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ラブ・プリズナー-3

 数日後、学校から帰ってきた秋人が家で寛いでいると玄関のチャイムが鳴った。

 秋人が玄関の扉を開くと、ピンクの傘を差し目一杯オシャレをした翔子がモジモジしながらそこに立っていた。


「……一体なんの用だ?」


 秋人は春香に怒られるわ、よくよく考えたら不意打ちで接吻されてるわで、翔子に対して良い印象を抱ける訳がなく、憮然とした態度で翔子に尋ねた。


「と、突然ごめんなさい。それと、この前はごめんなさい。この間言ったけど、またクッキーを焼いてきたの」


 翔子は怖ず怖ずと話し、前回と同じように巾着のように包装したクッキーを差し出した。


「別に家まで来ないでも学校で渡せば良かっただろう」

「学校じゃ他の人の目があるから……ごめんね、迷惑だったよね……」


 恋愛に置いては百戦錬磨の翔子だったが、これまでとは少しばかり勝手が違う相手と心境に、一般的な乙女の羞恥を獲得していた。

 これまで、『押して押して、それでダメなら押し倒せ』が持論の翔子だったが、実際に押される側から押す側になるとそんな事は出来ず、見掛ける度に話しかけるタイミングを探って断念したり、すれ違う時に意識し過ぎて秋人から視線を逸らし、急に友達と話し出したりしてしまっていた。


 秋人から話し掛ける事もない為、あの日以来秋人と翔子には驚く程何の接点もなかった。

 それだけにこの電撃訪問は秋人にとって予想外だった。


「確かに学校だと春香に見られてマズいな……」

「え?なに?」


 秋人が先日の苦労を思い出して思わず小声で呟いた言葉は、翔子には聞こえなかった。


「いや、何でもない。取り敢えず上がってくか?茶ぐらいは出すぞ」

「ええええ!?」

「そんな時間はないか?」

「い、いえ!お、おお、お邪魔します!!」


 思わぬ大イベントに翔子は狼狽したが、またとないチャンスだと思い秋人の誘いに二つ返事で応じた。翔子は緊張からピンと背筋を伸ばし、手足を左右揃えて家へと入った。


 秋人はリビングのソファに翔子を座らせ、キッチンから彫刻のように固まった翔子を視界の端に捉えながら、手早くお茶の準備をする。


「そんなに緊張しなくても良いだろう。今出てて親もいないし楽にしてくれ」


 翔子の様子に秋人は苦笑し、リラックスさせようとしてそう言ったが無論逆効果だった。


 暫くして準備を終えた秋人は、余計に硬度を増した翔子の前に湯呑みを一つ置き、そして向かいに腰掛ける。


「あ!」


 腰掛けた秋人が、包装されたままの姿の前回渡したクッキーを持っていたので、翔子は思わず声を上げてしまった。


「すまん、感想を言うと言ったがまだ食べてなかったんだ。先にこっちを食べるな」

「だ、だだ、だダメええええええぇぇぇ!!!」


 秋人がそう言って包みを開き出したのを、翔子は大声を出して止めた。


「ど、どうしたんだ?」


 突然の翔子の乱心に秋人は目を白黒させた。


「前のは……そう!前のは失敗したから食べないで!!」


 唾液を含ませたのが失敗だと言うならば、前回のクッキーは間違いなく大失敗だ。


 先日は無我夢中だったが為に思わずクッキーを渡してしまったが、あの後の翔子が感じた罪悪感は半端ではなかった。

 それだけに手を着けずにいた事は秋人にとってだけでなく、翔子にとっても幸運であった。


「失敗したようには見えないけどな」

「あう……」


 見た目は実に美味しそうなクッキーなだけに、秋人は翔子の言い訳に疑問を抱いて首を傾げた。


「じ、実は……」


 惚れた弱味とでも言うのだろうか。翔子はそれ以上秋人に対して嘘を吐けなく、クッキーの成分から始まり、自分が能力者であり、組織の刺客であった事まで洗いざらい全てを話した。

