図書室
「遅いね。」
「そうだね。」
ぼくの小声のつぶやきに、ハカセが小声で答える。
「遅いよね。」
「そうだよね。」
ハカセの小声のつぶやきに、今度はぼくが小声で答えた。図書室の時計をチラリと覗く。ぼくたちが来てからそろそろ20分経つ。後少したら、ハカセのそろばん教室が始まっちゃう。
「トモヤくん、どうしたのかなぁ。」
ハカセが心配そうにつぶやく。
「もしかして、約束忘れちゃってたりして。」
またハカセがつぶやいた。ふつうでも八の字の眉毛が、キューッと更に下を向いている。
「まっさかぁー。」
トモヤにかぎってそんなことはない。「明後日の作戦会議、放課後の図書室でやるからな。」と言ったのはトモヤだ。「お前ら、遅れるなよぉ〜。」と、ドラマの真似をしてカッコつけたのもトモヤだ。だけど・・・。ぼくはもう一度時計を覗いた。時計は更に1分進んだ。つまり、ぼくたちの作戦会議の残り時間は、後19分だ。
「トモヤくん、先生に怒られてるのかなぁ。」
ハカセはつぶやいた。ぼくはハカセの眉毛を見る。さっきみたいに眉毛は下がっていない。つまりはふざけて言った冗談だ。ハカセはたまに冗談なのか本気なのか分かりにくい冗談を言う。それがちょっとだけ面倒くさい。でも、その感じがなんとなく本当の博士みたいで、ぼくはハカセのそう言う所が、決して嫌いじゃないし、ちょっとだけ好き。
「もしかしたら、突然よみがえった恐竜に追いかけられてそれどころじゃないのかもね。」
ハカセにならって、ぼくも冗談を言ってみた。
「あっ、それいいかも。」
あまりにも冗談らしい冗談を言っちゃったなと思ったけど、案外ハカセはのって笑ってくれた。笑いながら、机の上に置いた分厚い辞書のような本をめくる。ぼくの冗談の元になった、ハカセが家から大事に大事に持ってきた、ハカセの大切な宝物の一つでもある恐竜図鑑だ。
「追いかけるとしたら、やっぱりティラノサウルスかなぁ。でも足の速さでいえばオルニトミムスも捨てがたいなぁ。」
ハカセはそうブツブツ言いながら、図鑑をパパパッとめくる。もう何度も読み込んでいるのだろう。ティラノサウルスもオルニトミムスもあっという間に見つけて、ぼくに見せてくれた。やっぱりかっこいい。でも、ちょっと、ほんのちょっとだけおっかない。
「どっちもイイね。」
「ね、そうでしょう。」
ぼくがそう言うと、ハカセはまるで自分がテストで100点を取ったのを褒められたみたいに、まぁハカセだから100点なんていつも取ってるのだろうけど、満面の笑顔を浮かべている。やっぱりハカセは本当に恐竜が好きなんだ。今度、一緒に博物館行ってみようかな。あっ、そうだ。
「ねぇ、ハカセ。あそこの博物館の恐竜は?」
「ニシヤマキクチリュウのこと?そうだ、その手があった!」
ハカセは急に大きな声をだして、図書委員の6年生に静かにしてくださいと怒られて、あっすみませんと謝って、バババッと図鑑をめくって、あった!とまた大きな声を出して、図書委員会のお姉さんにまたすみませんとペコッと頭を下げて、ぼくに図鑑をグィッと見せてきた。
ハカセが見せてきたページには、ティラノサウルスに比べるとちょっと小さい、目がクリッとした恐竜が載っていた。顔がゴツゴツというよりかは横にシュッと長くて、すごい長い尻尾で、牙と手の指がすごく鋭い。昔博物館で観た化石の時の印象とちょっと違う。何より一番違うのは・・・。
「体の色が黄色なんだね。」
聞こえてきた自分自身の声に、頭で考えていたことを思わず声に出していたことに気付いて、ぼくは少し恥ずかしくなった。
「そうなんだよ。良いところに気が付いたね。」
ハカセに褒められた気がして、お腹の奥のほうがくすぐったい。
「ニシヤマキクチリュウはね、日本で初めて見つかった肉食の二足歩行の恐竜なんだ。それで、そこで面白いのが、ニシヤマキクチリュウは恐竜なんだけど、実は鳥の祖先でさ。あっ、鳥の祖先っていも、羽があるわけじゃないよ。鳥になるのは進化に進化を重ねたずーっと先。それなのに鳥の祖先ってなんか面白いよね。それで、鳥類のメラニン色素には茶色や黒色の暗い色と黄色とかの明るい色があるんだ。だからこの図鑑のニシヤマキクチリュウは黄色で描かれてるんだ。だから、あおぞら第三公園のニシヤマキクチリュウもあんなテカテカした黄色なわけ。でも、まだまだ研究が進んでるからこれから変わるかもしれないんだ。博物館の館長さんも『セイヤくんが大人になる頃にはまた新たな発見があるかもね。』って言ってたし。凄いよねぇ、恐竜って。あっ、ごめん。こんな話つまらないよね。本当にごめんね。」
ハカセは勢いよく話をして、急に顔を真っ赤にして、急にぼくに謝ってきた。
「そんなことないよ。」
ぼくは手を振って、それでもなんだか足りない気がして首を横にブンブン振った。正直、ハカセの言っていることの半分も分からなかったけれど、とにかくハカセはすごい。そしてちょっとカッコいい。
「ねぇ、ハカセ。」
「ん?」
「今度さぁ。」
「あぁー、マジで意味わかんねぇー!」
図書室の扉がバタンと音をたてて、そのバタンの音よりも大きな声を出しながらトモヤが入ってきた。図書委員のお姉さんがここは図書室ですよと怒っていたけど、トモヤは知ってまーすそんなのと、それ以上に怒っていた。
なんで?
