ヒューマン・ネットワーク-2
「それにしても間抜けな話だな」
「銃弾の痕の付いた携帯を平然と持ち込んじゃうなんてね」
秋人と緩奈は先程の失敗を笑いながらショッピングモールを歩いていた。
友達の誕生日プレゼントを買うという緩奈の用事も、いくつか雑貨屋を回って既に済ませており、秋人の両手にはそれぞれ手荷物が持たれている。
「あそこで良いかしら?」
「ああ」
だいぶ歩き回った二人はどこかで休憩しようという事になり、緩奈が指差したカフェに入ることにした。
そして、いつも通り秋人はアイスコーヒーを、緩奈は紅茶を頼み、窓際の四人席に向かい合って座った。
「ここ、相席しても良いか?」
今日見た馬鹿らしい雑貨などの話に花を咲かせていた二人に、唐突に男が声を掛けてきた。
茶髪を蛇柄のバンダナでパイナップルのようにアップにした、肩にタトゥーの入った不良のような風貌の男だ。
店内はガラガラではないが、空席はかなり目立つ。
何も他人と相席する必要はないし、そういう関係ではないとしても秋人達は男女二人なのだから、男の行動は些か不審であり無粋だと言える。
「他の席も空いてるわよ?」
見知らぬ男を加えて場が盛り上がるとは到底思えない緩奈が、断りの意味を込めて返答した。
「そう邪険にすんなよ姉ちゃん。用が済んだらいなくなるからよ」
「ちょっと!」
男は初めから二人の意思など関係がなかったようで、緩奈の隣にドカッと座り持っていた飲み物を置いた。
窓側の席に座り、男が座るスペースを空けていた事を緩奈は心底後悔した。
「この姉ちゃんはアレか?」
二人が睨むように見ている事にも構わず男は秋人に尋ねる。
場の流れからしてアレ、とは恋人か、という問いだと認識して相違ない。
「お前には関係ない。用もないからさっさと消えてくれ」
「ちぇっ、なんだよお前の為に聞いてやったのによ」
あくまでマイペースに事を進める男は肩をすくめて見せた。
「まぁ関係ないってんなら構わねぇか。後でバレたからって文句言うなよ」
「バレる?」
緩奈にバレて困るような事など秋人には思い当たらない。自覚していないにしても、初対面の男がそれを知っているようには思えなかった。
「そ、お前が能力者だってよ」
初めから思い違いがあったのだ。男が言っていたアレ、とは能力者か、という事だったのだ。
そして秋人は瞬時に理解する。
この男は、敵だ。
「貴方っ!?」
「ん?その反応はやっぱり姉ちゃんも能力者か。まぁとりあえず座れよ」
「緩奈に触れるな」
思わず立ち上がった緩奈に対して男が両手で宥めるようなジェスチャーをしようとしたが、秋人が冷たい声で言い放ち止める。
「下手な真似をしてみろ。直ぐに脳天から撃ち抜いてやる」
秋人は返却された壊れた携帯の破片をポケットの中で握り、机の下で即座に放てるよう構える。
「待て待て!物騒な事言うんじゃねぇよ!こんな場所で騒ぎを起こしたくねぇだろ!?」
男は宥めるジェスチャーの矛先を緩奈から秋人に変え、周りに聞こえないよう小声で、しかし必死に訴えた。
「構うか。何かしようものなら問答無用で殺す」
不敬な輩に対するものより何倍も鋭い、敵に対する秋人の視線に男は冷や汗を流しながらゴクリと唾を飲み込んだ。
「待ってくれって!姉ちゃんも座れって!俺は敵じゃあない!」
「目的を言え」
秋人は緊張を解かず、破片を更に重く出来るよう握りながら問う。
緩奈は可能な限り男と距離を置いて座り直した。男もこれ以上波風を立てては命が危ういと思ったのか、緩奈から出来るだけ距離を取った。
「まったく、ついてねぇよ……こんな荒っぽい奴だったなんてよぉ」
「余計な事は言うな。聞かれた事に答えれば良い」
男は最早半べそ状態だった。
