていた思考を、そこで打ち切った。


『あっ、話は違いますが、秋山さんの目的はmaidenにいる藤森由貴を東桜庭町へ連れ帰る事だと告げられました! 事情は分かりませんが急を要する事情のようです! 至急人を送ってください、団長!』


 平静を保つことさえ出来なかった真琴は不意に失念していたその事を思い出し、秋人の目的をルーシーに告げた。


『団長? 聞こえていますか、団長?』

「……それだ」

『え?』

「それだ真琴!」

『え? え?』


 止まっていた血流が巡り出すように、諦観していたルーシーの思考が蘇る。


――感謝するぞ、秋人!


 秋人は残していた。敵対関係を築かない為の『番犬』の行く道を。


 原点故に失念していた、『番犬』が秋人達の為に出来る事、目的の代行。

 秋人はそれを『番犬』に託していたのだ。


「今maidenに最も近い、連絡の取れる者は!?」

「モニターに表示します!」


 ルーシーの問いにオペレーターの一人が即座に返答し、素早くキーボードを叩く。そして数秒の内に、指揮官の席にあるモニターに表示されていた画面が切り変わる。


 拡大された地図に表示された光点は四つ。それぞれ色の違う、緑、青、白、そして赤の四つだ。

 緑の大きな点は目的地、maidenを。青は『番犬』の能力者、白は『番犬』の非能力者を表している。そして赤はその他だ。


「よりにもよってコイツ等か……つくづく秋人と縁があるな」


 ルーシーのその台詞は青と赤の光点に対するものだ。


 能力者を示す青には恭一郎が。そしてその他を示す赤の光点には、今回の場合捕虜、小枝子が該当していた。


――いや待て、これは逆に都合が良いかも知れん


 ルーシーはよりにもよって、という自らの言葉を首を振って否定する。


 よくよく考えてみればこの展開は、よりにもよって、などとは口が縦に裂けても言えない程に都合が良い。否、都合が良いとごろではない。天恵ではないかとすらルーシーには思えてきた。


――すまんな秋人。今し方感謝したばかりだが、私は『番犬』の指導者だ。個人の情ではなく、組織の利を優先させて貰う


 ルーシーは口角を僅かに持ち上げ、心中で秋人への謝罪をするとオペレーターに向けて指示を飛ばした。


「恭一郎を小枝子と共にmaidenに向かわせろ! 次にmaidenが一階にあるマンションのオーナーに連絡を取り、屋上を解放させろ! 有無は言わせるな、奴には貸しが余りある!」


 指示を受けたオペレーター達は、返事を返すと即座に指示の通りに動き出した。


「団長、一体どうするおつもりで?」


 脇に立ち行く末を見守っていた慎治郎の問い掛けに、ルーシーは微笑をたたえた表情のままに視線を向ける。


「屋上より藤森由貴を小枝子の能力、エア・トランスポートを用いて東桜庭町へと送る。秋人の望み通り、どんな移動手段を使うよりもこれが最速の方法だ」


 小枝子のエア・トランスポートはミサイルのような推進力を持つが、新平のホール・ニュー・ワールドと同じく内包した物にその衝撃が伝わる事はない。

 兄の能力、フルムーン・サテライトにより発現した柔なクラゲを、潰す事なく運んでいた事からもそれが分かる。


 小枝子は一種の『空間を創造する能力』という稀少な力を、支援系でありながら狙撃型の能力として発現している類い希なる能力者なのだ。


 小枝子にとって人一人を高速で運ぶ事など造作もない。秋人の名を出せば小枝子を行動させる事も容易い。


 更に恭一郎は由貴と面識がある。他の者を向かわせるよりも事をスムーズに運ぶ事が出来る。


 そして敢えて小枝子を巻き込む事にもルーシーの狙いがある。


――毒を食らわば皿まで、どうせ悪役ならとことんなりきってやる。『番犬』ではなく、小枝子に貸しを作らせて貰うぞ、秋人


 現状では最早『番犬』に貸しを作るのは到底不可能だ。だが、小枝子にならばまだ可能である。


 もとより『番犬』は小枝子の事を秋人に押し付けたいが為に貸しを作ろうとしていた。

 何から何まで好都合。


 問題があるとすれば、救いを残してくれた秋人に対する良心の呵責(かしゃく)ぐらいのものだが、ルーシーはそれすらも胸中で握り潰した。


――安心しろ秋人。個人的な詫びぐらいはしてやる。そうだな、maidenの特大サンデーを食わせてやろう


 ルーシーは先程までの微笑とは少し性質の違う笑みを口元に浮かべた。


 そしてルーシーの指揮する新たな『番犬』の作戦が動き出し、健一の不幸な能力が引き起こしたこの事態は、緩やかに収束へと向かうのであった。

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