バタフライ・サイファー-4
敵のいたであろう場所には何の痕跡も残っていなかった。薬莢は勿論、火薬の臭いすら無く、それが銃そのものが能力である事を証明していた。
秋人も窓から町を見渡したが、空から見ている蝶に発見出来なかった敵が見つかる訳がなく、暫くして諦めビルを後にした。
自宅までの帰り道、今更ながら横腹の傷が痛み、問答無用に命を狙ってきた能力者を逃した事に秋人は顔をしかめるのだった。
最後の曲がり角を曲がり自宅を見ると、門の前に一人の女性が壁に寄りかかっていた。春香と同じ服、つまり桜庭高校の制服を着ている。
秋人が来るのが分かっていたのか彼女は直ぐに秋人に顔を向け、携帯を持った手を軽く振った。
「初めましてになるのかしら?」
「お前が電話の相手か」
「先崎緩奈よ、秋山秋人くん」
「まだ礼を言ってなかったな。お陰で助かった」
構わないといった風に緩奈はまたひらっと手を振る。
その振る舞いも立ち姿も様になっているのは緩奈の容姿故だと秋人は思った。
緩奈は女性としては高めの身長でありスラッとしたモデル体型で腰の位置がやけに高く、雪のように白い肌をしている。長い黒髪を首の後ろ辺りで緩く縛り左肩から前に流している。その髪の美しい艶は春香と同じだ。
鋭い目元をした整った顔立ちは厳しさや冷たさではなく、どこか大人の色香を感じさせた。所謂典型的な綺麗系というやつだと秋人は感心した。
「ほら、突っ立ってないでこっち来なさいよ」
緩奈は右手に持っていた箱を見せて秋人を呼ぶ。
「なんだそれ?」
「救急箱よ。怪我したでしょ? 家から持ってきてあげたんだから」
緩奈の指差す横腹に秋人が目をやると、スッパリ切られた白いシャツが赤く染まっていた。意外に深手だったのを再確認し、ゲッと呟いた秋人は大人しく従い治療して貰う事にした。
二人は玄関先の二段しかない階段に腰掛ける。
「そういや俺の携帯番号をどこで知ったんだ?」
「喫茶店で貴方が酒井新平に紙に書いて渡したところを能力で見てたのよ」
「以前から見張ってたのか」
「敵対するかも知れないんだから能力者だと分かったら放っておけないわよ」
確かになと治療されながら秋人は溜め息混じりに言う。
「助けてくれたって事は敵じゃないって判断されたのか?」
「不良が失踪した事件の犯人と戦ったんだから初めから疑ってないわ。ただ酒井新平に懐柔されないか見張ってただけ。ちょっと動かないで!」
「……すまん、つい」
消毒液が滲みて秋人がビクンと跳ねたのを緩奈が叱る。
「それで、俺を生かして近づいた目的は?」
「私の能力は戦闘向きじゃないから、変な野望とか自分本意な願望を持たない戦える仲間が必要なのよ」
「何のために?」
「無論、他の能力者から自分を守るためよ」
ちょっとキツ目に包帯を巻かれ秋人は再び跳ね上がる。
「それこそ俺に関わらず能力を隠して普通に暮らせば良いだろう? 俺と違って能力者だと気付かれていないんだしな」
緩奈がキュッと包帯を縛り処置を終える。
「能力は攻撃するようなものばかりじゃないのは分かったでしょ? 私のようなタイプもいるの」
緩奈は秋人の頬の裂傷も消毒してから絆創膏を貼り、手の擦り傷も消毒する。
「もし、邪な考えを持つ『能力者を集めようとしてる者』が『能力者を見つけ出す能力者』なんてものを手に入れたら、私は簡単に取り押さえられちゃうのよ。戦えないからね」
「なるほど。それは考えつかなかったな」
「戦闘型の能力しか知らないんだから仕方ないわ。むしろそれでよく私の能力に気付いたもんよ」
治療を終え、道具を仕舞った箱の蓋をパタンと閉めて緩奈は少し悔しそうにした。
「『能力者を見つけ出す能力者』か……」
「余り深く考えないで良いわよ。『能力者を集める者』も『能力者を見つけ出す能力者』も今は架空の存在だもの」
緩奈の声など秋人には届かず、考えもしなかった脅威に対して秋人は頭を捻った。
「さてっと……」
緩奈がスカートを軽く払って立ち上がる。
「これ以上一緒にいると誰かに見られて不味いかもしれないから、後はまた今度話しましょ。秋山くん」
周りに正体を明かしたくない緩奈としては、既に能力者としてバレバレな秋人とは長居したくないのだろう。
「お前に秋山くんと呼ばれるのは何だか気持ち悪いな」
「そう? じゃあ、今日はゆっくり休んでね。おやすみなさい秋人」
「ああ、おやすみ緩奈」
緩奈は周囲を警戒させていた蝶を連れて颯爽と去っていった。
秋人も立ち上がり家の中に入る。
「ただいま」
靴を脱いで家に上がると、リビングの扉から母親が半身だけ乗り出してニヤニヤしているのが見えた。
「今の可愛い子、アキの彼女?」
「覗いてたのかよ。趣味悪いぞ」
「ねぇねぇ教えなさいよ。彼女なの? ハルちゃんに言っちゃうよ?」
その後何度も否定するが信じて貰えず、夕食中にも繰り返し詮索され、秋人は何回も溜息をついた。
緩奈の心配した『誰かに見られて不味い事になる』は、秋人の母親に見られて彼女と勘違いされるという、全く予想していなかった形で手遅れになっていたのだった。