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トラジック・チャージャー-2

「はい、二宮くん」


 ガタンと音を立てて落ちて来た飲むヨーグルトのパックを自販機の取り出し口から取ると、麗奈はそれを健一に手渡した。

 どうあれ賭けには負けたのだからと麗奈は健一にジュースを買ったのだ。しかし健一も悩みを聞いてくれているからと言って麗奈にジュースを買ってくれていたので、結局のところ賭けに意味はなかった。


 麗奈は礼を言ってから健一が無言で差し出すイチゴ牛乳のパックを受け取る。


「二宮くんがすんごく運が良いのは分かったよ」


 そして麗奈はパックにストローを刺しながらそう言った。

 ブルマを被った教師を見てしまった以上、その大前提を疑う余地は最早ない。


「でも何でそれで困ってるの? ちょっと変だけど良い事じゃない?」


 麗奈はイチゴ牛乳を一口飲んでから抱いた疑問を健一に尋ねた。

 運が悪くて困るというなら分かるが、運が良い事で何か不都合があるようには思えない。

 麗奈にはこんなに良い能力は他に無いとさえ思えた。


「取り憑かれたのは半年前……それからは良い事ばかり起きた……」


 やっぱり、と思い麗奈は頷く。麗奈は所謂嬉しい悲鳴というやつだろうかと考えていた。


「でも良い事が続いたのは三ヵ月……三ヶ月前、事故に遭った……」

「……え?」


 しかし唐突な不幸話に麗奈は硬直してしまう。


「父さんが運転する車に乗ってたら猫が飛び出してきた……猫を避けた時の衝撃で僕が寄りかかっていた車の扉が脱落して道路に投げ出されて……そこに二匹目の猫を避けたダンプカーが……」

「ぶ、ぶつかってきたの!?」


 よりにもよってダンプカーが!? と麗奈は思ったが、健一は首を横に振った。


「ダンプカーは電信柱にぶつかって、切れた電線が水たまりに浸かって……僕はそこに倒れていたから感電した……」


 今まさに目の前で起こっている事のように狼狽していた麗奈は、予想したよりも軽い事故の結果にホッと安堵の息を吐いた。


 まったく運が良いのか悪いのか。健一の話にそう考えてから、麗奈はふと不審に思った。

 なぜこの時は彼の悪運が働かなかったのだろうか、と。


 運が良いのか悪いのか、と悩む時点でおかしい。悪運の力を得た健一ならば手放しに運が良いと断言出来なくてはいけない。

 運命が彼を守るかのように事故を回避していて然るべきなのである。本来なら不自然なまでにツイていなくてはならないのだ。


 それこそ、例えば残忍な凶悪犯に米噛みに拳銃を押し付けられた状態にあったとしても、『弾が不良品でした』とか『健一の耳が凶悪犯の病弱な弟のそれに似てました』とか、それでもダメなら『突然引き金を引く指が骨折しました』などの異常な幸運によって健一は助からなくてはいけない。


