あっ、これ一時のテンションで後悔するやつだ
気付けば俺はいつの間にかソフィア殿と大広間と呼ばれる、館で一番大きな部屋にいた。
前後の記憶が飛んでるが、契約による魔力のせいだと思う。
いや、本当はハッキリ覚えている、恐らく俺はキスされたのだ。
だが、キスしたのかと本人に聞くのは恥ずかしいし、もしかしたら指先だったかもしれない。
目を瞑っていたから正直、自信はない。
大広間には石で出来た肘掛け椅子があった。
まるで岩を削り出したかのような乾燥無味な見た目の地味な椅子だ。
ソフィア殿はそれを撫でるように触れて、感慨深げに口を開く。
「これが、領主の座るべき玉座。お父様が都市を弄る時に座っていた場所。家臣や従僕と狩りに向かうときや、形式張った儀式をする時に座っていた場所よ。皮肉な事に、最も価値ある場所だけ誰にも奪われなかった」
それは、この館に来るまでに見てきたことを言っているようだった。
館に務めていたであろう使用人は誰一人おらず、家具や装飾の全ては持ち出されていた。
後に残ったのは無残に壊れた物だけ、大広間は冷たい石の床しか広がっていない。
「お嬢様!」
「誰?」
「お嬢様ぁぁぁ!モルグでございますぞぉぉぉ!」
けたたましい音を上げながら、乱暴に開け放たれた扉の先には若い騎士の集団があった。
その前列にいる、一番大柄な男が叫んでいた。
扉を開けた瞬間、跪きながら叫んでいた。
正直意味不明な行動に驚愕する、えっ泣いているのか?
「お嬢様、軍勢が、メイシュールの軍勢が迫ってきています!我らが食い止めている間に、お逃げくだされ!」
急に立ち上がった男、モルグはそう叫んだ。
騎士達も覚悟を決めたような顔をしている。
しかし、それに対してソフィア殿は鼻で笑いながら今まで撫でていた石の玉座に座った。
深く、深くその玉座に座り、つまらなそうに肘掛けに肘を乗せながら彼を見る。
「逃げろ、と言ったか?モルグよ……これ以上、何処に逃げろというのだ。もし逃げるとして、唯一の方法は毒薬を飲むことで辱めを避ける事だろう。臓物を引き裂かれ、生きたまま嬲り殺されるよりはマシだろう。そんな事は、領主になったばかりの私でも分かる」
「しかし、お嬢様!」
「控えろ!無礼者が恥を知れ!」
ゆったりと座っていたソフィア殿が、怒りを露わにして立ち上がる。
睨みつけながら、目の前にいる騎士に対して怒鳴りつけようとしているのだ。
「私が、私こそが領主だ!私を侮るなよモルグ!お前達もだ!私がどんな思いで耐えてきたと思っている!あの男と婚約が決まってから、王妃となるために教養を修めた!その仕打ちが、愚かな貴族の権力闘争による失墜だと!口さがない令嬢も、下卑た目を向ける子息も、私達の恩恵に預かりながら流言に惑わされた民衆も、何よりも許せないのは!政権如きに目が眩んだ王族だ!」
逃げるという選択肢ではなく、戦う選択肢を持ってソフィア殿は領地に戻っていた。
だからだろう、それを踏まえた上で彼女は吠える。
「ふざけるな!そんな事で私の家族を殺しただと、報いを受けろ!お前達が望むように、悪逆の限りを尽くしてくれるわ!逆らう者は皆殺しだ!その力を、私は手に入れたのだ!」
「皆の者、お嬢様は狂っておられる。私に続け、お嬢様をお連れする」
「狂っているだと……狂っているのは、お前らだ!ハデス!その無礼な男の首を刎ねろ!」
ソフィア殿が命令した。
俺の体の中から、歓喜の感情が芽生える。
なるほど、主従契約にも似た魔法による精神干渉であると判断する。
体内の魔力の流れを修正し、洗脳地味た魔法を解除した。
だが、その上で俺は彼女の望みを叶えるべく騎士の男の首を刎ねた。
二の腕から飛び出した骨を剣として首を切断したのだ。
「た、隊長!貴様!」
「誰に向かって剣を向けている!お前達も必要ない、殺せ!」
零れ落ちた首から血が広がる、胴体から噴射するように飛び散った血が服を濡らし、骨の剣からは血が滴る。
振り抜いて、骨剣に付いた血を飛ばした所で他の騎士達が動き始めた。
同時に、命令が下された。
剣を抜き、危害を加えようとする騎士達に迫る。
此方に向かって剣が振り下ろされるが、一歩引いて避けてから首へと骨を突き刺した。
俺と死体となった騎士の横を抜ける、別の騎士達がいた。
背後にはソフィア殿がおり、見逃せば彼女の身が危なかった。
だから、体内の血管を操作して横を抜ける二名の騎士の首を締め上げた。
両手を広げ、手首から伸ばした血管を首に巻き付けたのだ。
瞬く間に三名の騎士が死んだことで、彼らに動揺が走る。
