ソフト・ストリート-4
真琴を連れた新平は、敵を追って下水道へと来ていた。
明かりは無く、外の光も勿論差さない。新平は携帯のカメラのフラッシュを付けっぱなしにし、瓶に入れてランプのようにしていた。
新平達の追跡を察知したのか、敵は動かず真琴の策敵に引っかからない。しかし、下水道で振動が途絶えた事から、ここにソフト・ストリートの能力者がいるのは間違いなかった。
「ここから出して貰えませんか?瓶の中ですとキャッチ・バイブレーションの精度が今ひとつ上がりません」
未だに瓶の中に入れられていた真琴が新平に訴える。新平は横に浮かぶ瓶に視線を向ける。
「やめておいた方が良いですよ。外は酷い臭いですから」
新平が鼻を摘むジェスチャーをして言う。
幅二メートル程の下水が流れる用水路の両脇に一メートル程の幅の足場があり、水に直接足を漬けないのは救いであったが、やはり臭いはどうしようもなかった。
臭い成分を遮断している瓶の中では分からない苦労だ。
「そんな事を言っている場合じゃないと思いますが?」
確かに、臭いを気にして敵の動向を見落とすなどあってはならない。
しかし新平には別の考えもあった。
「幅の狭い足場で縦に並んで動くとなると、急襲された時貴女を守れません」
横に並んでも危険な狭い場所だが、そもそも汚水の川は深く、汚れを度外視しても踏み入る事は出来ず横には並べない。
「一応僕が貴女を預かった以上、みすみす危険に晒す訳にはいきませんから」
「しかし発見が遅れ貴方がやられれば、結局その後私も殺されます。ここは私の危険より貴方の危険を回避すべきです」
一理あるどころか全くの正論である。
敵を発見するのが真琴の役割であり、敵が発見出来るならば真琴の安否など二の次なのだ。真琴が攻撃を受ければ同時に敵の位置が分かるのだから、本来なら出さない理由がない。
それは新平も理解していたが理屈ではないのだ。
「……このままじゃ駄目ですか?」
「駄目です」
新平は深々と溜め息をついてから、強情な真琴に折れる形で瓶から出した。
「うっ!?」
途端に感じる腐臭汚臭の波に真琴は顔をしかめたが、新平がほらねと言って笑うのを見て直ぐに表情を戻した。
「じゃあ進みましょう。最後に振動を感知したのはこの先で間違いないですか?」
「ばい」
真琴の返答に新平は吹き出しそうになった。
ポーカーフェイスを気取っているが、鼻の呼吸はしっかり止めていたようだ。
真琴が羞恥で顔を朱に染める事がどれほど稀少か理解していない新平は、ろくに構わず先に進んだ。
「この先です。気を付けてください」
「……なんとも嫌な場所ですね」
新平は瓶のランプに照らされ見えてきた先の様子と、真琴が能力で把握した情報に舌打ちをした。
汚さで言ったら確かに嫌な場所だが、そうではなく敵が最後に振動を残した場所が良くなかった。
そこは真っ直ぐに伸びる水路と通路は変わらないが、壁にソフトボール程の大きさの丸い穴が無数に空いていた。
壁に直角にパイプが埋め込まれているのだ。
見えない位置のパイプまで真琴の能力で把握出来た理由は、それぞれに水が通っているからだ。水が通っているのだから何かに必要なのだろうが、足場が濡れて滑るし、何より一つ一つが敵の絶好の隠れ蓑であり武器になる。
「振動はここを最後に途切れてます。敵はここを狩り場に決めたようです」
真琴は未だに新たな振動を感知していない。
敵が空を飛ぶなり振動を出さずに移動する方法を編み出したならともかく、そうでないならばここに潜んでいるはずだ。
「さて、どうしたものか……」
新平は敵が潜んでいるであろうポイントを前に悩んだ。
聞けば銃で三発、内一発の致命傷を与えて撃退し、更に追い討ちで四発の銃弾を撃ち込んだという。普通ならば間違いなく死に至る量のダメージだ。
ならば睨み合いになった今の状況で、わざわざ敵に有利な危険な地に足を踏み入れる必要はない。
弱らせたからと無視し放っておく事は出来ないが、一定距離を保って相手の死を待つのは手だ。
真琴の能力があり、ここまで近付けば逃がさない自信が新平にはあった。
新平は携帯を一度瓶から取り出し電波が無いのを確認する。耳元の無線機もノイズを送ってくるだけで使用出来ない。
――やはり通信機は使えない。それは敵も同じはず……
仲間に連絡を取る手段はない。敵は孤立無援だと新平は推理した。
「このまま衰弱を待つつもりでしたら、それはやめた方が良いかと思います」
しかし新平の様子を見て真琴が進言する。新平は睨み付けていた前方から、背後の真琴に肩越しに視線を移した。
「理由を聞いて良いですか?」
柔らかな物腰で新平が真琴に尋ねる。
「既に範囲外ですが、先程まで私は姫乃のいる位置を把握していました。能力には地下も地上もありません。敵が逃亡したここは、控えているかもしれない敵の諜報系能力者の射程圏内の可能性があります」
「有り得ますね……他に連絡の手だてを事前に準備していたかもしれません」
「連絡を取れない状態になった場合ここで合流する、と先に決めていた場合もあります」
新手が現れたとしても、真琴の能力があれば奇襲は受けない。しかしそうなればトドメを刺す機会を失う事になる。
「仕方ない、待つことは出来ませんね」
新平は一つ息を吐いてから視線を先に向け、纏う雰囲気を一変させる。
「行きます。離れず、周囲に注意を払って下さい」
新平は足早に進み、ランプ代わりの瓶を射程ギリギリまで前方へと一度突き出す。
――弱っていても姿を晒すような事はしないか……
新平は直ぐにランプの瓶を手元に戻し、内心呟いた。そして再び歩みだし、真琴もその直ぐ後ろに続いた。
新平は無造作にポッカリと開いたパイプの穴が無数にある道を、慎重に、しかし着実に進んでいく。
――恐ろしくはないのかしら……?
真琴は新平から離れないように後に続きながら、新平の様子に必然的な疑問を抱いた。
今の状況は決して掃討戦などではなく、むしろ虎穴へと入り込んでしまったような切迫感がある。
その最大の原因の一つが新平が歩む道の壁にあるパイプの口だ。これはただのパイプの口じゃない。敵が引き込めばミキサーのようにその身を切り刻み、激痛と死を与える罠となる。そんなものがいくつも並んでいるのだ。
穴の前を通る度に、真琴は構えられた銃口の前を通るように足が竦んでしまっているのを自覚していた。
真琴は危険な戦場に何度と無く身を投じ、その中で培った知恵と勘、そして肝っ玉は誰と比べても遜色ないものだと自負している。
故に物怖じせず先を進む新平の胆力に感嘆していた。
――彼は不意打ちをかわせる実力と自信があるのでしょうか?……私は彼等に対する評価を誤っているのかもしれません……
真琴の防衛本能が、無意識のうちに新平との距離を一歩分だけ縮めさせていた。