 今日、こうして新しく焼いたクッキーを持って来たのも、実は自分が刺客であった事を話す為だった。

 真実を隠していれば少なくとも側に居ることは出来たかもしれないが、翔子はそれをしなかった。


「なるほどな」


 経緯を聞いた秋人はソファに深く座り直し、お茶を一口啜る。


「ご、ごめんね……」


 実害こそなかったものの、騙すような真似をしていた翔子はいたたまれなくなり、秋人に謝り小さくなった。


「でも、今はもう敵じゃないの!……信じて貰えないだろうけど……」


 翔子は何でこのような形で秋人に出会ってしまったのかと悔やんでも悔やみ切れずにいた。

 短いスカートの上に置かれた両手が無意識にギュッと裾を掴む。


「……こっちは?」

「え?」


 不意に秋人に尋ねられ、翔子は顔を上げた。秋人は今日持って来たクッキーの袋を指差していた。


「こっちは余計なもん入ってないんだろ?」

「う、うん、勿論だよ!」

「そ」


 秋人はそう短く返事をしてから包装を解き、そして躊躇なくクッキーを一枚口に放り込んだ。


「あ……」


 まさか刺客であった事を告げた後に食べてくれると思っていなかった翔子は、目を見開いて驚き、思わず声を上げた。

 二枚、三枚と秋人はクッキーを食べていく。


「……美味しい?」

「ああ、上手に焼けてる」

「嬉しい……」


 秋人はふと翔子の顔を見て、ふっと小さく笑った。


「俺は翔子を泣かしてばかりだな」


 前回会ったときも手を握って泣いてしまった翔子だったが、今も秋人がクッキーを食べてくれた事に感激し、ボロボロと涙を流していたのだ。


「秋人くんが優しいせいだよ」


 翔子は微笑み言った。


「よく分からないがすまないな」

「ううん、ありがと」


 その後は一方的に抱いていた(わだかま)りの無くなった翔子は終始ニコニコと笑い、何度も美味しいか尋ね、秋人はその度に上手いと答えた。

 秋人は翔子が見守るなか、クッキーを全て平らげた。






「秋人くん。誰?この顔面破損女」

「が、顔面破損女!?秋人!一体なんなのよこの女!」


 秋人に同一の質問をしたのは翔子と緩奈だ。


 翔子から情報を引き出すべく緩奈と新平をアジトに集め、秋人は翔子を連れてアジトで合流したのだが、本来の積極さを取り戻した翔子が秋人の腕に絡みついている事だけでも緩奈は無性に気に食わないというのに、口汚さまで取り戻してしまっていた事が更に口論を激化させていた。


「お、落ち着け緩奈。刺客だ。彼女は組織の刺客だ」

「じゃあ秋人は何で刺客を(たぶら)かしてるのよ!」


 珍しく声を荒げてまくし立てる緩奈の勢いに戸惑いながら、何とか秋人は現状を説明した。

 合間合間に翔子の言動が緩奈の逆鱗を掠めるも、先日の春香の一件でコツを掴んでいた秋人は一気に話し終えた。


 ちなみに新平は翔子と緩奈の言い争いに巻き込まれたくないので、黙って秋人の説明を聞いていた。


「……この女が刺客だと言うのは分かったわ」


 秋人の説明を聞いた緩奈は納得こそしていないが状況を理解はした。


「僕は酒井新平です!」


 余りの険悪な雰囲気に、秋人がチラリチラリと助けを求める視線を送っていた為、タイミングを計っていた新平が緩奈の勢いが衰えた一瞬を見逃さず、絶妙な沈黙の瞬間に翔子に自己紹介をした。

