スキル・インストール-3
彼は上機嫌だった。最近の自分は正に絶好調だからだ。
苦手だったスポーツは技術を奪う能力のお陰で苦労も努力も無しに出来るようになるし、何より出来る筈の事が出来なくなり戸惑う人を見るのは痛快だった。
中でもペンギンのように女の子走りをする陸上部のエースと、黄色の鋭いフォルムの車を前に頭を抱える教師は最高だった。
「次はどうしよっかなぁー」
彼は夕焼けに染まるグラウンドで部活動に励む生徒を窓越しに見て呟く。
彼が能力で技術を奪う理由は歪んだ向上心や醜い怨恨ではない。純粋なまでの好奇心だった。
能力を隠している彼は戦闘行為を行う訳でもなく、クラブに属している訳でも特別スポーツが好きな訳ではないので常時必要な技術がない。そもそも必要不可欠な技術ならば奪わずとも自ずと身に付けているだろう。
どんな感じだろうかと思い、速く走れる技術を奪ってみたり、車の運転技術やピッキングの技術など奪って試したが、一度好奇心を満たしてしまえば後はその技術に心躍る事も無かった。
能力の主な用途となっている体育の授業も、直前に体育教師から技術を奪えば活躍出来るので、今奪う必要もない。
「次は暗殺術とか銃器を扱う技術なんかが欲しいかな」
結局は新たに芽生えた好奇心を満たす事に彼は決めた。そしてゲームの主人公のように格好良く立ち回る自分を想像してにやけた。
彼の欲求は、無意識の領域でそれらの技術を駆使する暗殺者や軍人と接触しなければならないリスクを考えさせない程に、確実にエスカレートしていた。
行きすぎた行動で彼自身が危険に身を晒すのは自業自得だ。
だが時間と努力で培った技術をかすめ取る行為に対する背徳心は勿論、技術を失った人のその後の危険性に対する認識が欠けているのは大きな問題だった。
例えば車の運転技術がそうだ。
もし技術を失った状況で車を動かしていたら大事故になり得た。銃器を扱う技術など、生命の危機に直結する。
思慮の欠けた彼は、暴走していると言って過言ではない状態だった。
「よし、明日は道場にでも行ってみよっと」
彼は脳内の会議で手近な格闘術を奪う方針に決定し、通学鞄を肩にかけて立ち上がる。
中肉中背。髪も中途半端な長さで顔も特に特徴がない彼は、その他大勢のエキストラとしては天性の才能があるだろう。
そしてその平凡な容姿が、彼が突如として様々な分野で頭角を現しても話題にならない理由だった。
彼は鼻歌交じりに教室から廊下へと出たところで、後ろから不意に声をかけられた。
「夏目くん」
「ん?」
夏目と呼ばれた彼が振り返る。
そこにはスラっとした肢体の綺麗な女子生徒が立っていた。
「えーっと……君は?」
夏目は頭を掻いて記憶を探り、相手が誰だか思い当たらなかったので率直に尋ねた。
「陸上部三年の先崎麗奈。こうして話すのは初めてだね」
「あ……」
夏目はそこで思い出す。彼女こそが陸上部のエース、夏目が技術を奪った相手だと言うことを。
「忘れるなんて酷い。ジャージじゃないから分からなかった?」
麗奈はスカートを少しだけつまみ上げて言う。
「はは、クラスどころか学年も違うし僕達初対面じゃないか」
夏目の乾いた笑い声が静かな廊下に響く。
夏目は内心酷く焦っていた。麗奈との接点と言えば能力の被害者と加害者という関わりの他にない。
絶対にバレない自信があっただけに、このように接触して来た事に酷く不安を覚えた。
淡々と話す麗奈の様子も、まるで殺した相手の亡霊が現れたような、そんな感覚を夏目に与えていた。
夏目の頬を一筋の汗が流れる。
「そ、それで先崎さんは僕に何の用かな?」
努めて平静を装い、夏目は無理矢理作り上げた笑顔で尋ねた。
「返して貰いに来たの」
必死に波打っていた夏目の心臓がビクリと跳ね上がる。
――コイツ、俺の能力を知ってる!?
