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メビウス・リング-2

「お、お待たせしました」

「ああ、今日も宜しく頼む」

「は、はい!」


 秋人が先に図書室で待ち、少しして由貴がやって来て声を掛ける。これが二人のお馴染みとなっていた。

 初日と同じ席に座り、今日もテスト対策の勉強が開始される。


「えっと、ここはこうか?」

「はい、そ、そうです」

「となると、ここはこうか」

「せ、正解です。はい、よ、『良く出来ましたスタンプ』をあげます」


 由貴は秋人のノートに、円の中に『良く出来ました』と書いてあるスタンプをペタンと押した。


 由貴は記憶しているのではなく理解しているので教え方がとても上手だったし、秋人も馬鹿ではないので砂漠に水を撒くように知識を吸収し、メキメキ学力を向上させていた。


 勉強それ自体には一切問題はなかったのだが、問題があるとしたら、由貴の局所的な精神年齢の低さであった。


 子供のようにハシャぐタイプではなく、むしろ年齢の割には落ち着いている由貴であるが、シールやスタンプに異常な喜びを見出す幼い部分があった。

 秋人のやる気を引き出す為に由貴はそれらをご褒美とするのだが、教科書やノートに可愛らしいそれらを与えられるのは、秋人にとってはむしろ罰であった。


「く、クマさんのシールも特別にご褒美です」


 由貴は秋人の教科書の裏面に貼られたワニのシールの隣に、クマの丸々とした可愛らしいシールを丁寧に一枚貼った。最早そこは動物園のパンフレットのようになっている。


「つ、次はウサギさんをあげますから、が、頑張って下さいね」

「任せとけ。待ち望んだウサギのシールがやっと貰えるんだからな」


 秋人はシールなど全然欲しくなどないが、わざわざ教えてくれているのだし、いらないなどと言って由貴を傷付けるのは憚られた。それに初日に言うのを逃した時点で今更手遅れだと、秋人は既に達観していた。


――うふふ、ご褒美作戦、大成功です!


