ヒューマン・ネットワーク-1
あの後、秋人は由貴の体を見ないよう目隠しされながらボディ・メンテナンスによる治療を受けた。
その時の治療の様子と結果から、ボディ・メンテナンスは触れあった場所から深さ五センチ程まで治療出来ることが判明した。
つまり直径が十センチ以下の腕などは内側や外側など様々な方向から触れることで、深い中心部分まで完全に治療する事が出来た。
しかしそれに対して胴体に負った深い傷は、表面から五センチまでは元通り綺麗に治ったが、前後左右どこから触れても能力が届かない体内の最深部に、ポッカリと空洞のように傷を残す事となってしまった。
その残ってしまった傷が激痛であった。
秋人は蝕まれるような何とも言えない痛みに、戦闘の翌日は滲み出る脂汗を拭うようにベッドでもんどり打つ事になった。
ストレスで胃に穴が空くなどと聞いた事がある秋人は、経験こそないがこれはその痛みに近いだろうと思った。
秋人は戦闘の翌日からの二日間の休日はただ痛みを耐え忍んで過ごし、その翌日も体調不良という事にして療養した。
さすがに能力と自然治癒だけの回復は厳しいかと考え始めた三日目の夜辺りから痛みが穏やかな波長に変わり、更に一日休んだ五日目の今日は、痛みも続いてはいるが一応の収まりを見せたので学校へ行くことにした。
――確かに、学生も潮時かもな……
秋人は無駄だと分かっていながらも疼く体内の傷を宥めようと腹をさすり、数臣の言っていた事を思い出した。
こんな体調でも学校を意識しなくてはならないのは苦痛でしかない。日常を失いたくはないが、その我が儘が通らなくなるのも時間の問題かもしれないと、今回ばかりは秋人は強く感じていた。
「秋人!もう大丈夫なの?お腹痛いの?」
家を出て五十メートル程のT字路で、秋人は待っていた春香と鉢合わせした。
朝は待ち合わせをしたりはしないのだが、二日間学校を休んだ事で心配した春香は、時間が許すまでこうして秋人を待っていたのだった。
「おはよう春香。もう大丈夫だ」
「本当に?本当に大丈夫なの?」
まだ大丈夫じゃないのだが、泣きそうな顔で尋ねる春香にこれ以上心配を掛けたくない秋人は、平静を装い頷いた。
春香は疑いの視線を上目遣いで向けながら秋人の腹に手を当てさすった。
病は気からと言う通り、秋人のは傷であるが、春香に触れられると痛みが引いていくような、そんな気が秋人はした。
――全く現金だな
秋人は都合の良い自身の体に苦笑し春香の頭を撫でた。
「本当に大丈夫だ。心配したか?」
「もう、携帯も繋がらないし本当に心配したよぉ」
春香に言われ、秋人は携帯がクラゲの弾丸で無惨な姿にされてしまった事を思い出した。
「故障したみたいでな。今日にでも買い換えるとするよ」
弾丸で破壊された事が故障ならば、確かに秋人の携帯は故障してしまっていた。
「一人で大丈夫?ちゃんと買いに行ける?料理部のお手伝いは断って私もついて行こっか?」
健全な高校二年生が一人で買い物に行けない訳がない。
不安要素など何もないというのに、春香の心配する心が過剰反応している事に秋人は苦笑した。
ちなみに料理部のお手伝いとは、料理上手な春香が週に二回、講師として三人しかいない料理部の活動を手伝っている事だ。
更に余談だが、それが知れ渡り一時期男子の入部希望者が津波の如く殺到した事もあった。
「子供のお使いじゃないんだ。大丈夫」
秋人はポンポンと春香の頭を再び撫でてそう答えた。
早退も視野に入れていたのだが、意外にも学校で体の調子が良かった秋人は平常通り授業を受けた。
秋人がいなかった二日間の反動なのか春香が異様にくっついてくる事以外は特に目新しいことも無く、放課後、秋人は学校からその足で東桜庭町の駅前に来ていた。
やはり不便なので早速携帯を買いに来たのだ。
駅前に携帯ショップはあるのだが、今日はそこに用はない。
心配して声を掛けてきた緩奈に何気ない会話で携帯を買いに行く事を話したところ、緩奈も買い物の用事があるという事で、秋人は西桜庭町の更に一つ西の町、雲雀町のショピングモールの携帯ショップまで足を伸ばし、緩奈と共に買い物に行く事にしたのだ。
雲雀町までは歩けない距離ではないが二人は電車で行くことにし、駅前で待ち合わせをする事にした。
「お待たせ、秋人」
秋人が到着してから少しして緩奈が駅前に現れた。
「どうしたの?変よ、顔。待たせたから怒ってるの?」
同じ高校で同じような時間に授業が終わっているのだから、秋人は全体としてはそれ程の時間待たされてはいない。だが、二十メートル程先に緩奈を見付けてからこちらに歩いてくるまでの数十秒の時間が、秋人にとってはやけに長かった。
というのもモデルのように颯爽と歩く緩奈の姿に通行人の視線が釘付けとなっており、近付くにつれ視線が成分を変えて秋人へと注がれ始め、秋人は居たたまれない嫌な気持ちになったのだった。
春香といる時感じる視線と同質のものなのだが、見知らぬ者の視線が与える苦痛は格別であった。
それでも緩奈には非がないので何とか笑顔を繕おうとした結果、秋人の顔が引きつってしまったのだった。
「いや、それほど待ってはいないし怒ってなんかいない。少し無理をしただけだ。気にしないでくれ」
