表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/93

マイクロ・ブラスト-4

「……ん……あ、れ?」

「気が付いたか?」


 倉庫から出て直ぐに、秋人の肩に担がれていた『虫食い』の少女は目を覚ました。

 秋人は起きたならばこの体勢はキツいかも知れないと思い、肩から下ろし両腕の中に少女を抱き直す。所謂お姫様抱っこというやつだ。

 腕から流れる血が少女についてしまうが仕方ない。パーカーが赤で良かったなどと別に良くないのにそう考え、おかしな思考にやはり血が足りないなと秋人は思った。


 体勢を変えられた少女はボンヤリとした表情で秋人を見上げる。


「アッキー……助けに来てくれたんだね……」


 そして消え入りそうな小さな声で呟くと、少女は潤んだ目を細めて儚げに微笑んだ。


「苦しいか?仲間と合流したら直ぐに病院に行くから少しの間だけ辛抱してくれ」


 由貴のボディ・メンテナンスで血管は治療出来る。血液が破壊されていたならそれも治せるだろうが、血液を作り出す事は不可能だ。

 マイクロ・ブラストによる被害がボディ・メンテナンスで補えないならば、当然病院に行くしかない。


「うん……」


 少女は僅かに頷くと、秋人の服の胸元を小さな両手でキュッと握り身を寄せた。


「アッキーは奈々の白馬の王子様だったんだね……」

「フッ!」


 秋人は乙女チックな台詞に思わず鼻で笑うように小さく吹き出した。


「白馬には乗ってないから、王子だとしても徒歩の王子様だな」

「それじゃあ何だか格好悪いよぉ……」

「それに王子様ならもっとスマートに助け出しただろうし、これがおとぎ話なら俺はせいぜい召し使いぐらいの役所だ」

「あは、じゃあアッキーは奈々の召し使いさんだ……」


 『虫食い』の少女、奈々も笑うと、一瞬だけ苦しそうな表情をした。


 女性は男性に比べ血液量が少ないし、子供ならば尚更だ。奈々の様子からしても、割合では自分より多く血を抜かれている可能性が高いと秋人は思った。


「もう少しだけ寝てろ。次に起きた時は気分も良くなってるし、暖かいベッドに寝かせておいてやる。病院のベッドだから柔らかさは保証できないけどな」

「なんだか口の悪い召し使いさんだなぁ……」

「粗暴な下っ端程有能なもんだ」

「あは、それもそうだね……分かった。ありがとね、アッキー……」


 安心したのか、奈々は再び瞼を閉じると静かに眠りに入った。


 それを確認した秋人は余り揺らさないよう注意しながら倉庫の間を進み、由貴の隠れる倉庫に向かった。






 その後、秋人は二百十番倉庫でプルプル震えながら待っていた由貴と合流し、奈々を近いという事で西桜庭町の病院へと運んだ。


 傷を負っていないのに失血の症状の出ている奈々に医者は困惑したが、極度の貧血と言うことで自分を納得させ適切な治療を施した。

 秋人は血液を失った奈々は爆発の火傷を負っていると思っていただけに、医者同様に戸惑った。


 秋人が知ることはないが、奈々は目隠しをされながら爆発音が近くで響く中髪を触られる、という気味の悪い恐怖体験をしていた。

 抵抗しないよう血液は抜いたが、弱者など、ましてや女で子供という最弱の存在を傷付ける気などさらさら無い詩織が、髪の毛に爆弾を取り付け自らそれを切除していたのだった。


 無傷ではあったがしかし、衰弱している奈々はそのまま病院に入院する事となった。


 一方、秋人は傷は由貴の能力で治したが、奈々のように輸血や輸液を受けられる程失血の症状が出ていないので、ドラッグストアでも売っていそうな貧血の錠剤が出されるだけであった。

 結果、助け出した奈々より完治が遅くなるという、何とも悲しい結末になるのであった。






 奈々を運んだ病院は二十四時間体制で急患などに応える救急医療センターであったが、入院するのは併設されている普通の病院である。

 普通と言っても東京ドームの数で表す程に敷地の広い大きな病院であり、ロビーも当然だだっ広い。

 そのロビーの明るい光で煌々と照らされた場所から少し離れ、主な光源は遠くにある自販機の光だけの薄暗い場所にあった安っぽいソファに、診察を終えた秋人は疲れ切った様子で横になっていた。


