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トラジック・チャージャー-7

 会話をするには些か遠い間合いを取り夕日を背負った姫乃の表情は、秋人の位置から伺い知る事は出来ない。だが姫乃の発する威圧感を感じる秋人には、その表情を伺う必要はなかった。

 厳しい声色、拒絶するよう立ち振る舞い、保たれている遠い距離。それらが姫乃の心中を代弁している。


「お前を西桜庭町に入れる事は出来ない」


 姫乃のその返答に秋人は軽く息を吐いた。


「それは既に聞いた。俺はその理由を尋ねているんだ」


 同じ言葉を繰り返す姫乃に対し、秋人は追及の手を緩める事はしない。

 しかし姫乃は躊躇うようにして何かを思考しなかなか話し出さず、それを見かねた真琴が一歩前に出て矢面に立った。


「私が説明します。貴方が今――」

「お前は黙っててくれ。それとも何だ? 姫乃はまた作戦の概要を知らされていないのか?」


 秋人は姫乃に視線を固定したまま真琴の言葉を遮り、和臣とコンテナのアジトに来た時の事を持ち出してまで、あくまでも姫乃が説明する事にこだわる。

 秋人の挑発的な言葉を聞いた姫乃は、威圧的な雰囲気に怒気を含め、そして秋人の狙い通りに口火を切った。


「お前が今、能力による攻撃を受けている事はアタシ達も知ってる。その能力の細かい事までは分からないが、辺り構わず喫茶店や歩道橋をぶっ壊す滅茶苦茶な奴の能力だってのは知ってる」


 当然の事だ。『四重奏』の動向を見張る『番犬』は東桜庭町に目を光らせている。秋人が攻撃を受けている事を知らないという方が不自然である。


「お前を逃げ込ませれば、西桜庭町に攻撃の被害が出るのは分かりきってる。西桜庭町は『番犬』の縄張りだ。『番犬』はお前が西桜庭町に逃げ込むのを容認出来るはずがない」


 西桜庭町は『番犬』の縄張りであり、今の秋人はそれを荒らす存在だ。『番犬』が秋人を止めるのは当然の事である。

 姫乃の言うことは完全に正しい。


 だが秋人はその説明を鼻で笑った。


「まるで教科書を読むような説明だな、姫乃。どこの男にそう言うように仕込まれたんだ?」

「ッ!」

「姫乃!」


 怒りに駆られる姫乃を、真琴が名を呼ぶ事で戒め止める。


 秋人の台詞からは、姫乃の説明がこの行動を起こした理由の全てではないと疑っている事が伺える。そして事実、姫乃と真琴には話したのとは別の行動理由があった。


 秋人の狙いは、激昂を誘い口を滑らせる事にあると真琴は分かっている。駆け引きに向かない姫乃に的を絞り、あえて中傷するような言葉を選んでいるのであろう、と。

 秋人の口車に乗せられてはならない。姫乃もそれは理解出来ているが、怒りを抑えられるか否かとなるとまた別の話であった。

 しかし今回は真琴の制止により、姫乃は怒りの矛を一旦は納める事に成功した。


「貴方は何か勘違いをされているようですね。私達は個の意思ではなく、組織の意思の下に行動しています。姫乃が話したのはその組織の意思。各々が別々の行動理由を持つ訳がありません」

「正論だが論点がズレている。内容ではなく、姫乃が自分の言葉で説明していない点を俺は指摘したんだ」


 やり辛い相手だ。

 当たり障りない言葉で煙に巻く事の出来ない秋人に対し、真琴はそんな心象を抱かざるを得なかった。


「それは――」

「いや、的外れな問答はもういい。時間の無駄だ。俺には余計な事に割く時間はない」


 真琴が再び口を開くが、秋人がまた言葉を被せてその開いた口を塞いだ。それに対し、真琴は思わず苦虫を噛み潰したような表情を作る。

 秋人の不敬な行動は、真琴の逆鱗を突っつくように刺激し、そして会話の主導権を一向に掴ませない。

 それが歯痒く、そして苛立たしいのだが、その感情を抱かせる事自体が秋人の思惑だという事も真琴は理解しているらこそ、尚更苛立ちが募るのであった。


 そんな真琴の胸中になどまるで構わず秋人は続ける。


「口を滑らしてはいけない、何か裏があるような姫乃の説明もこの際どうでも良い」

「下手な勘ぐりは止しな。アタシは何も隠しちゃいない」

「聞いていたか? それとも、それも仕込まれた台詞か? そういった反論が必要無いって言ったんだよ、姫乃。シンプルに結論にいこう」


 秋人はあくまで馬鹿にするような姿勢を崩さず、姫乃の反論も不要だと一蹴し、姫乃の米噛みに青筋を浮き上がらせた。


――どういう事?


