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メビウス・リング-3

 黒のキャップに黒のパーカー、更に暗い色のスキニージーンズと、逃走の時の為に全身を目立たない闇に紛れる黒に染めた姿の秋人が腕時計に視線を落とす。

 時刻は十九時。日が長くなってきてはいるが、東桜庭町は既に闇に包まれていた。


「時間だ。行くぞ」

「は、はい!」


 時間を確認した秋人は、黒のキャップに黒のパーカー、黒のスカート黒のレギンスと、ヒラヒラとした装飾はあるものの、同じように目立たないよう黒尽くめの格好の由貴にくれぐれも離れないよう告げて、行動を開始した。


 東桜庭町の南西、海沿いの倉庫街にはそれ程大きくない、乗用車が二掛ける二で四台入る程の大きさの倉庫が、碁盤の目のように整然と並んでいる。

 その広さと変わらぬ風景によって、たまに野良猫が倉庫街から出られなくなってしまったりもする場所であった。


 秋人達は進んでも代わり映えしない周囲に気を配り、壁に書かれた番号を確認しながら倉庫の間を北から南へ静かに移動した。


 二十三番倉庫は倉庫街の端、南西のほぼ最深部に位置する。

 そこを目指す二人は必然的に倉庫街に深く入り込む事になり、徐々に喧騒から隔離され辺りが静けさに包まれ始めた。


 由貴の心中に、言いようの無い不安が押し寄せてくるのも無理はなかった。


 秋人の様子から、既に油断してはならない場所にいるのだと由貴は理解している。それはつまり戦地に入ったという事だ。

 これまで危険から遠い地にいた由貴にとって、戦場にいるというだけで息が詰まりそうになり、震えが止まらなかった。

 気配を殺し足音を立てないせいか、頼れる筈の秋人の存在が、由貴には蜃気楼のように酷く希薄に感じられた事も恐怖に拍車を掛けていた。


 足元から這い上がるように恐怖が身を支配し始め、段々と震える足の感覚がなくなる。上手く歩けているのかも由貴には分からなくなって来ていた。


「怖いか?」


 不意に秋人が振り向き由貴に声を掛けた。


 はっとした由貴は迷ったが素直に頷き、秋人はそれに少しだけ微笑んだ。

 すると秋人の不確かだった気配が少しばかり明確になり、由貴は少しだけ自分が安心したのを感じた。


「後悔したか?今ならまだ引き返せるぞ?」


 由貴を揶揄(やゆ)するのではなく純粋に心配している秋人の言葉に、由貴は首を今度は横にブンブンと振った。


「だ、大丈夫です。こ、怖いけど、後悔はしてません。先に進みましょう」


 由貴にそう促され、秋人は再び前を向いてゆっくりと歩み出した。


 その途端、目の前にいる秋人の気配が再び消え、由貴の心に潮が満ちるようにジワジワと不安が込み上げてきた。


――ど、どうしよう……


 由貴は漠然とそう思った。どうする事も出来ない恐怖と震えが次第に強まっていく。


「あ……」

「どこでも良い。握ってろ」


 由貴は秋人の意外な行動に小さく驚きの声を漏らした。

 秋人が視線を前に向けたまま、後ろに続く由貴へ左手を差し出したのだ。


「不安になるのも仕方ない。視界が悪いし音も無いし、何より場所が場所だからな。本能的に色々な感覚が阻害されてる嫌悪感があるんだろう。触覚が嫌なら嗅覚に意識を払うと良い。潮の香りを感じると落ち着くかもしれない」


