フルムーン・サテライト-1
余り時間は掛けられない。それは秋人と姫乃の共通の考えだった。
秋人がそう考える理由はフライ・ビュレットの能力者、森を逃した時の二の舞を懸念したからだ。
敵のクラゲの能力は自動で攻撃を行う為、能力者から離れた地点でも機能する。つまりクラゲの増員は出来なくなるが、攻撃を継続したまま撤退出来るのだ。撤退する可能性は極めて高い。
秋人としては前線に出て来て存在を確認されている以上、敵を取り逃がす訳にはいかない。『番犬』と繋がりがある事が『四重奏』に知れれば、大した集団ではないというハッタリが効かなくなるからだ。
敵が見切りを付け撤退するよりも早く蹴りを付けなくてはならないと、秋人はそう考えていた。
一方、姫乃も同じように敵が撤退することを懸念していたが、もう一つの不安要素が姫乃を急かせていた。
それは、屋敷に残った味方が、長くは持ちこたえられないだろうと考えていた事だ。
撤退を指示すればあわよくば味方は逃げられるかもしれないが、そうなれば敵も撤退するかもしれないし、最悪撤退する味方にクラゲが送り込まれ、一般人に被害が広がるだけだ。
撤退は指示出来ない。
ならば敵を早く倒すしか手はなかった。
「行くぞ」
秋人はそう一言姫乃に伝え姫乃が頷くと、秋人は八階建てのマンションに侵攻を開始した。
まず秋人はエントランスには入らず、駐輪場に入るべく錘で一つ足場を作り塀を駆け登った。
入り口がオートロックの為、エントランスからは入れないのだ。
――ここにクラゲはいないな
秋人は二列に自転車が並ぶ三十メートル程の駐輪場を見渡し、自転車の隙間まで注意を払いクラゲの姿が無いことを確認した。
そして塀の外よりも少し低い駐輪場へ飛び降り、出来るだけ音を立てないように四肢を使って着地した。
しかし着地した瞬間、その音を感知した三匹のクラゲが住宅から扉や壁をすり抜け現れる。
――強化型とはいえ、さすがに二メートル以上の高さから飛び降りて無音とはいかないか
姫乃は現れたクラゲを見てゴクリと唾を飲み込みながらそう考えた。
強化型とは、戦闘系、支援系、諜報系などの使用方法での区分とは違い、姫乃達能力者集団が能力そのものの特徴をカテゴリー分けした内の一つの区分である。
強化型には、卓越した身体能力を有する能力が該当する。
能力の質が優れているとそれだけで身体能力に回すエネルギーがなくなる為、強化型の能力は逆説的に能力の質事態は高くなく、射程が短く発現出来る物の数が少ない事を意味している。
秋人は正しく強化型の能力者だ。
ここまで来る間の走力と塀を超えた体捌きを見れば、姫乃にも一目瞭然の事だった。
そしてその秋人をもってしても敵を引き付けてしまった。
その最大の理由は、地面が砂利であったせいだ。もともとはここは駐輪場として作られた場所ではない為、舗装されていなかったのだ。
――現れた数は少ないが、予想以上に敏感だな……
敵の射程は約二十メートル。その範囲の音にしか反応しないが、秋人はそのセンサーの敏感さに顔をしかめた。
秋人は一歩だけ、慎重に踏み出す。
「っ!!」
不安定に積み重なった小石がジャリっと音を立て、ピクリと周囲のクラゲが反応し秋人との距離を詰める。秋人は攻撃されるかと肝を冷やしたが、クラゲはそのまま五メートル程の距離を包囲するように漂うだけに留まった。
――小さな音に対しては攻撃しないのか?
秋人は逡巡してから更に一歩、ゆっくりと踏み出した。
その瞬間、最も近い位置にいた一匹が光を強める。攻撃の合図だ。
秋人はクラゲの攻撃のスイッチを理解した。
予想通り、やはりクラゲは一定の音量以上の音を感知した時にのみ、攻撃を開始するようだ。そして、『一定の音量』というハードルが、距離に比例して下がるようだ。
――畜生!どうする!?