 秋人のその言葉により、真琴の脳裏に一つの疑問が生まれる。


 秋人のこの態度を、真琴は憤怒を誘いボロを出させる為のものだと推察していた。しかし、当の秋人はその裏の狙いをどうでも良いと言って捨て置き、結論へと至ろうとしている。

 裏に隠した真の狙いに気付いているとしても、追及しないでくれるのは姫乃と真琴にとっては都合が良いのだが、だとしたら挑発的なこの態度の狙いが途端に分からなくなる。

 単純に邪魔立てする二人に憤りを感じているだけかも知れないが、それだけだとは真琴にはどうにも思えなかった。


 秋人はペースを崩さない。

 やはり真琴の疑問になど構う様子を微塵も見せず、宣言通り結論へと話を進める。


「俺の目的はmaidenにいる仲間を連れて帰る事だ。お前達も知ってる藤森由貴という女の子だ」

「デートを邪魔しないデリカシーを期待してるってんなら、残念。無粋なアタシ達はそんなもの持ち合わせちゃいないよ」

「テープレコーダー役は終わったようだな。やっとらしい台詞を聞けた」


 姫乃の挟んだ軽口に秋人は微笑を返して続ける。


「知っての通り、藤森由貴は応急処置の出来る能力者だ。その由貴の能力を必要とする怪我人が東桜庭町にいる」


 応急処置程度の能力ではないが、由貴の能力は『番犬』にそういう認識で通っている為、秋人はそう偽って告げた。


「俺にある選択肢は三つ。一つ、俺の代わりに『番犬』の誰かにmaidenまで行って貰い、由貴を連れてきて貰う。二つ、頭を下げてここを通して貰う」


 姫乃と真琴に向けられた秋人の手が、選択肢を上げていく度に一本、また一本と指を立てていく。

 そして僅かの間を置き、三本目の指が立てられる。


「そして三つ、強引にここを突破する」


 実力行使の選択肢を上げると同時に、秋人の瞳が一層強い光を宿したように見えた姫乃と真琴は無意識にゴクリと喉を鳴らしていた。


 秋人は選択肢は三つあると言ったが、東桜庭町に引き返す、という四つ目の選択肢もある。

 だがその選択肢を選ぶつもりなど毛頭ない秋人はその選択肢を上げなかった。


 そして、姫乃と真琴もそれを指摘しない。その選択肢を秋人が選ぶ事は、姫乃と真琴にとっても都合が悪かったのだ。

 無論、そこには秋人に話さなかった裏の狙いが関係している。


 裏の狙い。それは、秋人に対し貸しを作る事にあった。


 秋人の実力と立ち位置は、『番犬』にとって至極都合が良い。だがしかし、能力者集団との関わりを持とうとしない秋人を思い通りに動かす事が出来ていないのが現状であった。


 そこに今回の襲撃である。


 逃げ込む、と姫乃は言ったが、逃げているとは秋人を知る『番犬』の誰もが思っていない。西桜庭町の何かを目指しているのだと分かっていた。

 西桜庭町、つまり『番犬』の縄張りを目指さなくてはならない今回の秋人の窮地は、『番犬』にとって秋人に付け入る絶好の機会であった。


 頭を下げるならばそれで良し。逆に制止を振り切り突破したとしても、追跡しない事で『見逃してあげた』という形で恩を売る事が出来る。

 どちらに転んでも、秋人が大人しく引き返さない限り貸しを作る事が出来るのだ。


「それで、アンタはどれを選ぶんだい? 先に忠告しておとくけど、三つ目のはお勧めしないよ。穴だらけのチーズになりたいなら好きにすれば良いけどね」

「見ての通り、今の俺の状態はかなり危うい。出来ればこれ以上の無茶はしたくない」


 緩奈に怒られるしな、と付言し秋人は微笑する。


 首に巻いた布は滲み出る血に染まり、袖を失った左腕は腫れ上がっている。頭からの流血は顔面に赤い道を描いており、秋人の言う通り芳しくない状態を姫乃達が推し量るのは容易かった。