「もう二時半、か……」


 眠気に負け閉じようとする眼でうっすらと見た腕時計の時刻は深夜二時半。病院に到着してから既に四時間近くが経過していた。


 これ程の時間病院に留まっている理由は、奈々の入院の手続きに、正確には手続きを行うまでにえらく手間取ったからだ。

 銀髪に蒼眼という明らかに日本人でない外見と、身元を証明するものを奈々が一切持っていなかったのがその原因だ。


 病院側も商売だ。厄介な客は取りたくない。

 身元不明の外人など、彼等からすれば典型的な面倒事の温床なのだ。


「お疲れ様でした」


 横になる秋人の隣、頭のすぐ隣に腰掛けた由貴がココアの缶を差し出す。

 秋人は礼を言ってからそれを受け取り体を起こした。


「すまない。すっかり遅くなってしまったな」

「いえ、私が残るって言って聞かなかっただけですので」

「お陰で助かった」

「私にはこれぐらいの事しか出来ませんから」


 秋人が奈々の入院の手続きなどをしてくれた由貴に礼を言うと由貴は微笑みそう答え、自分用に買ってきていたココアの缶を開けた。秋人も缶の蓋を開けてココアを一口飲み込んだ。


「奈々の様子は?」

「ぐっすり寝てますよ。顔色も良くなってましたし、先生も心配いらないって」

「そうか」


 秋人はココアをまた一口飲んで、ホッと安堵の息を吐いた。


「それにしても驚いたな」

「どっちにですか?」

「どっちもだ」


 由貴の問いに秋人は軽く微笑して即座に答える。


 秋人達がまず驚いたのは『虫食い』の影響力にだ。


 奈々の入院を渋っていた病院側が入院を許可する決め手となったのは、奈々の首の後ろに再び現れていた『虫食い』のタトゥーだった。

 それを見付け、奈々が『虫食い』であると分かってからの医者の対応は正に手のひらを返すように懇切丁寧なものだった。

 由貴の記入した入院の書類など形式だけで、奈々の名前は平仮名で書かれていたし、名字も年齢も住所も空欄のままで受理された。

 それら全てを取り払っても、『虫食い』のタトゥーという身分証は信じるに値すると言うことなのだ。


 秋人達はまさか能力者とは隔絶した世界の人間に対し、ここまで『虫食い』が影響力を持つとは夢にも思っていなかった為、心底驚くのも無理はなかった。


 医者は下手をしたら後が怖いというのではなく、良い金蔓が舞い込んできたという様子だったので、つまりそういう事なのだろうと二人は思っていたしそれは正解であった。


 何にせよそれからはスムーズに事が進み、奈々はしっかりとした治療を受けて更に個室の病室に入る事になったので、秋人と由貴は『虫食い』の影響力に感謝していた。


「こんな所にいたのね」


 秋人が三口目を口に含むと同時に、もう一つの驚きの原因が声を掛けてきた。

 秋人はチラリと視線を向け、声を掛けて来た相手を誰何(すいか)しココアを飲み下す。


 やって来たのは辻本綾、由貴の担任であり『虫食い』である桜庭高校の教員だ。

 この病院に最初に駆け込んで来たのが彼女であった。


 いずれ『虫食い』の誰かが来るだろうと予想していた秋人達は綾が来た事自体には驚かなかったが、息を切らし、外聞を気にする余裕もなく額の汗に髪を張り付け駆け込んで来たのには驚いた。

 仕事を依頼した時とは打って変わって焦燥を隠せていないその様子は、『虫食い』の仲間という以外に奈々と綾の間には何か関係があるのだと、秋人も由貴も容易に推測出来た。

 そして余りに年が離れた二人の関係も想像に難しくない。


「緊張感が抜けきってないせいか明るい場所は落ち着かなくてな」


 秋人は由貴に見せていた微笑みを消し、抑揚のない冷たい表情で答える。


「若いのに染まってるのね……」

「残念な事にな」


 闇に身を置き落ち着くなど危険に身を置いている者が否応なしに獲得する感覚である。

 それを自覚していた秋人は綾の憂いに満ちた言葉を肯定した。


「だが奈々程は子供じゃない」

「…………」


 そしてそう付け足すと、綾は何と言って良いか分からず黙り、ばつが悪そうに俯いた。


「以前、奈々と電話をした事があるがまさかあれ程小さい子供だとは思わなかった。小学生か?」

「小学三年生になる年齢よ……」

「はっ、今日三つ目の驚きに認定だな。三年というと年齢は二桁か?小学校の授業に重大な情報でもあるのか?」


 秋人が鼻で笑い投げかけた疑問に込められたのは綾への問い掛けじゃない。小学校の授業に重大な情報などあるはずがないし、綾の言葉から奈々は学校に通っていないのを秋人は汲み取っていた。