 機会を逃さぬ為に準備していた台詞は少し間抜けなものだった。


「興味ないわ、お豆さん」


 秋人以外に興味の無い翔子は、新平の名前を覚える気がなどなく適当に返事をした。


「翔子」

「私は黒沢翔子!よろしくね、新平くん!」


 しかし秋人が非難を込めて名を呼ぶだけで、翔子は愛想良く挨拶し直した。


「……先崎緩奈」


 憮然としながらも緩奈も名乗る。


「アンタの名前なんか興味……え、うそ?アンタが先崎緩奈?冬の?」


 翔子はまたも適当に返事をしようとしたが、緩奈の名前を聞き驚愕した。


「勝手にそう呼ばれてるだけだけど、何か問題でもあるかしら?」

「べっつにぃー。ふーんアンタがねぇ」


 翔子は目を細め、大袈裟に緩奈の頭から足の先まで視線を上下させた。


「なんだ?その『冬の』っていうのは?」


 二人の話す内容が理解出来ない秋人が翔子に尋ねる。


「秋人くんは知らなそうだもんね」


 翔子はそう前置きしてから説明する。


「桜庭高校の美女四人はそれぞれの特徴を季節に(なぞら)えて四姫(しき)って呼ばれてるんだよ。先崎緩奈はその内の一人で冬の姫って呼ばれてるの」


 確かに緩奈の凛とした容姿と雰囲気は四季で言えば冬だ。


「勝手に呼ばれてるだけよ」


 秋人が緩奈に視線を向けると、緩奈は下らないといった風に手をヒラっと泳がせた。

 その振る舞いもなんだか冬っぽいと何故か秋人は納得した。


「私は夏。冬とは相性が悪い訳ね」


 翔子と緩奈の視線がぶつかり、火花を散らしている。


「残りの春と秋は誰なんだ?」


 秋人は火花が業火に変わる前に急いで話題を振る。


「春は言わずと知れた桃山春香。秋は一年生の、確かなんとか由貴って子だったと思うよ」

「まさか藤森由貴か?」


 一年生のなんとか由貴に心当たりのある秋人が翔子に尋ねる。


 由貴は格好だけでなく性格からしても目立たないが、紛れもなく可愛らしい容姿をしている。


「そう、確かそんな感じの……秋人くん、まさか知り合い?」

「彼女も能力者だ」


 知り合いだが避けられている秋人は端的に説明した。


 しかし、まさか四人全員と関わりがあると思っていなかった秋人は少しばかり驚いていた。


「知ってたか?」

「僕も初耳です」


 同じく四人全員と面識のある新平に秋人が聞くと、新平も同様に驚いた様子であった。

 二人は世間は意外と狭いもんだなぁと感慨深くお茶を啜った。


「話題が随分反れたな」


 一息吐いてから秋人は話を戻す。


「まず翔子をどうするかだが――」

「私も秋人くんと一緒に戦う!」


 翔子は決めていた事を秋人の言葉を遮って言った。


「そうは言ってもなぁ」


 秋人は、身を乗り出し鼻息を荒くして見つめてくる翔子を困ったような表情で見返した。否、実際翔子の扱いに困っている。


 翔子は由貴と違い、組織に能力者として存在を把握されている。裏切りは簡単にバレるであろうし、そうなれば解放するにしても仲間にするにしても身の安全は保証出来ない。

 常に危険が付きまとうのは秋人と新平も同じだが、翔子の能力では自衛する事が難しい。


 ならば組織に戻せば良いかと言えば、失敗しましたで戻れる程甘い組織だと楽観視する事は出来ない。


 手っ取り早く翔子を保護する方法は前回までの敵と同様に国外に飛ばす方法だが、翔子に敵意が無く彼女自身も望んでいないだけにそれも躊躇われる。


「足手まといにはならないから……お願い秋人くん、見捨てないで」


 おねだりは翔子の十八番(おはこ)だ。潤んだ瞳で見詰められると秋人もダメだと跳ね退けられない。しかし簡単に良いとも言えない。


「……取り敢えず処遇を決めるのは後にして、先に組織の情報を話してくれるか?」


 秋人は結論を先延ばしにし、まず知っているだけの情報を話すよう翔子に促し、翔子はコクリと頷いた。


「実はその事なんだけど――」

「秋人!」


 翔子が話しだすと、突然緩奈が厳しい声色で秋人の名を呼んだ。

 緩奈は真剣な表情で真っ直ぐにテーブルを見詰めていた。しかし意識はここではなく、別の場所へと集中している。

 その様子から秋人と新平は蝶からの視覚に何かしらの異常があったのだと察する。


「随分と堂々やって来たものね。そのせいで気付かなかったわ。一台、黒塗りの見ない車が来たわ」


 アジトとして使っているコンテナは架橋下の駐車場にある。その駐車場を利用していない車だということで、駐車場に入ったところでやっと敵の存在に気付けた。


 取り囲むように人員を配置したりするのであれば、敵が行動するより早く緩奈の能力で動きに気付けるが、今回のように車で真っ直ぐ堂々来られると、周囲を走る車と敵を判別出来ず対策が遅れてしまうのだ。


「裏から出ればまだ逃げられるかもしれません。どうしますか?秋人先輩」


 新平は既にコンテナの裏、テレビが配置された奥の壁へと移動していた。出入り口などないが新平の能力を使えば出入りは可能だ。


「いや、敵がここを知った方法が分からないまま移動するのは危険だ」


 移動して囲まれれば緩奈と翔子の二人を庇いながら戦わなければならなくなる。それに比べれば二人をコンテナに残し、秋人と新平の二人で正面から戦う方がまだマシである。


「ご、ごめん秋人くん」

「ん?」


 突然の翔子の謝罪に三人の視線が集まる。


「私、発信機付けられてるんだった……」


 右耳にしたシンプルな銀の輪のピアスを指差して翔子が心底申し訳なさそうに言った。


「…………」


 凡ミス。有り得ないまでの簡単なミスに、三人は事態が理解出来ず、思わず黙り込んでしまった。


「あ、あの……えっと……ごめん、ね?」


 自分以外の時が止まったような静寂に居たたまれなくなった翔子が、もう一度確認するように謝ると、まず緩奈の時が流れ出した。


「な、何が足手まといにならないからよ!いきなりド派手に足引っ張ってるじゃない!!」

「だってだってだって!すっかり忘れてたんだもん!」


 ギャーギャーと口論する緩奈と翔子に秋人は頭が痛くなった。


「翔子、それは外せないのか?」

「待って、繋ぎ目がないから耳たぶを切れば……」

「やめろ。新平」


 意を決して一気に力を加えようとした翔子を止め、秋人は新平に外すのを任せた。

 新平は頷き翔子に近寄り、ピアスの輪を半分、新平の能力で削る。そして残ったピアスを耳から引き抜き、能力を解除して手元で輪に戻した。


「これで追跡はないが……」


 秋人が緩奈に視線をやると、緩奈は首を振って答えた。


「早いわね、囲まれたわ」


 対応は素早かった。ロスした時間は至極短かったがそれでも間に合わなかった。気付いた時点で手遅れだったのだ。


 緩奈の報告に秋人は思わず舌打ちをするが、直ぐに切り替え逡巡する。


「さて、どうしたものか……」


 急展開に秋人は深く溜め息を吐くのだった。

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