ソフト・ストリート-1
「敵の能力はクラゲから光の弾丸を放つ能力だ。精度はなかなかだが威力は拳銃並、射程はクラゲを中心に半径二十メートルだ。あれは能力者の手を離れた自動攻撃の動きだね。何かをスイッチに攻撃してくるよ。以上」
『了解だ』
『分かった』
姫乃はズカズカと大股で歩きながら、先程の応酬で得た情報を無線で伝えた。
『恐らく』や『約』といった言葉を省いたのは、能力はその能力を行使する本人でなくては詳細など分かるはずがなく、姫乃の言うこと全てが憶測であることを仲間も理解しているからだ。姫乃が得た情報も、敵に騙され刷り込まれたものかもしれないのだから、例え仲間に聞かされた情報も安易に信じるな、という事でもある。
前提として話した『弾丸を放つ能力』でさえ、姫乃自身はそれだけではないかも知れないと疑っていたが、根拠のない勘を伝える事はしなかった。
不便なシステムのようだが、確定的な情報ならばそう付け足して伝えれば良い話なのだ。
――ん?
無線機から返ってきた二つの返答に、姫乃は立ち止まった。
「……おい、二班?」
姫乃は応答しなかった二班に不審を抱き、無線で声を掛ける。
『…………』
しかし二班は返事を返さない。
姫乃は確信した。別の能力者による攻撃を受けたのだと。
『おい!クラゲが屋根をすり抜けて行くぞ!』
続けて外にいる四班から情報が伝えられる。一階にまで下りてきた姫乃と真琴にクラゲの姿は確認出来ないが、外の仲間が言うのならば侵入を許したのは間違いない。
姫乃と真琴だけでなく『番犬』の全員が、状況が次第に悪い方へと傾くのを嫌でも感じた。
「一班は待機!四班はクラゲの迎撃に向かって下さい!私達は二班の所在を確認します!」
真琴は全員に指示を出し、先に駆けだした姫乃を追い、二班が居る二階の一室へと駆け出した。
一班に待機を指示したのは、一班が護衛対象を含めた邸宅に住む家族の一番近くに配置された、唯一のチームだからだ。
そして姫乃達が駆けつけた二班の居る場所。それは、護衛対象がいるとされている部屋である。
矛盾しているようだが、間違いではない。二班がいるのは、護衛対象がいると『四重奏』に思わせている部屋であり、一班と護衛対象はこの邸宅ではなく、別の場所に移されていた。
襲撃があるのが分かっていながら目標を隠さない筈がなかった。
姫乃と真琴が二班が居る部屋の前に辿り着く。
姫乃は扉を開こうとはせず、部屋に向けてライフルを構え、真琴に視線を向けた。
真琴は能力を発動し部屋の様子を探る。
周囲で発生する振動を感知する諜報系の能力、キャッチ・バイブレーション。それが真琴の能力だ。
意識することで自身を中心とした半径二百メートル、どの場所の振動でも触覚として感じる事が出来る。
二百メートルの円形のテリトリーの中ならば、全域に能力を展開する事も出来るし、反対にある一点のみの振動を感知するようにも出来る。
問題は触覚という曖昧な形でそれを受け取る事だ。
広域に能力を展開したり、震源から離れればそれだけ不明瞭な情報になるし、近くで激しい振動が起こればそれが障害になる。
秋人と対峙した時に車のエンジンを切ったのはその為であり、鼓動の僅かな変化で嘘を見抜いていた。
真琴と姫乃は共に気付いているが、常にキャッチ・バイブレーションで邸宅中に注意を払っていながら二班の異常に気付けなかったのは、不幸にも姫乃が銃を撃った衝撃が障害となった一瞬の出来事だったからだ。
それは一瞬で二班を沈黙させるだけの力を有した能力者であることを物語っていた。
「振動は部屋の中央に一つ。人が倒れています」
真琴は分かった部屋の情報を姫乃に伝える。
「一つ、ね……」
部屋にいるはずの味方は二人。これでまず攻撃を受けたのは間違いなくなった。
問題は感知した一人は敵か味方か。そして、部屋の中に息を潜めて待ち構えている者がいないかどうか、である。
姫乃は逡巡しながらライフルの狙いを変え、ドアノブを撃ち抜く。鍵が掛かっていたのは確認済みだ。
そして姫乃は床にライフルを置き去りにして駆け出し、扉を蹴破り部屋に飛び込んだ。一気に部屋の奥へと転がり込み、拳銃を懐から抜き取って部屋の中央に向けて構える。
余りに酷い惨状がそこに広がっていた。
部屋の中央に人が倒れているのは予想通りだが、その周囲が夥しい量の血で真っ赤に染まっていた。
そして、血の池には人の物と思われる肉片が点在している。一人か二人かも分からない程原型を留めていないが、人間がバラバラにされたのが見て取れた。
――振動は味方か!
