トラジック・チャージャー-4
悪運をかかいくぐり、健一に不運な体験をさせなくてはならない。麗奈はそう考えていた。
健一もそれしかないと思っていたからこそ麗奈にそう相談事を持ちかけたのだが、悪運を操作出来ると分かった今なら別の選択肢がある。
悪運をせき止める。
これが新たな選択肢だ。秋人もこれを提案している。
例えばハチの脅威を退けるならば、ハチを殺すより巣を処理する方が効果的である。
例えば蛇口から流れる水をコップで受け止めている時、溢れさせない為にはコップの中の水を飲むより水道のコックを閉める方が利口だ。
何事においても、問題の元凶を絶つ事こそが賢明な手段なのである。
「でも、もし間に合わなかったら……」
麗奈が不安げに零したその憂慮は的を射ている。健一が悪運を従える事が出来ないまま、不幸が溜まりきってしまう場合も当然ある。
そしてそうなってしまえば誰の手にも負えない。健一は不幸の大波に飲み込まれるしかなくなる。
「確かにその可能性もあるが、根本的な解決をしなければ一生悪運の能力に怯えて暮らすことになるぞ」
麗奈に返した秋人の考えもまた正論だ。
もし悪運をかいくぐり不運な体験をする方法があったとしても、今後の人生、健一は定期的にそれを繰り返し続けなければならない。そうやって不幸を消費し続けなくては、致命的な不幸に見舞われてしまう。
もっとも、その不幸を消費する方法が見当もつかない訳なのだが。
「闇雲に勝負を繰り返して、ただ能力を制御出来るのを待つつもりじゃないんでしょ?」
「ああ、無論出来る限りの事はする」
緩奈の問いに秋人は肯定の意を返す。
「まず消費する運を引き下げる」
秋人はそう言うと、健一が昨日と同様に持ち込みテーブルに出していた道具の中から、何の変哲もないサイコロをつまみ上げた。
「シンプルに数字の高い目を出した方が勝ち、という賭けで良いだろう。もし六を出し続けても、それはたった六分の一の幸運だ。消費する運は少ない」
ポーカーでロイヤルストレートフラッシュを引くのに比べ、サイコロで六を出すのは十万倍以上確率が高い。
これならば不幸の到来を早めるのを最小限に出来る。
「次に、結果でも幸運を掴ませない」
「えっと、つまり?」
「勝利という幸運を絶対に与えない、という事だ」
首を傾げた麗奈に、秋人は説明というより宣言で返した。
健一の能力の全容については本人にも分かっていない。全てがこれまで起きた事からの憶測でしかない。
反動として不幸を溜めているのは確かだが、その反動を生み出す幸運の基準も当然分かっていない。
だから秋人はどんな形の幸運であれ、健一が手にする全ての幸運を粗方奪い去るべきだと考えていた。
「で、でもそれって」
「不可能よ」
秋人の考えは分かったが、未だ煮え切らない麗奈の心中を緩奈が代弁する。
「悪運を制御するまで、二宮くんは六を出し続けるわ。二宮くんが負けるはずがないわよ」
これは憶測ではない。悪運を制御出来ない限り、間違い無く健一は六を出し続ける。秋人が勝つ見込みは限りなくゼロだ。
そもそも健一に勝てないからこそ麗奈は困っていた。
勝てるならば秋人を呼ぶまでもなく健一の溜まった不幸を消費しており、根本的ではないがこの事態は解決している。
健一に勝利を与えない事が出来るとは、緩奈にも麗奈にも、そして健一にも思えなかった。
「いや」
秋人は僅かに微笑を浮かべてそう呟くと、手にしたサイコロをおもむろに振った。
テーブルに転がるサイコロに自然と全員の視線が集まる。
「俺が六を出し続ければ、それが可能だ」
「ッ!」
確かに秋人が六を出し続ければ健一は勝利出来ない。
そして動きを止めたサイコロの目は、六であった。
今度は秋人に視線が集まるが、秋人は何も答えず次に健一にサイコロを振るよう促した。
それに従い健一は秋人が振ったサイコロを手に取り、何か仕掛けがある訳ではないのを確認してからサイコロを放った。
そして健一も六を出す。
これには誰も驚かない。抱いたのはやはりか、という納得だけだ。
悪運を制御出来ない限り健一は六を出し続けるのだから、六を出すのは当然の結果である。
疑問なのは秋人の方だ。
なぜ秋人が六を出せるのか。それが分からなかった。