「そうなると残った選択肢は二つですね」


 残された選択肢は代わりに行って貰うか、通して貰うかの二択。つまりは頭を下げるという実質一択だ。


「秋山さんとは少なからず縁のある間柄です。私達も余計な戦闘は望みません。残された二つのどちらが許されるかは分かりませんが、上に掛け合ってみましょう」

「いや、正直に言うと三つ目の選択肢で悩んでいる」


 秋人の弱気とも思える発言を受け早々と事を進めようとした真琴であったが、秋人が不穏な台詞でそれを止めた。

 真琴の眉根がピクリと反応する。


「確かに俺の状態は芳しくないし、現状は二対一だ。しかし相手は片や諜報系の能力者。もう片方は狙撃型の能力者だ。この距離なら、案外今の俺でもいけるかも知れない」


 真琴はその言葉に怒りや驚きではなく、不気味さを覚えた。

 何故、こうまでして挑発的な態度を崩さないのか。何故、怒りを煽るのか。

 無能ではないと知る秋人の取る理解の域を超えた行動が、ただただ不気味であった。


 だが姫乃は違う。姫乃には戦闘者としての自信と誇りがある。満身創痍の状態にあっても、それでも相手ではないと言われれば、黙っていられる訳がなかった。


「図に乗るなよ秋山。知らない仲じゃないから、こうして拒絶するだけじゃなく妥協案を出してやってるんだ。目的さえも知った今、アンタがそれを達成出来るかどうかはアタシ達の気分次第なんだよ」


 傲慢な態度が気に入らない。

 言葉通りに捉えればそういう事だが、姫乃の台詞にはそれだけではなく、そちらがやり合う気ならばこちらもとことんやってやる、という意志と警告が込められていた。


 秋人も当然それを汲み取っていたがしかし、やはり、態度を改める事はしない。

 状況からして愚挙も愚挙、自殺行為にも等しい行為だというのに、秋人は一貫してそれを貫いたのだ。


「姫乃。今日はライフルを持っていないみたいだな?」


 姫乃の警告などまるで無かったかのように、秋人は愚かにも三つ目の選択肢に手を伸ばし始める。

 それを感じる姫乃と真琴に一層の緊張感が走る。


「ライフルは必要ないからさ。拳銃で十分な近距離でお前と向き合うと分かっていたからね」


 正論で返す姫乃に対し、秋人は見下すように首を僅かに反らし微笑する。


「どうだかな。あんな物騒な物を、こんな人の多い場所で使える訳がない。拳銃も同じだ。姫乃、お前には戦う気なんてこれっぽっちもない。闘志を欠いたお前など俺の相手じゃない」

「大概にしろ秋山!!」


 怒りに膨れ上がっていた何かが、姫乃の中で音を立てて弾け飛んだ。


 限界だった。


 強気な発言は構わない。尊大な態度も今回ばかりは目を瞑ろう。


 姫乃は初めから秋人が頭を下げるとは思っていなかった。十中八九、突破を謀るであろうと予想出来ていた。

 強気に出るのは想定内だ。


 だがしかし、コケにされるのは我慢ならなかった。


 幾度とない死線を越えてきた、確固たる自信と誇り。それをこうまで侮辱されたのならば、もう黙ってはいられない。


 素早く、姫乃は腰に射し込んでいた拳銃を抜き取り秋人の眉間に銃口を向け構える。

 揺るぐ事のない姫乃の目には、明確な殺意が込められている。


「姫乃ッ!!」

「止めるな真琴! 良いか秋山!? 主導権があるのはこっちだ! アンタの生殺与奪はアタシの指先のほんの僅かな動きに掛かってる! その気になればアンタの命なんて簡単に吹き消せるんだよ!」

「ハッタリだ。引けるものなら引き金を引いてみろよ。どうせ出来やしない」

「落ち着きなさい、姫乃!」


 姫乃が今にも引き金を引きかねないこの状況に、真琴は慌てて秋人に背を向ける形で銃口の前に立つ。姫乃のドット・スナイプの前ではこの行動は障害にならないが、秋人を庇うような行いが姫乃に心理的な影響を与え、ギリギリの所で踏み止まらせた。


