スキル・インストール-4
「そうか……アンタの入れ知恵か」
夏目が呟く。
この一週間、麗奈は自分に気付かなかったというのに、突如確信を持って目の前に現れるのはおかしいと彼は思っていた。
しかし目の前に現れた男、つまり秋人が能力者なのは明白であり、秋人の介入があったとなれば辻褄が合う。
「余計な事すんなよなぁ。あーもう面倒くせぇ」
夏目は予想だにしなかった敵の出現にうんざりし、頭をボリボリと掻き毟った。
「スキル・インストール」
夏目は深く嘆息してから能力を発現する。
夏目の合図と同時に周囲に無数の魚が現れた。宙を泳ぐ濃淡様々な青白い魚の美しい一枚一枚の鱗が夕日を反射して輝き、幻想的とさえ感じられる光景を作り出した。
「うーん……どうしよっかなぁ」
夏目は対峙する二人の処置に悩みながらそう言い、そして腕を軽く振るう。すると指先からU字の釣り針がついた糸が現れる。
そしてその釣り針を自身に突き刺した。いや、突き刺したという表現は正しくない。水面に小石を投げ込むように、夏目の体に波紋だけを残して釣り針が傷や出血も無く体内に吸い込まれた、といった状況だ。
「黙ってろって言っても無理なんだろ?」
「愚問だな」
やっぱりか、と言うと夏目は自身の体内に入れた釣り針を一気に引き抜いた。
引き抜かれた釣り針には夏目の周囲を泳ぐ魚と同じ青白い魚が食い付いている。夏目は体から魚を抜き取ったのだ。
「じゃあ死んで貰うしかないかぁ。これ、トップシークレットだからさ」
釣り上げられた魚は釣り針を口から離し、青白い魚の群れに紛れ宙を泳ぐ。
「一体どうなってるの……?」
目の前で起こってる事が信じられず、麗奈は目を見開き思わず呟いた。
誰にも見せたことのなかった夏目は麗奈のリアクションに満足しニヤニヤと笑う。
「その魚が技術の形か」
「そゆこと。そしてコイツが……」
夏目は脇を泳いでいた魚を乱暴に掴む。
「ボクシングの技術だ」
そしてその魚を無理矢理胸に押しつけると、魚は波紋を残して体の中へと姿を消した。
「麗奈。下がってろ」
麗奈は素直に秋人の指示に従うと、立ち上がって後ろへと後退る。
「来いよ。ボクシング部のエースに勝てる自信があるならな」
夏目は鮮麗された構えを取り、軽くステップを踏んでリズムを刻む。ボクシング部のエースの技術を体得した状態になったのだ。
秋人は夏目を睨み付けて言う。
「目を見開きよく見ておけ。瞬きもするなよ。一瞬だ」
秋人はいつもの自然体の構えは取らなかった。
脱力したあの構えは、攻撃、防御、回避とどの行動にも最短で切り替える為の構えだ。いわば全ての中間と言える構えである。
だが今回は攻撃の一点に重きを置いた、前傾姿勢で構えた。秋人の意地がそうさせた。
「行くぞ」
秋人はタイルを砕かんばかりに力強く地面を蹴り付け一気に飛び出す。
「へ?」
速く、低く、そして緩やかな弧を描く進路で視線から外れた秋人を見失い、夏目は間抜けな声を出した。
そして次に秋人の姿を目に捉えた時は、秋人が足を振り抜く直前だった。
「うぐぅ!!」
体に記憶させたボクシングの技術が、反射的に腕を交差させて蹴りを防ぐ。
「素早く的確な反応だ」
秋人は夏目に対してではなく、その技術に対して賛辞を送る。
――の、能力者ってのはこんな速いのかよ!?