 秋人が込めたのは非難だ。

 奈々のような子供まで『虫食い』の駒として利用するのか?という非難だ。


「私だって――」

「それにしても、とんだ狸だな。弱味を見せれば付け込まれるとでも思ったか?」

「それは……」


 秋人は綾の言葉を遮り、今度は綾が図書室で見せた演技に言及した。

 あの時も綾は内心、奈々が浚われた事に気が気でなかった筈であった。

 それを見せなかったのは秋人を利用こそすれど信用など微塵もしていなかったということだ。


「ごめんなさい……」


 綾は謝罪という形でそれを肯定した。


「別に責めてる訳じゃない。奈々が『虫食い』にならざるを得ない何かしらの事情を抱えてるのは分かるし、関わりのない相手を馬鹿正直に信用する奴なんかいない」


 見た目と裏腹に奈々という日本名。そして財布の中にも一切の身分証を持たず、学校にも通っていない事から奈々が普通の子供とは違った人生を歩んでいる事は分かりきっていた。


「それに俺も全幅の信頼関係を築きたかった訳じゃない。そっちは俺の戦闘の力を、俺はそっちの情報収集の力を利用しただけだ。むしろそっちがそういうスタンスを取ってくれた方が、こちらも不要に肩入れせずに一線を引けて丁度良い」


 あくまで今回の事は『虫食い』の仕事を請け負っただけであり、秋人と『虫食い』の関係に良し悪しどちらの変化がある訳ではない。


 報酬が支払われるならば『虫食い』が何をしようと秋人には関係がないし、口を挟む事ではない。

 秋人は綾の謝罪は必要ないどころか的外れだと、そう言ったのだ。


 だが秋人は自身の台詞に棘があり、多分に非難が込められているのを自覚していた。


 言わずにいられなかった。

 無関係だと思いながらも、奈々の弱り苦しむ姿を見てしまった秋人は、危険が起こり得る場に奈々を置く『虫食い』を責めずにはいられなかったのだ。


 一線を引けて丁度良い。そう言ったが秋人は既に自分が奈々に肩入れしている事を分かっていた。


「ごめんなさい……」


 綾が再び謝罪を口にする。

 それが堪らなく秋人には許せなかった。


 秋人は苛立ちを覚えていた。綾に対してではない。自分に対してだ。


 奈々を気遣いながらも、秋人は今の自分に出来る事など何もないと理解しているし、現に何も行動していなかった。


 俺に任せろ。俺が何とかしてやる。


 秋人にはその言葉が言えなかった。

 新平には言えたその台詞が、闇の深さを知った今の秋人には言えなかった。

 奈々に普通の暮らしをさせる為には、秋人は余りに無力だった。


 なぜ無力なのか?