 しかしこの時の健一は、猫が二匹も飛び出してきたり扉が壊れて外れたりと、一転して不自然なまでに不運だ。それこそ守られるべき運命に狙われているかのように。


「外傷は軽かったけど、二週間意識不明で二ヶ月入院……」

「えっ!?」


 更に自分の想像する感電とはレベルが段違いである事をその数字から麗奈は理解し驚愕した。

 事実、外傷も軽いとは言っても命に別状はないという意味であって、水に触れていた箇所は焼け爛れてしまっていた。


「で、でも後遺症もないみたいだし助かって良かったね。ほら、不幸中の幸い。悪い事があれば良い事も……ッ!!」


 不幸な事故にあった健一を思って自然と口から出た自らの言葉に、麗奈はハッとした。


 雨の日があれば晴れの日もある。夜は必ず明けるし、仏滅の翌日は大安だ。

 悪い事があれば良い事もある。それは当たり前の事である。


 そして麗奈は思う。その逆もまた然りだ、と。


 見開いた瞳で視線を向ける麗奈に、健一は一度コクリと頷いた。


「人の運命は例えるなら波……悪い事があれば良い事が、良い事があれば悪い事がある……そうやって浮き沈みするのが自然……」

「じゃあ良い事ばかりが起きちゃったら……」


 麗奈は予想される答えにゴクリと硬い唾を飲み込む。


「溜まりに溜まった不幸が大波となって打ち寄せる……多分、この力が良い事を起こす度、反動の不幸を溜めてるんだと思う……」


 不自然なまでに幸運を招き入れるという事はまた、逃れようのない不自然な不幸を呼び寄せる。

 つまりはそういう事なのだ。

 運命を変える歪な力によって蓄えられた不幸は、まるでダムが決壊するかのように高波となって健一に襲いかかってくるのだ。


「じゃ、じゃあ不幸から逃れる為にはどうすれば良いの?」

「避けられない……不幸は絶対にやってくる……」

「そ、そんな!」


 首を横に振った健一に麗奈は表情を絶望の色に染める。

 しかし健一は淡々と続きを話し出す。


「でもそれが普通……皆そう……皆が幸と不幸を繰り返し生きてる……誰も不幸からは逃れられない……僕の場合はただ、その不幸が余りに大きくなるまで来ないだけ……」


 健一の言い回しに麗奈は一つの解決策を見た。

 それを微かにほのめかした健一は麗奈の表情からそれに気付いた事を読み取ると、麗奈が何かを言う前に頷いた。


「大きな不幸を避ける為には、小さな不幸を沢山経験するしかない……?」


 ダムが決壊しないのは少しずつ水を抜いているからだ。不幸もまた同じ事かも知れないと思った麗奈が疑問符で尋ねると、健一は再び頷いて返しそれを肯定した。


「でも一体どうやって……?」


 解決策は分かった。だがどうやって実践すれば良いかが麗奈には分からなかった。


 健一は今、能力により運がとてつもなく良い状態になっている。

 絶対的に不利な勝負をしたところで、その悪運を以てして必ずや勝利を納めてしまうだろう。それはブルマ教師の一件から分かり切っている。


 そんな健一に不幸な体験をさせるなど麗奈には到底不可能なように思えてならなかった。

 いや、不幸だけなら簡単だ。麗奈が健一に張り手でもすれば良いのだから。

 だが不幸と言ってもただの悲劇ではダメだ。運が悪い、と健一が感じるような出来事でなくてはならない。不幸ではなく不運な体験をしなくてはならない。

 そうでなくては蓄積された幸運の反動を消化出来ない。


 そんな方法など、麗奈には皆目見当が付かなかった。


「それを一緒に考えて欲しい……」


 健一はそう言うや鞄からサイコロやトランプ、ウノにジェンガ、くじ引きやスクラッチカードなど、運を試すような道具をゴロゴロと取り出した。


 年頃の者特有の背中を押すか共感して欲しいだけの恋愛相談ではない。健一としては何かの解決策を提示して欲しいのだ。

 それが健一が麗奈に求めた救いであった。


「よ、よーし! ブレイカーの異名を持つあたしとまずはジェンガで勝負だ!」


 そう言って麗奈は勝てる見込みなど微塵も無い、健一との勝負に真っ向から打って出たのだった。






「それでことごとく惨敗した、って訳か」

「そ。あの子、ジャンケンでも顔に出ちゃうんだもの。勝負事じゃあ普通の人にも勝てないのに相手が悪すぎるわ」


 パーやグーも捨てがたいがチョキの顔だけでも一度は拝んでみたいなと、秋人は緩奈から事情を聞きながらそんな風に思った。


「分かった、今度は俺が相手になろう。麗奈にそう伝えて置いてくれ」

「助かるわ秋人。麗奈ったら何か責任感じちゃって昨日から落ち込んでるのよ」

「麗奈らしいな」


 容易にそれが想像出来てしまった秋人は苦笑を漏らし、対して緩奈は呆れた様子で溜息を吐いた。


「しかし、幸運の代償に不幸を溜め込む能力、か。まるでラビッドフットだな」


 ラビッドフット。名の通りウサギの足の事である。

 ラビッドフットはウサギが多産である事にあやかる為という至極現実的なお守りとされる一方、目を開けた状態で生まれる事から邪眼に対する防護の力があるとされたり、穴を掘り地下に暮らす事から地下の聖霊を宿している、というオカルト的な要素も含んだ欧米では至ってポピュラーなお守りである。


