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ラブ・プリズナー-2

 放課後の体育館裏には太陽の日差しが降り注ぎ、実に暖かい陽気の、雰囲気の良い場所となる。だがしかし、秋人と翔子の間には重く、息の詰まるような雰囲気が立ちこめていた。


「あの……どうしてそんなに離れてるんですか?」


 一向に距離を保ったままの秋人に翔子が尋ねる。理由が分からなくてはこの距離を詰める事が出来ない。

 近付いてくる事はあっても近づかせない男は初めてだっただけに、翔子には皆目見当が付かなかった。


「こちらの都合だ。気にするな」


 秋人は表情も口調も変えず答える。


――準備したものを使えば後一つだけは条件を満たせる……だけど近付かないと残りの二つは無理なのよーっ!!


 翔子はこのままでは埒が明かず、やはり早い段階での告白が必要だと踏んだ。


「あの!私秋人くんの事が好きなの!付き合ってください!!」

「悪いが他を当たってくれ」

「ふぇ!?」


 秋人は一瞬の躊躇もなく、むしろ被せる勢いで翔子の告白を一蹴した。


「そ、そんな……」


 まさか断られると思っていなかった翔子は、怒りから一転し、再び困惑に包まれた。


「用が済んだなら帰らせてもらうぞ」

「ま、待ってください!」


 当然、組織の刺客という立場上、翔子は秋人を逃すわけにはいかないのだが、そんな事は翔子の頭の片隅にもなくなっていた。翔子は反射的に秋人を呼び止めていたのだ。


 翔子はただただ戸惑っていた。今まで自分を拒否する人になど出会った事のない翔子は、秋人の返答が理解出来なかった。


「わ、私のどこがいけないんですか?」


 友達との話で聞いた、心底情けないと思っていた台詞を自分が言っている事に、翔子は更に混乱した。


 一体自分はどうしてしまったのか。なぜ秋人に追い(すが)るのか。

 最早錯乱と言って良い心境になってしまっていた翔子にその答えは出せなかった。


「別にどこも悪くない。そもそもお前を知らないからな」


 正論だ。知らない相手の欠点など分かるはずがない。

 しかしその考えも翔子の理解の範疇を越えていた。


 今まで知らない相手に交際を求められる事などしょっちゅうだったし、それが当然だと思っていた。翔子の中では、知らない事と好かれない事は全く別次元の事だという認識だったのだ。


