フルムーン・サテライト-2
秋人は姫乃の入った瓶を、姫乃が外の様子を見られるよう下半分だけをポケットに突っ込み、まずは一階を歩いて回った。
そして所々で小さく音を立て、クラゲを引き付けてはまた移動するといった事を繰り返す。
敵の能力の射程である二十メートルは平面で考えると狭く感じるが、高さで言うと約五階建てのマンションとかなりの高さに相当する。
目的地である屋上、実質の九階までの全てのクラゲを引き付ける事は出来ないが、五階までのクラゲを一階に集められれば確実に進攻は楽になる。
これは進攻の下準備なのだと察した姫乃は、黙って秋人の動向をポケットから見守っていた。
――それにしても、秋山の身体能力のレベルは本当に高いな……
足音を完全に殺し、集めたクラゲの脇を歩いていく秋人に姫乃は改めて驚かされていた。
能力者として高い身体能力を有するには、能力の質が高くない事とは別に二つの条件がある。
一つは素の身体能力が高い事だ。
非能力者にも運動神経に個人差があるように、能力者にも能力を度外視した、つまり能力に使わなかったエネルギーによる身体能力の向上を抜きにした状態で差がある。
センスとも言い換えられるこの要素が優れている事がまず一つ目の条件だ。
二つ目に、能力と身体能力の両方に使われているエネルギーの合計値が高い事である。
証明こそされていないが、能力者集団の間では通説としてこれにも僅かではあるが個人差があると考えられている。
姫乃は秋人がこの二つの条件を満たしているのだろうと、今まで見てきた強化型の能力者と秋人の挙動の対比から推測していた。
そこまで考えてから姫乃は頭を振った。
――違うな……確かに身体能力の高さには目を見張るものがある。だけど秋山の強さはその身体能力の高さ故じゃない
姫乃はこれについては確信すらしていた。
まず弾丸を逸らした時と塀を越えた時に僅かに能力を見たが、姫乃には秋人の能力が何か分からなかった。
強化型の能力故に複雑ではないはずだ。それだけに自身の能力を理解、応用しているという事だと姫乃は推察した。
――いや違う、それも些細な事だ
姫乃は再び首を振って理屈での考えを頭から弾き出す。
修羅の道を突き進む精神力こそが秋人の強さだ。姫乃は何とも抽象的であやふやな考えだとは思ったがそう結論付けた。
姫乃の嫌いな言葉に『努力』と『頑張る』という言葉がある。戦いに置いて必要な精神は、向上心などではない事を理解しているからだ。必要なのは決意、そして覚悟だ。
そして秋人にはそれがあると姫乃は感じた。
――こんな奴がただの高校生だったとはね……
今も高校生なのだが、姫乃は秋人を見上げながらそんな事を考えていた。
じっとりとした汗を額に浮かべている秋人を見て、秋人の腕の傷の具合が気になった姫乃はふと疑問を抱いた。それは秋人に対する疑問ではなく、自身への疑問だった。
――なんでアタシが秋山の心配をしてるんだ?むしろアタシはなぜコイツを畏れないのだろう?
秋人は姫乃達『番犬』の味方ではないのだ。いつ牙を剥かれてもおかしくない。むしろ人質を取るような方法で交渉したのだから、将来的に敵対する可能性は限りなく高い。
そんな秋人を心配などする必要など一切無いし、秋人の実力が高ければ高い程利用価値は上がるが同時に敵としての脅威も増し、姫乃は畏怖して然るべきなのだ。
しかし姫乃は秋人の力の前で、畏怖どころかむしろ安堵を覚えていた。
「ちっ……」
忌々しい事だが、自分は秋人に対して心を許し始めている。姫乃はそう自覚し舌打ちをした。
姫乃はその原因に心当たりがあった。姫乃の思う原因とは、秋人の判断だ。
指揮を取るという仲間の命を預かる立場上、秋人は流石に利が無くては動かない。しかし秋人は自分達に利益が僅かしか無い、姫乃達の為の判断を二つ下していた。
一つは新平にソフト・ストリートの能力者を追わせた事。
そしてもう一つは、クラゲの能力者を倒すべくマンションに進攻した事だ。
前者は、『四重奏』の戦力を削るという利益があるが、待ち伏せするであろう敵を追うリスクに比べると些か安い。
秋人達の存在を知らない敵なのだし、見逃しても構わなかったのだ。
だが秋人は新平に追わせた。それは敵の能力が奇襲向きで後々厄介になる事も考えていたが、姫乃達の能力を隠蔽する目的が強かった。
