ラブ・プリズナー-1
それからは実に平穏な時が流れた。
組織からの刺客も野良能力者の起こす事件も無く、非日常を生きる秋人達は束の間の日常を享受していた。
あの一件で由貴の素性が組織にバレる事は無かったようで、由貴が秋人へ連絡を寄越すことはなかった。
しかし秋人への連絡はなかったが、新平や緩奈との連絡のやり取りはあった。
新平と緩奈は連絡する間もなく秋人が戦闘に巻き込まれたように、由貴が知らぬ間に組織に連れ去られる事を危惧していた。故に頻繁に連絡を取っていたのだが、何度か話す内に打ち解けて、今では緩奈とは年頃の女性らしい話題で盛り上がり、新平とは昼食を一緒に取ったりしている。図書室で勉強会と称したお喋り会を催したりもしていた。
秋人とて由貴の事は心配していたが、問答無用で締め上げたり命の危険を感じさせたり、更には脱がしたりと、とてもじゃないが連絡など出来る立場ではなかった。
何かあれば緩奈と新平が気付くだろうし、学校ですれ違えば怯えながらではあるが挨拶をしてくれる程度の仲には関係を修復できたので、もともと人付き合いが得意ではない秋人はそれで良しとしていた。
実のところ、内向的な由貴は放課後を図書室で一人過ごす事がある程に、過去の新平程ではないが友達が少なかった。
だから酷い目に遭わされはしたが、二人の友人に出会えたあの出来事に由貴は感謝していたし、秋人のした事は仕方がない事だと理解していたので、秋人に対して反射的に小さく悲鳴を上げたり身構えてしまうのを申し訳なく思っていた。
しかし故意ではない為やめられず、積極的に接する事も出来ない由貴は秋人との溝を埋められないでいたのだった。
仲を取り持とうにも本人達が消極的なので、緩奈と新平もお手上げであった。
そんな実に高校生らしい悩みや葛藤の時が流れ、長谷川の襲撃から十日が経った。
昼休み、秋人は春香と解放されている屋上に来ていた。梅雨に入り最近は雨の日ばかり続き、久し振りに晴れた今日は屋上で昼食を取ろうと春香が提案したのだ。
「気持ち良いねー!」
暖かい日差しを一身に浴び、はしゃぐ春香は大きく伸びをしてから秋人に笑いかける。
毎日屋上で昼食を取る常連達は春香の無邪気な姿に魅了されていた。
二人は適当に空いているスペースに腰掛けた。
「はい!今日のはちょっと自信作だよ!」
「それは楽しみだな」
春香は手に持っていた弁当を秋人に差し出す。
春香の母親は多くて週に二度程春香に休日を宣言する。その日は春香は母親の分まで昼食、夕食を作るのだが、その日は決まって秋人の分の弁当も作る。今日はその日であった。
秋人は春香に感謝しながらその弁当を受け取り、早速手をつけた。
「どお?どお?」
春香は自分の分の弁当を抱えたまま、秋人に出来を尋ねる。
「いつも通り美味いよ」
春香の手料理がマズかった試しがない。さすがだ、と秋人は春香の腕をお世辞抜きに素直に褒めた。秋人の言葉に安心した春香は、包みを開いて自分の分の弁当に手を付け始めた。
それから二人は他愛のない話に華を咲かせながら食事を楽しんだ。
「ごちそうさまでした」
空になった弁当箱を秋人から受け取り、春香は二つ分の弁当箱を手早く纏めた。
手つきこそ手慣れたものだが、小さな春香がせっせと作業する姿を、秋人はいつもままごとをする小学生のようだと微笑ましく思っていた。
「今日も用事か?」
秋人はペットボトルのお茶を一口飲んでから、ふと思った事を春香に尋ねた。
「うん、今日もダメみたい……また一緒に帰れないや」
最近、春香は友達に頼まれた用事があるらしく、秋人と一緒に帰宅出来ずにいた。
「そうか。仕方ないな」
「ごめんね」
春香程一緒に帰宅する事に執着はしてない秋人だが、残念には思っているので春香の謝罪を一応受け取った。
「あうぅ……私がいない間に秋人が誰かに取られちゃうかも……」
春香の身長を稼ぐ役割を果たすアンテナのような髪が、主人の気分と共に垂れ下がる。
「そんな下らない心配はしないで大丈夫だ」
秋人は鼻で笑って春香の頭をポンポンと撫でる。