此方にとっては好都合な為、血流を高圧で放つことで鎧に覆われていない首元を貫いた。
「終わりましたよ、ソフィア殿」
「あぁ、ハデス。私のことはソフィアと呼べ、特别にお前には許す。何故ならお前は、最初で最後の私の騎士だからだ」
「も、勿体ないお言葉です」
俺に向かって、微笑むその姿は少し艶やかでグッと来るものがあった。
遅れて、死体をおっかなびっくり跨ぎながらオグマ少年が姿を表した。
彼は何があったかすぐに察したのか、俺とソフィアに向かって平伏した。
「御就任お目出度くでございます。師匠と領主様におかれましては、益々の栄達をお祈りいたします」
「何だその媚びた言葉は、いや君なりに頑張っているのだろう。誠意は伝わった、楽にしなさい。所で、師匠って?」
「その、魔法使いになりました。なので、師匠って呼んでます」
チラッと俺を見るオグマ少年。
心臓を授けてやったということであれば、指導ということになるのか。
弟子か、これからはオグマとでも呼べばいいか。
「オグマ、何か自分の中で魔法が使えそうか?」
「急に呼び捨て、あっ、はい」
「では、使ってみろ。魔法とは、当たり前のように使えるものだ」
使うだけならば、魔法は息をするように、歩くために立ち上がるように、教えられなくても使うことが出来る。
魔法を習うということは、自分が使い方の分からない方法を知り、使い方の分かる方法をより理解するという事なのだ。
「火よ」
そう言って、オグマは両手の中に炎を灯した。
薪はなく、熱もなく、ただ宙に浮く光があった。
魔法による炎、見るだけでそれが分かった。
「属性魔法と呼ばれるものね。励みなさい」
「ハッ、陛下のお言葉のままに」
「陛下?あぁ、良いわね。女王陛下、今度から私のことは女王か女王陛下、または陛下と呼びなさい。そうね、国を築きましょう。どうせなら奴らの全てを奪って、奴らの欲した物も奪い取りましょう。じゃあ、手始めに街を作りますか」
ソフィアはそう言って、目を瞑った。
肘掛けに腰掛け、魔力を注いでいるのが目に入る。
指先から緑色にも似た光が線となって、血管のように石の玉座に広がっていくのだ。
幾何学的模様が石の玉座を覆った時、地響きがホープキンス領に発生した。
「な、なんだ!?」
「動くな、館が動いているぞ」
領主の館、それ自体が動き出しているのが分かった。
天井に穴が空き、それが広がっていく。
天井が無くなれば、次は沈むようにして部屋の壁が下がっていく。
俺たちの立っている場所だけが残り、丘の上のように上昇していく。
地響きが止まった頃、俺達は正方体の物体の上に立っていた。
石で出来た継ぎ目のない正方体、その上に石の玉座があるのだ。
オグマが恐る恐る下を覗き込めば、此方を見上げる民衆と相変わらず結界を張るリッチがいた。
「初期化、とでも言えば良いのかしらね。領主の館を一纏めにしたのよ。これが領主の力の一端、そしてこれもまた領主の力よ」
「ま、街が……」
正方体に近い場所から、広がるようにして街並みが変わっていく。
工房や商店である全ての建物が、自壊して均されていくのだ。
下では民衆の阿鼻叫喚が聞こえるが、そんな事はお構いなしに街は徐々に更地になっていく。
「街壁以外は全て更地にする。私の土地だ、乱雑な建物の配置は抜本的に見直す。オグマの家族は特别に家を与えてやろう。臣下としての褒美だ、喜べ」
「わ、わーいやったー」
「まぁいいでしょ。ハデス、命令よ。私が領主になったことを領内に広めなさい。広めた上で、批判的な者は殺しなさい。女子供、老人も例外なくよ、出来るわね」
「勿論です、仰せのままに」
俺はソフィアの命令を遂行するべく、レギオンを呼び出した。
これから領主としての最初の仕事だ。
俺の支持に従い、街に向かって飛び去るレギオン。
四方八方に言葉を発する。
『聞け、民衆よ!祝え!』
『ホープキンス領主が代わったぞぉぉぉ!』
『ソフィア・ホープキンス!ソフィア・ホープキンス!』
『支持しろ、しないものは死ね!さぁ死ね!今すぐ死ね!』
『ソフィア様、ばんざぁぁぁぁい!』
どうですかとソフィアを見れば、何やら言いたげに口をモゴモゴしていた。
何かこれじゃないみたいな、そんな残念な物を見るような目をしている。
俺はまたなにかやらかしてしまったのか。
「いや、良いのよ。私が悪かったのよ、レギオンを使うとは思わなかったけど」
「なるほど、それがダメだったのか」
「まぁいいわ、ハデス。あの死体を片付けといて」
ソフィアの支持に従って、元騎士たちをアンデッド化することにした。
デュラハンにでもして使役するには良い素体だったからな。




