アポロ・ストライク-3
秋人の住む東桜庭町はほぼ正方形の形をした地区である。
南は海、西は海へと流れる約百メートルの川、東はオフィスビル郡、そして北を線路で区切られた町だ。
桜庭高校は町の中心にあり、秋人や春香、緩奈の自宅はそこから東にある。
南の海沿いには倉庫街と工場があるが、今やただの過去の遺産であり機能しているものはない。
賑わいを見せる商店街と都心部にはないであろう名前のデパートが北の駅周辺で篠木を削っている。
そして新平の自宅のある西は、高級マンションや秋人の自宅の四倍はあろう敷地に建つ一戸建てが並ぶ閑静な高級住宅街だ。
秋人達三人は学校が休みの今日、この西にある大きな公園へと来ていた。
レジャーシートを広げて日光浴を楽しむ家族の姿なども見られるが、秋人達は遊びに来たのではない。レジャーシートなど広げようのない、茂みの中に身を隠していた。
「……動かないわね」
瓶の中の緩奈が言う。バタフライ・サイファーからの視覚情報の報告だ。
「明らかに誘ってやがるな」
同じく新平の瓶の中から秋人が答えた。
秋人達が見張っている人物、それは檜山康一である。昨日の宣戦布告の後、アジトが掴めるのではないかと緩奈の蝶で檜山を追跡したが、結局は自宅へと帰宅しただけであった。住所はもとより把握していたため骨折り損であった。檜山も尾行されても問題ないと踏んだ上での行動だったのだろう。
そして今日、朝から緩奈に監視させて、この公園へと追跡して来たのだった。
「多くはありませんが人目もありますし、襲撃は難しいですね」
「ここに仲間がいるのかもしれないな……ん?」
秋人はふと疑問符の声を出した。
「おい、緩奈。俺の触ってる物はなんだ?なんか柔らかいぞ?」
「今見るからちょっと待ってね」
秋人の問いに新平も緩奈も疑問を持たないのは必然だった。というのも、新平の瓶の中にあるのは秋人の頭だけであり、体は新平達より檜山に程近い茂みの中にあるのだ。檜山の突然の行動に対処できるようにしたのだが、何とも気味が悪い光景であった。
「名前は分からないけど赤い木の実ね。樹液で指まで赤くなってるから服とか触らないようにしなさい」
「……かぶれないだろうか」
「たぶんソレ、昔木に登って取ったのを食べた事があるんで大丈夫ですよ」
「でも汚いから後でしっかり手を洗いなさいね」
生首を膝に抱く緩奈と、それが入った瓶と談笑する新平。なんともサイコな絵だと言葉にはしないが全員が思っていた。
一方檜山はベンチに只座っているだけで、本を読んだりしている訳でもなく、遠くをずっと見ている。時折足を組み直したり欠伸をするだけだ。彼も退屈なのだろう。
「無意味だな。引き上げよう」
その後一時間以上見張りを続けたが一切動きが無く、秋人達は蝶を一匹残して昼を取りにいつもの喫茶店へと引き上げた。
「ごゆっくりどうぞ」
唯一の店員である老父のマスターが料理を一通り運んでカウンターへと引っ込んでいく。
「檜山はどうだ?」
パスタを口に運びながら秋人が尋ねる。
「動かないわね。持ってきていた昼食を食べてるわ」
緩奈はドリアをハフハフ言いながら食べて答えた。余談だが、繁盛しているとは決して言えない店だが料理は意外に本格的だ。
「僕達が離れた事に気付いていないんですかね?」
「その可能性もあるな」
秋人達が公園から去ったというのにまだ檜山が動かないのはいくつか理由が考えられた。ちなみに新平はピラフを食べている。
「まず一つの可能性は今僕が言った、僕たちの動きを把握出来ていないって場合ですよね?」
秋人は頷いた。
秋人達が公園から離れた事を察知出来たならば、檜山が公園に留まる理由はない。察知出来ないからこそ檜山という餌を公園に仕掛けているのだ。
この場合が秋人達にとっては一番都合が良い。緩奈のような諜報系の能力者がいない事を意味し、今後格段に動きやすくなるからだ。
