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マイクロ・ブラスト-5

 西桜庭町の南西には天を突く超高層ビル群がある。その中でも一際高く大きいビルの上から十フロアが『番犬』の活動拠点、所謂アジトである。

 広さも維持費もセキュリティーも、秋人達のコンテナハウスのアジトとは立地同様に天と地程の差があるが、これは能力者集団にしてみれば決して特別豪華なアジトではない。

 特に『番犬』の能力者はここで生活もしている者も多いので、学生兼能力者の秋人達と同等のアジトで事足りる筈がないのだ。


 秋人が詩織と対峙しているその時間、その『番犬』のアジトの最上階の一室で重厚な木製のデスクの上で山となっている書類と格闘する女性がいた。


 彼女は怒涛の勢いで次々と書類を確認、処理していくが一向に数が減らない。それ程に書類が途方もない数なのであった。

 かれこれ二時間はペースを保ち作業していたがとうとう女性の手が止まり、長くウェーブの掛かった白に近い金髪を乱暴に掻き上げ、舌打ちで苛立ちを露わにした。

 一度集中力が途切れた事だしこのタイミングにと思い、彼女は引き出しからタバコを取り出す。


「団長」

「黙れ。命令だ、一服させろ」


 団長、つまり『番犬』の指導者である彼女は声を掛けてきた黒スーツの男性に視線も向けず取り合わず、卓上にあった銀のライターでタバコに火を着け、そして柔らかい椅子の背凭れに体を預けた。


「どうぞ構いません。コーヒーをお持ちしましょうか?さぞお疲れでしょう」


 手を止めるや声を掛けられたので咎められるかと思ったが、それは彼女の勘違いだったようだ。スーツの男性はむしろ労いの言葉を掛けて来た。


 しかし彼女は声を掛けてきたスーツの男性に訝しげに視線を向けた。

 短くない付き合いの中で彼が自分にコーヒーを淹れ労う事など今まで一度としてなかった。それどころかいつもは尻を叩くばかりではないかと、彼女はそう怪訝に思った。


 そして視線を向け疑いが正しかった事を知り、見てしまった事を後悔した。見なかったとしても何も変わらないが、それでも束の間の休息の時には見たくなかった。


 無情にも声を掛けてきたスーツの男性は、新たな書類の山を抱えていたのだ。


「残念です。コーヒーの置き場がなくなってしまいました」


 彼はさぞかし残念そうに言いながら空いているデスクのスペースに書類をドサリと置いた。

 こうして彼女が二時間掛けて切り崩してきた書類の壁は無情にも再建されてしまった。


 空いたスペースにキッチリ収まった新たな書類を見て、団長の女性はまるで終わりの無いテトリスのようだと思ったが、無論、綺麗に揃ったところで書類が消える事はなく、変わりに彼女のやる気は根こそぎ消え去った。


「……間違いない、侵入者だ。書類を生み出す残忍な能力者が潜入している」

「それは大変ですね。直ぐに調べさせ、調査結果を書類にして出すよう指示します」


 心底嫌気が差して零した言葉にもスーツの男性は一切の感情を見せない。


「調査も書類も必要ない。たった今、私の目の前で敵が能力を行使した。後は縛り上げ放り出すだけだ」


 そもそもここまで膨大な量の書類に苦悶する羽目になったのは、団長の女性が今日まで溜められるだけ溜めてしまったからなのであって、スーツの男性には一切非がなかったのだが、そんな事などお構いなしに彼女は鋭い眼孔で男性を睨み付けた。

 睨み付けられながら彼は小さく嘆息する。


「指導者という立場の方であっても異常嗜好や危険思考を抱くのは自由です。しかし、団長の指示が必要ないと思われる約半数の書類を私が処理している事をお忘れなく」


 彼の言葉にムッと更に不機嫌な表情を作ってから、団長の女性は運ばれてきたばかりの書類の山に手を掛ける。


「要約してみろ」


 そして一瞥もくれずスーツの男性の方へ書類がピッと投げられ、彼は不規則に宙を舞い始めた一枚の紙を労せず手に取り目を通す。


「駅前のコンビニエンスストアからの調査の依頼です。防犯カメラで窃盗を撮影しましたが、犯人は商品を持っていなかったそうです。この犯人が能力者か否かの調査を同店の店長が希望しています」


