ソフト・ストリート-3
「な、なぜここに……?」
忘れかけていた伏兵の登場に姫乃は小さく呟いた。
秋人達が前線に出てきたのは、緩奈の能力で邸宅内で姫乃達が敵と戦ってるのを知ったからだ。
敵能力者がいるならば、それは秋人達が和臣の思惑通り、『番犬』に手を貸し戦う理由となる。
『眼鏡の方が敵の位置を把握していたように見えたわ』
戦闘を見ていた緩奈が無線で伝える。
「新平、そっちのスーツの彼女を連れて敵を追え。彼女が諜報系の能力者だ。俺はクラゲの方を片付ける」
「分かりました」
姫乃の問いに答えず、秋人は新平に指示を出し、新平は真琴の了承を待たずに真琴を瓶に入れる。了承など必要がない。追わなければならないのはむしろ彼女達の方だし、秋人達は部下でも味方でもないのだから、強引にでも利用させて貰うまでだ。
「姫乃も瓶に入れてくれ。この足じゃ動けないだろう」
こちらも秋人に言われて直ぐに、新平は姫乃の様子などお構いなしに瓶に入れて秋人に渡した。
「ま、待て、どういうつもりだ!?」
台詞とは裏腹に姫乃も秋人達が出てきた理由など分かっている。しかし理解出来る事と納得出来るかは別だ。
姫乃は一時的にでも主導権を受け渡すことに抵抗を感じていた。
「……あちらです」
「真琴!?」
狼狽するばかりの姫乃と違い、真琴は瓶から敵の位置を新平に教え、更に姫乃を戸惑わせた。
「姫乃、兎に角今は敵を追わなければなりません。それこそ藁に縋ってでも」
「行ってくれ、新平」
秋人の言葉に新平は頷き、真琴に指示された方向の壁を削りながら、一直線に敵へと向かった。
「聞け、姫乃」
秋人は手元の瓶に入った姫乃に話し掛ける。
「お前に呼び捨てされるいわれはない!」
「余り時間がない。聞け、姫乃」
「お前が聞け!呼び捨てにするな!」
「詰まらん事を気にしてる場合か?聞け、姫乃」
「貴様ァ!!」
秋人が頑なに譲らないのは、時間も重要だが、それよりも主導権こそが重要だと判断したからだ。
指示に従わない者はどれぼど優秀でも意味がない。それどころか、盤上の駒が勝手に動き回れば味方の首を絞めかねない。
「良いから聞け、姫乃。先程『四重奏』の攻撃が激化した。今や断続的に飛行船でクラゲが送り込まれてる。『四重奏』はここにいる能力者全てを一掃するつもりだ。ここにいては命が無いぞ?」
「…………」
逃した敵は既に情報を流していた。素早い良い判断だ。
しかし姫乃達が追わなければならないことに変わりはない。仲間をやられておめおめと逃す訳にはいかない。能力の全容こそ知られていないが、片鱗を見た口封じもしなくてはならない。
秋人は姫乃の様子に構わず続ける。
「しかし何度も輸送を繰り返してきたお陰で飛行船の発射地点を割り出した。俺はそこに向かう。そこでお前の力が借りたい。その為に無茶をしてここまで来たんだ。しかし、それが出来ないならお前を助ける必要はない。さて、どうする?詰まらないプライドで命を捨てるのか?」
姫乃は苦虫を噛み潰したような表情で秋人を睨み付けた。
姫乃に選択肢などない。
片や確実に無駄死に。片や助かり、更に敵を倒せる可能性がある。雲泥の差だ。考えるまでもない。
「今だけだ、今だけ力を貸してやる……」
渋々、本当に心底嫌だけどといった風に、感情を抑えつけて何とか姫乃はその台詞を絞り出した。
「お利口だ。賢明な判断をしたな。分かるか?賢いに明るいで賢明だ」
「指示には従うがバカにはするな!」
秋人は瓶の中で憤慨するちっちゃな姫乃に微笑して見せ、直ぐに行動に移る。
「行くぞ。……って言ってもお前は座ってるだけか。飛行船とクラゲの能力者は、輸送の時間を短縮する為か距離を縮め西桜庭町に入ってる。余り時間を掛けずに辿り着けるだろう」
秋人は新平が開けっ放しにしている、来る時に通った壁や床の穴を辿り、邸宅の外に出た。
穴は噴水がある表ではなく裏へと続いている。秋人は豪邸を囲む塀の穴を潜り抜け、住宅街を走り出した。
「こ、こんな状態だったのか……」
姫乃は瓶の中から先程まで居た邸宅を見て、思わず呟いた。