 一方、由貴はシールやスタンプのお陰で秋人がやる気を出していると疑いなく信じており、それを餌に秋人に勉強させる自分は凄い策士だと自画自賛しているのだった。


 初日とは打って変わって和やかなムードで勉強会が続けられていると、


「ん?」


 秋人のポケットの携帯が震え出した。着信だ。

 秋人は携帯を取り出して相手を確認した。しかし、ディスプレイには着信を告げる画面が表示されているだけで相手が表示されていない。非通知とも表示されていなかった。

 相手に心当たりのある秋人は由貴に目配せしてから通話ボタンを押した。


『突然ご連絡した無礼をお許し下さい。秋山秋人様の携帯電話で宜しいでしょうか?』

「そっちは『虫食い』で間違いないか?」

『肯定です、秋山様』


 やはりか、と秋人は零した。

 このような細工混じりに電話を掛けてくる相手など『虫食い』ぐらいのものだと秋人は思っていたし、その推測は正しかった。

 電話の相手の男は秋人が関わった二人とはまた別の『虫食い』だが、ヒューマン・ネットワークで秋人の声を知っているので電話に出たのが秋人で間違いないと認識した。

 由貴は状況を察知し固唾を飲んで見守っている。


「一体何の用だ?セールスならお断りだ」

『この様な事は極めて稀なのですが、今回お電話させて頂いたのはお仕事を依頼させて頂きたい為です』

「仕事?」


 蛇柄のバンダナ男からそのような説明を受けていない秋人は疑問符で返した。


『はい。お時間は取りませんので、お話を聞いて頂けますでしょうか?』

「回りくどい話は次から抜きにしてくれ」

『感謝します』


 お使いを頼む訳ではないだろうが秋人は一応話を聞く事にし、秋人の返答から『虫食い』の男はそれを読み取った。


『今から約三時間前です。一人の『虫食い』が野良能力者の手によって拉致監禁されました。犯人の狙いはヒューマン・ネットワークの情報を掌握する事です』


 ヒューマン・ネットワークは相互に記憶を共有する能力である。一人が入手した記憶は全ての者の記憶となり、同時に一人一人が全ての記憶を取り出す扉となる。

 実際、大規模な組織のアジトには利便性の為『虫食い』が一人常駐するようになっている。

 便利ではあるがしかし、逆に今回のような事態には滅法弱い特性であった。


『私達『虫食い』は中立の組織である為に、能力者という戦力を持ちません。そこで秋山様には監禁されている『虫食い』の救出をお願いしたいのです』


 途中から話は見えていたが、秋人はどうにも腑に落ちなかった。


「俺より適任が要るんじゃないのか?組織的な救出作戦の方が成功率は高いだろう?」


 『虫食い』は中立の組織だ。ならばどこかの組織にでも頼めば良いのだ。

 何か報酬を払うのは野良に依頼しても変わらないであろうし、その報酬が組織に依頼したからと莫大なものになるとは思えない。


『いえ、今回の件に関しましては秋山様が最も適していらっしゃいます。』


 しかし『虫食い』の男はそれを否定した。


「説明してもらおう」

『はい、勿論です』


 電話先で『虫食い』の男が咳払いを一度挟んだ。


『まず、監禁されている場所が東桜庭町だという事が第一の理由です。他の組織の縄張りに、それも東桜庭町に組織の能力者が入るのは、秋山様もご存知の通り問題が多すぎます』

「『四重奏』は?」

『彼等は動きません。そういう組織なのです。それが第二の理由です』


 臆病な程に秘密主義の『四重奏』はまず動かないだろうと秋人も予想していた。

 東桜庭町に籠もりがちな『四重奏』にとっては、『虫食い』が報酬として払うであろう情報にも余り旨味がない。


『第三に時間制限が迫っている、という問題がある為です』

「それを早く言え。具体的にいつまでだ?」

『およそ後四時間半、正確には四時間と三十七分です』


 腕時計を確認すると十六時二十分辺りを指していた。


「二十一時がリミットか」

『時間制限までに行動を開始出来、目標を達成出来うる実力を持つ野良能力者となると、秋山様の他にはいません』


 なぜ自分に案件が回されたのかは理解した。しかし秋人の胸中にはまた別の疑問点が浮かび上がってきた。


「二十一時丁度がリミットなのは何故だ?犯人に与えられた猶予か?」

『肯定です』

「何の時間制限だ?」


 秋人は一体なぜ、そして何に対して犯人が時間制限を設けたのかが分からなかった。


「これは誘拐じゃなく拉致、つまり犯人は既に最終的な目標物を手に入れている。それなのに犯人から『虫食い』に取引の持ち掛けがあったのか?手に入れた目的の物と引き換えに一体何を?」


 誘拐は、人質と目標物の交換をして初めて目的が達せられる。しかし拉致は違う。拉致は目標物を直接奪う事で目的がそこで達せられるのだ。


 一般人ではなく『虫食い』を狙った時点で金ではなく情報が狙いなのは明白であり、犯人はそれを引き出す所謂鍵を手に入れた。それなのにそれを餌に、別の物を取引で手に入れようとしているのだ。だから時間制限があるのだ。

 秋人には犯人の行動が理解出来なかった。


『流石です、秋山様。貴方様のその頭の回転の速さを私達は評価しているのです』

「回りくどい話だけじゃなく余計な話も抜きにしろ」

『大変失礼致しました』


 悪びれた様子もなく白々しく謝罪する相手に秋人は電話先に聞こえるように嘆息した。


『私達も情報を奪われる訳にはいきませんので、当然対策を講じました』

「それは?」

『拉致された『虫食い』の、ヒューマン・ネットワークからの除籍です』

「なるほど、合点がいった」


 秋人は出来事の概要を把握した。ヒューマン・ネットワークからの除籍が完了する時間が二十一時前後だというのも容易に想像出来た。


 恐らく犯人は『虫食い』の抵抗に気付いたのだろう。そして手に入れた物が役に立たなくなると知り、犯人は急遽指針を変更したのだ。

 実際は金銭ではなく情報を要求している可能性もあり、目的自体は変えずに手段を変更したのかも知れない。猶予が至極短い事からも情報を手にしようとしてると予想出来るが、それは秋人には考える必要の無い事であった。