 彼が読み上げたのはそれまで団長の女性が処理していた書類と同じ類の内容だった。


「これが私の指示が必要な案件か?」

「と、申しますと?」

「真顔で何を言ってる?こんなもの盗んでないか隠したかだ。これは能力など関係ない」


 非能力者が能力の存在を知ると、大抵の場合二つの認識の相違が生じる。

 魔法のように何でも出来るという錯覚と、行使に対する対価がほぼ皆無だという根拠の無い先入観を抱くのだ。


 そしてそれは依頼という形で如実に表れる。


 失った足を取り戻したい。皿が割れたので直して欲しい。好意を寄せる女性を虜にしたい。明日の正確な天気を知りたい。若返りたい。


 神の偉業とされる奇跡を望む依頼や、どこかの専門家にでも頼めば良いような依頼の両極端な依頼が舞い込むのだ。


 能力によっては可能かも知れないが、それらの依頼は『番犬』の仕事ではない。

 『番犬』は能力による秩序の崩壊を防ぐのを目的に活動している。

 平穏な日常を送れない能力者に居場所を与え、そして倫理に外れた能力者の暗躍を阻止、更には制裁を加える。

 それが『番犬』のあり方だ。


 故にこのような依頼はスーツの男性の方で弾かれ、団長の女性が迷惑を被る事はない。


 団長の女性に回され、彼女を憂鬱とさせる依頼は先のコンビニの依頼のようなタイプのものだ。


 『番犬』の活動目的を考えればコンビニ店長の依頼はまだ『番犬』の活動の範疇だが、能力の存在を知っているからと何かあると直ぐ安易に能力と結び付ける一般人の思考回路に、団長の女性はほとほと嫌気が差していた。