姫乃はこの惨状に表情一つ変えず、真琴が察知した血の上に突っ伏す人物が味方である事を確認すると、姫乃は周囲に警戒を向けて部屋の中央へと移動する。倒れた味方を背に庇うような形だが、姫乃は庇っているつもりはない。潜んでいるかもしれない敵の奇襲から、一番距離を置けるのが部屋の中央だと判断したのだ。
「真琴!」
姫乃は周囲に視線を巡らせ拳銃の銃口を動かしながら、部屋の外にいる真琴の名を叫ぶ。
部屋に入らない事を叱責したのではない。それはむしろ良い判断だ。姫乃は今一度、能力による策敵の結果を求めたのだ。
「異常ありません!」
真琴は新たな振動がない事を告げる。
――逃げられたか
その報告に、姫乃は銃を構える両腕を折り銃口を天井へと向けた。僅かに緊張を解いたのだ。
「いーや、異常ありだ」
その瞬間を待ちわびていた敵が、姫乃の背後、つまり部屋の中央に現れた。
そう『現れた』のだ。倒れていた人物が敵だったのではない。新たな人物がどこからか沸いて出たのだ。
――馬鹿な!?一体どこから!?
能力で一人しか部屋にいない事を確信していた真琴は狼狽した。
姫乃も同様の心境であったが、反射的に即座に、振り向きながら銃口を振り下ろすように敵へと向けようとした。
しかし敵は予想通りの姫乃の対応を、銃身を片手で鷲掴みにして防ぐ。途中で方向転換を止められた銃口は敵に向かない。
「俺の能力なら考える必要はないぜ?今に見せてやるからよ」
男は空いている右手で、拳銃を支える姫乃の右手の手首を掴む。
「ソフト・ストリート!」
「な!?」
そして男は能力を発動した。
男の体が雑巾を絞るようにして捻られ細くなり、部屋の中央に倒れる仲間の口から体内へと自身の体を入れていく。
口内から奥へ奥へと素早く入っていく敵は、掴んだ姫乃を引き込もうとしていた。
上半身を敵の能力の影響で持ち上げられ、フラフラと揺れる仲間の表情を見て、既に絶命しているのに姫乃は気付いた。
振動は仲間が生きていたから出したのだと姫乃達は思っていたが、体内に隠れた敵が発していたのだ。
「許せっ!!」
姫乃は死んでいるとはいえ仲間に申し訳ないと思ったが断りを入れ、片足を上げて仲間の男の額に靴裏をあてがい引き込もうとする敵に抵抗を試みる。しかし侵入は止まらない。
「例えお前がアームレスリングのチャンピオンだとしても無駄な抵抗だ。俺は腕力じゃなく、能力で引っ張ってるんだからな」
男は不敵な笑みを残し、姫乃を掴む手以外の体を全て仲間の体内に納めた。残された手もグイグイと口へと引き込まれていく。
姫乃はこのまま引き込まれてしまえば自分がどうなるのかを理解していた。
本来ならば人間の口に人間が入る事など不可能だ。そこに能力で無理矢理引き込まれてしまえば、シュレッダーのように細切れにされてしまうのだろう。周辺に落ちる肉片のように。
姫乃は何としてもこれに抵抗しなくてはならない。
「テメェの能力には反吐が出る!」
姫乃は掴まれた右手の拳銃を諦め、腰から新たな銃を左手で抜いた。
「これでも喰らってろ!」
姫乃は引き金を立て続けに引き、装弾されていた六発全てを仲間の体に撃ち込んだ。
当たったのか当たらなかったのか。姫乃に噴き出す血が敵の物か味方の物なのかは判断出来なかったが、引き込む力は確かに弱まった。