夏目は目を見開き驚愕した。そして次の攻撃を防がなければと思考を巡らせる。
それが間違いだった。
「っうぷ!?」
秋人の突き上げるような回し蹴りをもろに鳩尾に喰らい、夏目は肺の空気を全て吐き出して吹き飛んだ。
「自分の能力も分からないのか?」
跪き咳き込んで涎を垂らす夏目を見据えて秋人が言う。
「お前の力は他人の技術におんぶに抱っこだ。浅い経験で考えて防げる訳がないだろ」
初撃を防げたのは、ボクシングの技術による反射で無意識に体を動かしたからだ。
意識して防ごうとすれば夏目の防ごうという意志が関わってくる。つまり次の攻撃を予測しようとしてしまう。
敵の攻撃を予測出来れば反応は速くなるが、逆に予測が外れれば反射すら間に合わなくなる。
そしてより正確な予測は経験で培った勘によってなされる。
夏目の能力、スキル・インストールは技術のみを奪う能力であり、夏目自身にも実戦で培った経験も勘もない。
ならば攻撃を予測せずに技術の反射で防ぐ他ないが、夏目の攻撃を防ごうとする心理がそれを邪魔する。
結果夏目は技術の足を引っ張るだけの存在となっていた。
反射でギリギリ凌いだ攻撃を、夏目は防げなくなっていた。
「げほっげほっ、ちくしょう……一度攻撃出来たからっていい気になるなよ」
しかし無心になろうとしてなれるものではない。どうしても次の攻撃を予測しようとしてしまうし、それに対する防御もシミュレートしてしまう。
ましてや経験の浅い夏目なら尚更であった。
秋人の攻撃を防ぐ事は不可能だった。ならば対抗手段は一つ。
「スキル・インストール!お前の戦いの技術、俺が貰ってやるよ!!」
ボクシング部のエースを倒した時と同様に、相手を弱らせる事だ。
秋人は真っ直ぐに指先から飛ばされる釣り針を屈むようにしてかわす。
「逃げられねーよ!」
夏目は糸の延びる指を下へ振り降ろし、釣り針を振るよう秋人に命中させた。
刺さる、という動きでは無く、ぶつけるといった当て方だがそれは問題ではない。
釣り針は秋人の肩から波紋を起こして体内に入った。
夏目が口角を上げる。
「貰った!」
秋人の体から釣り針が抜かれ、青白い魚が引き抜かれる。
「秋山さん!!」
麗奈が思わず声を上げた。
しかし秋人に焦りはなく、自身の体に手を当て状態を観察していた。
「変な感覚だな。技術を失うっていうのは」
先程までの動きが出来ないというのは不思議な感覚だった。
構えて軽く拳を振るってみるもその姿は滑稽だった。まるで利き手でない方の手でボールを投げようとするような、上手く出来ないちぐはぐな感覚。
「なんだこりゃ?」
ボクシングの技術の魚を体から抜き、秋人の戦いの技術の魚を体に入れた夏目が素っ頓狂な声を出した。
「どうなってんだよ……」
夏目も秋人と同じように自身の状態を確認したが、それは余りにも予想外だった。
秋人の戦いの技術のレベルが余りにも低かったのだ。
秋人の戦闘スタイルは理にかなった動きや知識に裏付けされた物ではない。
パンチやキックなどの攻撃はどれも荒々しく強烈だが、全て高い身体能力があって初めて意味があり、一般的には無駄のオンパレードなのだ。
言ってしまえば秋人の戦い方は身体能力でのごり押しだ。
そもそも能力者との戦いには技術よりも機転と発想、そして心理的な部分が重要となる。
技術の部分だけ切り取った所で大した意味は無かった。
「まぁいっか」
それでも秋人の動きを封じ、それなりのレベルの喧嘩作法は身に付いた。夏目は歪な構えと動きを試している秋人に満面の笑みを向けて微笑んだ。
「これで叩きのめしてやる!」
夏目は秋人に向けて走る。そして飛び上がり、跳ね上げた足を蹴り下ろす。
「やはり今までの戦い方はどうあっても使えないか」
秋人はそう呟くと全く別の構えを取り、夏目の蹴りを腕を上げてしっかりと防いだ。
「なにっ!?」
防御も技術だ。秋人がこれほどまでに的確な防御を出来るわけがないと思っていた夏目は、驚きの声を上げた。
――この構え、空手か!?