 そしてこれもその類のものだろうと思った彼女は、真意が掴めないといった風に尋ねてきたスーツの男性に更に苛立ちを募らせながら言葉を返したのだった。


「お言葉ですが、能力による窃盗ではないと決め付けるのは些か早計かと」


 しかし憶測というより私情で決定を下す彼女にスーツの男性が苦言を呈した。

 団長の女性の視線が一層鋭さを増す。


「ならばもう能力者で構わんから放っておけ。こんな事に人員を割く暇はない」

「こんな事、というお言葉はいかがかと。失った商品の売り上げで生計を立てる彼等にとっては死活問題です」

「ならばそれこそ我々を雇う余裕などないだろう」

「これで窃盗を撲滅出来るならば意義ある先行投資です」


 団長の女性は怒りで噛み締めたタバコのフィルターをそのまま噛み千切った。

 ああ言えばこう言う。そんなスーツの男性の反応に苛立ちはピークに達していた。


「もう何でも構わん!我々は動かん!それが決定だ!例え貴様のお気に入りのコンビニだったとしてもそれは覆らん!」


 声を荒げ口に残った半分になったフィルター吐き捨てると、スーツの男性はやはり感情を見せずに落ちたタバコとフィルターを拾い回収する。


「ではそのようにサインして下さい。私は思い違いで判断される事を憂慮したのでして、思い直すように進言しているのではありません故」

「貴様がやれ!似たような案件は全て私に回さずそっちで判断しろ!私が処理する必要はない!」


 激昂しているとも取れる彼女を前にスーツの男性は眉一つ動かさず、再び大きく息を吐く。


「以前から何度も申し上げてます通り、その案件に能力が関わっていて大事になった場合私には責任が取れません。ですからこうして団長の判断を仰いでいるのです」

「だからこれが大事になるような案件か!?違うだろうが!」

「お言葉ですが、私で判断出来るか否かを判断するのは団長ではなく私自身です」


 もう限界だった。


 否定しかしないスーツの男性にこれ以上我慢出来なかった。

 だから彼女は、


「だあああー!もうヤダー!ヤダー!文字もコイツの顔ももう見たくないー!ヤダー!和臣ー和臣ー!助けてー和臣ー!」


 あろうことか椅子ごと後ろに倒れ込み、床をのた打ち回り、手足をばたつかせ駄々をこね始めたのだった。

 参ってしまった彼は、三度目の溜息を深々と吐き出した。


 そこへ扉を軽く二度叩く音が室内に届く。


「失礼しま……団長?」


 ノックの後に扉を開き現れたのは、秋人と対峙した時と同様の白いスーツに身を包んだ、団長の女性が助けを求めた和臣だった。

 スーツの男性は現状の打破に役立ちこそすれど、仕事に戻す事はないであろう人物の登場に小さく舌打ちを零す。


「和臣!」


 和臣の顔を見るなり団長の女性は駄々をこねるのを止め、救世主の登場を歓喜し寝転びながら両手を伸ばす。

 苦笑しながら和臣は歩み寄り、床に仰向けで寝転ぶ彼女を抱き上げ、和臣の腕にすっぽり収まった団長の女性は、和臣の首に両腕を回してしがみつく。


 腕に収まるという事はつまり、団長の女性は身長一メートルにも及ばない、まだ小さな子供であった。


「助けてくれ和臣!このままでは……このままでは私はコイツに殺される!」

「一体何をしたんだい、慎治郎(しんじろう)?」


 足まで使ってしがみつき必死に訴える団長の女性の頭を撫でながら、和臣は黒スーツの生真面目な男、慎治郎に尋ねる。


「私は団長に責務を全うして頂いただけです」

「まぁ予想通りだね」


 慎治郎の答えに和臣はまたかと思った。


「団長ももうだいぶ頑張ったんだろう?今日の所は許してやりなよ」

「そうだ!私は既に精根尽き果てている!」

「まだたったの四時間です。世間一般の社会人はその倍は働いています」

「言ってやれ和臣!」

「一日五分が限度の団長にすれば随分と努力した方じゃないか。いきなり五十倍も働いたんだ。だから今日はおしまい!な?」


 慎治郎の言い分は全て正論なのだが、和臣は一見筋が通っていそうな論調で飄々とそれをかわし、片目を瞑って申し訳なさそうにお願いした。


「和臣さんは甘いです」

「君が堅すぎるんだよ。折角こうして暇が出来たんだ、たまには君も息抜きしな」


 和臣は向き合っていた慎治郎の肩を手で軽く叩きながら擦れ違う。

 まだ納得していない慎治郎であったが、こうして半ば強引に本日の団長のお勤めは終了となった。


 先程まで団長が作業していたデスクとは違う、部屋の隅に置かれたソファに和臣は腰掛ける。団長は未だ和臣に抱かれており、和臣の膝の上に向き合う形で座っている。


「ところで和臣。ただ私を死地から救い出しに来たのではあるまい。お前も何か用件があって来たんだろう?」

「そうだったそうだった。はい、先日の護衛任務の報告書」

「…………」


 和臣は本来の用件を思い出し、秋人達も一枚噛んだあの任務について書かれた数枚の書類を差し出した。