「次からはもう少し頭を使うんだな」

『面目ありません』


 恐らく無意味となれば逃走の邪魔にもなるので手放すとでも『虫食い』は考えたのだろう。不用意に秋人に話しかけた蛇柄のバンダナの男といい、実に非能力者らしい考え方だ。

 だが実際はタイムリミットの宣告と、従わなかった場合の制裁を告げられたのだろうと秋人は容易に想像出来てしまった。そしてそれは電話先の『虫食い』の男の返答からして正解だった。


「報酬は?」


 秋人は依頼を受ける方向で話を続けた。

 まず最大の理由は、報酬に考えられるバグポイントが欲しいからだ。いざという時に情報は重要になる。貰える時に貰って置くべきだ。

 次に、こっちの世界に首を突っ込んでるとはいえ、非能力者を見捨てるのは心苦しかったのだ。自分しかいないと言われては尚更であった。


『どんな情報でも一つ、無償でお譲りします』

「俺しかいないんだろ?それが最大限の譲歩と見て判断して良いのか?」


 予想外に良い報酬であったが秋人はそこで乗ったりはしない。やはりここは引き出せるだけ引き出す。


『では二つでいかがでしょうか?』

「分かってるか?こっちは命を賭けるんだがな。犯人の要求は?」

『最高額の情報を五つです』

「報酬は四つ。譲歩はない」

『そんな無茶を(おっしゃ)らないでくださ――』


――ピッ


 秋人は断りも入れず通話を断ち切った。

 携帯に耳を近付けて話を聞いていた由貴は目を白黒させていたが、何か言う前に直ぐに携帯が振動しだした。無論『虫食い』からだ。


「報酬は?」

『……ご要望通り情報を四つ、無償でお譲りします』

「仲間を見捨てなかった事で俺からの評価が上がったんだ。それで良しとするんだな」


 そんなものは何の足しにもならない事は秋人が一番分かっている。


『それでは詳しいご説明を……』

「さっきから見てる奴に聞けば良いのか?」

「え?」


 由貴は思わぬ秋人の発言に回りをキョロキョロと見渡した。

 秋人は携帯に耳を傾けたまま、無言で図書室の本棚の方を指差し見張りの位置を由貴に教えてあげた。


『お気付きでしたか』

「じっと見られれば嫌でも気付く」


 ヒューマン・ネットワークは意識ではなく記憶の共有なので、秋人を見なくては現状を仲間に伝える事は出来ない。故に見張りは目を離さずにいたのだが、それが(あだ)となってしまっていた。


『不愉快な思いをさせてしまい申し訳ありません』

「全くだ。それじゃあ切るぞ」

『ご武運を』


 そう会話を締めて通話は切られた。

 秋人が携帯をパタンと音を立てて閉じると、そのタイミングを待っていたのか見張りの『虫食い』が本棚の間から姿を現した。


 カツカツと音を鳴らすヒールの高いパンプスを履き、膝上の黒のスカートに白のシャツ、そして白衣を着た女性である。


「つ、辻本(つじもと)先生が『虫食い』……!?」


 由貴はその人物を目の当たりにして戸惑いの色を隠せなかった。

 見張り役の『虫食い』は今回この為に学校に潜入していたのではなく、秋人が入学する以前からここにいる教員、しかも由貴のクラスの担任であったのだ。


 辻本(あや)は科学を担当する教員であり、強烈なプロポーションで大人の色香をムンムンに撒き散らし、クラスに二、三人の男子生徒から真剣に好かれる人物である。ちなみに去年三十路を迎えた。