攻撃の手は緩めない。姫乃は直ぐに撃ちきったリボルバーのシリンダーをスイングアウトし、バラバラと空になった薬莢を床に落とす。
片手では正攻法で新たな弾丸を込める事は出来ない。
だから姫乃は右手の拳銃のシリンダーも銃身から外し、そこから落とした未使用の弾丸を左手に持つ拳銃のシリンダーで受け止め装填した。
姫乃は左手の拳銃のシリンダーを銃身に戻す。しかし構える直前、敵は姫乃から手を放し体内へと逃げ込んだ。
外界との繋がりを失った仲間の体は、再び地面に突っ伏す形で倒れ込む。
姫乃は前に倒れて敵の出入り口となる口を隠させない為に、倒れ込む仲間の死体を顎から蹴り上げ仰向けにさせる。
そして大きく後ろに一歩下がり、右手の拳銃は懐へ入れ、左手の拳銃を右手に持ち直して、堅実な両手保持で構える。
「蜂の巣でもまだ足りない。アタシに触れやがった指から順にミンチにしてやる!」
姫乃は引き金を一回、二回と引いていく。
「二十五!二!」
三発目を撃ち込んだ時、真琴が姫乃に対して数字を叫ぶ。
これは真琴が能力で掴んだ情報を姫乃と共有する為に使うものである。
姫乃の正面を時計の十二時とし、二十五は二十五分、つまり方向を。二は二メートル、距離を意味する。上下の角度を指示しないのは敵が同じフロアにいる事を意味した。
――移動したのか!?
姫乃は直ぐに後ろに振り返る。敵の姿はない。
しかし姫乃は残りの三発を指示された場所、フローリングの床に躊躇なく撃ちはなった。
真琴が振動をそこに感知したならば、そこが正解なのだと姫乃は一片の疑いもなく信じていた。
そしてそれは正解だった。
「……テメェこのアマ、よくもやりやがったな」
弾痕を刻んだ床から、ニュルリと生えるように敵の男が姿を現した。男は姫乃が撃ち込んだ弾丸で開いた風穴から、体外へと出ていたのだった。
敵は左肩と右足の太股に弾丸を受け、上下黒のレザーのライダースジャケットに血が流れている。
敵の男は体内で一発、床に潜んでいた時に一発の弾丸を受けていた。
近距離で十二発の弾丸の雨に晒されたにしては軽傷だと言えるだろう。
「ターゲットの居場所を聞き出してから、ジックリ可愛がってやろうと思ったが予定変更だ……」
しかし傷を負った男からすれば軽傷かどうかは関係ない。
怒り心頭といった面持ちで姫乃を睨み付けていた。
「テメェ等二人とも楽に死ねると思うなよ……死にたいと喚き散らすまで激痛を与え!最後は体ん中から引き裂き、喰い破ってやる!!」
男が一気に飛び出し、姫乃へ襲いかかる。
「まったく。男ってのはどいつもこいつも……」
姫乃は軽く銃を降ってカチンと金属の音を響かせ、横に倒していたシリンダーを銃に戻す。シリンダーには新しい弾丸が込められている。撃ちきった直後に始めた装填を済ませたのだ。
「いつも女の体に入れる事ばかり考えてやがる。しかし……体ごと、なんて言うド変態は初めて聞いたよ」
迫る敵に向けて、姫乃は銃を構える。
「良いよ、相手してやる」
姫乃は口角を上げニヒルに微笑んでいるが、目は鋭く、表情には憎悪と嫌悪に溢れている。
「だが突っ込むのはアタシの方だ。テメェの穴という穴全てに弾丸を突っ込んでやる!!」
銃口から火を放ち、銃声を響かせ、弾丸が放たれた。