邸宅は白く光る無数のクラゲに包まれ、朝日を浴びた雪原の如く辺り一面を輝かしく真っ白に染めていた。幻想的な見た目とは裏腹に危険極まりない状態になっていたのだ。
「言ったろう、時間がないってな」
確かにこれを見たら姫乃は有無を言わずに秋人に従っていただろう。
「こ、こんな状態の場所に、よく入ってきたな……」
姫乃は抱いた疑問を気付いたら尋ねていた。
屋根の上で姫乃が射撃戦を繰り広げていたのを秋人達は見ている。クラゲの危険性は重々承知だ。そして秋人達が分かっていると姫乃は分かっていただけに、秋人の行動が疑問だった。
「無事に入り込んで脱出する自信があった。それだけだ」
打算的に動いただけだと秋人は言ったが、それ以上の理由が二つあった。
まず一つは、姫乃達にクラゲの能力を見破る情報がある事。
そしてもう一つが、姫乃達と仲の良い翔子の為だ。
深くは知らないが仲が良い姫乃達が目の前で命を落とせば、翔子は当然悲しむであろうし自責の念も覚えるだろう。
翔子を仲間として迎えた以上、秋人は翔子の為に体を張る。それは秋人の中では当然の事だった。
「聞いておきたい事がある。今回『四重奏』に狙われた能力者についてだ」
秋人は西桜庭町の町を北東に駆けながら姫乃に切り出す。
「無理だね。仲間じゃない奴には話せない」
姫乃はそれを拒否した。やはりかと秋人は嘆息するが簡単には引き下がれない。
「クラゲの能力は殺傷能力は充分にある。数を抑えていたとはいえ、対象がいると思っていた場所に送り込むような能力じゃない。これがどういう事か分かるか?」
秋人は視線を先に捉えたまま姫乃に尋ねる。姫乃はその問いの答えが分からず黙っていた。
「つまり、クラゲの攻撃のスイッチが対象には入らないと敵は分かっていたんだ」
姫乃はハッとし秋人を仰ぎ見る。
少し考えれば分かる事だ。姫乃自身、何かが攻撃のスイッチだとは推測していたが、最初の攻防の事しか頭になかった為、その結論に至らなかった。
「対象は有力な能力者だ。故に何か身体的なハンディがあるんじゃないのか?それこそがスイッチを回避する方法だ」
姫乃は再び俯く。
姫乃は秋人が示した糸口で敵の攻撃のスイッチが何なのかを理解した。しかし、それを秋人に話して良いものか悩んだ。
話さなければならない。話さなければ、敵の能力に足下を掬われるのは目に見えている。
協力するならば話さなければならないが、しかし、仲間ではない秋人に護衛対象の情報を流していいのかという葛藤が姫乃を躊躇わせた。
「……音だ」
「音?」
姫乃は意を決して秋人に呟く。
信用したわけじゃない。しかし、意地を張って任務を投げだし、命を落とす訳にはいかない。
「アタシ達が護ってた能力者は、生まれ付き口が利けない子供だった。それに足も悪く車椅子だった」
「そうか、音が敵のスイッチか」
声を出せず、そして足音も立てない。派手に動く事が出来なければ当然音も立てない。姫乃の言う通り、音がスイッチで間違いないと秋人も思った。
姫乃は一発、瓶の壁を殴り付けた。
秋人に頼っているこの状況に憤りと不甲斐なさを感じていた。
しかしもう話してしまったのだから後悔しても仕方がないと、姫乃はすっぱり踏ん切りを付けた。いつまでもウジウジするような玉ではなかったのだ。
「アタシの能力、ドット・スナイプは狙撃型の能力だ。撃った弾丸の存在を消し、一瞬だけ指定した場所で元に戻せる」
秋人はキョトンとして、手に持った瓶の中の姫乃に思わず視線を向けた。
「急にどうした?えらく協力的だな」
「別に、どうせ必要になる情報だし一つ話すなら二つも三つも変わらないってだけさ」
秋人は清々しいまでに自棄になっている姫乃に軽く笑った。
「他にアタシに聞きたい事は?こうなったらスリーサイズから和臣しか知らないホクロの位置まで、何でも答えてやろうじゃないか」
姫乃は最早やけっぱちになっていた。
「何がお前をそこまで追い込んだんだ?」
なぜか姫乃はこの問いには答えてくれなかった。
「……見えたぞ」
そんなやり取りをしている間に、秋人達は敵のいる八階建てのマンションを視界に捉えた。敵はこの屋上にいる。
敵は二人に気付いたのか、マンションにクラゲの包囲網を展開している。秋人と姫乃は進攻を開始した。