夏目は着地と同時に次々に攻撃を放ち、片身を前に出した秋人の構えを観察する。
「こんな奥の手を持ってたとはな!」
夏目は至近距離で釣り針を飛ばし、秋人から空手の技術を抜き去り、後方にその魚を放り投げる。
「今度こそ終わりだ!」
夏目は首筋目掛けて足を振り上げる。
秋人は歪な形になった構えを辞め、今度は両手を前に出して新たな構えを取り、夏目の蹴り足に手を添えて受け流す。秋人はその動きの流れのまま攻撃に転じ拳を突き出した。
防御だけでもなく攻撃も様になっている。
「くっ!!」
夏目はそれを何とかかわす。回避できたのは秋人の技術による足運びのお陰だ。
「スキル・インストール!!」
夏目は更に秋人の技術を引き抜いた。
それにも動じず、秋人は掌を下に向け軽く握り、両手を頭の高さまで上げた新たな構えを取る。
そして鋭いハイキックを夏目へと振るう。夏目はそれを何とかガードして凌いだ。
――ど、どうなってんだ!?
確かに一つや二つ、格闘技を習ったというのは有り得る。だが明らかにこれは異常事態だった。
夏目は更にその技術を奪うも秋人は更にまた別の構えを取る。その構えはボクシングだ。
「柔道、合気道、空手道、少林寺拳法、日本拳法、ブラジリアン柔術、サンボ、レスリング、カンフー、テコンドー、ボクシング、ムエタイ、バーリトゥード、コンバット・サンボ、システマ、サバット」
秋人は原稿を読み上げるように淀みなく次々に格闘技を挙げていく。
「思い付く限りの戦闘技術を昨晩叩き込んだ」
それが秋人が次々に別の構えを取り、戦闘体制に入れた理由だ。
昨夜、秋人は緩奈の家からまず本屋に行き、目に付いた関連する本を粗方買い集めた。
更にインターネットでも情報を集め、寝ずの訓練をしたのだった。
文化祭では一通りの振り付けを二日でマスターした秋人とて、これだけの量の戦闘技術を一晩で身に付けるのは不可能である。
何十年と修練した格闘家でさえ満足いく技は体得出来ないと言われているし、元々軍用格闘技などは修得そのものが困難である。
だが秋人に必要なのはそこまで大袈裟なものではなかった。
練度は低くて構わない。元々技術などなく、身体能力のみで戦ってきたのだから、どの技術を運用しても構え、防ぎ、そして攻撃する。ただこの一連の動きが出来れば構わないのだ。
「無駄な努力を!全部抜き取ってやればいいだけだ!!」
「出来るのか?」
「っ!!」
秋人の笑みに夏目の表情が引きつる。
「出来ないだろ?」
秋人の問いに対する答えはイエス、つまり『出来ない』だ。
夏目の引き抜ける魚の総量には限界がある。秋人の挙げた技術全てを抜き取るのは不可能だった。
「英語教師の話を聞けば予想できる。手放す理由がないからな」
そう、わざわざ返す必要性がないのだ。秋人はそれが引っかかっていたし、夏目の歪んだ性格からしても何かの理由があったのだと確信した。
能力を目の当たりにしてその確信は更に強まった。奪うのは楽だが、返すのは困難を極めるからだ。
ならば何故返したのか。
理由はただ一つ。魚の総量が決まっているから以外に考えられない。
不要な技術は無駄なだけでなく邪魔な存在なのだ。だから夏目は英語の技術を返した。
「どうした。まさかもう手がないのか?」
「うるせえ!」
夏目は秋人と距離を取る。
声を荒げ虚勢を張るが、自身の能力を把握し対策を講じてきた秋人に、夏目はまるで捕食者が現れたような威圧感を覚えた。