「変な女の人について行っちゃダメだからね」
小学生のような容姿の春香に、小学生のような注意を受ける秋人は、やはりそれに笑って答える。
「何だ変な女ってのは?」
「わかんないけどダメだからね。ボンキュッボンでもダメだからね!」
「安心していい。変な人にはついていかないから。前から言ってるが春香が思っている程俺は好意を持たれるタイプじゃない」
事実、秋人は告白というものを体験した事がないし、故に女性とお付き合いをした事もない。
春香繋がりで顔見知りは多くいるが友達と呼べる女性自体決して多くはない。
場を盛り上げたり気の利いた会話が苦手で、不機嫌だと思われがちな表情故だと秋人は諦めていたし、自分は所謂モテない種類の人間なのだと達観していた。
しかしそれは秋人の勘違いであった。
実は秋人は顔も悪くなくむしろ良い方だし、文化祭の事もあってそれなりに女性の人気を集めていた。
しかし話しかけ辛い雰囲気と、学校一の美少女である春香が常に側に居ることが、それらの接触を阻んでいた。
「自覚がないのが怖いんだよぉ……」
「?」
春香の溜め息混じりの台詞にも、秋人は頭の上に疑問符を浮かべるのだった。
その後も秋人は春香とのんびり昼休みを過ごし、退屈な午後の授業を終え、あっと言う間に放課後を迎えた。
春香は秋人に別れを告げてから直ぐに学校を後にし、秋人は帰り支度をマイペースに済ませてから下駄箱へと向かった。
そして上履きと下履きを取り替えようとした時、秋人はその存在に気が付いた。
「ん?なんだ?」
秋人は革靴の上に置かれた薄い桃色の封筒を手に取る。ハガキ大のそれは、ハートがいくつも重なったシールで封がされている。
秋人は宛名も差出人の名もない事から開封して宛名を確かめてみる事にした。
中には封筒と同じピンク色の紙が入っており、こう書かれていた。
『秋山秋人くんへ
はじめまして。突然手紙を送ったりしてごめんなさい。どうしても秋人くんに伝えたい事があります。手紙ではなく、直接思いを伝えたいので、放課後、体育館の裏に来て下さい。
黒沢翔子』
下駄箱に投函されているという状況と、ハートで封がされ、丸い可愛らしい文字で丁寧に書かれたそれは、内容からしても黒沢翔子と名乗る少女が秋人へ宛てたラブレターに間違いなかった。
春香の杞憂が現実となったかに思われたが、このような事に縁がないと決めつけていた秋人の思考は違った。
「……敵かっ!?」
秋人の脳内会議は、なんとも残念な結果を出してしまっていた。
「堂々と呼びつけるとは良い度胸だ……」
勘違いしてしまった秋人は読み終えたラブレターならぬ果たし状をクシャリと握り潰し、体育館を睨み付けるのだった。
体育館裏で秋人を待つ少女は、体育館から続く数段の階段の縁に腰掛け、足をパタパタと交互に揺らして退屈を紛らわしていた。
「遅いなぁ、早く来ないかなぁ」
彼女こそが秋人に手紙を出した張本人、黒沢翔子なのだが、翔子に緊張した様子はない。
「ふふ、今頃飛び跳ねて喜んでるんだろーなぁ」
翔子は手紙を見付けた時の秋人を想像して呟く。
「『何の用だい?』っとか分かりきってる癖に聞くんだろうなぁ。キャハ、超キモいよそれ!」
秋人の第一声を予想し何とも楽しそうな翔子に、秋人に対する恋心など微塵もなかった。
翔子がラブレターで秋人を呼び出した理由は、秋人を討ち取る為に他ならなかった。翔子は組織の刺客だったのだ。
奇しくも秋人の勘違いは正解だったのだ。
「ってか遅いよ!私がわざわざ待ってあげてるのに何なの?勘違い野郎のくせに」
翔子は緩奈や春香とは違ったタイプの見目麗しい女性であった。
明るい茶色に染めたフワリと柔らかな髪。手を半分まで隠す大きめのセーター。やけに丈の短いスカート。
まさに最近の女子高生といった風貌でありながら、白い肌と薄めの化粧は清潔感があり、猫のような愛くるしい顔で、桜庭高校で春香に続く勢いで支持されていた。