「俺は敵じゃねぇ。味方でもねぇけど、どっちかって言ったら味方みてぇなもんだ。ゲームで道具屋とか村人は共に戦ってくれる味方じゃねぇけど、味方みてぇなもんだろ?俺はそんな感じの立場の人間だ」
そこまで話して男は落ち着きを取り戻そうと机に置いたリンゴジュースに手を伸ばしたが、秋人の腕がピクリと反応したのを見てグラスに届く前にゆっくり手を膝に戻した。
「簡単に言やぁ仲介屋だ。車から情報から武器から、形の有るもん無いもん、価値の有るもん無いもん、なんでも能力者達と売買してる」
そこまで話を聞いて秋人と緩奈は男が声を掛けてきた狙いが分かった。
「分かったみたいだな。お前に声を掛けたのは商売の話をしようとしたってだけなんだよ。だから身構えるのを止めてくれよ秋山秋人。震えが止まらねえ」
しかし秋人は握った破片をそのままに男と言葉を交わす。
「俺の事をどこまで知ってる?」
「どこまで知ってるか。それは重要じゃねえし関係ねえ。お前にとって重要なのは何が売られたか、だ」
いまいち掴めない秋人は黙って続きを促す。
「俺達は知ってる情報を何から何まで売ってる訳じゃねえ。あくまで仲介するだけだ。商品を生み出す立場じゃない」
「つまり、売られたものしか売らない、ということ?」
「そういうことだ姉ちゃん。平たく言えば質屋みたいなもんだな。例えば、姉ちゃんの名前が緩奈で能力者という情報はなかったし、俺は今それを手に入れた。だけどこの情報は商品にはならねえ。売られた情報じゃないからな」
これが情報屋ではなく、仲介屋と男が自分を称した所以である。
「俺達は調べたりだとか告げ口したりはしない、あらゆる組織から独立した完全に中立の立場なんだよ。分かったらいい加減構えるのをやめてくれって!俺は能力者でもねえんだ!」
銃口を突きつけられたように怯えた男が余りに必死なので、秋人は構えを解いて握っていた破片を机に置いた。
しかし構えは解いたが警戒心はそのままで、秋人はそれを示すように男から目を離さず机の上で破片を指で弄る。
今の状況で銃を置けというのも無理な話だと察した男は、銃口が外された事で一応の納得と安堵する事にした。
「まったく、期待のルーキーを見掛けて商売のチャンスだと思ったけど、こんな事なら一人になるまで待てば良かったぜ……」
確かに緩奈がいなければここまで刺々しい対応はされなかっただろう。緩奈の隣に座ってしまったのも運が悪かった。
話しかけなければ良かったと思わないのは、さすがは商売人だ。
「飲んでいいか?」
「勝手にしろ」
男は目線でリンゴジュースを差し、秋人の許可を取ってから手に取りカラカラに乾いていた喉を潤した。
「俺達、と言っていたな。仲介屋は集団なのか?」
「ああ、全国にいるぜ。そして全員が能力で繋がってる」
「能力者じゃない、というのは嘘か」
「待て待て!嘘じゃない!説明するからその破片を机に置いてくれ!」
秋人の能力は知らないが、それが武器になるのは明らかであり、男は秋人を必死で宥める。
本気で破片を撃ち込む気はない秋人は机に破片を戻し、男は深く溜息を吐いた。
「俺は非能力者だけど、能力者に能力を仕掛けられてんだよ。ヒューマン・ネットワークっていう記憶を共有する能力をな」
男は肩のタトゥーを指差し答えた。
意味のない紋様に見えたそれは、よく見れば変形したHとNが絡み合い流線型を描いているのが分かった。恐らくこれがヒューマン・ネットワークの能力に組み込まれた事の証、もしくは発動条件、または秋人にとっての錘と同じものなのだろうと秋人は理解した。
「記憶の共有……」
「ああ。ヒューマン・ネットワークを発動されたら、一方的ではなく相互に記憶を共有するようになる。例えば俺と姉ちゃんのこの会話も仲間は全員知ってるし、他の仲間が今誰かと話してるのを俺は内容まで知ってる」
緩奈の呟きにも男はしっかり答えた。
