ホール・ニュー・ワールド-2
秋人が不思議な力に気が付いたのはごく最近の事である。
まるで照明のスイッチを入れるかのように、唐突に、そして完全な形で秋人は能力に目覚めた。
この力が実生活に役立つかどうかは別として、秋人は器用貧乏を自覚していただけに、当初は特別な力を手に入れた事を純粋に喜んだ。
しかし同時に一抹の不安を覚えた。
それは、もし自分の境遇と同じく能力を手にした人物が他にいたら、という事である。
人間、大小関わらず武器を持つと、それがどの程度の力なのか試したくなる。事実、秋人も能力に気付いた直後はどれ程の力なのか試していた。
例えばもし、水鉄砲を持たされ『絶対に撃つな』と言われても、それを達するのはなかなかに難しいものがある。報酬もなく、更には使用したとしても誰にも悟られない物だとしたら、尚更我慢を続けるのは困難である。
水鉄砲やそれに準ずる程度のものならば何も問題はない。しかし、残念ながらそうではない。
秋人は手にした力を『道具』ではなく『武器』だと無意識に認識していた。この力が如何に危険なものかを分かっているからだ。
そんな力を自分以外の者も持っているかも知れないと思うと、秋人は不安にならざるを得なかった。
そしてその杞憂は現実のものとなった。
不良グループの失踪である。
秋人は誰かが不良達に制裁を加えたという推理は正しいと思っていた。
どこからともなくやって来た屈強な男が不良達を叩きのめしたならばそれで構わない。単身であろうと集団であろうと構わない。
しかし可能性こそゼロではないが、まず有り得ないだろうと秋人は思っていた。
まず第一に不良達は総じてずる賢い集団だった。
生徒以外に悪事がバレるような行動は取らないし、悪質ではあったが大事になるような事もしなかった。
内部でさえ知らない人間がいるのだから、外部の人間にはまず彼等の行いは気付かれていないであろう。
では内部の者はと言うと、彼等は手に負えない人物にはその者に関わる者も含めて手出ししなかった。
故に桜庭高校の中にも彼等を倒した人物はいないと考えるのが妥当だろう。
桜庭高校の中でも外でもないならば、では一体どこから魔王は現れたのか。
秋人は『現れた』のではなく『生まれた』のではないかと推察していた。
不良達が驚異ではないと見なした人物が能力に目覚め、その力で彼等を消した。
能力に目覚めた故の先入観もあるだろうが、秋人にはこれしか思い当たらなかった。
自分を玩具か財布のようにしか思わない相手ならば、能力の所謂試し撃ちにも打ってつけである。
更に秋人が犯人を能力者だと推測する最大の理由となる不可解な点は、春香の言うグッチョン含め、全員が一日にして煙のように消えたという事だった。
殴る蹴るでは人は消えない。ヤの付く職業の人にでも捕まり、コンクリートを抱いて海に沈められたと考えれば消えた事も納得出来るが、ちょっとした悪さをしただけの高校生がそんな裏の世界の住民に睨まれる事など有り得ないだろう。
答えは自ずと絞られる。
秋人は決して正義の味方ではない。知り合いでもない人達の喧嘩ならば放っておきたい。そこから生じる損得など秋人からすれば対岸の火事だ。
しかしそれが能力者が関っているというのならば話は全く違う。能力者を止める事が出来るのは能力者だけだと、秋人は直感で分かっていた。
何より魔王の今後の行動が読めるのだ。
能力者は、本来能力を良心や理性、道徳心で使用を極力抑え込むべきだと秋人は考えていたし、そうしてきた。
しかし魔王は苦も無く一般人を標的に能力を使用した。もしかしたら苦はあったのかも知れない。更に可能性を挙げるなら一般人ではなかったかも知れない。
しかし結果的に不良全員を消し去り、自分に都合の良い環境を能力によって作り出した。魔王は味を占め、必ずや更なる環境の改善を能力で実現する。
簡単に言うと、魔王は調子に乗るのは自明の理であった。
ましてや英雄や勇者などと呼ばれ一種の神格化さえされているとなると、更に周囲を地均しするのは確定的であった。
そしていつか、魔王の理想の学校生活のプランに、学校のアイドルである春香が組み込まれることも想像に容易い。
秋人と春香は母親同士が大学時代の友人で、その縁から物心つく前から共に過ごし、その頃から秋人はあらゆるものから春香を守ってきた。
互いの親の戯れで、生まれた季節を名前に冠するのも一緒だ。秋人は幼少の頃、名字と名前の両方に秋がつくという事を随分と馬鹿にされたが、それも春香とお揃いだと思えば苦ではなかったし、むしろ自慢だった。
幼なじみというよりも可愛い妹のように感じている春香を、秋人がどこの馬の骨ともつかない犯罪者においそれと渡す筈がなかった。
秋人は決意していた。
自分の能力をもってして、春香を守る事を。
その為に、未知の能力を有する魔王と戦う事を。
「どうしたの秋人?怖い顔して」
「んあ?」
秋人は思考の波から突然現実に引き戻され、何とも情けない声で返事をした。
いつの間にか春香の大きな二つの瞳が目の前にある。その瞳からの視線も痛い程に感じるが、それ以上に周囲の男達の嫉妬の視線が痛い。
「聞いてなかったでしょ」
「すまん。それで何の話しだ?」
秋人は時計を横目で見て、随分長い間心ここに在らずだった事に気付いた。
「もう。あのね、今晩お母さん達外食するんだって」
「そうなのか? 俺は聞いてないぞ?」
「おばさん、秋人にはいつも言わないでしょ?」
「確かにそうだな。それで、それがどうしたんだ?」
春香が腰に手を当てて平らな胸を張り、身長を稼ぐ任務中の髪の毛アンテナがぴょこんと跳ねる。これは春香お得意の、感謝しなさいのポーズである。
「だから、今日は私が夕食を作ってあげるね!」
周囲からの視線の成分が怒気から殺気に変わる。突き刺さるような視線は貫かんとする鋭さに変わり、秋人は冷や汗が噴き出すのを感じた。
「そ、それは助かるな」
「ふふーん、そうでしょそうでしょー!」
料理が趣味であり特技なだけあり、春香の料理は実に美味い。母親の料理よりも好みなのだから、秋人にとっては願ってもない申し出である。鋭利な視線が無ければ万歳して喜んだ事だろう。
「秋人、秋人」
「なんだ?」
今度は春香の作った料理を思い出し思考の波にダイブしようとしていた秋人の意識を、春香が袖をチョンチョンと引っ張って直ぐに呼び戻した。
「何か忘れてない?」
「ん?」
秋人は顎に手を当てて少し思案する。
「メニューはなんだ?」
「チガウチガウ、ソウジャナイヨー」
「俺、トマト苦手だから」
「そんな事知ってるよぉ、そうじゃないでしょ?」
春香は頬を膨らませて、むーと声を出して抗議する。
感謝しなさいのポーズをしたのだから、感謝の言葉が欲しいのだと秋人は初めから分かっていた。
これ以上やると夕食がトマトだけに成りかねないので、秋人は素直に感謝する事にした。
「ありがとな」
「うん! いいってことよ!」
春香はそのたった一言に満足し、どこぞの江戸っ子のように親指で鼻をグイっとやってから、スキップで去っていった。
それを微笑ましく見送り、秋人はまだ見ぬ能力者に思いを馳せて、再び表情を険しいものに変えるのだった。