「先生なんて呼ばないで良いわよ、藤森さん。今は教師ではなく『虫食い』だからね」

「は、はぁ……」


 長いマツゲを靡かせるようにバチっとウィンクする綾に、由貴は更に戸惑いを深めた。


「まずは『虫食い』の印を確認させてくれ」


 秋人は分別を付け、敬語を使わずタトゥーを見せろとそう言った。

 ヒューマン・ネットワークで通じている電話先の男が認めたので間違いないが、秋人は用心を怠るような柄ではなかった。


「疑い深いのね。はい、どうぞご覧くださいませ、ご主人様」


 綾は語尾にハートを付けるように艶っぽくそう言うと、スカートをたくし上げガーターベルトの間、太股にあるタトゥーを秋人に見せた。

 下着まで見えそうな位置までスカートを上げたので、指の隙間からバッチリ見ているが由貴は思わず両手で顔を覆ったのに対し、秋人は至極冷静にタトゥーを検分した。


「間違いないな」

「こうも反応が無いと詰まらないわ。秋山くん、こういう時は鼻血の一つでも垂らすのがマナーよ」


 興を削がれた綾は体中から垂れ流していた色気をスイッチを切るように消し去り、スカートから手を離して机に浅く腰掛けた。


「海沿いの倉庫街の二十三番倉庫。そこが二人の犯人と人質の居場所よ」


 そしてそれ以上ふざけるつもりの無い綾は、端的に情報を秋人に与えた。持っている情報の確認など、お互いを把握する為の余計な摺り合わせがないのは、ヒューマン・ネットワークによる完全な引き継ぎ故である。


「二人の能力は?」

「詳細は不明。捕らわれた『虫食い』の記憶から、一人は戦闘系強化型と思われるけどそれも確証はないわね」


 本当に知らないのか、それとも情報を与えたくないのか。どっちにしろ秋人にはどちらとも判断出来ないので鵜呑みにする事にした。


「戦闘系はまだ分かるが強化型というのは?」

「能力をカテゴライズした区分の一つよ。強化型は秋山くんのような、身体能力の向上に特化した能力者のこと」


 他にも姫乃や森のような狙撃型、新平のような操作型、緩奈のような遠隔操作型、他にも超感覚型、寄生型、無差別型など多岐に渡る事を綾は説明した。

 能力がまずあってのカテゴリー分けであるが故に、カテゴリーに当てはまらない能力が現れる度に区分が追加され、結果かなりの量の種類に分けられているのだった。


 ただでさえテスト勉強で頭に新たな事を詰め込んでいる秋人は、敵が自分と同じ強化型だと言うことだけ覚え、カテゴライズの件は一先ず忘れる事にした。


「依頼は人質の救出で間違いないな?」

「ええ。犯人がどうなろうと『虫食い』は知った事ではないわ。例え今回犯人が逃げ延びたとしても、彼等が『虫食い』と接触するのは金輪際ないわ」


 『虫食い』からは勿論、犯人から接触する事もなくなる。つまりは注意を払えば動向を追跡する事など簡単だと言っているのであった。

 秋人は敵の撃破が依頼でない事を確認し、それを理解した。


 目的はあくまで囚われの『虫食い』の奪取。戦闘は避け、『虫食い』を奪い逃げる。単純だがこれが今回の最良の結果である。


 秋人は手持ちのカードから最善の策を画策する。


――思えば奇襲を仕掛けるのも逃走するのも初めてだな


 これまで奇襲を受け、逃走を阻む側であった秋人は、そちら側の観点から作戦を考える事にした。


 敵にとって一番厄介な奇襲方法。それは数にものを言わせて一気になだれ込む事だ。混乱に乗じて目標を確保し、後は蜘蛛(くも)の子を散らすように散り散りになって逃げる。

 想像するとなかなかに笑える作戦だがかなり有効だ。しかし先日のクラゲの能力、フルムーン・サテライトのような能力者が相手だと、逆に手も足も出ないまま壊滅する場合もある。