「邪魔をするんじゃないよ、真琴。奴はアタシを嘗めきってる。それがどんなに愚かな勘違いかを思い知らせてやらなきゃ気が済まない」

「どうか落ち着いてください、姫乃。分かりました、この展開こそが秋山さんの狙いです。貴女に自分を撃たせる事こそが、彼の挑発的な言動の狙いです」


 厳しい視線をぶつけ合う姫乃の瞳に僅かに動揺が宿るのを見逃さなかった真琴は、急いで言葉を続ける。


「確かに秋山さんの傲慢な態度には怒りを禁じ得ません。ですが彼はまだ何もしていないです」


 秋人はまだ『番犬』の縄張りに入っていないし被害も出していない。警告こそ受ける状況ではあるが、まだ粛正を受けるには至らない未遂の状況である。

 ここで姫乃が秋人を撃ってしまえば、非があるのは姫乃の方だ。


「姫乃が秋山さんを撃ったなら、私は医療班の出動を要請しなくてはなりません。彼を殺す事は『番犬』の意に反するからです。そして私達は彼の西桜庭町を目指す目的を聞かされています。ここで道理を無視し彼の行動を過剰に妨害してしまった場合、私達は無償でそれを代行しなくてはならなくなります」


 姫乃の行動は完全に個の意思によるものだが、だからと言って『番犬』の能力者である姫乃の行動を、『番犬』が尻拭いをしない訳にはいかない。

 撃てば秋人に治療を施し、目的を代行しなくてはならなくなる。その責任が生まれる。そうしなくては道理に反する事になる。


「撃ってはいけません。撃ってしまえば、私達は何も得ることなく彼を助けなくてはならなくなります。それが彼の狙いです」

「だからと言って、撃てない腰抜けだと思われたままここを通すのかい? アンタは我慢出来てもアタシは耐えられない」


 姫乃は真琴の言うことを頭では理解出来ていたが、このまま秋人を通す事はプライドが許さなかった。

 全てを投げ打ってでも一矢報いたい。秋人の態度に姫乃がそう考えてしまうのも無理はなかった。


 しかし真琴がその思いを汲んで折れる訳にはいかない。姫乃と真琴には個人の激情に流されてはならない、『番犬』としての立場と責任がある。


「ここで撃ってしまっては彼の掌で踊らされる事になるだけです。それこそ私は我慢なりません。それに撃てる事の証明に彼を撃つ必要はありません。威嚇射撃で十分ですよ」


 真琴は宥めるような口調で姫乃に言い聞かす。


 衝動に身を任せれば秋人の思う壺だ。

 更に撃ったところで瞬間的な優越感に浸る事は出来ても、思惑に乗せられた姫乃は後々必ず後悔する事になる。


「理性的にいきましょう、姫乃。安い挑発を我慢すれば彼に貸しを作る事が出来ます。計画通りに目的を達する事で、真の勝利を手にしましょう?」

「…………」


 姫乃は真琴の肩越しに秋人へと視線を向け、そして葛藤の後に銃を握る腕をダラリと垂れた。


「……分かったよ」

「ありがとう御座います、姫乃」


 姫乃は視線を地面に向けながら頷き、真琴の説得に応じた。

 姫乃は銃口を空に向ける。


――姫乃。よく我慢してくれました。これで秋山さんの計略を瓦解させる事が出来ます


 秋人への撃てる事の証明に、姫乃は天に向けた銃の引き金を引いた。

 橋の上に乾いた銃声が響き渡り、秋人の狙いを打ち砕いたその祝砲に真琴はホッと胸を撫で下ろした。


「すまなかった、姫乃」


 銃声の次に二人の耳に届いたのは、予想だにしていなかった秋人の謝罪。


――カン!


 そして鐘を打ったような金属音である。


 真琴の推理は正しかった。姫乃に自分を撃たせる事で、秋人は借りを作らず健一を救うという目的を達成しようとしていた。


 そして今、秋人のその策略は達せられた。


 秋人に背を向けていた真琴が振り返ったその瞬間、橋の主塔に当たった弾丸が跳ね返り、


「後は、頼んだ」


 儚い、今にも消え入りそうな笑みを浮かべる秋人の胸を、貫いた。


 弾丸という一点を狙う事の出来る都合が良い武器を、運命が見過ごす訳がない。

 秋人が攻撃を受けている能力を知らない姫乃と真琴には出来なくとも、これまで散々命を狙われてきた秋人にはこの不幸が予測出来ていた。

 だから秋人は、姫乃に銃を撃たせるように誘導していたのだ。


 どこを狙うかなど関係がない。真琴は、銃を撃つという行為そのものを止めなくてはならなかった。

 無論、健一の能力を知らない真琴がそれを知るのは不可能である。

 秋人を狙う能力を知らないと姫乃が言った時点で、秋人は計略が達せられるのを半ば確信していたのだ。


――完済、だ


 夕焼け空に赤い線を引くように散る鮮血を最後に、秋人の視界は暗転、意識は深く暗い闇の中へと飲み込まれていった。

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