後者に至っては完全に姫乃達の為に危険を犯している。
秋人の取れる最良の策は、敵の撤退を待ち、マンションを出て来た所を急襲する事だった。
だがそれでは姫乃の仲間はまず助からないだろう。故に秋人は危険を承知でマンションへの進攻を決行した。
これも思わぬ逃走経路を準備しているかもしれないという打算的な部分もあったが、こちらも秋人達の存在を知らないならば逃げた所で構わないのだ。
姫乃もマンションから出て来た敵を叩くのが最善策だと分かっていた。しかし、仲間の命と秋人の命を天秤に掛け、結果として姫乃は秋人に対して仲間が不利になるような余計な進言をしなかった。
秋人も言わなかった。危険に身を投じる判断をしながらも、恩を売るような事を一切口にしなかった。
その秋人のはからいと、姫乃が抱いた後ろめたさのような感情が懐柔の要因だった。
――全く、籠絡されたのはどっちだか
姫乃は戦闘が始まる前に真琴をからかった事を思い出し苦笑した。
「一人で楽しそうなところ悪いが、そろそろ行くぞ」
頭を振ったり舌打ちしたり、最終的には笑ったりと一人で遊んでいる姫乃に秋人が小声で告げる。
「な、何で見てるんだよ!あっ……」
見られていたとは思わなかった姫乃が反射的に大声で反論した為、直ぐに自ら口を手で塞いだが一気にクラゲが集まってきてしまった。
ジト目で睨む秋人に、非がありながらも姫乃は顔を赤くしながら睨み返すのだった。
姫乃は瓶の外の様子に視線を向ける。姫乃が取り留めも無い思考に没入している間に、秋人は一通りクラゲを一階に集め終え、エレベーターの前に来ていた。
秋人は二機のエレベーターを呼ぶボタンを押し、直ぐにそこを後にした。
エレベーターの機動音は間違いなくクラゲを引き付ける。当然乗ることは出来ないが、囮としては使える為秋人はエレベーターを一階に寄越したのだ。
秋人はクラゲを集める間に確認していた階段へと向かい、そこで時刻を確認してから空を見上げた。
――タイムリミットはまだ先だな
夜明けまでにはまだ時間がある。東の空もまだ闇に染まっている。
つまり敵が撤退を余儀無くされるにはまだ時間がある。急がなくてはならないが焦る必要はないと秋人は自分に言い聞かせ、一度深呼吸してから階段に足を付けた。
姫乃は秋人の様子から腕の傷が予想以上に深い事を再認識していた。
左腕に付けた腕時計を確認するために、秋人が左腕を右腕で掴み持ち上げたからだ。エレベーターのボタンも右手で押していた。
両腕を交差させて攻撃を防いだ際、右腕より前に位置した左腕のダメージは大きく、動かせないのだと姫乃は悟った。
姫乃はギュッとライフルを抱き、そして自分の役割を頭の中で確認する。
右腕の傷も決して浅くはない。屋上に辿り着いたとして、秋人に戦う力は無いだろう。ならば姫乃が相手をするしかない。
姫乃は思考を占領していた余計な考えを頭の隅に追いやり、敵との殺し合いに意識を集中させた。
秋人は足裏に細心の注意を払い、音を立てずに階段を上っていく。
ボロアパートのような薄い凹凸のある鉄板で作られた階段ではなく、コンクリートにタイルを張り、端にはゴムの滑り止めまであるしっかりとした作りのお陰で、秋人は階段でも無音で移動する事が可能だった。
このまま行けば容易に屋上に辿り着ける。
しかし、このままのはずがない。敵が妨害しないはずかなかった。
秋人が三階に辿り着くと同時に敵の妨害工作が始まった。
――ゴオオオオォォォ……!!
突如として轟音を轟かせながら何かが上から降ってくるのを秋人達は察知した。
――来たか!
進攻の妨害が始まった。そう理解した秋人は階段の手摺りから外に身を乗り出し、音源を確認する。
音源は秋人の予想通り、能力で発現した飛行船であった。
無数のクラゲを引き連れ、包囲、攻撃されながら真っ直ぐ地面に向かって飛来してくる。
秋人は階段から少し離れスペースを確保し、左腕は垂らしたままだが直ぐに身構え、何事にも対応出来るようにした。
そして飛行船は三階まで来るとパン!と音を立てて消失し、階段周辺に搭載していたクラゲと引き連れてきたクラゲを撒き散らした。
そして再び辺りを静寂が包み込む。聞こえるのは遠くでクラゲが無人のエレベーターを撃つ音だけだ。
――ん?これで終わりかい?