クラゲは音を立てた足元を攻撃するはずだ。秋人は足を上げれば無音で回避出来ると一瞬考えたが、敵の攻撃による着弾の音で他のクラゲの一斉攻撃を予想しその考えを捨てる。
どのクラゲも足元を撃つだろうが、多くのクラゲを引き付け、その内一つでも攻撃地点とクラゲを結ぶ射線に秋人が入れば、狙われずとも撃ち抜かれる事になる。
ならば動くしかない。
秋人は光の弾丸が発射されると同時に、一気に奥にある階段へと駆け出した。
「やはり寄ってくるか……!!」
秋人を囲んでいた二匹は発光を強め、更に次々とクラゲが現れ光輝く。
クラゲは物体に触れずすり抜ける。しかし弾丸は物体に触れダメージを与える。
つまりクラゲは攻撃の直前に弾丸を生成しているのだと秋人は考え、その僅かな時間になら別の音源へ照準をズラす事が出来るのではないかととっさに考え付いた。
秋人は思い付くや直ぐに整然と並ぶ右側の自転車の列を払い、後方へと薙ぎ倒した。前方に倒せれば良かったが、自転車が前方になかったのだ。
自転車はけたたましい音を立てドミノ倒しのように次々と倒れていく。そして予想通りクラゲが矛先を変えた。
照準を自転車へと向けたクラゲは八割。残りの前方に漂う二割のクラゲは射程外の音に構わず、依然秋人に狙いを定め一斉に弾丸を放った。
――これ以上は進めない!!
秋人は足を止め、アポロ・ストライクの能力者、檜山の隕石に対してしたように、拳を振り抜き空気の盾を作り出す。
多くの光の弾丸は重くなった空気の層に軌道を反らされ地面や壁に着弾するが、後方と上方からの二発の弾丸が秋人の右肩と左脇腹をえぐった。
「――っ!!」
秋人は歯を食いしばり痛みに耐え、うめき声一つ上げない。声を出せばそれがまた攻撃のスイッチになるからだ。
血を流していたのは秋人だけじゃない。
何も出来ない不甲斐なさに、姫乃は血が流れる程に強く唇を噛みしめていた。
撃つ事は勿論、秋人の死角に漂うクラゲに気付いても何も言えず、不甲斐なさを謝罪する事さえも出来ない。
動く事さえ憚られ、姫乃は唇を噛みしめ、ライフルをギュッと握り締めるしかなかった。
「ふぅー……」
一瞬の激痛に耐えきり、断続的に感じる痛みにも折り合いを付けた秋人が、姫乃にも聞こえない程小さく息を吐いた。ジットリとした嫌な汗が背中と額を濡らしている。
今のダッシュで三十メートル程の駐輪場の半分を進んだ。つまりもう一度、決死の疾走を見せれば砂利の駐輪場を抜けられる。
しかし危険度は先の十五メートルの比ではない。
自転車を薙ぎ倒した音に引かれ、数え切れないクラゲが包囲し、前後十五メートル、駐輪場に集まったクラゲ全てが秋人を射程に納めている。
不用意には動けない。だが進まない訳にはいかない。
秋人は再び一歩踏み出した。その僅かな音に反応して周囲のクラゲが寄ってくる。次は攻撃されるであろう距離に包囲網が敷かれる。
――む、無茶だ!!こんな無茶な方法で八階、いや、屋上だから実質の九階になど辿り着けない!!
今ならまだ引き返せる。動けないならば敵が引くまでもう動くなと、姫乃は秋人を見上げ無言で必死に訴える。
しかし秋人は真っ直ぐ前を見据え、姫乃と視線を交わさない。
意を決した秋人は、先程倒した列とは違う自転車を今度は前に払った。
ドミノ倒しで自転車の波が大きな音を立てる。そして自転車が倒れ出すと共に秋人は一気に駆け出した。無論、前に向かって。
クラゲ達の輝きが増し、体内に弾丸を形成する。前方のクラゲは騒音を上げる自転車に狙いを定めているが、自転車が射程に入らない側面、そして上方のクラゲは秋人に狙いを付けた。
秋人とて何度も攻撃を喰らいながら進むのは無謀だと理解している。
秋人は着地の際、その音に紛れて拾った小石を二つ、走りながら思い切り投げた。
一つは倒れる自転車と逆の壁に、もう一つはマンション二階の壁面に勢いよく当たり高い音を響かせた。
――ちっ!誤魔化しきれないか!!
小石の着弾地点周辺のクラゲは狙いを変えたが、それでも秋人の立てる砂利を擦る音に幾つかのクラゲの照準は未だ向いている。
先に狙われた自転車に光り輝く弾丸の雨が降り注ぐ。そして続けざまに秋人に弾丸が放たれた。
――押し通る!!