 視線を前に向けたままいつもより言葉多く語る秋人がおかしくて、由貴は思わず少しだけ頬を緩めた。

 そして由貴は引っ込めようとした秋人の左手を、甲から包むように左手で握った。


 手から伝わる確かな体温。それだけでも秋人がここに居るという何よりの証拠に思え、由貴の不安は消え失せ、震えは収まった。


「この列だな」

「は、はい」


 秋人は倉庫の壁に赤いペンキで書かれた『250』という数字を確認した。

 数字は最初の数字は南北の縦の、後の数字は東西の横の並び順を表す。

 つまり『250』は、南から数えて二列目、西から数えて五十番目を表している。

 敵のいる二十三番倉庫は二列目の三番目、ここから西にずっと行った奥の倉庫だ。


「二百二十番辺りの倉庫に由貴には隠れてて貰う」


 秋人は件の倉庫から百メートル近く離せば安全だと見て、由貴を隠れさせる倉庫をその辺りに決めた。

 由貴もその指示に頷き、二人は再び二十三番倉庫を目指して、一列目と二列目の倉庫の裏が向き合う一メートル程の道を進み出した。


 南北に移動していた時は、ポツポツと外灯が設置された車がすれ違える程の大通りを横切っていたが、今は暗く狭い道をただひたすら真っ直ぐ進んでいる。

 否応無しに二人の緊張感は高まっていた。


――あ


 少しして、由貴は行く先にジュースの空き缶が転がっているのを見付けた。コークと書かれた何の変哲も無い普通の赤い空き缶だ。


――蹴らないように気を付けなきゃ


 誤って蹴り飛ばしてしまえばコッソリ移動しているのに派手に音を出す事になる。

 そんな情けない形では決して足を引っ張りたくない由貴は、大袈裟なくらい足を上げて空き缶を避けた。


 そして再び何もない道を、秋人に手を引かれながら進んで行く。


――あれ、まただ


 少しして由貴は再び空き缶を先に見つけた。赤い、コークと書かれた同じ空き缶だ。


――近くに自販機でもあるのかな?


 ちゃんとゴミ箱に捨ててよと、そんな事を思いながら由貴は再び足を大きく上げてそれに触れないようにした。


 そしてまた代わり映えしない道をただただ進む。


――え?


 由貴はサッと体温が下がるのを感じた。そして暗闇で見える筈もない後方を思わず振り返る。


 まただ。またなのだ。また、コークの赤い空き缶が前方に現れたのだ。


 良く見れば転がっている位置や空き缶の凹み具合、コークの文字が上に向いている辺り、今までの全ての空き缶に明確な共通点がある。


 不気味な現象に由貴がこう思うのも仕方がなかった。これまで見て来た空き缶は、全て同じ空き缶だ、と。


「あ、秋山さん……!」

「ああ」


 声を押し殺して呼び掛けると、秋人も気付いていたようでそう返事をした。

 いつの間にか自分も秋人も立ち止まっていた事に由貴はそこで気が付いた。それ程に動転したのだ。

 この異常事態に自然と秋人の手を握る由貴の手に力が篭もる。


「倉庫の番号を見てみろ」

「え?……あ!」


 由貴は秋人の言う通り番号を確認すると、事態に気付き声を上げてしまった。

 そこに書かれていた数字は『248』。狭い道を進み出して僅か二つしか進んでいない。否、進んでいない事になっている。


「倉庫の幅は長く見積もっても約五メートル。横の倉庫と一メートルの幅があるとして、スタート地点の二百五十番倉庫から二百四十八番倉庫に来るまで、たったの十二メートルだ」