「便利なんだぜ?百桁の数字を一人では覚えられなくても百人なら楽勝だろ?それと同じ感じでヒューマン・ネットワークは膨大な情報を形にせず脳内だけで保管出来る。個人の技量に関係なく商売出来るし、オンオフも出来るからプライベートも守られてるしな」
電話のような意志の疎通ではなく、一つのデータベースで繋がれたアンドロイドのような記憶の共有は、手広く情報を扱うならば打ってつけの能力という訳なのだ。
「さて、商売の話をしようぜ?やっとここまで漕ぎ着けたぜ……」
男は一息吐いてから、ポケットから二枚の黄緑色のカードを取り出し、秋人と緩奈に渡した。
大きさや厚さはクレジットカードと同等で、しっかりとした作りのカードだ。
「それが俺達、『虫食い』を利用する為の会員カードみたいなもんだ。なくすなよ?」
酷いネーミングだと二人は思ったが口にはしなかった。
「料金は前払い。買う前にカードに入れておかなきゃダメだぜ?支払うのは現金かバグポイント、通称BPのどちらかだ。ああ、BPってのは『虫食い』に何かを売った時に支払われるポイントだな」
つまり『虫食い』から現金が出ることはない仕組みになっている訳である。何とも良い商売をしてる訳だ。
「BPは現金の百倍の価値がある。車が何百万BPとかするから、正確に言えば現金の価値が百分の一しかないって事だな。能力者の仕事をするならまだしも、野良ならかなりの富豪でもない限り、大抵の奴は取引にBPを使うな」
『番犬』に仕事は回して貰えるが、車に億単位の現金など払える訳のない今の秋人達は、専らバグポイントの世話になることになると理解した。
「カードに番号が書いてあるだろ?秋山、ちょっと電話してみろ」
「桁数が多いがこれは電話番号なのか?」
カードに書かれた番号は二十桁だ。電話番号にしては長すぎる。
しかし男は電話してみろと言うだけなので、秋人は今日買ったばかりの携帯でダイアルした。
すると、目の前にいる男の携帯が鳴り始めた。
「もう良いぜ。次に姉ちゃんも電話してみ?」
「ええ」
緩奈は指示通りダイアルし、そしてまた男の携帯が鳴った。
「お前の番号なのか?」
「いや、こいつは相手の番号じゃなく自分の番号だ。二人のカードの番号を見てみろ」
「……全然違うわね」
二人に渡されたカードの番号は全く別のものであった。それなのにどちらも男の携帯に繋がった。
「この番号は、通話可能な最も近い位置にいる『虫食い』に掛かるようになってる。普通に使えば毎度違う奴に掛かるって訳だ」
番号が二十桁な事からも分かる通り、これは『虫食い』だけが使う特殊な回線で、電話番号は特定の相手には掛からないし通話料金も掛からない。そして重要なのは機密性も抜群に高いという事である。
別の『虫食い』に掛かっても、ヒューマン・ネットワークで記憶を共有しているので弊害はない。
「売りたい、買いたい、カードに入ってる現金、BPを確認したい、分からない事がある、どんな時でも電話してくれれば良い。オーケー?」
二人は頷き答えた。
「じゃあ、早速試してみるか。姉ちゃん電話してくれ。そうすれば俺が通話中になって秋山は他の『虫食い』に繋がるからよ」
「分かったわ」
早速緩奈はリダイアルしようとした。しかし、
「履歴には残らないぜ?登録も出来ないからカードはなくすなよ?」
「……分かったわ。一体どういう仕組みなのよ……」
もう一度そう返事をし、ぼやきながら今度は手打ちで電話をした。
「よし、んじゃあ秋山、掛けてみろ」
「ああ」
続いて秋人もダイアルし、呼び出し音が聞こえたところでハンズフリーにし、皆に聞こえるようにして机に携帯を置いた。
前回の携帯が発揮しなかった機能を使った瞬間であった。
『はいはーい、『虫食い』だよ!何のご用かなアッキー?』
「…………」