「次に私の蝶に気付いているパターンね。まぁ有り得ないでしょうけど」
可能性として挙げるのも烏滸がましいといった雰囲気で緩奈が言い、秋人はこれにも頷いた。
気付いているならば、下手に動いて仲間との連携の隙を見せるよりも、一カ所に留まる方が良策なのは当然である。
この場合は、相手に緩奈の蝶に気付くような優秀な諜報系の能力者がいる事になり、秋人達にとっては最も厄介なパターンだ。
「檜山が公園に留まるシチュエーションってまだありますか?」
秋人は再三頷く。新平と緩奈は、気付いていない、気付いている以外の可能性が分からず首を横に傾けた。その様子を見て秋人が答えを教える。
「公園に居るのは何の作戦でもなく、檜山の休日の日課だというパターンだ」
気にしていない、という可能性である。
これは秋人達にとって最も頭に来るパターンだ。
無駄な深読み、時間の浪費、更に昼食の出費に朝早く起きたので睡眠時間の切り詰め、隠密行動による心労、これら全て無駄だという何ともやるせないパターンだ。もっといえば相手の組織に諜報系の能力者が居るかどうかも判断出来ない上、秋人達は何か行動するだけで緩奈の存在を知られかねないリスクを背負っている。謀らずして行われるパターンの癖に最悪のパターンなのだ。
「まさか……違う、わよ……ね……?」
「秋山先輩……違うって、違うって言ってください……!」
事の虚しさと重要性に気付いた二人が必死の形相で秋人に迫る。
「ま、まぁ昨日の今日でそこまで気を抜かないだろうし可能性としては限りなく低いな」
秋人は何とか二人を抑え込んだ。
「何にせよ奴らが公園に張り付いてるのは俺らにとって都合が良い。当初の予定通り行こう」
秋人の言葉に新平と緩奈はしっかりと頷いた。
日が傾き始めた公園に人影はなくなり、段々と風が冷たくなる。
そこに居るのは朝からベンチに腰掛ける檜山一人となっていた。
「折角の休日だってーのによぉ……」
檜山はこの一日にうんざりして嘆息した。秋人達が襲撃してきた時に備え、仲間が見張る公園に居なくてはならなかったのだが徒労に終わった。
檜山の携帯が鳴る。
『今日は終わりだ。指示通りのルートで帰宅しろ』
「現れなかったか……了解だ」
やっとこさ解放され、檜山は固まった腰や肩を解しながら立ち上がる。明日も同じ予定だと思うと溜息しか出なかった。
公園を後にし、自宅のアパートへと歩く。檜山は一人暮らしであった。
「いっそのことこっちから仕掛けちまえばいいのによぉ」
危険は確かにあるが、今の成果がなかった上これほどまでに焦れったい作戦には疑問を抱かざるを得なかった。
なにより秋人が気に食わないという部分がその気持ちに拍車を掛けていた。
階段を上り、三階へと着くと慣れた手つきでポケットから鍵を取り出す。
「なんだ、これは?」
しかし、その鍵を使うことはなかった。差し込む鍵穴がなくなっていたのだ。否、玄関の扉がなくなっていたのだ。
「……秋山の野郎の仕業かっ!!」
檜山は秋人の腕が消失していた事を思い出し、ドアが破壊されたのではなく綺麗に削られている事を確認し、犯人に気付いた。
怒りに燃えながらも冷静に、家の中に潜んでいるかもしれない敵に注意しながら家へと入る。音は一切しない。
「嘗めやがって……!!」
奥歯がギリギリと音を立てるほどに強く噛み締められる。
部屋の照明を付けようと壁のスイッチに手を伸ばす。
「っ!ここもか……!」
しかし壁には穴が空いているだけでスイッチはない。これも削られ奪われていたのだ。
檜山は照明を諦め、リビング兼キッチンの一室へと転がり込み辺りを見渡す。人の姿はない。
「窓も無くなってやがる……どういうつもりだ?」
檜山は秋人の意図が掴めず混乱した。そもそも奇襲が目的ならば玄関を消したのは警報を鳴らすも同義だ。窓など戦略的アドバンテージはゼロに思える。