 時間を長く感じたとか、そういうレベルの話ではない。

 本当に十二メートルしか進んでいないならば、空き缶が大体四メートル間隔である筈だ。だが空き缶は足下の一つだけで、他は見当たらない。


「い、一体なにが……!?」

「分からない。だが、既に敵の能力が展開されているのは間違いないな」


 秋人は膝を折り落ちているコークの缶を手に取ると、地面に立てて置いた。


「進んでみよう」

「は、はい」


 由貴は秋人が何をしたいのか分からなかったが指示に従い、二人はコークの缶をその場に残して再び西へと歩み出した。


 由貴は手を引かれながら倉庫の数を数える。間違えないよう、右手で指折り数えるが直ぐに指が足りなくなる。やはり二つしか進んでいないなど有り得ない。


「ああ!な、なんでですか……!?」


 しかし、それでもやはり前方からコークの缶が現れた。今度は転がっているのではなく、秋人が立てたそのままの姿で。


 秋人は再び缶を手に取る。


「間違いないな。これはさっき俺が触れた缶だ」


 秋人が由貴に缶を見せると、そこには小さな錘が取り付けられていた。先程触れた時に能力を発現させて、真似の出来ない方法でマーキングしていたのだ。


 秋人はそこで何かに気付き、進もうとしていた前方を指差した。由貴はその指の先に視線を向け、そして驚愕した。


「な、なんで前に海が見えるんですか!?」

「二百四十八番倉庫から見える海は南の海だけだ。俺達はいつの間にか、北から南に向かってる」


 それしか結論はない。

 秋人達は、西へ真っ直ぐ歩いていたというのに、何故か南へ向かっていたのだ。


「お、同じ場所をグルグル回ってるんですか?ま、真っ直ぐ進んでいるのにですか?そんな事って――」

「有り得ないだろうな、普通に考えれば。だが現にそうなってる。受け入れるしかない。目を背けては未知の能力を打ち破れない」


 秋人は由貴の言いたい事を察して引き取り、そしてその考えは甘いと断じた。


 疑う事は必要だ。だが起こった真実に対して『有り得ない』と否定し、目を瞑るのは愚か者のする事だ。

 能力に対して『有り得ない』は通用しない。由貴のボディ・メンテナンスも普通に考えれば有り得ない力だ。


 結果を受け入れ、課程を疑う。それこそが必要な思考だ。


 同じ場所に戻されている。これは受け入れるべき真実であり、揺るぎ無い事実だ。

 疑うべきは、何故そうなったか、だ。


 由貴は一度だけ頷き秋人の手をギュッと握ると、能力の考察に頭を捻る。


「ほ、本で読んだ事があります」


 同じように敵の能力について考えていた秋人は由貴に視線を向け、無言で続きを促す。


「ま、真っ直ぐ歩くのは、自然な歩き方ではないんです。に、人間の体は左右対象じゃないから、だから、物理的に考えれば真っ直ぐ歩くのは不自然なんです。し、自然に曲がろうとする体を矯正して、初めて人間は真っ直ぐに歩けるんです」


 例えば左右の車輪の大きさが違う車がハンドルを真っ直ぐにして進んだら、車は必然的に車輪の小さい方へと曲がっていく。真っ直ぐ進むには小さい車輪を多く回すか、ハンドルを切るしかない。

 左右同じ歩数で歩く人間には、ハンドルを切る以外に術はない。つまり、無意識でも歩幅の狭い方に向かわなくては真っ直ぐ歩けないのだ。


「つまり俺達は真っ直ぐ歩けていなかった、という事か?」

「い、いえ、砂漠など、目印になる物がないと人間は直線ではなく円を描いて歩くそうです。それに似てると思って……」


 由貴は自分で話していて今の話は無関係過ぎると思った。

 ここは砂漠ではない。狭い道が格子状に広がる倉庫街だ。目印など腐る程ある。


――無意識に曲がってしまうなんて有り得ない……


 そう考えて由貴はハッとした。

 有り得ない。そう、『有り得ない』、だ。疑うべき『有り得ない』だ。


「無意識に曲がっている。それが正解かも知れない」


 由貴に視線を向けられ、秋人も微笑みを浮かべながら一度頷いてそう答えた。


「この能力に目印は関係がないのかも知れない。広い大通りの人混みを、意識せずに真っ直ぐ歩くのは難しいように」

「し、自然と左右へ不規則に寄ってしまいますもんね」

「ああ」


 秋人は頷き、由貴から進むべき西へと向き直った。


――無意識に入り込む能力……つまりは癖を作り出す能力か。これは不味いかもしれないな……


 秋人は今回の敵の能力はかなり厄介だと踏んでいた。


 無意識とは読んで字の如く、意識していない事だ。

 無意識を自覚する事は出来る。癖を自発的に見付ける事もあるし、現に無意識に曲がってしまっていた事に秋人達は気付いた。


 しかし、意識していない事を無意識と言うのだから、無意識の行動を意識する事は絶対に不可能だ。


 例えば無意識に髪を指で弄る癖があるとして、手が髪へ向かい始めた時に『あ、今自分は髪を触ろうとしてる』と考えて、気付いたら髪を触っているという人はいない。

 貧乏揺すりが癖の人間は、『あ、足を動かそうとしてる』などと考えて始めるのではない。


 無意識の行動は、その行動を起こした後に気付くものなのだ。


 ならば秋人達は無意識に角を曲がらず、真っ直ぐ進む事は出来るだろうか?