 団長はクリップで簡易的に纏められた書類の束と和臣の顔へ交互に視線を移し、そして状況を把握すると絶望に満ちた表情をした。


「ブルータス、お前もか!?貴様、この裏切り者め!」


 膝から飛び退いて手を背中に隠した団長は意地でも受け取らないだろうと察した慎治郎が、代わりに和臣から報告書を受け取り向かいのソファに腰を下ろし書類に目を通す。


「昨日、一家全員無事に町を出たよ。護衛に当たっていた姫乃達には休暇を与えたけど構わないよね?」

「ん。ご苦労」


 自分が書類を見なくて良いと分かると態度をコロリと変え、団長は和臣の膝を枕にソファに横になり適当に返事をした。

 良い性格をしてると和臣は苦笑いしながら頭に手を置いた。


「追跡の心配はありませんか?」

「慎重を期して息子さんが能力を使えるまで待ったから心配ないよ。ちょっとやそっとの調査力じゃ足取りを掴むのはまず不可能だね。『虫食い』でも出来るかどうか」


 声を失い足の自由を失う事と引き替えに手にした少年の能力を思い出し、慎治郎は納得して再び書類に視線を落とす。


「『墓荒し』が敵の死体を回収出来ていないようですがこれは?」


 報告書に書かれた内容について慎治郎が尋ねる。

 『墓荒し』とは『虫食い』同様に中立の存在で、死体処理を生業とする組織だ。


「ちょっと状況が特殊で手間取ってるみたいだね」

「特殊、というと?」

「下水道の壁の中に埋め込まれてるんだよ。場所が場所だけに一般には影響は出てないけど、回収にはもう少し時間が掛かるよ」


 なるほどと慎治郎は呟き、そして書類に書かれた数字に表情を曇らせた。


「しかし、当初の見通しに比べ随分と厄介な任務になったようですね。二度の戦闘で敵一人に味方二人、併せて死者は三名ですか……」

「一度目の襲撃が予想外に激しかったからね。特に一般人の被害が甚大だよ」


 和臣が慎治郎の持つ書類を一枚捲り指差し、慎治郎はそこに書かれた数字に思わず顔をしかめた。


「二度の襲撃があり、被害を出したのは一度目だけですか」


 内容を確認しながら慎治郎はそう言うと、再び書類から和臣に視線を向ける。


「一度目と二度目の護衛体制の主な違いは例の野良の加勢の有無ですが、彼等の参入に問題があったのではないですか?」

「いや、それは違うね」


 野良、つまり秋人達が足を引っ張ったのではないかと言う慎治郎の言葉を和臣は否定した。


「二度の襲撃には温度差があった。一度目が確認出来ただけで四人の能力者を『四重奏』が投入して来たのに対して、二度目はたったの二人。それに攻撃の内容も執拗じゃなかった。実現はしなかったけど三度目に対する布石だったんだろうね」


 三度目の前に町から出す事が出来たのは護衛対象にとってだけでなく、護衛部隊にとっても幸運だったと和臣は続けた。


「それに被害が出たのは彼等が手出しする前だ。彼等に落ち度はないよ」

「随分と肩を持つのですね」

「事実を述べただけだよ。私見で事実は変わらない。感想じゃないんだからね」


 和臣は手を伸ばし慎治郎の手元の書類をめくる。しかし慎治郎は示唆された書類に視線を向けず、和臣の目を真っ直ぐに見ていた。

 和臣も構わず続ける。


「敵能力者一人を殺害、そして二人を拘束。これは彼等の助力あっての成果だよ。更に言えば味方二人の命が救われている。彼等は役に立った。これは事実だよ」

「『番犬』の送り出した護衛が野良風情に遅れを取った事が悔しくはないのですか?」


 その言葉に和臣は一瞬の間を置き、ピクリと眉を動かした。


「どうも論点がずれてるね。そもそも俺は報告をしていただけで論じてはいなかったんだけど、まぁいいや。何が言いたいか、ハッキリと言ってみたらどうだい?慎治郎」

「いえ、庇うような言い(ぐさ)が気になっただけですから」


 睨み合うように鋭い視線をぶつけ合う二人の間に、ピリピリとした険悪な雰囲気が漂い出す。


「まったく、お前等の会話は聞いててイライラする」


 そこに団長が口を挟んだ。


「慎治郎、言いたい事があるなら言っておけ。遠回しの会話で仲間内で腹の探り合いなどするな」


 横になったままヒラヒラと手を振って言ってしまえと促す団長を一瞥し、慎治郎は一つ咳払いを挟んで居住まいを正す。


「ではお言葉に甘えて」


 慎治郎は言いたくなかったのではなく必要がない事だと思っていた。自分の推測が正しければ、和臣は既に何を言わんとしているか分かっている筈だからだ。そうでなくても和臣ならば十中八九気が付いているだろうと慎治郎は思っていた。

 しかし、明確に釘を刺して置くのに良い機会だと思い直し口火を切った。


「仲間ではない、いつ牙を向けられるとも分からない相手に、一時的とはいえ背中を預けるのは危険です。少なくとも私には出来ません。無論、部下にそれを強いる事も私には無理です。しかし和臣さん。貴方はなぜか彼等を信頼されてるようですね。まるで、彼等の裏切りなど端から有り得ないと知っているかのように、彼等に信頼を置くのはなぜです?」