返して貰う。その言葉で夏目は確信した。夏目が麗奈から奪った物、それは走りの技術以外にない。
「な、何を言ってるんだい?言ったろ?僕達は初対面じゃないか。僕は君から――」
「誤魔化さないで!」
麗奈な声が反響して廊下に響く。
「もう分かってるの……夏目くんが不思議な力を持った能力者だっていう事は!」
先程までの淡々とした様子は今の麗奈にない。
それも当然の話しである。自分を散々苦しめていた憎むべき相手を前に、冷静でいることは難しい。
麗奈は必死に沸き起こる感情を抑えていたが、それも限界だった。
「お願い返して!あたしの力を返してっ!!」
麗奈は手をギュッと握り締めて涙を流さぬよう努力する。
一度感情が溢れ出してしまえば後は際限なく溢れ出すだけだ。麗奈は受けた仕打ちの理不尽さや悔しさ、怒りや憎しみ、そしてそれでも話し合いで解決したいと思う気持ちの自制心や優しさ、その全てが混ざりあい涙となり流れ出そうとしていた。
今にも泣き出しそうな麗奈の表情を見て、夏目に新たな感情が芽生えた。
「あーあーあー。うるせーよ」
夏目は耳に指を突っ込み、面倒だという雰囲気を隠そうともせず吐き捨てた。
先程までは焦燥感を感じていた夏目だが、取り乱す麗奈を見て逆に冷静になる自分を感じた。
バレたなら仕方ない。そんな開き直りの精神が生まれたのだ。
「どうやって俺に辿り着いたかは知らねーけどさ、証拠はあんの?証拠」
「え……?」
被っていた猫をかなぐり捨て、豹変した夏目の様子に麗奈は目を白黒させて狼狽した。
「だから証拠だよ、しょ・う・こ。無いよな?だって俺何もしてないもん。無いのに人を犯人扱いしてんじゃねーよ」
「そんな……」
確かに物的証拠は無い。秋人が夏目に辿り着いた理由は状況証拠だけだ。
麗奈が不振な人物を見なかったという事と、被害者が中学校に集中している事から犯人は中学校の関係者に絞り込める。
秋人がその中から夏目を犯人と睨んだのはボクシング部の一件からだ。
ボクシング部のエースが新入生の、ましてやズブの素人の相手をするのは可笑しい。有り得なくは無いが、その新入生が上級生を滅多打ちにするのはさすがに無い。
有名だったボクシング部の実力者がボロボロに負けたと言う話しばかりが先行し、その相手に話しが及ばないのは偶然だったが、先入観の無い秋人からすれば違和感ばかり感じた。
更に夏目の台詞には所々ぼろが出ている。しかしそれを指摘出来るほど麗奈な冷静じゃなかった。
「お願い……何でもするから、あたしの力を返して……」
麗奈はその場にへたり込み、顔を手で覆い嗚咽を漏らす。
「脱げよ」
「……え?」
そんな麗奈を夏目はニヤニヤと笑って見下ろし、そう一言言った。
「裸でストリップでもしてくれりゃあ、俺も気分良くご褒美が出せるってもんだ」
麗奈は赤くなった目を見開いた。目の前にいる者が本当に自分と同じ『人間』なのか信じられなかった。
「ほら、早く脱げよ。返して欲しいんだろ?それとも本物のストリッパーの技術を持ってきてやろうか?」
夏目は自分の言った事が存外面白く、腹を抱えて大声で笑った。
「我慢の限界だ……出せ、麗奈」
「ん?」
突然聞こえた男の冷たい声に、夏目は辺りを見回す。この場には夏目と麗奈の他には誰もいない。
麗奈はその声に頷き応え、ポケットから手に納まる程度の大きさの瓶を取り出す。
そして夏目との間にそれを軽く放り投げた。
――ガシャン!
麗奈の手を離れた瓶は砕け散り、その場に跪くようにした一人の男が現れる。
秋人だ。
「なっ!?なんだお前!」
夏目の叫びなどには耳も貸さず、秋人は夏目を睨んだまま麗奈に話しかける。
「麗奈。お前の行動は間違いじゃない。言葉を交わして物事を解決出来るならばそれが最良だ」
このように麗奈が夏目の前に現れたのは誰に言われたからでも無い。麗奈自身がそうさせてくれと申し出たのだ。
不意打ちが安全策なのは分かっていたが、それでも麗奈は三人に頼み、秋人達もそれを許した。
大切なものを奪った相手を、未知の力に怯えながらも、それでも道徳的な解決策を取った麗奈の思いが、もしかしたら相手に伝わるかもしれないと秋人達は思った。
「だが相手が悪かった。外道に言葉は必要ない」
だが麗奈の優しいその気持ちは裏切られた。
秋人は立ち上がり、視線だけでなく意識を夏目に向ける。
「人を動かすのにはいつの時代も賞罰を与える事が最も有力だ」
秋人は今度は夏目に言葉を紡ぐ。
「脱げだと?外道に賞を与えろと?ふざけるな」
秋人の闘志はかつて緩奈が傷つけられた時に匹敵する程に煮えたぎっていた。
秋人が拳を握り構える。
「受け取れ。貴様にやるのは徹底的に罰だけだ」