壊れた警報器
「私のことがお嫌いですか?いや、でも顔が見れて幸運だと言っていたぐらいですから私の顔は好みだということですよね?」
表情を変えずにそう言葉にするルーウェンとその言葉を聞いて笑顔のまま固まっているソフィリア。
少し離れている侍従たちはただ2人を見つめている。メリーの顔だけがやや引きつっているのは気のせいかもしれない。
え?いきなりどうしたの?なに?え??
……??
顔が…好みだって?
そうですよ。そんなんですよ。そりゃそうなんですよ。当たり前じゃないですか?だってイケメンですもん。めちゃくちゃ好みですよ。嫌いなわけないじゃないですか!そんな人がいたら目の前に連れてきてほしいですよ…!
だけど…!
だけどダメなんです!
…これ以上話しをしているとなんだか危険な気配がする!私の中の警報器が作動中!!
ピコーンピコーン!!
これは本当に危険だ!
に、逃げなければ!逃げるが勝ちだ!
「と、とにかく!責任は今後も一切問いませんし、婚約する気もありませんし、今後お会いすることもないと思います。今日はこのことをお伝えするために直接お会いしたのです。私はもう大丈夫です、今までありがとうございました!お見送りができず申し訳ありありませんが、これで失礼させていただきます。」
ソフィリアは息継ぎもせずに一気に言い終えた後、慌てて椅子から立ち上がり部屋に戻ろうとする。
が、その瞬間ぐっと右腕が重くなった。
…なに!?
重くなった右腕を見ると、なんとも美しいルーウェン様の手が私の右手首を掴んでいた。
長い指ですね。指すらも爪すらも指の節々すらも美しいです。
って、そうじゃない!
頭の中の警報器は相変わらずうるさい。
「ソフィリア嬢、貴方のお気持ちはわかりました。けれども、もう会わないというのは辞めていただけませんか?婚約を申し込むのは取り下げますし、魔術に関しては不安でしたら誓約を致しますから。」
私はルーウェン様の方を見ることができない。
でも誓約は欲しい。
誓約…この世界でいう誓約というのは、魔力を持つものしか使えないものらしい。特別な用紙にその内容を記し、お互いの魔力を登録させることによって誓約と成す。誓約を違えた時の罰則は1つ。違えた方の魔力が無くなるというものだ。魔力は基本貴族しか有していない。時に平民も魔力を持つことはあるが、殆どいないのが実情である。つまり、魔力がなくなれば平民に堕ちるということと同義になる。そのため、この世界…特に貴族間では誓約は守らなければならないものとされている。私は勿論使用したことはないし、ゲームの中では知りえなかったことだ。因みに、お互いの魔力を登録することで、誓約を違えたときはすぐに誓約相手は知ることができるらしい。
「誓約…していただけるのですか?」
「貴方が望むならば。」
ルーウェン様が誓約を違えるなんてことをしないだろうといえるからこそ、誓約をしてくださるならば安心はできる。それにもし違反すればすぐにわかるのだ。
「誓約するならば、私からも1つお願いがあるのですが。」
「…何でしょう?」
ルーウェン様からのお願い…?聞いてはいけないような気もする。
ピコーンピコーン!!
「できれば、誓約をした後はそれを違えぬようお互いが注意していたほうがいいと思うのです。」
まぁ確かにお互いが監視していたほうがいいのはいいだろう。
いくら誓約違反がすぐにわかるとはいえ、違反した後で知ったでは遅いというのはある。禁忌魔術を使えば魔力どころか命を落とすのだから。
「誓約して終わりではなく、時にはお互いに会って確かめた方がいいと思うのです。」
え…?
つまり。今後も会うってこと…?それは…。
ピコーンピコーンピコーン!!
「私には親しい友人はほんとどおりません。もしよければ、以前のように友人として私が誓約を違わぬよう見守ってもらえないでしょうか?さすがに怪我させた相手に厚かましいでしょうか…?」
ああああああ!やはり聞くのではなかった!!
だって、友人。友人…?友人として…見守る?何その魅力的なお誘いは…!
えっと…。考えろ私。
私が婚約者にならなければ私が死ぬフラグはたぶん無くなるよね?それに、友人ぐらいなら?合法的にご尊顔も拝見できるし?闇にのまれそうになったら助けることもできるかもしれない?もし約束を破って禁忌魔術を使うかもしれないときは気づいてあげられるかもしれない?