秋人は机の携帯を、正確にはその向こうの馴れ馴れしい女を指差し、男に無言で尋ねる。
「記憶を共有してっからな。向こうはお前とカフェでこうして喋った事があるようなもんだ。初対面って気がしなくても仕方ないだろ?」
そう言って肩をすくめた男の答えに納得し、秋人は視線を携帯に戻した。
「悪いが初めてで、一通り試してみたいんだが構わないか?」
『うん、知ってたし良いよ!』
言われてみればヒューマン・ネットワークでそれも知れてた筈だ。便利なのだが接してみるといまいち慣れないというか、掴めない能力だと秋人は思った。
「じゃあまず情報を売りたい」
バグポイントが無ければ話にならないので、まずは何かを売るしかなかった。
『それじゃあ情報をどうぞー』
「そうだな……じゃあ俺の名前を売ろう」
こんな情報が売れるか不安ではあったが、秋人はどうでも良い情報を手放す事にした。
『ダメダメ。具体的な情報を出してくれなきゃダメだよアッキー。『虫食い』からは値段も既に売られてるかも言えないもん』
「なるほど。値段も売られているかどうかも、それ自体が情報だからか。道理だ」
『虫食い』がそれを口にしてしまえば、場合によっては買わずに情報を得る事が出来てしまう。当然の対策だ。
例えば、誰かが『秋人の能力の情報を売りたい』と持ってもいない情報を売りに出し、『それは既に売られています』と返答されれば、『秋人は能力者である』という情報を与えてしまった事と同義なのだ。
「それじゃあ、俺の名前は秋山秋人だ」
『それでオッケーだよ。でも残念、その情報は買い取れないよ』
「じゃあ、俺の身長は百七十七センチだ」
『その情報も買い取れないよ』
「俺の身長は百七十六センチだ」
『すごいねアッキー!うん、一BPで買い取らせて貰ったね!』
秋人の身長の情報は一BP、つまり百円で売れた。
「ねえ秋人、一体どういう事?」
今この件に関わっている四人の中で、一人良く分かっていない緩奈が秋人に尋ねる。
なにが凄いのかも分かっていなかった。
「最初に名前を売った時、買い取れないと言われただろ?」
「ええ」
「それは情報が下らなすぎて売れないか、もしくは既に売られてるかだ。それを確かめる為に、まだ売られていないだろう下らない情報を売ることにした」
「それが身長ね」
「ああ。そこで俺は嘘の情報を売ってみたんだが、それも売れなかった」
「なるほど。恐らく回線に嘘を見抜く能力者が介入してるんでしょうね。そして最後に下らない情報の件を確かめたって事ね」
緩奈は合点がいったという表情をした。秋人が最も少ない回数のやり取りで『虫食い』の特性を暴いたので、電話先の女は秋人を称えたのだ。
「今のところ試すのはこんなもんか」
「買うにしてもリストなんかは出してくれないだろうしね」
恐らく買いたい情報を具体的に言わなくてはならず、情報が無かったりお金が足りなかったりした場合、その全てに対して『教えられない』を突き通すだろう。
これ以上試せる事はない。
『情報じゃなくて物だったらリストアップ出来るよ?』
「一BPで買える物はあるか?」
『あは、それはさすがに無いなぁ』
「だろうな。じゃあもう大丈夫だ。切るな?」
『うん!またよろしくね!バイバーイ!』
何とも馴れ馴れしいまま通話は終了した。
「まあこんな感じだからよ、贔屓にしてくれよな。デートの最中に悪かったな。ほんじゃ」
実際の使い方を学ばせる為に一切口出ししなかった男は、通話が終わったのを見て短く挨拶し去っていった。
「なんだか第一印象よりは格段に良い人に思えるから不思議ね」
「実際悪い奴じゃなかったからな」
名も知らぬ男を見送った二人は、すっかり冷めてしまった紅茶と氷の溶けたアイスコーヒーを頼み直し、辺りが暗くなった遅い時間に東桜庭町へと電車で帰った。