アポロ・ストライク-6
新平の指示を受け、緩奈は秋人の入った瓶を抱きしめ東桜庭町の北東、架橋下の駐車場に来ていた。
線路下に納まる細長い駐車場は広く、百台は車を止められそうだ。しかしあまり流行っていないようで、今は十台前後の車が疎らに駐車されているだけである。
その駐車場の奥に一見なんの変哲もないコンテナが置かれている。これこそが新平が緩奈に向かわせた場所だ。
今のように、いつもの喫茶店が使用出来ない夜中や定休日を予想して、新平が準備していたアジトである。
これから二人は、西の高級住宅街に家を構える一家の一人息子である新平の財力が、秋人達の想像を遥かに越えていた事を思い知る事となる。
「……す、すごいわね」
「……場所を間違えてないよな?」
二人はコンテナの扉に付けられた鍵を外し中を見て、これがコンテナである事を離れて眺めて再度確認してから感嘆の声を漏らした。
コンテナは物資を詰めて運送する為だけの物ではない。仮設事務所や仮設住宅にもなる。業者に頼めば様々なオプションを取り付けられるのだ。新平の準備したこのコンテナも、二人が中に入るのを躊躇する程ふんだんにカスタマイズされていた。
まず床はフローリングで、壁も金属のコンテナを思わせない落ち着いた色調の木の板が張られている。勿論天井も木だ。
天井で輝く照明には海外のホテルなどで見られるプロペラが回っているし、冷暖房まで完備されている。エアコンの隣には、飛行機にあるような収納棚が設置されている。
コンテナそのものもハイグレードなのは容易に見て取れるが、コンテナに持ち込まれている物も明らかに高級品だ。
コンテナの奥の壁にはエアコンと収納スペースだけでなく、その下にテレビが設置されている。秋人と緩奈は、壁に掛ける薄型のテレビなどコマーシャルや家電店以外では初めて見た。
そして部屋の中央には厚みのある自然な木の形をそのままデザインに利用したテーブル、それを挟むように左右に三人掛けの黒の革のソファが置かれている。どれも一見して高級品だと確信出来た。
使用目的上、窓は取り付けられていないが、それでもコンテナの中という圧迫した雰囲気はない。まるで洋館の秘密の部屋といった具合だ。
二人は気付いていないが、入口から直ぐの足下には床下の収納スペースがあるし、テレビには誰かが来た時の為、扉の前を写すように設置した監視カメラの映像を映せる。他にも高級マンションさながらのセキュリティーを扉に設置しようとしたが、流石にこれは実現しなかった。
これからここが、何度となく利用し最も心落ち着くアジトとなるのだが、余りの予想外な内装に戸惑いを隠せない秋人と緩奈だった。
土足はまずいと思い、緩奈は靴を脱いでコンテナに入り、恐る恐るソファに腰掛け秋人の入った瓶をテーブルに置いた。床に敷かれたラグの長い毛がフカフカと足裏に心地良い。
「足、痛む?新平が来たら直ぐに手当てするからそれまでの辛抱よ」
「ああ」
緩奈は秋人を気遣う言葉を掛けた。ここに来るまでの間にいつもの調子を取り戻している。
新平は自身から離れた瓶の操作が一切出来ない。新平が来るまでは秋人は瓶から出られないのだ。破壊すれば出られるが、致命傷でも無し、仲間の能力を破壊する必要性はなかった。
新平がコンテナにやってきたのは二人が到着した三十分後だった。
ちなみに緩奈が腰掛ける右側のソファの向かい、左側の壁に時計が設置されている。時刻は九時二十分辺りを指している。
「お待たせしました。まずは秋山先輩の治療をしましょう」
新平は入口から見て右に設置されていた棚から箱を一つ持ち出し、机にそれを置く。救急箱だと察した緩奈がそれを開き、瓶から出された秋人の足の治療を始めた。
「それにしてもすごいな、このコンテナハウスは」
「コンテナハウスのレベルじゃないわよ」
治療を受けながら秋人は辺りを見渡して驚きの声で呟いた。アジトを準備しているのも驚いたというのに、それがこれ程豪華な事に最早驚愕するしかない。
「本当はコンテナを四つぐらい繋げてもっと広くしたかったんですけどね」
新平は棚からコンロを持ち出しミネラルウォーターでお湯を沸かす。なんの変哲も無い一般的なコンロとヤカンがこの空間ではやけに異質な空気を醸し出して浮いてしまっている。自分よりこの空間に似つかわしくない存在の登場に、秋人と緩奈はホッとした。
「急いで建てたので間に合いませんでしたが、追々広くするので今は狭いですけど我慢してくださいね」
二人が充分満足し、むしろ感嘆し驚愕しているのに新平は申し訳なさそうに言った。
秋人の治療が終わる頃に丁度お茶の準備が整い、三人はソファに座ってそれを啜った。
他愛のない会話はするが、三人は今日の戦いについてや今後の事には触れなかった。
自害という形ではあるが、秋人はこれまでの戦いで初めて相手の命を奪った。その事実を秋人は受け止めなければならないし、今後も命を奪う覚悟をしなければならない。それが秋人達の決意し選択した戦いの道なのだから。
しかし、覚悟していたはずだと言うのに、それはただの高校生である秋人には難しい課題であった。緩奈の忠告を軽んじていた訳ではない。それほど簡単に割り切れるものではないという事だ。
迷いは闘争心を濁す。闘志無き者が生き残れる程、能力者との戦いは甘くない。
いつまた敵が来るか分からない今の状況を考えれば一刻も早く踏ん切りをつけなくてはならない。それが分からない秋人ではない。むしろ嫌と言うほど理解している。しかしやはり難しかった。
この道を選んだことを後悔しているのではない。今後も続く戦いを思い恐怖したのでもない。ただ踏ん切りがつかないのだ。
慰めや肯定の言葉はいらない。秋人はただ時間が欲しかった。
そんな秋人の心境を察し、緩奈も新平も話題にしなかったのだ。
死体を処理した新平とて平常心ではいられるわけがない。それでも新平は秋人を気遣った。事後の指示を秋人ではなく新平がしたのもその為だ。
自分が戦いに巻き込み、引きずり込んだ新平の心境が分かる秋人は、自分の心の弱さが歯痒かった。覚悟の甘さが腹立たしかった。
しかし、それでも簡単に割り切れはしなかった。
三人は時間を掛けてゆっくりとお茶を飲み干し、それからバタフライ・サイファーをそれぞれに付けて解散することになった。
別れ際、新平は二人にコンテナの鍵を渡した。
「それじゃ、気を付けて帰れよ」
「また連絡します」
駐車場を出て、それぞれが手を振って、それぞれの帰路に着く。
「秋人」
「ん?」
緩奈が秋人を呼び、秋人が振り返る。
「お疲れ様」
緩奈は少しだけ微笑み、一言だけそう言った。
「ああ」
秋人も一見だけそう返した。
慰めでも肯定でもない、傷物に触れるようなよそよそしい台詞でもない。何でもない緩奈の言葉が今の秋人の心には暖かかった。