共感性羞恥は毒であり毒だ
私は、あまり頭がいい人間では無い。
その上、運動神経も中の下くらいだろうと認識している。
上記の2点の段階で自分もそんなもんかなと思う人間は、まぁそれなりにいるのではないかと思う。
それは、なるべく抽象的に多数が共感してくれそうなことを私が選んで言ったからだ。
選んでと言うが事実だが。
一言で共感と言ってもそれぞれに認識の違いはあるだろうが前述の通り、私は頭が良いわけでもなく知識も無い。
話半分でよろしくお願いします。
共感といえば、良く共感性羞恥という言葉を聞くだろう。
基本的には、他人の恥や恥ずかし状況になるだろうと予見した際、見ることを躊躇ったり、自身が恥ずかしいと感じることだ。
私も、テレビ番組等でお笑い芸人が盛大にスベっている時は、身震いしそっとチャンネルを変えてしまう。
ただ納得がいかない。
例えばそのお笑い芸人が身内の人間であれば、わからなくもない。
身内で無くとも知り合い程度だとしてもだ。
全くの面識の無い他人に何故自身の恥を重ねてしまうのか。
見たくないと思うほどに。
しかもその発動条件は、厳密にはわからない上、条件が合えばほぼ強制的に発動する。
ゲームで言うランダム発動のデバフだ。
人によりその程度は、異なるだろうと思うが。
文字通り恥を知らない人間がいれば、おそらくこの共感性羞恥は、発動しないのだろう。
であれば、私は恥を知り、そして恥ずかしい人間なのだろうと思う。
実際1人考え事をしていると、過去の失敗や、やらかしを思い出し悶えることが多々ある。
俗に言う黒歴史と言うものだろう。
そういったものが自身の中にあり、それが見ている他人事と重なった時に共感性羞恥は、発動すると思われる。
要は、無意識下にある黒歴史を強制的に掘り返されるということだ。
なんと非情なことだろう。
だから目を背けたくなる。
だが一応、万人を苦しめるこの共感性羞恥にも少なからず良いところはあるのだろう。
それは、黒歴史になるような行いの再発防止だ。
普段は、誰しも自身の黒歴史を思い出したくも無いだろう。
それを、無理矢理引っ張り出し二度とやるなよと、お節介にも教えてくれているのである。
本当にお節介だ、やめてほしい。
そもそもそんな黒歴史が出来るような生き方をするな、と言う話だろうが。
しかし、誰しもが大なり小なり黒歴史を生み出すものだ。
どれだけ気をつけていても。
故に多少メリットと呼べる部分を挙げたとしても、デバフであり毒である。
冒頭書き始めの段階の、タイトルは「共感性羞恥は毒であり「薬」だ」のつもりで書いていた。
だが途中からやっぱりどこまでいっても毒じゃないかと。
なにせ服毒したら最後、治ることは無いのだから。
難癖をつけて薬と呼べそうな部分を挙げようともそれが解毒剤で無いのなら、やはり最後に残るのは、毒だ。
だが自身の中に在るもの。
どう逃げようとも逃げられない。
さらに消せないのであれば、それなりに向き合っていくしか無いのだろう。
幸いこの毒の、致死率は低い。
まぁ死にたくなることはあるだろうが。
たまたま大きめの蜜蜂に刺された、位に思うしかない。
皆様の内包する毒が少量である事をお祈りいたします。
この文書も私の毒になるでしょう。
この文書が誰かの毒を呼び覚ましませんように。
数時間前の私よ。
消えされ。