――有り得ないな


 秋人はリスクを考えるとこの作戦は取れないと結論付けだ。


 ならば次に有効な手、潜入しかない。コッソリと入り込み、コッソリ奪って去っていく。これしかない。


「倉庫の中の様子は?」


 ヒューマン・ネットワークで分かるはずだと秋人は思い綾に尋ねたが、綾は首を横に振った。


「倉庫に入ってから目隠しをされてるの。それにヒューマン・ネットワークの繋がりが薄れて来て、今はもう音も拾えないわ。中の事は何も分からない」

「能力を知っていれば犯人が対策を取るのも当然か……窓はあったか?」

「窓?横に細長い小さな窓が高い位置にあったわね。人が入れる大きさじゃないし、例え入れる大きさでも閉め切ってたから割るしかないわよ?」


 そうか、と答えて秋人はまた思考する。


 綾が考えたように窓から突入するつもりはない。ただ、窓が開いていればバタフライ・サイファーを入り込ませ、中の様子が事前に把握出来る思ったのだ。


 しかしそれも出来ないとなると出たとこ勝負になる。


――結局正面から戦う事になりそうだな……


 立て籠もっている犯人に対して余りに情報がないし、手に入れる手だてもない。

 現状はこちらの戦力を知られていないだけで有利な状況ではない。


 これでは正面からぶつかるのは必至である。


 もし真琴と姫乃なら、二百メートル離れた位置から犯人の振動を感知し、難なく撃ち抜いて解決出来るのだろうが、秋人の能力には遠距離からの一方的な攻撃は不可能だ。

 秋人が能力の有効射程にまで近づけば、それは最早気付く気付かないの距離ではなく、()るか殺られるかの距離なのだ。


 自分しかいないとはいえ、やはり今回の依頼に自分は向いていないと秋人は思うのだった。


「『四重奏』の縄張りでの作戦だ。暗くなってから動く。そうだな、二時間後、十九時に開始する」

「それで構わないわ」


 視線を向けた秋人に綾は頷き答えた。


「それじゃ、能力を出し惜しみして失敗しちゃかなわないから、私はもう行くわ。頑張ってね」


 能力を知られたくないであろう秋人を気遣い、綾はバチッとウィンクを決めてからお尻をプリプリ振りながら図書室を去っていった。


「あ、えっと、皆さんに連絡しますね」


 なぜか綾のお尻を目で追ってしまっていた由貴はお尻が見えなくなってから我を取り戻し、携帯を取り出した。


「いや、今回は俺一人で良い」

「え?」


 しかし秋人はそれを制した。


「今回は逃走を念頭に置く。強化型が相手となると、恐らく俺以外は逃げ切れない」

「で、でも……」


 新平の能力は今回の奇襲には打ってつけであるが、奪いましたが逃げられません、では意味がない。

 自分一人が一番成功率が高いと秋人は判断した。

 しかし知ってしまったからには放っておけないというのが由貴の考えであり、簡単には引き下がれなかった。


「も、もし助け出す前に見つかっちゃったら、二対一になっちゃいますよ?」

「その時は捕まった『虫食い』には悪いが諦めて逃げる」


 捕らえられた『虫食い』を前に、秋人が見捨てて逃げるなど有り得ないと、由貴は簡単に嘘を吐いていると見抜けた。

 いつものように無茶をするのは目に見えており、やはり秋人を一人で行かせる訳にはいかない。だが何と言って説得して良いか由貴には分からなかった。


「今日のテスト勉強は終わりにしよう。送ってく」


 言葉にはしないが問答は終わりだと、秋人はそう言い、机に広げていた教科書を鞄に仕舞いだした。


「わ、私も行きます!」


 このまま流されてはいけないと、由貴は思い切って言った。言ってみた、に近い感覚であったが、言ってから最善の策だと由貴は思った。


「由貴――」

「連れて行ってくれないなら、み、皆さんに連絡します!」


 秋人が否定の言葉を言うのは分かりきっており、由貴は被せて脅しとも取れる、否、脅しそのものの台詞を言い放った。


「ち、近くに隠れてますから!直ぐ駆けつけられるように!」


 由貴は自分が戦えないのは分かっている。足手まといにはなりたくないが、知らないフリをして放ってもおけない。ならば直ぐに治療してあげられるように、ついて行き近くで待ってると言うしかなかった。


「由貴――」

「お願いします!」


 初めて見る由貴の頑なな姿に秋人は溜息を吐いた。


 この様子だと連れて行かなければ由貴は本当に皆に連絡を取り、そして皆が集まってきてしまうだろう。それでは逃走が不可能になる。

 ならば由貴一人を連れて行き、安全な場所で隠れさせた方がマシだと秋人は判断した。


「はあ……」


 秋人はもう一度溜息を吐いた。


「良いか、何があっても俺の指示に従うんだぞ?」

「はい!」

「絶対だからな?」

「はい!」


――本当に分かっているのか?


――はい!


 細めた目で怪訝な表情をする秋人の無言の問いにも、由貴はコクコクと頷いて応えるのだった。

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