グレネード・ランナー-4
まず秋人は部屋から携帯を取ってきて、長谷川の突き出す腰に腰掛け操作する。自覚しているだけでも鎖骨や肋骨、手の甲の骨などが折れているのだから、たった三発では気が済まなかったのだろう。
『もしもし?』
「俺だ」
数コール後に緩奈が電話に出る。
『どうしたの?秋人が電話してくるなんて珍しいじゃない。ランチのお誘いなら、特別に奢りだったら行ってあげるわよ?』
「もうそんな時間か」
秋人は割れた硝子越しに室内の時計を確認する。正午を少し過ぎた辺りを示している。
『なんだか違う用件みたいね』
緩奈も本気で昼飯の誘いだとは考えていなかったが、大げさに溜め息をして秋人に聞かせた。
「組織の刺客による襲撃を受けた」
『今バタフライ・サイファーで確認したわ』
空を見上げると紫色の蝶が秋人にも確認出来た。電話が来た時点で緩奈は蝶を放っていたのだ。
『ちょっと秋人、貴方ボロボロじゃない……病院に連れて行ってあげるからちょっと待ってて』
「それは後だ」
確かに血だらけで服も体もボロボロだが今は別にしなくてはならない事がある。
「主格は倒したがまだ仲間が三人いる」
秋人は今の状況と地図で確認した三人の居場所を緩奈に伝え、その場所にバタフライ・サイファーを送るよう指示する。
「昼飯はまた今度だな」
『楽しみにしてるわ』
秋人は通話を切り、緩奈は新平に連絡を取った。
秋人の場所から見張りの目を盗んで移動するには時間が掛かる。時間が掛かれば見張りに異常が発生している事を悟られる危険が増す為、一人目には新平が向かう事になった。
一人でも見張りが消えれば死角が増え、格段に動きやすくなる。それまで秋人は無線に適当に応えながら待機して、体力の回復を謀る事になった。
連絡を受け事情を聞いた新平は直ぐに動き出した。場所が近いという事で、新平がまず向かったのは南西の高層マンションの屋上に居る敵だ。
『入り口から直ぐ右手に居るわ。少し入り口から近いわね……』
緩奈は蝶からの情報を電話で新平に伝える。
芝の生えた庭のような様相の屋上にいる男は、フェンス越しに町並みを双眼鏡で見ており、入り口に背中を向けているがかなり近い。扉を開ける音で気付かれるのではないかと緩奈は危惧した。
「分かりました。一度切りますね」
新平が小声で緩奈に言葉を返し通話を終える。その様子から既にかなり近くにいるのだと推測出来た。
緩奈は蝶から送られる視覚情報を固唾を飲んで見守る。自然と胸の前で左右の手の指を絡めてしまっていた。
新平が動き出す。
「鍵は掛かってるのかしら……」
遠い場所で緩奈が浮かんだ不安を一人呟く。しかしそれは杞憂であった。
新平は鍵が開いていた所で普通にドアを開ける気はなかった。ノブを回す音を気取られる可能性があるからだ。
新平は自身の能力、ホール・ニュー・ワールドで実に素早く、そして静かにノブの辺りを鍵ごと削り取った。
扉は自然と開いていき、新平は扉が開き過ぎないよう抑えながらその隙間に身を滑り込ませる。
そして屋上に出てから扉を元の位置に戻し、削り取った扉の部品を元に戻す。新平は一切音を立てずに扉を突破し屋上へと出る事に成功した。
「すごい……」
的確な判断と素早いその身のこなしはまるで特殊部隊の隊員のようだと緩奈は感じた。
そして新平の表情を見て息を飲んだ。
小柄で頼りない印象を与えるいつもの新平の雰囲気は欠片もそこに無く、鋭い眼光と、敵に悟られないよう気配を殺しながらも漏れ出す、凍てつく冷気のような雰囲気は正しく戦場に身を置く者の纏うそれだ。
「これが前線で戦う者の迫力……」
緩奈は思わずゴクリと唾を飲み込んだ。
新平は双眼鏡を覗く私服姿の男を確認する。そして足元が芝生であるが油断せずに足音を殺し、忍び足でゆっくりと敵の背後から近付く。
約二メートル。能力の射程圏内にまで接近したところで瓶を発現し、高く振り上げ敵の頭上へと移動させていく。
その行為がそれまで新平の存在に気付いていなかった敵に異常を悟らせた。
無音ではあったが、頭上の瓶に日光が遮られ、僅かに自身が浴びる光の変化に敵が気付いたのだ。
「っ!?誰だ!?」
敵は即座に反応し振り向く。しかし、
「遅いっ!!」
既に状況は圧倒的に新平に有利であった。敵は回避するにしても、反撃するにしても、余りに距離を詰められ、そして時間を与え過ぎた。防御ならば間に合うかもしれないが、それも新平の能力の前では無駄だった。
能力を使う間も与えず、新平は斜めに振り下ろす瓶でまず頭を削り取る。
まず隔離すべきは口だ。無線で仲間に異常知らされる訳にはいかない。
そして返す瓶で右腕を肩から削り取り、同時に新たに出したもう一つの瓶で左腕も奪い取る。
両腕も奪い、新平は無線の操作も完全封じた。
新平はポケットから携帯を取り出しながら、抵抗させない為に両足を膝下から削り、敵を床に転がす。
「終わりました。仲間への報告もさせていません」
敵を完全に無力化した丁度その時、緩奈への電話が繋がり新平は戦果を報告した。
『ええ、見ていたわ!よくやったわね、新平!』