 不可能だ。


 無意識の行動は意識出来ない。出来るのは曲がった後に、無意識に曲がってしまったと自覚する事だけだ。


 秋人達は絶対に真っ直ぐ進めない。絶対に曲がる、言わば運命なのだ。


「破壊力も俊敏性もない……だ、だけどコレはかなり厄介な能力ですね……」


 秋人の抱いた感想をそのまま口に出した由貴も、この能力の脅威に気が付いていた。


 秋人は一度時計に目をやる。時刻は約二十時。余裕がなくなってきた。


「一度無意識に曲がってしまう角まで進もう。問題はそこだ」

「はい」


 秋人達は再び西を確認して進路を取り、暗い小道を進み出す。


「四十七……四十六……四十五……」


 数字が目に入る度に、由貴は下二桁を声に出して確認していく。


「四十四…………四十四……四十五……四十六……あ!あれ!?」


 数字が増えていた事に気付き立ち止まると、二人は二列目と三列目の間の大通りに来ていた。

 いつのまにか右に二度曲がりUターンしているのだ。広さも明るさも全く違うというのに、今の今まで全く気が付かなかった。


「既に三回はこれを繰り返していたのか……!?何故これに気付かないんだ!?」


 何故など分かりきっている。敵の能力のせいだ。


「た、確か四十四まで数えていた筈です!わ、私達は四十四と四十三の間で曲がってしまってるんです!」

「戻るぞ!」

「はい!」


 二人は大通りを西へと走り、問題の場所へと急いで向かう。


 しかし、


「よ、『446』だと!?」

「な、なんでこんな所にいるんですか!?」


 気付けば更に北へと進路が逸れて、三列目と四列目の倉庫の間へとやって来てしまっていたのだ。

 向かう方向とは別の場所に気付くと居てしまう。その現象に二人は頭がおかしくなってしまいそうだった。


「も、戻りましょう、秋山さん!」

「待て!」


 由貴がグッと引いた手を秋人が引き返す。


「来た道を引き返しても元の場所には戻れない!」

「え!?」


 そう秋人は断言した。能力の真相が分かり始めていたのだ。


「俺達は、いや違う、恐らくコイツは個人ではなく範囲を指定した能力だ。そして、二十三番倉庫に近づく者全てを退ける為、敵は『無意識に角を右に曲がる癖』を植え付けている」


 言われてみれば、先程戻ろうとした場所から二度曲がるとこの場所に来ると由貴は気付く。


「俺達は今、無意識に右にしか曲がれない。ならば、元の位置に戻りたいならば、来た道を戻るんじゃない。戻りたいならば――」

「そのまま進む?」

「正解だ。帰ったらシールをやらなきゃな」


 秋人は不敵に口角を上げ、引き返すのではなくそのまま東へと由貴の手を引き進んだ。


「あ!見て下さい!ここは『345』です!」

「よし、予想通り南へと進路を取れたな」


 気付くとまた無意識に進路を変えており、二人は右に二回曲がって二列目と三列目の間の大通りへとやって来ていた。


 意識としては真っ直ぐしか進んでいないのに、実際は全く別の位置にいる不思議な感覚にも段々と慣れてきた。


「さてと、仕切り直しだ。ここから西に進めばまた進路を右に変えられ、北へ、そして東へ進んでしまうな」

「西に進む為に南へ向かうんですね」

「ああ、変な話だがな。二度曲がり、大通りに出たらまた南へ行くのを繰り返して西へ向かう」

「はい」


 二人は倉庫の壁の番号から方角を確認し、南へと進路を取った。


 時間の制約から焦りが生まれるが、秋人は歩くペースを今までと変えなかった。

 それは視覚が全くあてにならないからである。


 いつの間にか角を曲がってしまう敵の能力の前では、一体何度自身が進路を曲げたのか分からなくなる。

 だからといって慎重に一々現在地を確認する時間はない。しかし先を急いで誤って余計に曲がってしまえば、当然時間が掛かる。

 故に秋人は時間で距離を計っていた。


 速度を変えず、先程までに覚えた角を二度曲がる秒数正解に歩けば、過不足なく同じ距離を歩く事が出来るのだ。


――さあ、どうだ……?


 秋人は決めていた時間分歩くと立ち止まり、現在地を確認する。


「あ!『343』です!私たち西に進んでます!」


 三百四十五番倉庫から南へ向かい、西、北と進路をいつの間にか右に変えてここに辿り着いたのだと二人は分かった。

 秋人の敵能力の予想は正しかったのだ。


「種が分かってしまえば攻略は簡単だったな。後はこれを繰り返すだけで目的の二十三番倉庫まで行ける」

「はい!い、急ぎましょう!」


 二人は少しだけ歩く速さを上げて再び南へ向かい、西へ向かった。


 厄介な能力であったが、ネタが分かれば脅威ではない。若干の遠回りで時間こそ掛かるが、面倒なだけで障害にはならない。


 二人はこの敵の能力を理解し、打ち破ったのだ。


 『第一段階』の敵の能力を。


「あ……れ?」

「な!?ば、馬鹿な……!?」

「え?え!?な、なんで!?」


 二人が狼狽するのも致し方なかった。

 二人が次に確認した数字。それは、予定の三百番代ではなく、『141』であった。

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