「そう?ごめんなさいね。じゃ、行きましょ」
「ああ」
緩奈は秋人の言う意味がよく分からなかったが一応なぜか謝り、それ以上は気にせず、気付かないはずのない周囲の視線を煩わしそうにもせずに歩き始めた。秋人もそれにならい気にしないようにして後に続いた。
二人は改札を通ってホームへとエスカレーターで上がり、タイミング良く入ってきた電車に乗って雲雀町へと向かった。
それ程混雑はしていないが二駅と距離も短いことなので、二人はどちらからともなく開かない方の扉の前に立つ事にした。
「あ、荷物持ちに新平を誘えば良かったわ。新平の能力なら気兼ねなく持たせられるもの」
走り出した車窓から見える町並みから唐突に視線を秋人に向け、緩奈は失敗したと悔やんで言った。
「俺じゃあ荷物を重くする事しか出来ないからな」
「ふふっ、革命的な役立たずね」
「酷い言われようだな」
辛口な言葉も冗談として気兼ねなく投げ合う二人の会話は尽きる事なく、電車は直ぐに雲雀町へと到着した。
二人はまず秋人の携帯を見に行く事にした。
そしてそこで秋人がまず抱いた感想は、
「……よく分からないな」
意味が分からない、だった。
機械に弱い訳ではないし、横文字が解読不能という訳でもない。
ただ、付随されている機能の大半に理解が示せなかった。
お財布携帯などと言われても財布そのものを携帯しているし、外でテレビを見る必要性も分からない。ゲームや小説、ネットやカメラや音楽に特化した携帯も、なぜ携帯でそれらをする必要があるのか、秋人には全くもって理解出来なかった。
秋人からすれば、携帯は通話とメールが出来れば事足りてしまうのだ。事実、秋人は電卓もメモ帳も一切使用した事がなかった。
前の携帯も長年に渡り使っていたにも関わらず、その実力の大半を秘めたままお払い箱となってしまっていた。
「これなんてどう?可愛いわよ」
緩奈が差し出していたのは、空色の卵のような折り畳み式の携帯だった。
受け取り開いてみると、画面には子供に持たせた際の防犯に対するアピールが書かれている。
「…………」
「可愛いし、GPSが付いててすごく便利じゃない?」
緩奈の言う通り画面にはGPSで我が子の現在地が云々、と書かれている。
確かに現在地が分かるのは戦闘に置いて便利だ。『番犬』が翔子に発信機を着けさせたように、アドバンテージは多々ある。
しかしこれは、世間的に見てある意味かなり痛々しい。
「水色は嫌い?」
「いや、あれだ緩奈。これが悪い訳じゃないんだが、別の携帯も一通り見てからだな……」
「冗談よ。真面目に悩まないでよ」
何とか遠回しに断ろうとする秋人に緩奈は苦笑し、呆れながら手から空色の卵をパッと抜き取り棚に戻した。
その後、店員のように詳しい緩奈から色々説明されたがやはり欲しい機能が何も無いので、防水された折り畳み式の最も薄い携帯に決定した。
そして二人は取っていた整理番号を呼ばれカウンターに座った。
それ程新しい機種でないことと、前回の携帯を長年愛用していた事でだいぶ割安になり、更に在庫があり直ぐに新しい携帯を持って帰れる運びとなった。
「前の携帯電話はお持ちですか?アドレス帳などのデータを移せますが」
「お願いします。秋人、前の携帯持ってきたでしょ?」
「あ、ああ」
テキパキと事を進める緩奈に圧倒されながら、秋人はポケットに入れていた携帯を取り出す。
そして緩奈と共に凍り付いた。
――し、しまった!!
弾痕。
そこには、実銃とは隔別した日常を送る一般的な日本人が見ても、間違いなく銃のそれと分かる風穴が二つ、秋人の携帯にクッキリと刻まれていた。
一般的には余りに不自然な破壊の痕跡だというのに、今の今まで完全に失念していた。
個人情報を全て明かした直後だけに、秋人と緩奈の頭に逮捕の二文字とパトカーのサイレンが響く。
間違っても店員にこれは差し出せない。絶対に見せてはならない。
「どうされましたか?」
不振に思った店員が声を掛けてきて、緩奈の顔がそちらをバッと向く。
「やっぱりデータは移さないでいいです!」
「? 機種変更と同時にやりますと、無料で出来ますのでお得ですが……」
「いえ、結構です!前の携帯を持ってくるのを忘れ――」
――バキバキバキャッ!
緩奈が必死の思いで誤魔化していると、不意に何かの破壊音が店内に響いた。
店員と緩奈、そして一般客の視線も集めたのは無論、秋人だ。
「なんてことダ。落としてしまっタ」
棒読みを通り越し、酷くカタコトで秋人はそう言うと、明らかに落下などの事故ではなく、人為的に破壊されバラバラになった携帯を机の上に置いた。
木を隠すなら森の中という訳だ。
「こ、これは、酷いですね……」
「ええ。車に……ロードローラーに踏まれてしまって」
「そ、そうでしたか」
ロードローラーに携帯をひかれる状況を説明して欲しいのが店員の本心だろうが、さすがにそこは自重してくれたので秋人達はホッと安堵の溜め息を吐いた。
ただ闇雲に破壊したのではなく外側を派手に、内側を誤魔化す程度に壊した為か、半ばヤケクソ気味に店員がデータの移動を試してみたところ、なんとデータは奇跡的に無事であった。
秋人は、何とかデータの入った新しい携帯電話を手にすることが出来た。