健一が振ったサイコロを秋人が手に取り、再びテーブルに放る。
投げ方に不自然なところはない。サイコロの転がり方も極自然だ。
しかし、秋人の投げたサイコロは、なぜか再び六を出す。
「最後に、サイコロのような単純作業に意味がある。六ヵ月経った今になって能力を制御出来始めたのは、間違い無く麗奈との勝負が関係している。恐らくは、単純な勝負の方が二宮くんは能力を御しやすいのだと思う」
秋人は先程までの続きを説明したが、今求められているのはそんな説明ではない。
なぜ六を出せるのか。聞きたいのはこの点だ。
サイコロ、秋人、サイコロ、秋人、と視線を忙しなく動かす事で麗奈がそれを訴えている。
「イカサマよ」
その様子に見かねた緩奈が、端的に麗奈に説明した。
「人聞きが悪いな。これは実力だ」
「確かに二宮くんは能力で六を出しているんだもの、秋人が能力で六を出すのも悪い事じゃないわ。でもイカサマはイカサマよ」
緩奈は半ば呆れた様子でそう言うと紅茶に口をつけ、秋人の方針に異論がない事を示した。
緩奈の言う通り、秋人は能力で六を出していた。
手で投げるのだから、サイコロに対して発動条件を満たすのは容易な事だ。
そしてサイコロに仕掛けた錘を発現させる事により、重さで任意の方向へ転がるよう操作する事も出来るし、テーブルに接した面に仕掛けた錘を発現する事でサイコロを持ち上げ転がす事も出来る。
サイコロの動きを操作出来れば、当然出る目も操作出来る。
秋人の胴体視力をもってすればそれは簡単な作業であった。
難しい点はそれを悟らせない事なのだが、瞬間的な発現と消失、死角での発現、そして錘のサイズを可能な限り小さくする、という三つの方法で秋人はそれをこなしていた。
秋人の能力を知り、同じ側の席に座っていた緩奈には見破られてしまったが、麗奈と健一にはまず見抜けないイカサマであった。
「問題がなければ勝負を続けようか、二宮くん」
「呼び捨てで良い……」
詳細な手法は分からずとも、イカサマのタネが能力ならばこれは対等な勝負だと思った健一は、そう答えてからテーブルのサイコロを手に取った。
それからというもの、静かな喫茶店にはカランカランというサイコロの転がる音だけが響いていた。
話し声はおろか、カウベルの音もしない。
秋人と健一の二人は交互にサイコロを振り続け、どちらも延々六を出し続けている。
「……別に静かにしている必要はないんだが」
「へ? あ、でも、なんだかそういう雰囲気なのかなぁって思っちゃって」
秋人が麗奈をチラリと横目に見てもう何度も口にした台詞を呟くと、麗奈ももう何度目かの同じ答えを返した。
初めこそ二人が六を出し続ける事にはしゃいでいた麗奈だが、さすがに何十回と繰り返すうちにその興奮も冷めていき、百回をゆうに越え緩奈に言われて始めた宿題のプリントを片付けた今は、ただボーっとサイコロの行方を目で追って過ごしていた。
確かに楽しくお喋りをする雰囲気ではないなとは秋人も思っていたし、サイコロの目を操作する事に気を配っている為秋人自身には会話する余裕などない。
だが四人もいてこうも静かだとやはり落ち着かなかった。
秋人は助け舟を出して貰おうと緩奈に視線を向ける。
「頑張って、秋人。後で好きなもの食べさせてあげるから」
秋人からの視線を感じた緩奈は、手にした本に視線を落としたままそう言ってページを捲る。
緩奈は麗奈がはしゃいでいた段階で事態が停滞に陥った事を察し、それからずっと本を読んで過ごしていた。
サイコロを振りただ六を出すだけの秋人に比べ、幾分も有意義な時間の使い方だ。
今回の事に巻き込まれた形の秋人としてはなんだか不条理だと思ったが、だからと言って緩奈に無駄な時間の使い方をさせたところで何の意味もない。
好きなものが食べられるならと自身を半ば強引に納得させ、秋人は極めて非生産的なサイコロを振る作業に戻るのであった。
硬直状態から事態が動いたのはそれから少しした時であった。
「あ」
麗奈が漏らしたその声に、緩奈も視線を本からサイコロに移す。
テーブルの上で静止しているサイコロは、三の目を天井に向けていた。つまりサイコロの目は三。