姫乃もライフルをいつでも撃てるよう構えていたが、それ以上敵が動かないのを見て拍子抜けしたようにそう思った。
音を立てない秋人に対してクラゲを送るのは意味がない。敵は何か秋人に音を出させる攻撃をしてくると思っていたが、予想に反して敵はそれ以上動かなかった。
この妨害は障害にならない。姫乃がそう判断しようとした時、秋人が体勢を低くし階段に目を凝らした。ポケットにいる姫乃の視線の高さも変わり、姫乃にも何かがキラリと光るのが見えた。
「……ガラスか」
秋人が小さく呟くと同時に姫乃もそれを確認した。
送り込まれた大量のクラゲに目を奪われていたが、敵はガラス片を階段にバラ撒いていたのだ。
踏めば割れ、音が出る。敵は的確に罠を仕掛けていたのだった。
秋人は逡巡する。
ガラス片を撒いた事から、クラゲをかいくぐり移動しているのは敵に把握されている。ならば無用に対策の時間を与えるのは愚策だ。
――時間を掛けたくない。ルート変更は無しだ。突破する
秋人はそう答えを出し、別の階段ではなくガラス片の散らばる目の前の階段へと歩み出した。
秋人は耳の無線機を外し上に放り投げると一気に踏み出し、たったの二歩で二メートルは上にある踊り場まで跳躍した。
過不足ない完全に制御された跳躍力と見事な体捌きはだが、無音とはいかない。
一度踏んだガラス片の音より後の着地音に反応したクラゲが秋人に照準を定める。
しかし投げ上げた無線機が秋人の能力で加速し、階段の中腹あたりに落下し激しく音を鳴らすと、クラゲの弾丸は全てその位置へと降り注がれた。
いとも容易く秋人はガラスの道を攻略して見せたのだった。
グズグズしていては、ろくに進まない内に再び妨害で足止めを喰らう。秋人は先の階段に仕掛けがないのを確認し、直ぐに進攻を再開した。
「秋山、気付いてるか?」
四階から更に上を目指し階段を上り始め、新たに送り込まれたクラゲと十分に距離取った所で姫乃が尋ねる。
「ああ、新手だな」
秋人は足を止めずそれに答えた。
先程の妨害から、敵は秋人達の位置を正確に把握している事が分かった。
クラゲと飛行船の能力者の他に、もう一人諜報系の能力者がいると見て間違いない。
「どうするんだ?」
「どう出来るんだ?」
姫乃が漠然とした問いを秋人に投げ掛けると、秋人は逆に姫乃に問い掛けた。
敵の諜報系能力者は進攻に邪魔な存在だが、それ以上に秋人にとってこそ厄介な存在だ。秋人が『番犬』と繋がりがある事が知れてしまうからだ。
だから姫乃は秋人に先のように尋ねた。
だが敵陣深く入り込んでしまった今、どこに居るかも分からない敵に出来る事など何もない。
「……心配なんてするんじゃなかったよ」
わざわざ心配してやったのに、と姫乃は秋人の態度に鼻息を荒くして口を尖らせた。
「今は目の前の敵に集中しよう。他を考えるのは後だ」
秋人は姫乃にそう告げると、自らの台詞に反する行いをする事になるとは知らず、五階を抜け更に上へと進んだ。
「っ!!」
五階と六階の中間、階段の踊り場で目にしたものに秋人は思わず足を止め、顔をしかめた。
秋人はそこで敵が西桜庭町に入った真の理由に気付いた。
おかしいと思っていた。搬送する時間を短縮する為にしては、速度に対して距離が短くそれ程の効果がないと。
「くそ、胸糞悪い連中だ……」
姫乃も同様の心境でそう呟いた。
秋人達が目にしたのは女性の死体だ。目を見開き、不自然な体勢で微動だにしない様子から絶命してるのは明らかだった。
体中に穴を空けられ血が滴っている事から恐らく、否、間違い無くクラゲの攻撃が死因だ。
この女性は戦いに巻き込まれたのだと瞬時に理解出来た。
秋人は女性に近付き既に事切れている事を確認すると、やりきれない思いを抱えながらそっと瞼に手を当て瞳を閉じさせた。
「余り触らない方が良い……警察が調べた時、その痕跡が唯一の手掛かりになる」
弾の入射角や深さなどの傷に残された痕跡から、武器の種類や撃った者の位置、身長まで特定出来る現代の精度の高い優秀な捜査は、この女性を死に至らしめた武器が規格外である事を突き止めるだろう。それが逆に事件を迷宮入りさせるであろう事も容易に想像出来る。
姫乃の言う通り死体に彼等の常識の範疇の痕跡を残すのは得策ではない。
しかし秋人は姫乃の言葉を無視し、不自然な体勢であった名も知らぬ女性を寝かせ、胸の上で手を重ねさせた。
自分も彼女の死に無関係ではない。秋人はそう感じていた。
「……行こう。恐らく犠牲者は彼女だけじゃない」
女性から視線を外さない秋人に姫乃も女性を見詰めたまま言う。
「……なぜこの女性は寝間着なんだ?」
「え?」
返ってきた予想外の言葉に姫乃は視線を秋人に向けた。秋人の視線は真っ直ぐに女性に向いたままだ。
秋人の言う通り、女性は今は赤く染まっているが黄色のチェック柄のパジャマを着ている。
「寝ていたならそれ程音を立てないし、室内に居たならそれこそ逃げる暇などない」
帰宅途中で攻撃を受けるなど、外にいる状況でなくてはここに死体があるのはおかしい。
不自然な女性の死。
二人の思考が一つの答えを紡ぎ出す。
巻き込まれたのではない。偶然じゃない。この女性は、
意図して殺されたのだ。
秋人は女性の腹の不自然な膨らみに気付きパジャマを捲り上げ、姫乃は階段の上を見上げた。
二人の別々の行動は一つの推測の下にある。
「携帯っ!?」
女性の腹には皮膚に直接ガムテープで携帯電話が張り付けられていた。
「やばい秋山、離れろ!引き摺った血痕がある!!」
死体に目を奪われ気付かなかったが、階段には死体を移動させた痕があった。
姫乃が警告すると同時に、女性に張り付けられていた携帯が高らかに着信音を奏で始めた。