 慎治郎は答えを待たず、手にしていた報告書の向きを変えて和臣の前に置く。


「報告書によれば、敵が逃走したと同時に踏み込んで来たとありますが、この時、彼等は『四重奏』の仕業として姫乃さんと真琴さんを始末出来ました。唯一の戦闘系である姫乃さんは負傷していたのですから造作もありません。更にその後、二人は別行動を取って野良とペアで戦闘を行っています。彼等は真実を隠し殺害する事がいつでも可能でした。しかし、なぜがそれをしなかった」


 秋人達に対して人質を取るような真似をしたのは慎治郎も知っている。秋人達が『番犬』に敵意を持っていると彼が考えるのは当然であったし、事実、少なくとも秋人に味方意識はなかったし場合によっては手を下すのもやむなしという構えであった。


 慎治郎は和臣の表情の変化を見逃すまいとするかのように、見上げるようにして顔を覗き込み、鋭い視線を更に厳しくする。


「不安に成らざるを得ないような相手に貴方はなぜか信頼を置き、彼等は敵を葬る絶好の機会を不自然に見逃した」


 慎治郎は要点を纏め、そして、 


「彼等は貴方の私兵部隊なのではないですか?」


 抱いた不信感を真っ正面から和臣に突き付けた。

 裏切る事など無いと分かっていたから不安が無かった。秘密裏では味方だから向こうも姫乃に手を出さなかった。

 そう考えれば辻褄が合う。


「疑いを持ちますと、弱った敵を相手に彼等に経験を積ませる、というシナリオが先の護衛任務から見えてきます。ただの野良である彼等が我々の邪魔になるような行動をしなかったのも、貴方の指示があったと考えれば納得出来ます」


 慎治郎からすれば秋人達が的確な行動を取った事も不自然であった。


 ただの高校生であった事を知っているならば秋人達が自発的に的確な行動を取る事は期待しようがない。だと言うのに、それを想定していたかのように和臣が秋人達を任務に加えた事には尚更疑問を抱いた。

 それが益々慎治郎に和臣への不信感を抱かせた。


「面白い憶測だね」


 和臣は笑っていたが、その笑みにいつもの飄々とした雰囲気はない。


「でもそれは邪推だ。そうも取れるっていう状況が重なっただけだよ。さっきも言ったけど、あの襲撃の規模は予想外だった。彼等を信頼していた訳じゃなくて、姫乃達が彼等に遅れを取るような状況に追い込まれるとは思わなかったんだよ」


 十全の状態で向き合えば姫乃達は秋人達に遅れを取らない。和臣に限らず慎治郎や『番犬』の者ならそう考えて然るべきであり、事実慎治郎もそう思う。


「それに君は状況証拠で語っているが、彼等に俺が指示を出しただなんて状況証拠が否定してるよ。あの展開は予想外だったんだ。予想外の展開に対して事前に指示を出す事は出来ないよ。事態を把握してからも連絡を取っていないのは通信記録から分かるだろうから物的証拠もある」