ぼくは「一緒」の「い」の口のまま、声に出さないでハカセに聞いてみる。
なんでだろ?
ハカセも声に出さないで答えてきた。眉毛がキューッと下を向いている。
ぼくはそっとトモヤを見る。思わずギョッとしてしまった。トモヤの両手は、忙しくガシガシと頭を掻いていた。これはマジだ。マジのマジでイライラしている時にトモヤがやるやつ。
時計にもう一度目をやる。今日の作戦会議、ダメかもしれない。ハカセも同じことを思っているのか、眉毛がまたキューッと下がる。
「あー、なんだあいつ。くそっ。」
ぼくとハカセの席に着いて、すぐに立ち上がって漫画コーナーでペラペラと開いたと思ったら、次の時には乱暴にその本を戻して、ちょっとジャンプを繰り返して、またぼくとハカセに戻ってきたトモヤは、頭はガシガシと掻いてはいないけれど、まだ少し怒っているようにみえた。声も最初の怒鳴り声よりは小さくなっているけれど、でも、図書室で聞くような音量ではなく、さっきから図書委員会の上級生がこっちを睨んでいる。で前みたいに注意はしてこない。うるさいですよとお姉さんにカミナリを落とされないのは、多分、トモヤがそれ以上のカミナリを持っているからだ。
「トモヤくん、大丈夫?」
「大丈夫。気にしないで。」
ハカセの問いかけにトモヤが答える。うそ、絶対にうそ。大丈夫のはずなんかない。大丈夫なやつは、そもそも大丈夫なんて言ったりしないんだから。
どうする、ハカセがぼくにしか聞こえないくらいの声で聞いてきて、時計に目をやった。ぼくもトモヤに気づかれないようにそっと時計に目をやる。残り10分。もうあまり時間がない。ハカセのそろばん教室が始まってしまう。今日ぐらい休んでくれよ。そうハカセに頼もうと思ってやっぱりやめた。ずる休みするハカセなんてハカセじゃないし、そんなハカセはやっぱりちょっと変だ。
ここは、ハカセのプリントはもらっておいて、トモヤと一緒に作戦を考えようか。いや。トモヤもダメだろうから、2人のプリントを持ち帰って後は家で・・・。いや無理無理無理無理。どう頑張ってもイツキに勝てる作戦なんて1人で考えっられっこない。イツキだぞ。あんなに大きいのに。あんなにデブなのに。そういえば、そもそもなんで決闘なんかになったんだっけ。決闘って、多分、いや絶対痛い。痛いのはやだなぁ。もしめちゃくちゃ痛かったりしたら、もしかしたらもしかして、ちょっと泣いちゃうかも。
「よし!」
トモヤがいきなり自分のほっぺたをパチンと二回叩いた。急な音と声にぼくとハカセはびっくりして顔を上げたけど、トモヤの様子を見てちょっとホッとした。トモヤがほっぺたを二回叩く時は気合いを入れる時は吹っ切れた時だ。少年野球の打席が回ってきた時トモヤがあれをやると、絶対にヒット間違いなしなんだ。前にイツキがぼくに教えてくれた。
「よし!作戦会議だ!」
トモヤが明るく、でもちょっとトゲトゲした表情でそう言った。あぁもう大丈夫。ぼくとハカセは顔を見合わせて、少しだけふふっと笑って、でもまだちょっと不安で、もう一度顔を見合わせた。しゃべっている内容は明るいのに、なぜだかトモヤは笑っていない。図書委員会のお姉さんは、もう注意するのがめんどくさくなったのだろう、大きなため息を、わざとぼくたちに聞こえるようにあぁーあと吐いた。
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