そしてサイコロを振ったのは秋人ではなく、なんと健一であった。
「わっわっ! 凄い! やった! やったね二宮くん!」
麗奈のテンションが一気に跳ね上がり、パチパチと手を叩いて健一を称え笑いかける。
健一も僅かに微笑んで返し、秋人は何とかなったかとホッと安堵の息を吐いた。
次の瞬間。
「危ない!」
バタフライ・サイファーで外を見張っていた緩奈が、唐突に声を張り上げる。
窓から眩い二つの光が差し込んでいる事から、秋人も即座に事態を把握した。
車が突っ込んで来る、と。
僅かな時間に咄嗟に動けたのは二人。秋人と、そして麗奈だ。
秋人は緩奈を通路に押し倒すようにして窓から飛び退き、麗奈は健一を少しでも窓から遠ざけようと自分の方へ夢中で引き寄せる。
刹那、雷鳴すら生ぬるいと思わせる轟音が店内に響き渡った。
秋人が緩奈を、麗奈が健一を抱き寄せギュッと目を瞑り、可能な限り小さくなって衝撃に備える。
「……?」
だが覚悟した衝撃はいつまで経ってもやって来ない。
恐る恐る目を開けてみれば、店内にまで突っ込んで来るかと思われた車は窓にぶつかり停止しているのが見えた。
窓ガラスにはクモの巣のような亀裂こそ走ってはいるものの、破られはしていなかったのだ。
「防犯用の強化ガラス……か?」
驚愕する秋人の腕の中で緩奈が小さく首を横に振る。
「防犯なんて、そんな甘いものじゃないわ……たぶん防弾ガラスよ。それもトラックを止めるなんて生半可な厚みじゃないわよ、コレ……」
イタズラによる投石、更には拳銃を想定した程度のレベルのものではないと緩奈は付言した。
なぜ喫茶店の窓ガラスがそんな大層なガラスなのかは分からないが、運良く助かったのは確かなようだと秋人は思った。
――運良く?
「キャッ!」
秋人がそう思ったのと、健一が麗奈を突き飛ばしたのは同時の事だった。
そして真の悲劇が起きたのはその直後の事だ。
再び地面が揺れる程の衝突音が轟く。
損傷した窓ガラスを一本の鉄パイプが突き破って飛来し、そして、健一を腹部から串刺しにした。
喫茶店にトラックがぶつかった事。そのトラックの積み荷が鉄パイプであった事。そして別のトラックの追突により、鉄パイプが健一に向かって弾き飛ばされた事。
何かが違えばこの悲惨な出来事は起こらなかっただろう。だが悲劇は起きてしまった。
不幸の積み重ねにより、悲劇は起きてしまった。
健一の背後の白い壁には大きな赤い花が咲き、突き抜けた鉄パイプは赤く、五センチ程のその口からはポタポタと血が滴っている。
咄嗟に、秋人は凄惨な光景を見せない為に麗奈を引き寄せ、緩奈の腕の中に押しつけた。
健一の足がもつれヨロヨロと後ろに倒れそうになるが、背部から突き出た鉄パイプがそれを許さない。
同じく前に倒れる事も出来ない健一は、自然とその場に膝を折った。
「だ、大丈夫かぁ!?」
「救急車を呼んでください! 緩奈、由貴に連絡を!」
秋人は奥から慌てて出てきた老人のマスターと呆ける緩奈に指示を飛ばす。そして痛がるでも苦しむでもなく、ただ呆然としている健一の側へ駆け寄る。
「この、程度……?」
そして健一が呟いたのは意外な一言だった。
「大丈夫か二宮!」
「そうか……残りは僕じゃない……秋山さんだ……」
そして秋人を見て、健一はまた小さな声で呟く。
「逃げて、秋山さん……運命さえ……運命さえ手の届かない場所まで……」
「しっかりしろ、大丈夫だ。直ぐに救急車が来る。必ず助かる」
秋人は健一に声を掛け、出血を止める為に傷口を押さえようとしたが、肝心の傷口に鉄パイプが埋まっている為それが出来ない。
鉄パイプは抜けない。抜いてはならない。抜けば出血が激しさを増すのは目に見えている。
素人が無闇に手を加えない事こそが適切な処置なのだがしかし、こんな場面で何もしないのは逆に焦燥に駆り立てる要素となっていた。
「聞いて、お願い、秋山さん、これはうわ言じゃないんだ……不幸は終わった……これで僕の不幸は使い切った……問題は秋山さんだ」
「ああ、聞いてる。一体どうした?」
腕を痛い程に掴んで必死に訴える健一に、何かあると察した秋人が問い返す。
