ホール・ニュー・ワールド-1
不良グループの失踪。それは世間的には小さな記事にもならない些細な出来事であったが、秋山秋人の通う桜庭高校では一大トップニュースであった。
三時間目の授業が終わり休憩時間に入った今も、皆がどこか浮き足立った様子で朝から何度となく繰り返しているその話題についての憶測を論じあっている。
桜庭高校は特別風紀の乱れた高校ではない。しかしそのせいか昔ながらの硬派な不良は居らず、悪さをするのは得てして狡猾な者ばかりであった。
それがかえって善良な生徒達にとっては性質が悪く、今回の事件も騒ぎこそするが心底心配する者はいなかった。
穏やかではない内容の噂話を囁き合いながらも、事実は家出の類なのだろうというのが大半の者の本心であった事も、彼等のお祭り気分に拍車を掛けていた。
一方、秋人はというとその輪に混じる事はなく、授業中から腕を枕に机に突っ伏していた。
「ねぇ起きてよ秋人ー」
その秋人に先程から呼び掛けているのは秋人の幼なじみ、桃山春香だ。
秋人は狸寝入りを決め込もうとしたが、肩を掴まれ激しく揺さぶられるのでそれも難しくなってきていた。
秋人が春香に取り合わないのには訳がある。
春香が嫌いな訳ではない。むしろ、異性としてではないが完全に好意を寄せている。
では小学生が好きな子に意地悪をしてしまうように、恥ずかしがってそのような行動を取ってしまったのかと言うとそういう訳でもない。
好きだと言っても春香は秋人にとって妹のような存在であり、異性としての好意はゼロではないにしても殆どない。だから、顔を見ただけで赤面してしまったり、本人を前に上手く話せなくなってしまったりなどしない。
では何故秋人は春香を無視しようとするのか。それには至極簡単な理由があった。
「ねぇ秋人ー、ねぇったらー」
更に春香の与える振動は激しさを増し、机がガタガタと音を立て始める。秋人はついに観念して顔を上げた。
それでも無視されて不機嫌な春香は、鬱憤を晴らすべく揺さぶるのを止めない。
「あーきーひーとー」
「分かった分かった、起きたから止めてくれ」
口を尖らせている春香の頭に、秋人はポンと手を置いた。拗ねた春香を宥める子供の頃からの癖である。
――しまった
春香の頭に手を置いてから秋人は自らの愚行に気が付いた。
クラス中の、否、廊下を通り掛かった男子生徒からも怒気の篭もった視線が秋人に向けられている。
秋人は心の中で大きな溜息を吐いた。
これが秋人が狸寝入りを決め込もうとした理由である。
端的に言えば、春香は桜庭高校のアイドルなのだ。
アイドルと言うとモデルのようにスラっとした体躯でありながら、同時に相反するグラマラスなボンキュッボンを想像しがちだが、春香はそれと対極に位置する容姿である。
身長は小学生の中に混じっても馴染む程小さく、胸はペッタンコだ。
身長を稼ぐ為にセットされているアンテナか触角のように立ち上がっている一束を除けば、艶やかな黒髪は長く腰まで真っ直ぐで、毛先まで光沢を放つ程に見事に手入れされている。
少し垂れたクリクリとした大きな目は愛らしく、完全調和を果たした顔のパーツが文句のつけようがない絶妙なバランスで配置されている。
その容姿から繰り出される屈託のない笑顔と明るい性格が相俟って、春香は先輩後輩女生徒教師、男子生徒に限らず四方八方から愛されているのだ。
更に料理や裁縫など家庭的な事が趣味であり特技だというのだから、最早非の打ち所がない、とはいかない。
春香は酷く泣き虫で、そして何より運動神経が絶望的に悪かった。
しかしそれも愛らしいと感じさせる要因なのだと秋人は思っていたし、事実それを欠点ではなくむしろ美点と捉えている者も少なくなかった。
つまり、春香は女性からは縫いぐるみのように可愛がられ、男性からは熱の篭もった視線を投げ掛けられている訳である。
では秋人はどうかというと、春香に比べてしまえば平々凡々な存在である。
身長は低くもなく高くもなく、体型も平均的で、学力も中の上といったところである。適度に不真面目なのも、かえって彼をその他大勢にしている。
唯一の長所は春香とは逆に卓越した運動神経にある。
部活動はしていないし何かにずば抜けて素晴らしい成績を残している訳でもないが、秋人は器用で何事も上々にこなす事で知られていた。
昨年の文化祭では、友人の頼みで僅か二日の練習でダンスをマスターし、怪我で出れなくなったメンバーの穴を埋めたという事が話題になった。
つまり秋人はレベルの高い器用貧乏とも言える才能があった。
顔も眉間に皺を寄せる癖があり強面ではあるが、決して悪くない。むしろ間違いなく良い方だと言える。
一見秋人もそれなりではあるが、しかし桜庭高校ナンバーワンの人気を誇る春香が関係してくると話しは全く違ってくる。
それこそ縦横無尽に賛美の声が聞こえてくる春香にあからさまな形で懐かれているのだから、周囲の秋人への風当たりは時に命を奪うのではと錯覚する程に冷たかった。
これが秋人が春香を無視しようと努力した理由であった。
「もう、寝癖ついてるよ」
秋人の葛藤など露知らず、春香は頭を撫でられた事で機嫌を直してお返しとばかりに秋人の髪を撫でて寝癖を直してあげる。
秋人への視線が突き刺さる程に鋭さを増した。
「ねぇ、秋人は誰が魔王だと思う?」
「魔王? なんだそれ」
唐突な春香の問いに秋人は首を傾げた。秋人は何かのテレビゲームの話しかとも思ったが、春香がテレビゲームをしないのを知っていたので益々理解出来なかった。
「ほら、グッチョン達を消し去った人だよ」
「あーそれか」
グッチョンとは不良のトップの人物である。
春香はその性格と人気が理由で友好関係がやけに広い。不良達もちゃっかりとその友達の輪に入っていた。
「なんだ、魔王って呼ばれてるのか? そいつ」
噂は真相を置き去りにしてより面白い方向へと改変されて行き、今では誰かが不良を消した、という事になっていた。
秋人もその噂を耳にはしていたが、魔王と呼ばれているのは知らなかった。
「勇者、英雄、桜庭の破壊神、ゴッド、色々呼ばれてるよ」
春香は楽しそうに指折りして数えて答える。
好き勝手あだ名が付いているから、なんだかスゴいあだ名だったらその人の事だと春香が説明した。
「たぶんね、魔王は口から火を吐くと思うんだよね!」
春香が目をキラキラ輝かせながら、興奮した調子で秋人に顔を寄せる。
「んな訳ないだろ」
そんな春香に秋人は苦笑して答えた。
しかし、実はこれは本心ではない。そんな力を有していても可笑しくないと秋人は確信していた。
不良グループの失踪。この出来事には、常識では考えられない特殊な能力を持った人物、つまり『能力者』が絡んでると秋人は睨んでいた。
何故そんな突拍子もない事を思うのか。
それは、秋人自身が特殊な能力を持つ、能力者であるからに他ならなかった。