…どうやら警報器はもう壊れてしまったようだ。
婚約者にならずとも顔を拝める。友人という名目の監視みたいなものだけど…。それにしてもルーウェン様は私に会うのが苦ではないの?それとも、とんでもないどMなのかしら…?
本当のソフィリアには悪いけれど、今は私なのだ。私は彼の死亡フラグにヒビを入れたいのである。だからこそ、この提案を受け入れたほうがいいだろうと思う。
暫く沈黙が続く中で、右手首を掴んでいる手に若干力が入ったのがわかった。それに促されるように肯定の意味でただ頷くと、緩んだルーウェン様の手から解放された私の腕は力なく元の位置にストンと戻る。
右手首だけがやけに熱かった。
「では、改めて。ソフィリア嬢、私と友人になっていただけますか?」
後ろを振り返りルーウェン様の顔を見ると、綺麗な眉がやや垂れ気味で不安そうな表情で。希うような姿勢は見たこともないほど美しく真摯さが感じ取れた。
「はい…。友人なら。」
私は声を絞り出して漸く言葉を返す。
そもそもこんな男前にそんなことを言われて、そのような表情をされて断るなんてそんなことできるわけないじゃない?
それに。
「ありがとう。」
そう言って微笑むルーウェン様は神か悪魔か…この世ではない何かが降臨されたかのように神々しくて。本当に最高の最高の最高でした…!言うまでもないけれども!!これを見れただけで、友人になって良かった―!と思えるぐらいにだ。
そしてこれだけじゃなかった。
さらに。
右手を差し出されたので、友人になってこれからよろしく!の握手かなと思って右手を差し出すと、私の手を握ったルーウェン様はすっと跪き、流れるような仕草であの形の整った唇を私の手の甲にあてたのだ。
余りにも流れるような美しい仕草に、ただ茫然と身を任せてしまったのは言うまっでもない。抵抗できるならその方法をご教授願いたいほどだ。
はっと意識を戻した時のソフィリアの心の中は、大変なお祭り騒ぎであるのは言わないでもわかるだろう。
んもおおおおおおおおおううううううううう!!私を殺す気か!?はぁはぁ。そんなことすると襲っちゃうぞ!?いや、しないけどね!?でも、血を吐きそうなぐらいドキドキするから心臓に悪いことはやめてほしい。
淑女教育をされてなかったらさぞかし大変なことになっていただろう。表面上何とか耐えきれたのはメリーのおかげだろう。心の中でメリーに最大級の感謝を告げた。
あの顔に声に笑顔に行動にやられ、ソフィリアはもはや何も考えられなくなっていた。完全に許容量を超えており、ソフィリアは思考を停止した。
それなのにルーウェン様は涼しい表情で再び軽く微笑みながら「ではまた来月。その時は誓約書を持参して参ります。今度は友人として貴方を訪ねることにしますね。それでは。」と告げて、長い両足でスタスタと帰っていってしまった。というか、異議を唱える前に逃げられた感じがする。気づいた時には次の約束がなされていた。
え、まって!?また来月って言った!?ええええええええ!ま…また来るの?私が行くのではなく、来るの…?友人として?会いに来る必要もないのに?しかも誓約書を持って。もしかして…本当にどMなのかもしれない。
因みに誓約書に使用する用紙の値段はとんでもなく高いらしい。私では確実に買えない代物なので、持参していただけるのは嬉しいのではあるが…。
それにしても、本当に頭が混乱する。ルーウェン様のイメージが全然違っている。それともまたこれから変わるのだろうか…?
ソフィリアは1人放心状態のまま自室にあるソファの背もたれに全体重を寄せていた。
「淑女らしく」というメリーの小言なんて全く聞こえていない。
とりあえず今日は疲れた。何ももう考えたくない。いろんなことが起こりすぎて精神的にも肉体的にも疲労困憊だ。
湯あみをして寝よう。そうしよう。
だけどその日は、身体が疲れていたにも関わらず全く眠れなかった。ただただ、あのルーウェン様の微笑みと手に触れたあの感触が反芻されて、一人悶えていたのは言うまでもない。
結局、私の考えたミッションは半分成功で半分は失敗に終わったということだった…。