何か死んだ、この人でなし!
メイシュール領は湿度を孕んだ空気の漂う領地だった。
淀んだ空気は自然環境というよりは、大気に含まれる恨み辛みの念によるものだろう。
死霊術師ならこの地で多くの死者が出ていることに気付けるに違いない。
人が生者を呪いながら死ぬのは珍しいと思うのだが、谷近くの村しか知らないのでこれが普通なのかもしれない。
「人の生活圏にしては、中々の濃度だと思います。あっ、どうも」
「待て、お前なんで頭下げた、言え!」
「挨拶されたら返しませんか、ほらそこに餓死した――」
「どうしてそんな事言った、馬鹿、見えないから怖いだろうが!」
顔を顰めて癇癪を起こすソフィア殿の姿に、なるほど怖かったのかと納得する。
まぁ、所詮はゴーストにも成れない存在していないような残留思念なので脅威ではない。
もう少し成長して雑霊からゴーストにでも成長しない限りは安全だ。
「この世界の領地なんて、大なり小なり死者が出てる。苛烈な徴税なんて珍しくない、問題なのは領民が苛烈であると知らないことだ」
「あぁ、なるほど。ソフィア殿の領地は違うようだ」
「良く分かったな、もしかして見えない誰かさんに聞いたのか?」
「比較対象があると霊の恨みが強くなるんですよ。隣の領地を知ったが故に羨望の念を抱いてしまったんですね。相対的な幸せなど、際限の無い物なのに人は愚かだ……」
「急に悟るのやめろよ、唐突なシリアスは反応に困る」
人の幸せとは相対的な物であり、それは有っても無くても問題である。
隣の領地が豊作で、自分の領地が飢饉であれば羨んでしまうことだろう。
隣の領地が飢饉で、自分の領地が豊作であれば優越感に浸ることだろう。
領地の差がなければ、そもそも比べることもなく何も感じないだろう。
補給のために食料を買い込む、お世辞にも美味しそうと思えない萎びた野菜や何かの干し肉などの食料だ。
売ることは出来なくないが、品質の具合から生活は困窮している方だろうと予想する。
「こちらの食料を全て買い取ります。銀貨三十枚で宜しいですか?」
「ほ、本当ですか!あぁ、ありがたい。直ちにお運びします」
そう言って食料を売っていた男が頭を下げると、待ってましたとばかりに周囲の村人が馬車に食料を運び出す。
生活が困窮しているなら食べれない金よりも物々交換の方が良いのでは、一瞬そう思ったがそれは田舎者の考えなのだろうか。
食料を運び終えると、再び食料を売った男が頭を下げる。
「このような粗末な物を買い上げて頂けるのです、お題は銀貨十枚で構いません」
「悪いが、一度口にした発言を撤回するのは恥ずべき行い、納めて下さい」
「ありがとうございます、ありがとうございます!あぁ、貴方の道中に幸あらんことを!」
ソフィア殿はそう言って、食料を売った男の手に銀貨の山を築いた。
彼は落とさないように大事そうに抱えながらこの場を離れる。
今は資金を無駄にしたくない筈なのだが、それでも村人を気遣ったのだろう。
お金があれば、少なくとも困窮した村の生活が少し豊かになるかもしれないからだ。
「むっ、なんだよ?」
「いえいえ」
「な、なんだよ!正当な報酬は支払っても良いだろ」
「はい、そうですね」
「そう思うなら見んなよ……うっ、見んなぁ……」
俺の視線に気付いたソフィア殿は、顔を背けて御者台に座るのだった。
心なしか、耳の先が赤かったのは気付かなかったことにした。
道中はそれほど問題はなかった。
盗賊が出るかと思えば、そう言った類は出てこなかった。
次の村も、次の次の村もいるのは困窮した村人だけだ。
村人が盗賊をやるほど人が来ないのかもしれない、もしくは盗賊が襲うことすら厭う程に困窮したか。