 好きに調べてくれと和臣は付け足す。


「ビックリだけど、あの時の事は全て彼等の判断だよ。それに彼等に経験を積ませる気なんて俺には微塵もない。出る幕なんてないと思っていたからね」

「出る幕がないと考えていたならば、なぜ投入を?」

「保険さ。いないよりはマシだと思ったんだ。彼等の中に諜報系の能力者がいるのは予想してたから、それも丁度良かったんだ」


 和臣は弁解を終えるとソファの背凭れに体を預け、止まっていた団長の頭に置いた手をゆっくりと動かした。


 和臣の言葉に矛盾や嘘はない。

 諜報系の能力者の不足は今回だけの話でなく『番犬』が孕む一つの欠点であったし、既に調べていた通話記録からも不審な点はなかった。


 しかし慎治郎の和臣に向ける疑惑の視線に変化はない。


「つまり、全ては予想外の規模だったから、という事ですか」


 慎治郎はそう前置きをして、和臣の言い分は全てこの一点に帰結している事を確認すると、


「貴方にとって、『四重奏』の襲撃の規模は本当に予想外だったのですか?」


 核心を和臣に問うた。


 これにはさすがの和臣も怒りの色を露わにする。


 もし仮に和臣が私兵部隊という個人の戦力を秘密裏に保有していたならば、その目的は『番犬』に反旗を翻す為に他ならない。

 目的もなく謀反を起こす者はいない。では目的は何かと考えると、『番犬』と敵対する『四重奏』に組したと考えるのが妥当な線だ。

 『四重奏』に組した者が『四重奏』の行う襲撃の規模を知らない訳がない。


 慎治郎の問いは、和臣に『四重奏』と繋がっているのではないかと言及したのに他ならなかったのだ。


「思えば、翔子さんを未だに彼等に預けている事も怪しく見えてきますね」

「憶測だけで随分と愚弄してくれるじゃないか、慎治郎。悪ふざけも大概にするんだね」

「悪ふざけ?」


 和臣は鼻で笑い侮蔑の目で見下ろすように慎治郎を視線で射る。


「翔子に対して劣情を抱いていた君の事だ。これは彼女を君から遠ざけた事に対する嫌がらせってところだろ?真面目に取り合うには余りに馬鹿らしい与田話だよ」


 明らかに憤激を誘う和臣の言葉に慎治郎は歯噛みし、思わず拳を握る。


「何とも『四重奏』らしい下劣な勘ぐりですね。私は翔子さんに対してそのような心情を抱いた事はありません。そして残念ですが、貴方に対する疑念は私だけが抱いているのではありません。貴方に対する疑惑の波紋は確実に組織内に広がっています」


 これは挑発の為の妄言ではなく真実だ。和臣に対する不信感は、表面化こそしていないが徐々に浸透し始めていた。

 しかし和臣からすればそれも眉唾どころかまるで信用するに値しない話だった。


「どうやら君の舌は二枚あるようだね。どれ、一枚引き抜いてあげるよ」

「せめてもの情けです。姫乃さんには戦死したと伝えて置きましょう」


 緊張感が高まり遂には二人が腰を上げようとしたその時、団長は大きな溜息を吐いた。


「ただでさえ始末に追われてるんだ。私の前で面倒な書類を増やすような事はやめろ。まったく、膿を出す良い機会だと思ってみれば……やったやってないの子供のような喧嘩をするな、馬鹿共が」


 和臣の膝から頭を上げ、ソファの上で胡座(あぐら)をかいてうんざりしたように白い金髪をワシャワシャと掻く。


「私は疑ってはいないが、和臣への不信感が広がっているのは確かだ。このままにするのは問題だが、今は奴等野良を野放しにする事も手を出す事も出来ない。慎治郎」


 団長は名を呼び慎治郎へ視線を送る。


「和臣さんから彼等の指揮を移すのが妥当かと」


 思っている解決策を話せという団長の指示を読み取り、慎治郎がそう言うと団長はうんと頷いた。


「しかしそれだけではまた指揮権の移ったソイツが疑われ堂々巡りになるだけだ。根本的な解決にはならない」


 その問題点は慎治郎も自覚していた。万事解決出来るなら初めからその案を提示している。


「だから私が指揮を引き取ろう」


 そこで団長は自分がその役を請け負う事を申し出た。正確には『番犬』のトップである彼女の決定は揺るがない為申し出ではないが。

 もとより『番犬』という戦力の指揮権を持つトップの彼女が、新たな戦力の指揮権を持ったところで謀反を疑う者はいない。言うなれば単なる『番犬』の増強であるからだ。


「姫乃と真琴の話を聞いていつかは直接見てみたいと思っていたところだ。恭一郎の件もあるし、それで構わないな?」


 団長の確認に、代案のない二人は頷く。


「ではこの話は終わりだ」


 最後にまったく、と零し、団長は和臣とは反対のソファの肘掛けに頭を乗せ、手を払って退室を指示した。


 二人もこれ以上論する必要はないと判断し、団長の部屋を後にした。


 そして、今回のこの決定に舌打ちをした者がいるのは、本人しか(あずか)り知らない事であった。

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