「私、秋人くんに好かれるよう努力するから、お願いだから付き合ってください!」


 翔子に『落としたい』という考えが消え、『好かれたい』という欲求が生まれ始めていた。

 その為に、気付けば嫌悪すらしていた台詞を迷いなく発していた。


 翔子にとってこの感情は生まれて初めてのものだった。それだけ秋人の存在が翔子にとって特殊であった。否、特別な存在となり始めていた。


「悪いが付き合う気はない。話が終わったなら帰っていいか?」


 秋人の答えは変わらない。

 秋人からすれば敵であろう女性と付き合う気などある訳がない。相手を把握した事だし、今後その素性を調べなくては、などと考えていた。


 翔子は焦った。このままでは秋人が行ってしまうと。

 何としても秋人の気を引きたい翔子は必死に考えを巡らせ、昨夜に準備していたある物を思い出した。


「そうだ!く、クッキーを焼いてきたの。それだけでも受け取ってください!」


 翔子は鞄から、巾着のようにピンクの布で包装したクッキーを急いで取り出した。


 今のクッキーの役割は秋人の気を引く為の物だが、これは翔子の能力の条件を満たす為に準備したものだ。


 翔子の能力、ラブ・プリズナーを発動する条件は、相手に五感で翔子を感じさせなくてはならないのだった。

 翔子の姿を見せ、翔子の声を聞かせ、翔子の匂いを嗅がせ、翔子の味を味わせて、翔子に触れさせる。この五つを完遂した時、初めて能力が発動する。


 クッキーは無論味覚に対する武器だ。

 と言っても翔子が作った物を食べさせれば良い訳ではない。翔子の体の一部が入っていなくてはならないのだ。


 このクッキーには唾液が含まれていた。


「……分かった」


 そうとは知らない秋人は、解放されたいが為にクッキーを受け取る事を了承した。

 これまでの行動から、翔子が能力者ならば近距離で力を発揮するタイプだと秋人は推理し、クッキーを受け取る事自体に脅威はないと判断したのだ。


「その場に置いてゆっくりと後ろに下がれ」


 秋人に近付かせる気はない。手渡しなどと無謀な事はしない。


「……はい」


 受け取ってくれるならと、翔子は頷いて秋人の指示に従った。

 翔子は地面にピンクのクッキーの袋を置き、ゆっくり後ろに下がる。

 秋人は急がず、翔子との距離を一定に保ち、そしてクッキーを拾い上げた。


「確かに受け取った」


 受け取ったというより拾ったという渡し方だが、それでもクッキーは翔子から秋人に渡った。


「あの……食べてみてくれませんか?」


 純粋に手作りのクッキーを食べて欲しい翔子は秋人にお願いした。翔子には、組織の事や能力の条件など最早どうでも良かった。


「今は腹が減ってないから、帰ってから食べる」


 未だ警戒心の消えない秋人は、受け取りこそしたが食べる気など毛頭なかった。


「一口で良いんです。一口で良いから食べて感想をください!」


 一口食べれば条件を満たす事が出来るのだが、翔子には愛情を込めて作らなかった事に対する後悔はあったが、条件に関する考えは微塵もなかった。

 唾液が含まれている事も頭からスッポリ抜けていた。


「明日にでも感想を言う。それでいいだろ?」


 明日も会えるのならそれでも良いかな、などと翔子は思うのだった。


 刺客であった翔子だが、今や普通に片思いの少女になってしまっていたのだった。


「じゃあ、最後に握手だけして貰って良いですか?」


 何か進展が欲しい翔子は、せめてこの距離を何とかしたかった。

 六メートルのこの距離が、翔子には何とも歯痒く、そして寂しかった。


「…………」


 秋人は悩んだ。

 段々と翔子が能力者ではないように思えてきてはいたが、危険は犯したくなかった。

 断ろうと思ったがしかし、散々冷たくあしらった故に翔子が泣きそうな顔で見つめているのを見て、握手ならば自分も能力を発動出来ると考え、許容範囲内だと思い直す事にした。


「分かった。握手ぐらいなら構わない」


 秋人は小さく溜め息を吐いてから翔子のお願いに折れた。


――やったぁ!秋人くんに触れる!


 思考は能力者と言うよりも変質者に近いが、ともかく翔子の表情がパァっと明るくなる。

 理由こそ不明だが無茶なお願いだと分かっていただけに、翔子は飛び跳ねるように喜んだ。


 ゆっくりと秋人が翔子に歩み、徐々に距離が近付く。

 そして二人の距離は一メートルと、これまでの距離から考えれば異常なまでに近付いた所で秋人は右手を差し出した。


――秋人くんって……カッコいいかも……


 翔子はポーっと秋人の顔と仕草に見取れていた。

 初めての自分をこんなにも冷たくあしらう相手だった故に翔子は初めて好かれたいと思い、翔子はその感情に対して『これが恋……私今、初恋してる!』などと思っていた。


 翔子は完全に落とされていた。


「ほら、早く握れ」

「う、うん!」


 翔子は秋人の右手を、両手で包むようにそっと握った。秋人に触れ、体温を感じ、翔子は感極まって笑顔のまま涙を流していた。

 ちなみにこの時、翔子は五つの内味覚を残して四つの条件を満たしていた。『ちなみに』というのは、秋人に触れている事に夢中な今の翔子にとって、条件をいくつ満たしたなどという事はほんの些細な出来事だからだ。


 秋人は涙を流す翔子の様子を見て、なんだか手を離すタイミングを見失ってしまい、仕方なく翔子が満足するまで待つことにした。


 それがいけなかった。


 これまで純愛などには無縁で、数多くの恋人と何度となくハイスピードで愛を培って来た翔子が、手に触れるだけで満足出来る訳がなかったのだ。

 唐突に顔を上げた翔子と目が合った次の瞬間、秋人は一瞬翔子を見失った。否、正確には翔子を視界に納めていたが焦点を外されたのだ。

 速くはない。しかし翔子の流れるような挙動と運動の向きが、秋人の虚を突いた形となったのだった。


「ふっ!?」


 秋人の驚きの声が籠もる。秋人は口を塞がれたのだ。翔子の唇によって。


――しまった!これが発動の条件か!?


 秋人の予想は正しい。この瞬間、翔子は五つ全ての条件を満たした。

 後は能力を発動すれば秋人は翔子の忠実な(しもべ)となり、翔子の命令に疑問も躊躇もなく従う愛の奴隷となる。


「ご、ごごごごめんなさい!こんな、いきなり!で、でも、その、我慢出来なくて……」


 しかし何度も言うが翔子にその考えはなかった。

 顔を真っ赤に染め、慌てて秋人から離れた。


「私、またクッキー焼いてきます!それじゃあ、失礼します!!」


 はしたない真似をしてしまったと翔子は耳まで真っ赤になり、ペコリと頭を下げてその場から走って去っていった。

 呆然としたまま秋人は翔子を見送るのだった。


「彼女、能力者じゃなかったんだな……」


 少しおかしな子ではあったが、何とも可哀想な事をしたと秋人は反省するのだった。


 こうして秋人は無意識の内に組織の刺客を一人無力化するのだった。






 翌日、秋人は憤慨していると言える程に不機嫌な春香を宥めるのに四苦八苦することになった。

 どこから聞いたのか、春香は昨日の翔子の一件を知っており、秋人に当たり散らしていたのだ。

 秋人が翔子に唇を奪われた事までは把握していないのが、不幸中の幸いであった。


「は、春香?」

「なんでしょうか秋山くん?」

「ち、違うんだ春香、勘違いなんだ」

「ええ私の勘違いだったんでしょうね。秋山くんは私の事なんてこれっぽっちも思ってなかったんですもんね」

「ちょっ、そうじゃなくてだな!た、頼む春香、聞いてくれ」

「ええ、聞いてあげますとも。一体どんな奇想天外なほらを吹くのか楽しみで仕方ないですね」


 このような、まるで彼氏彼女の関係のような調子で秋人は必死の弁解を試みるが、聞く耳を持たない春香に空回り続けるのだった。


 事情を知らない周囲の生徒も、二人の様子から秋人の浮気で破局の危機だという事で納得し、男子生徒は春香がフリーになるチャンスだが、余りに機嫌が悪く話しかけられないから秋人何とかしろ、と矛盾した考えを抱き、女生徒内では秋人の株が大暴落していた。


 結局、一日中謝罪と弁解を繰り返した末に、放課後までに呼び名を秋山くんから秋人へとランクアップを果たし、夕食に誘う事で一応の許しを与えられるのだった。


 軽くなった財布に、秋人は盛大に溜め息をつくのだった。

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