駐輪場を抜けずに立ち止まれば、それはすなわち三度目の被弾を許容するも同義だ。一度目の攻撃で致命傷を負わず、足への負傷で機動性を失う事もなかったのはただ運が良かっただけだ。
時間も他の策も無し、二度目の攻撃は甘んじて受ける。だが三度目までは許容出来ないと秋人は判断した。
この二度目の進行で駐輪場を抜けなくてはならない。
秋人は迫る一切の弾丸に構わず飛び上がった。
体を弾丸が掠める。秋人は血飛沫を舞い散らしながら簡易的な扉を越え、肩からタイルの通路へと飛び込んだ。
「攻撃が来るぞ秋山……!早く構えろっ……!!」
「くっ!」
姫乃が周囲を見渡し、小声で秋人に訴える。
強引に突破し、華麗な着地とは程遠い格好で滑り込んだ秋人はかなりの騒音を立てた。それだけクラゲの照準を集めていた。
「撃て、姫乃!!」
「バカっ!!」
秋人が大声で指示を出し、更にその突拍子もない内容に姫乃は思わず秋人より大きな声で反応してしまった。
「音を出し過ぎてどこを狙っているか分からない!銃声で照準を絞れ!!」
秋人はそう言いながら、姫乃の入った瓶を守るような位置に空気の盾を展開し、姫乃は秋人が言い終わる前に、どうせ大声を出したのだからと躊躇なく発砲した。
「うっ!!ぐぅ……く……!!」
空気の盾で防げた弾丸は約半数。上方には屋根があり、前方の弾丸は空気の盾で防げた。
しかし、背後から来る残りの十を越える弾丸が、無情にも秋人に突き刺さった。
――あぁ、なんてこった…!腕を捨てたのか……!!
秋人の赤く染まった腕がダラリと垂れたのを見て、無力という口惜しさに震え、姫乃の歯がギリリと音を立てた。
盾を作り出した直後、秋人は直ぐに振り向き銃声に反応して照準が集まる場所に両腕を交差させた。クラゲの弾丸は二本の腕を貫く事は出来ず、秋人は何とか死に至る傷を負うことを防いだ。
しかし命こそ守ったが絶望的な負傷だ。ボロボロの腕はとても戦える傷じゃない。千切れなかったのが奇跡的だとさえ姫乃には思えた。
喩え激痛に喚き散らしたり、失神、失禁したとしても誰も秋人を責められないレベルの重傷だ。
それだというのに悲鳴を一切上げず、自身の入る瓶をしっかりと握り締め離さなかった事が、目の前での出来事でありながら姫乃には到底信じられなかった。
「はぁはぁはぁ……」
乱れる呼吸の音を必死に抑えながら、秋人は両膝を折り、姫乃の入った瓶をそっと地面に置いた。
指が離れると、ベットリと赤い血の跡が瓶には残った。
秋人は俯き、両腕をダラリと垂らして地面に付け、極限まで脱力した格好で体力の回復を謀った。
「すまないな……姫乃が作ってくれた時間を無駄にしてる……」
秋人は少しだけ顔を上げ、自嘲的な笑みを姫乃に向けて呟き、姫乃は痛々しいまでに歪めた表情でブンブンと首を横に振った。
先程姫乃に放つ事が許されたたった一発の銃弾は、瓶を傷付けない為に能力を使いながらも、通路に設置された消火器を正確に撃ち抜いていた。
消火器に空いた穴からは、沸騰したヤカンのように圧縮された空気が吹き出し、その音で一時的にクラゲを引きつけていたのだった。
「これ以上は無理だ秋山……!敵が諦めるまで待とう!」
「俺の仲間もそう言ってるだろうな」
秋人は視線を空に向けた。そこには緩奈の蝶が二匹、微動だにせず浮いている。緩奈が操作を放棄したのが見て取れた。
無線からは何も聞こえないが、恐らく緩奈が由貴を連れてこちらに向かっていると秋人は思った。
「後戻りは出来ない……俺の存在を把握されているだろうし、何より遠距離戦を仕掛けてくる敵の居場所を掴んだ状況から戦える、千載一遇のチャンスだ。ここで逃せば、次は更に厳しい苦境からの戦いになる。クラゲの能力者を始末するのは今しかない……」
「その腕でどうやって屋上まで行くんだ!?いや、行けたところで戦えない!」
秋人は姫乃の入った瓶を掴み立ち上がる。
「最難関の砂利道は越えた……それに屋上に着けば姫乃も戦えるだろう?何も問題はない……」
「もうやめろ秋山!今治療すれば腕を失わずに済む!」
これ以上の攻撃を受けることは勿論、時間が経てば腕を永遠に失う事になりかねないと姫乃は秋人に訴えた。
しかし秋人は由貴の能力があれば傷は残るかも知れないが、腕を失うことはないだろうと考え、作戦の続行を決断した。
「時間切れだ……行くぞ、姫乃」
一斉にクラゲの攻撃を受けた消火器が破裂し、再び辺りを静寂が包み込んだ。