「あの瞬間、三の目を出した瞬間、僕は支配した……この悪運の能力を完全に、支配したんだ……だから、トラックを止められた……そして、だから分かる、問題は僕じゃない……秋山さんだ」
「駄目だ、吐き出せ。血は飲むな」
健一は言われた通り、口内に込み上げる血を飲み込まず吐き捨て、続ける。
「秋山さんは、サイコロで僕に勝った……僕は運命に幸運を与えられたから、だから運命に不運を返さないとならないのに……僕の不運は、秋山さんに幸運を与えてしまった……」
「つまり、俺は運命に不運を返さなくてはならないという事か?」
健一は頷き、再び血を吐き捨てた。
又貸し。幸運に対してそんな事があるのかは分からないが、健一の言うのはつまりそういう事だ。
運命から健一が借りたものを健一が秋人に貸したのなら、秋人が運命に返すのは確かに筋が通っている。
だが憂慮する必要性は極めて低いと秋人は判断した。
先のサイコロでの健一の不運は、秋人が六なのに対し六を出せなかった、つまり六分の一を出せなかっただけである。
運命が徴収に来ようと大した不幸は訪れないはずだ。
「心配いらない。今重要なのはお前だ、二宮」
「違う……違うんだ、重要なのは秋山さんだ……!」
健一は秋人の腕を掴む手に更に力を込め、力の限り首を横に振り懸命に訴える。
「僕の能力は『不運と引き換えに幸運を手にする能力』なんかじゃない……! 『溜め込んだ不運の半分を他人になすり付ける能力』だ……! 連帯責任、いや連帯保証だ……秋山さんは、連帯保証人になってしまっている……!」
悪徳金融なんかよりずっと性質の悪い、不運という徴収員が、確実に秋人からもう半分を取り立てに来る。
鉄パイプが腹部に突き刺さるという、自分に降り懸かった災難と同レベルの不幸が、秋人に襲い掛かる。
健一は秋人にそう訴えていたのだった。
「ああ……相談なんてするんじゃなかった……そうすれば被害に遭うのは僕一人で済んだのに……! トラックも止めるべきじゃなかった……! 咄嗟に止めてしまったけど、トラックで不運を支払うべきだったんだ……!」
健一は血で赤く染まる歯をギリギリと噛み締め、犯した数々の過ちに対する後悔で歪む顔を、震える右手で覆った。
トラックが突っ込んで来たのは真の偶然ではない。秋人という連帯保証人が現れた事により、運命が徴収に踏み出したのだ。
能力を支配した健一にはそれが分かっていた。
だがそれを健一は幸運で防いでしまった。
結果、トラックが突っ込んで来るよりも酷い不運で支払わなくてはならなくなってしまった。
更にそれで限度額いっぱいまで幸運を引き出してしまい、支払いが済むまで健一は悪運を失ったために、鉄パイプを防ぐ手だてがなかった。
いや、防げたところで意味などない。支払いが膨れ上がっていくだけの負のスパイラルだ。
そう思えば限度額へ達したのは幸運だったのかも知れない。
「ッ!」
不意に秋人が異変に気付く。
そして万全の対処をするには余りに時間が足りない事も同時に察する。
「一つだけ教えてくれ。不運は他人を巻き込むのか?」
「人は巻き込まない……店は壊れたしトラックも壊れた……金銭的な損失はある、けど、運転手は無傷だと思う……」
早口でまくし立てるように問い質す秋人を不審に思いながらも、健一は出来る限り急いでそう答えた。
以前の支払いではダンプカーが電柱にぶつかったが、やはり運転手は無事だった。飛び出した二匹の猫も何事もなかったように元気に立ち去っていた。
秋人は健一の答えに僅かながら安堵の色を浮かべた。
「つまりこの爆発の狙いは俺だけか」
「爆、発……?」
健一は秋人のその言葉を聞き、店外のトラックから漏れ出したガソリンが、なぜか店内に流れて来ている事に気が付いた。
「すまなかったな、二宮。俺がもっと別の方法を思い付いていれば、こんな事にはならなかったんだが……すまなかった」
「ッ!」
秋人はそう言うと、健一の頭を一度、ギュッと抱き締めた。
恨み言を言われても仕方がないと思っていた健一にとって、これほど予想外な行動はなかった。
「大丈夫、じきに俺の仲間が治療に来る。後の半分は俺に任せておけ」
そして秋人が立ち上がり健一に微笑むと、トラックの電化系統が火花を散らし、引火したガソリンが激しい爆発を巻き起こした。