「ありがとうございます!」
様子を蝶から見ていた緩奈は興奮した調子で新平を労い、新平はいつもの調子で返事をした。
頬と肩に携帯を挟み、通話しながら敵のポケットから無線機と携帯を回収し、新平は敵の体全てを一つの瓶に纏めて小さくしてポケットに入れた。
新平が見張りの一人を排除した事は直ぐに秋人に伝えられた。
死角が増えた哨戒網を素早く移動し、秋人は二人目の敵がいる桜庭高校へとやって来た。
桜庭高校は、東桜庭町の中心に位置し五階建てと高い建物なのだから、死角なく見張りを置くならば真っ先に候補に上がって然るべきだ。
その上、休日だが校舎は部活動がある為開かれており、屋上は学校には珍しく鍵がない為、部外者であろうと制服を着れば難なく入り込める。すでに緩奈の能力で桜庭高校の制服を着た少女が屋上にいる事が確認出来ていた。
「一旦切るぞ」
『相手が女だからって油断しないでね』
「ああ、遠慮もしない」
新平の時と同様に秋人も行動前に緩奈との通話を切った。
緩奈は口には出さないが、新平が一人目の敵を倒してから一つの思いが芽生えていた。奇襲には秋人よりも新平の方が向いているのではないか、と。
決して秋人を侮っている訳ではない。むしろ過去に新平を倒しているのだから、実力自体は確実に秋人が上だと緩奈は思っている。
しかし先程の新平の動きと手際を見てしまうと、そう思わざるを得なかった。
新平の能力は言うなれば一撃必縛、当たれば確実に相手を捕らえる事が出来る。更に無傷でとオマケがつくのだから、奇襲で敵を捕らえるならば打ってつけの能力なのだ。
繰り返すが、緩奈は秋人を信用していない訳ではないし、そう思われたくなかった為に口にはしなかった。
「大丈夫かしら……」
そんな思いを胸中に抱え、緩奈は蝶からの視覚情報に集中した。
新平の時とは違い、入り口から見て広く縦に長い長方形の屋上の最も奥、入り口から一番遠い場所に敵の少女はいた。
入り口から右側の長い辺を向いたベンチに少女は腰掛け、双眼鏡を覗いている。
秋人が行動を開始する。
まず敵との距離があるが慎重に扉を開き、そして屋上へと出る。新平と同じく実に素早い身のこなしである。
一応の安堵を感じる緩奈だったが、その後の行動に絶句した。
なんと秋人はスタスタと敵に向かって至極普通に歩きだしたのだ。
「な、何をしてるの!?」
聞こえる訳のない疑問を緩奈は思わず口に出した。
しかし事態の異常性に直ぐに気が付いた。
距離を縮めていくが、一向に敵が秋人の足音に気付く様子がないのだ。
――嘘……あれで音を立ててないの……?
緩奈から見れば普通に歩いているようにしか見えない。バタフライ・サイファーは音は拾えないので確証はないが、状況からして秋人が普通に歩きつつも足音を消しているのは間違いなかった。
新平の動きは特殊部隊の隊員のようだと緩奈は感じたが、秋人の動きはまるで暗殺者か、はたまた亡霊など人間離れした者のような印象を受けた。
秋人はそのまま敵との距離を詰め、間合いはおよそ三十メートルといった所まで迫る。
そこで双眼鏡を覗いて辺りを見回していた敵の少女が動く。
少女は双眼鏡を目から離してそのまま膝に立てるように置き、深々と溜め息を吐いた。秋人に気付いた様子は無い。
しかし、次に定期的に報告を入れる為に、自身が座るベンチに置いていた無線機へと右手を伸ばそうとしたのだ。右手、つまり秋人のいる右方向へと自然と顔を向ける事になるのだ。
「まずいわ!!」
奇襲は失敗した。
緩奈がそう思った瞬間、秋人は迷い無く走り出した。傷だらけの体とは考えられない程速い。
「ふぇ?」
何かに気付いた少女が顔を向けたと同時に秋人は素早く背後に回り込み、か細い首に腕を回して一気に締め上げた。
「ぅぐ!?……かっ……ぁ……」
数秒、苦しげな声を出し苦悶の表情をしたが、少女は呆気なく意識を手放し、首に回された秋人の腕を掴んでいた手もダラリと垂れた。
夏目との戦いの前に学んだ事が意外な形で役立つ事となった。
秋人は一度少女をベンチに寝かせ、呼吸を確認してから緩奈に報告の電話をする。
「仕留めた」
秋人のたった一言の報告に、何一つ問題などなかったというニュアンスを緩奈は確かに感じた。
緩奈は新平の方が巧くやれるのではないかなどと、自分がまるで見当外れな思い違いをしていた事に気付き失笑した。
秋人と新平、どちらが行っても関係ないのだ。二人のどちらが出向いても、少しのトラブルなど意に関せず確実に敵を捕縛出来る程に二人はレベルが高いのだ。
「見ていたわ。お疲れ様」
緩奈は自分が如何に無駄な心配をしていたか考えると何故か込み上げてくる笑いを堪え、秋人を労った。
「気絶した女の子を持ち運ぶのは微妙だな。三人目に向かいながら新平と一度合流させてくれ」
「分かったわ」
秋人は気絶させた少女を肩に担ぎ、少女が持ち込んだのであろう水筒を『遠足気分か?』などと言いながらもしっかり持って屋上を後にした。
その後、緩奈の蝶で誘導された秋人と新平が合流し、最後の一人を捕まえに行った。無論、敵は抵抗する間もなく捕らえられるのだった。