 それは秋人が日常を求めているからだ。一度戦闘になれば命を奪う、一時だけの闇の世界に堕ちる覚悟は出来ているが、日常を完全に捨て去る覚悟はない。


 能力者という非日常の存在でありながら日常を求める秋人は、どちらにも身を置き、そしてどちらにも浸かりきらない、中途半端な存在なのである。


 その秋人が、非日常に深く捕らわれた奈々を守る事など出来やしない。日常へと引き上げる事も押し返す事も出来ないのだ。


 精神論ではない。これは現実的な話だ。


 非日常と日常は相容れない。非日常での出来事など無かったかのように日常は淡々と流れ、そして日常を易々と壊す非日常は唐突に迫り来る。

 落としどころなどない。決して両立もしないし双方が混ざり合う事もない。

 狭間で揺れる秋人はそれを理解している。


 真に奈々の為に身を削る意志と覚悟があるならば、秋人は日常を捨て、非日常へ浸かりきる他ない。

 その覚悟が出来ないならば奈々を見捨てるしかない。


 平穏な日常を取り戻す為に戦う秋人に、日常を捨てる覚悟などおいそれと簡単には出来なかった。

 しかしだからと言って奈々を見捨てる事も出来やしない。


 結果、責任転嫁し図書室での事まで引き合いに出し、綾に当たり散らしてしまったのだ。

 報酬のやり取りで一度、通話を一方的に断ち切った秋人に綾が弱味を見せないようにする事など当然だというのに、その自分の否すら棚上げしたのだ。

 『虫食い』にこそ責任があると、自分が何もしない事を納得させようとしたのだ。


――情けない……


 秋人は余りの自分の卑怯な思考の愚かさと腹立たしさに、ソファから立ち上がると壁を殴り付けた。


「あ、秋山さん!?」

「今度は壁に八つ当たりか。つくづく自分に愛想が尽きる」


 突然の行動に驚く由貴の呼び掛けを無視し、悔しさに秋人はそう自嘲した。


「秋山くん」


 声を掛けられ、秋人は自己嫌悪に歪む表情を綾に向けた。


「私は貴方にお礼を言いに来たの。奈々が助かったのは貴方のお陰よ。貴方がいなければ奈々は助からなかったわ」


 一時的でしかない救済に秋人は口惜しさを感じていたが、綾は今日の秋人の行動を心底から感謝し、そして尊敬していた。


「私には助けられなかった。捕らわれた場所を知りながらも、その力が私にはなかったから。でも思うの。もし私に力があったら、果たして私は危険を犯して奈々を助けに行けたのだろうかって」


 『もし』や『たら』や『れば』は、どれも過ぎた事に対して答えの出ない意味のない仮定の話だが、綾の思考はその考えに侵されていた。

 そして思う。自分には出来なかっただろう、と。


「貴方は救い出してくれた。私よりずっと奈々との関わりなんかないのに、それでも行動してくれた」


 だからこそ秋人の行いは(ほま)れこそすれど、責められる事では決してないと綾は思っていた。自分自身に対してならば尚更誇りに思って良いと、そう思っていた。


「違う……そんな崇高な意志によるものじゃない。ただの損得勘定による判断だ」


 自身に対する狂おしい程の嫌悪に、秋人は奈々を思っての行動なんかじゃなかったと首を振る。


「強情なのね」


 そんな秋人の様子に綾は慈愛を込めて微笑んだ。


「例え貴方が自分を呪っても、私は貴方を思い祈るわ。貴方は奈々を助けてくれた。それが私にとっての真実だから。本当に、本当にありがとう」


 そして綾は深々と頭を下げた。


「藤森さんもありがとう」


 そして由貴に再び頭を下げる。


「いえ、そんな、私は……」


 何もしてません。そう言うのは現場の側にさえいなかった綾に対して失礼だと思い、由貴は口を(つぐ)んだ。

 頭を上げた綾は由貴の考えなどお見通しで、再び微笑んだ。


 どちらも欲しくてどちらも捨てられず、ただ駄々をこねていた自分を、闇に堕ちる覚悟のない自分を綾が許容してくれた事に秋人は感謝した。


 秋人は綾の言葉が自分の為に言った単なる気休めだと、ただ結論を先延ばしにしただけだというのを理解していた。


 奈々は、秋人にとっての緩奈や新平と同じ存在だ。

 彼等仲間の平穏な日常を望むなら、秋人は今日と同じように闇に身を堕とす選択を迫られる時がいつか必ず来る。

 中途半端ではいられない時が、いつか必ず来るのだ。


 高校生をするのもそろそろ潮時かと思うよ。


 秋人は和臣に言われたその言葉を思い出す。


 秋人は檜山や上杉と戦っていた頃に比べ、最近は少し落ち着いた日々を過ごせていたと振り返り思う。

 歪ではあるし、平和だとは決して言えないが、それでも秋人はそれに僅かに幸せを感じ取っていた。


――思っていたより甘くはなかったな……


 そんな僅かな平和さえ非日常は許さない。

 秋人は日常に縋りつくのはもう終わりかも知れないと覚悟した。


 奈々を前に、秋人にはどちらの決断も出来なかった。

 そしていつの日か、その決断が再度迫られる。


 それは逃れようのない運命なのだ。


 残酷な運命に縛られなお、それでも秋人の心は綾の言葉に救われていた。

 一時であったとしても、秋人の心は救われていたのであった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