ソフィア殿は最初と同様に買える物を買って、メイシュールの村民に少しだがお金を還元していた。
やはり、領民にお金を渡すことで彼らの生活を豊かにしたいという思いやりなのだろう。
しかし、そんな優しさに水を差すような存在が現れた。
「不味いぞ、嫡男様だ」
「お、お逃げ下さい。何をされるか分かったものでは」
「お嬢さん、こっちだ!隠れるんだ!」
まだ遠く離れた先、馬の群れが見えた。
乗馬した何者かの集団、それに対して村人達が蜘蛛の子を散らすように俺達から離れていく。
善意からか、幾人かが忠告を残して去っていったが、もう捕捉されていると考えていいだろう。
近付いてきた事で、その集団が騎士であると確認できた。
「村人の忠告通り隠れなきゃ、馬車は……隠せないわね」
「一先ずは村人と共に隠れてみては、応対は俺がしてみます」
「無用な心配だと思うけど、気を付けて」
ソフィア殿が村人に誘導されて、彼らの家に匿われる事になった。
誰かの発言から、相手は貴族の嫡男だとは理解できている。
そうなると、貴族なのでソフィア殿と面識がある可能性が発生するので危険だ。
「止まれ!止まれ!よしよし、いい子だ」
「おい、そこのお前!挨拶しろ、メイシュール様だぞ!まさか知らんとは言わんよな」
「知らん、誰だ?ここの領主か?」
謎の集団は俺の前まで来ると馬から降りた。
彼らは同じ金属鎧を纏っており、装備からしてやはり騎士であった。
急に質問されたが恐らくは貴族だろうというのは分かる。
それはそれとして、知らないので正直に俺は答えた。
貴人に嘘を吐くのは失礼だと聞いたことがあるからだ。
「無礼者が!ふざけているのか、成敗してくれるわ!」
「ふざけてない、本当に知らないのだが……」
「まぁ、待て!おい、お前はソフィア・ホープキンスを知っているな。他の村で、金髪の貴人が目撃されている!隠し立てしても無駄だ」
「俺は隠してない」
何故なら、隠しているのは村人だからだ。
彼らの視線の先にあるのは馬車であった。
見るからに怪しいから視線が注がれるのは仕方ない。
「馬車を検めさせてもらおうか」
「中には食べ物しか無いぞ、無駄だ」
「ええい、逆らうでないわ!」
「メイシュール様、いません!逃げられたかと!」
「なんだと、ふざけるな!」
親切に教えて上げたのだが、彼らは聞き耳を持たずに馬車を無理矢理開け放った。
そして中を確認し、何故か憤慨していた。
「もういいか?」
「村だ、村に隠したな!村に火を放て」
「精神操作!」
「むっ、くっ、何だ……」
馬鹿な、彼らが何やら不穏な動きをしたので精神操作を行ったのだが無効化されたというのか。
なんだかよく知らない偉そうな人が頭を押さえるだけで理性を保っていた。
その様子に、補足するようにレギオンが現れて言葉を発する。
『いかん、それなりに魔力を持っていたようだ。精神操作を弱くしすぎたな』
「何だ!?ば、化け物だ!貴様ら、武器を抜け!」
「メイシュール様をお守りしろ!モンスターだ、敵はモンスターだ!」
「待って欲しい、決してレギオンは危険では……あるのだが、今は大丈夫だ」
危険でないと言おうと思ったのだが、良く考えれば現世を恨んだ怨霊の塊なので危険であった。
モンスターとしては物理攻撃が効かないため、彼らが魔法を使えない場合は即死する。
触れたら死ぬので、やっぱり即死する。
「喰らえぇぇぇ!当たらない!?うっ、胸が……」
「おい、ライアン?ラ、ライアァァァン!」
「ライアンが死んだ!貴様ぁぁぁ!」
「俺達が何をした、勝手に死んだんじゃないか」
「貴様ぁぁぁ!撤退だ、撤退する!お前、覚えていろ!」