小さい頃から周囲にちやほやされた為、性格が些か歪んでしまい自己中心的で身勝手だが、猫を被るのは得意で同性にはともかく異性には敵を作らず、とっかえひっかえ数多の相手と交際した経験があった。
余談だが、時には同時に複数の男性とお付き合いをしていた事もあるが、計算高い翔子は巧く立ち回り問題になった事はなかった。
望まずとも男性が寄ってくる翔子は、狙った男性を落とし損ねた事がない。今回、秋人を虜にするのも自信満々だった。
「あ!」
翔子は近付いてくる人影に気付き、小さく声を上げる。ズンズンと音が聞こえてきそうな程に力強い足取りで歩いてくるのは、勿論秋人だ。
翔子は直ぐさまお得意の猫を被り、階段から腰を上げ、『恥ずかしながらも、思いを伝えようと勇気を振り絞る健気な少女』へと姿を変える。
顔を赤らめ、目を潤ませ、手足をもぞもぞとさせる姿は、わざとらしいながらも違和感を与えない。数多の男を落とした歴戦の雌豹の成せる技だ。
秋人は翔子の様子など構わず距離を詰め、六メートル程の距離を開けた場所で立ち止まった。
話をするには遠い。しかし、能力による攻撃に対処するには充分な距離である。
「き、来てくれて嬉しいです……秋人くん」
か細い声で嬉しそうに翔子が言う。
先程までの性悪な翔子は感じさせず、可憐な乙女がそこにいた。
勿論これは演技であり、内心では喜びと戸惑いで溢れているであろう秋人を、能力で貶める事を楽しんでしかいない。
若干この距離が気になった翔子だったが、大した問題ではないと気にしない事にした。
「あ、あの……実は私、ずっと前から――」
手っ取り早く告白してしまおうとした翔子だったが、意外な事に秋人がそれを止めた。
「貴様が黒沢翔子か?」
「え?」
余りに鋭い声に翔子は少し驚いた。
――き、貴様?え?え?普通は君とかじゃないの?
秋人は翔子を能力者と勝手に断定している為、少しばかり口調が厳しくなっている。
秋人は馬鹿ではない。敵だと分かるまでは攻撃などしないし、一般人の可能性も考え『能力』などとは口にするつもりもない。
しかし警戒心は異常な程に研ぎ澄まされ、そして愛の告白かもしれないという思考には辿り着かなかった。
「は、はい。私が黒沢翔子です」
翔子はそういう口調の人だと結論付け、確かに名乗らなかったのは駄目だと反省した。
「用件はなんだ?」
秋人の口調は淡々としており、高揚も緊張も感じられない。
翔子はシミュレーションと違いすぎて、一方的に驚く事しか出来ないでいた。
「どうした。早く用件を言え」
「う、うん。実は私……」
翔子は構わず計画を続行しようと決意する。普通ならば秋人の対応に告白する気など無くなり心を折られるが、そこはさすがは翔子だと言えるだろう。
翔子は話すには遠い二人の距離を少し詰めようとした。
しかし、やはり秋人がそれを止める。
「動くな。それ以上こちらに来るな」
「え!?」
余りに冷たい態度に、翔子は段々と驚きよりも怒りが湧き上がってきた。
これまで親にも友達にもちやほやされてきた翔子にとって、秋人の対応は初めてのものであり、何とも許しがたかった。
「そ、そんな……私の事嫌いですか……?」
しかし翔子の能力は正面を切って戦える能力ではない。だからこそこんな回りくどい方法で接触を謀ったのだ。
翔子は、ここは怒りを抑え平静を装い、なんとか恋する乙女を演じる。
「好きとか嫌いだとは言ってない。それ以上近づくなと言ったんだ」
警戒心を剥き出しにし冷たく対応する秋人に、翔子の心は完全に怒りに染まった。
――悪い状況だけど、最悪じゃない。二つ条件はクリアしてるもん
翔子は努めて冷静に現状を分析する。
翔子の能力、ラブ・プリズナーは相手を自分の虜にし、意のままに操る能力である。
発動こそすれば無敵の能力だが、それ故に発動条件がかなり厳しい。
それでも五つある条件の内、既に二つ条件を満たした事で翔子は現状を楽観視した。
――このインポ野郎、能力が発動したら只じゃおかないんだから!!
翔子は心の中で秋人に口汚い悪口を叫びながらも、それでも恋する乙女の顔を崩さなかった。