 ラビッドフットのオカルト要素の一つに、手放すともたらした分の幸運を不幸を以て奪い去る、というものがあり、今回の健一の能力がその点と酷似しているなと秋人は不意に思った。


「ラビッドフットより性質が悪いわ。手放してもいないのに不幸をもたらすんだもの」

「確かにな」


 緩奈の指摘はもっともだった。

 更にラビッドフットはその力で手にした富を自ら手放す事で不幸を回避出来るのだが、聞いた限り健一の能力はそれも出来そうにない。


 秋人は以前『番犬』の和臣が言っていた、能力者本人が制御し切れないタイプの能力なのかも知れないと、能力を発現させた張本人に害を及ぼす性質からそう思い至っていた。

 無論、緩奈も同じ推測をしている。


 何にしても厄介な能力が顕現したものだ、というのが秋人の最終的な感想だった。


「じゃあよろしくね秋人。放課後また迎えに来るわ」

「ああ、分かった」


 緩奈はそう言って話を切り上げると、手を軽く振りながら教室を颯爽と去っていった。


 今は麗奈が健一と出会った日の翌日、火曜日の昼休みだ。

 緩奈が秋人の教室へと突然やって来て、昨晩自宅で聞いた妹の麗奈の一件の助力を秋人に求めたのであった。


 麗奈は非能力者でありながらつくづく能力者と縁があるな、と思うだけで、秋人は面倒だとか関わりたくないと感じる事なくそれを快諾したのであった。


「秋人」


 秋人は緩奈がいなくなると同時に背後から名を呼ばれる。振り返ると、そこには春香が腰に両手を当てて仁王立ちしていた。

 笑みを浮かべてはいるが、なぜかその雰囲気は空間が歪む程の怒気を孕んでいる。

 本能的に危険を察知した秋人であったが、出来る事と言えば無駄と分かっていながら乾いた笑みを浮かべる事ぐらいであった。


「今の、先崎緩奈ちゃんだよね? ううん、今のは先崎緩奈ちゃんです。間違いありません。秋人、彼女と知り合いなの? ううん、秋人は彼女と知り合いです。楽しそうにお喋りしてました」


 秋人が答える間もなく春香の問いはそのまま春香によって次々に処理されていく。

 春香がズンズンと詰め寄って来ると、秋人は勢いに押されズルズルと後ろへ下がって行く。


「秋人と先崎緩奈ちゃん。二人はどういう関係なのかな? 美人の先崎緩奈ちゃんと、私に秘密で、一体、いつから、どういった関係なのかな?」


 そして教室の端に秋人を追い詰めると、最後に解を求める形で春香の台詞は締めくくられた。

 目が据わっている。秋人が考えられるのはそれぐらいで、後はただただ冷や汗を垂れ流すだけであった。


「い、いや、その、緩奈の妹の相談に乗った事があってだな」

「ふーん、家族ぐるみの付き合いがあるんだね。それで呼び捨てにするような間柄なんだ、そうなんだ」


 ああ、と秋人は自然と情けない悲痛の声を漏らしていた。


 そして誰にともなく助けを求めるように春香越しに周りに視線を向けると、誰もが秋人に鋭い視線を向けていた。

 四姫と呼ばれる校内切っての美女がわざわざ会いに来ていたのだからそれも当然の事であった。

 能力が関わる内容だけに緩奈と小声でやり取りしていたのも、秋人への視線を更に鋭利なものへと変える要因であった。


 完全に追い詰められている事を理解した秋人は、ああ、と声にならない絶望の声を漏らすのだった。


 その日、秋人は針のむしろに座す方が幾分もマシだと思うような、咳払いの一つ、否、身動き一つ、否、存在さえ許されないかのような空気に満たされた教室で、春香への弁解に長い長い時間を費やすのだった。


 しかし、秋人にとっての真の悲劇は『放課後迎えに来る』という緩奈の言葉を忘れてしまっていた事にあった。

 目先の問題に必死な秋人がそれに気が付くのは、放課後緩奈が秋人の教室へとやって来た時であった。

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