しかし考えるよりも行動派の檜山はその問題を一度棚上げし、奥の唯一にして最後の部屋を調べる事にした。
恐らくこちらの部屋にも照明のスイッチはない。檜山は部屋に入る前にまず耳を澄まし、気配を探るが何も掴めない。
意を決して一気に部屋へと転がり込んだ。
「……いない?」
そこにも秋人の姿は無かった。クローゼットの中を調べるも人影はない。
「くそっ、なんのつもりだっ!!」
檜山は安堵しながらも憤慨し、一応調べようと照明のスイッチがあるだろう壁に手を伸ばした。
――ベチョ
そこにスイッチは無い。代わりにガムが張り付けられていた。
「あの野郎!!」
意図は不明だが陰湿な嫌がらせに檜山は激昂した。わなわなと握り拳を怒りで震わせながら、手を洗うべくキッチンへと向かう。
「ここもかよっ!!」
檜山の家のキッチンの水道は、ノブを前後に倒して出水させる仕組みなのだが、そのノブも無いのだ。洗面所は勿論、風呂場のノブも一掃されていた。
仕方なく、取り敢えずガムを取ろうと、リビングに向かいティッシュに手を伸ばす。
――グチョ
ウェットティッシュでもないのにティッシュは湿っていた。否、ビショビショだと言って良い状態であった。暗くて見えないが、檜山は臭いからそれがコーラによるものだと分かった。
「ーーーーっ!!!」
照明のない暗闇の部屋では分からないが恐らく檜山の顔は真っ赤に染まり、まさに鬼の形相だろう。
檜山はティッシュの箱の中にまでコーラが入り込み、タプタプと音を立てていることを確認し、クローゼットから新しいティッシュを取り出しガムを取り去った。
やりどころのない怒りをソファを蹴るという形で少し解消したところで檜山は気が付いた。
「あれ?こんな物用意していたっけか」
なんとこの真っ暗な状況では至極便利な懐中電灯が机に置かれて居たのだ。
何にしても今は光が欲しい檜山は深く気にもせずに手を伸ばした。
――ベチャ
ガムだ。
「ちくしょおおおぉぉぉ!!ぶっ殺してやる!!ぶっ殺してやるぞ秋山ああぁぁ!!」
更に電池が無く光はつかない。
「くそ!糞っ!!飯だ!飯にするぞ!!」
誰に言うでもなく檜山はキッチンへと歩く。檜山の主食はカップラーメンだ。棚からカップラーメンを取り出し、コンロに向かうがコンロのスイッチも無い。そもそも水道が使えない。
「ど畜生がっっ!!!」
檜山は中身が散乱することなどお構いなしにカップラーメンを壁に投げつけた。
「寝てやる!!俺は寝てやるっ!!」
食事を諦め、檜山は奥の部屋へとドシドシと歩く。ここで土足の事に気付き靴を脱ぎ捨てた。
「…………」
奥の部屋についてベッドに飛び込もうとしたが、さすがに檜山にも警戒心が生まれていた。
普段は乱れた掛け布団がやけに綺麗に敷かれている。檜山は勢い良くそれを取り払った。
「……野郎」
ベッドにはポッカリと丸い穴がいくつも空いていた。サイコロの六のように。
檜山はもうそれ以上なにも言わず、布団を持ってリビングのソファへと向かい、そこで横になった。
「ぶっ殺してやる……必ずぶっ殺してやる……」
横になりながらも檜山の目は爛々と輝き、復讐を決意していた。
――ミシミシミシ……
「……おい」
――ミシミシ、ベキベキ……
「マジかよ……」
――ベキャンッ!!ブチョ
ソファが折れた。脚を半分だけ削られていたのだ。そして手を突いた先をミントの香りがお出迎えした。
「殺す……殺す……殺す……殺す……」
檜山はガムをティッシュで取り、崩れたソファに再び横になってブツブツと狂ったように呟いていた。
そして数時間後、屋外のように風通しの良いリビングで震えながら眠りにつくのだった。
服を全て半袖半ズボンに改良されている事に気付き発狂するのは、それから更に数時間後の事である。