記憶
今目の前では、ユリウスが剣術の稽古をしている。真剣に取り組む姿は、12歳と言えども男の子だなぁ。かっこかわいいなぁと思う。これがあと数年後には傾国の美男子だもんなぁ。…うん。わかる。
「ねえさま?」
ユリウスの声はまだ声変りが完全に終わっていない。声までも可愛い。なんて最高。はぁああああぁぁ…!!
「ねえさまってば!」
は!声に聞き入っていたわ。いけないけない。
「なあに?どうしたの?」
「…」
黙っているユリウスに目を向ける。どうしたのかしら?と首を傾げて考える。
「ねえさま。今日はダンウォール様がいらっしゃる日では?こんなところで油を売っていていいのですか?」
ああ!そういえば!やばい。もうそんな時間か。ユリウスの姿を見て眼福を感じていたら時間が過ぎるのなんてあっという間だわ。私はユリウスにお礼を言って自分の部屋に戻り、ルーウェン様のお出迎えのために身支度をすることにした。
「お嬢さま。お茶の用意はどうしましょうか。」
そう聞いてくれているのは私の専属侍女であるメリアーナだ。私が生まれた頃からお世話をしてくれている。
「うーん。そうねえ。今日は天気もいいしお庭に用意してもらえる?」
「…!やはりお会いになるのですか?」
「うん。お母さまたちからは私の好きなようにしていいといわれてはいるけど。さすがにね。手紙もそう返事をしてしまっているし。ということで、お願いね。」
「かしこまりました。」
一瞬見開かれたメリーの目はすぐにいつもの表情に変わり、さっと周りのメイドたちに指示をしている。
今日はルーウェン様が屋敷に訪れる日。ルーウェン様というのは、4公爵家の1つであるダンウォール家の息子であり、傾国の美男子の一人だ。なぜそんな人物が格下の伯爵家に来るのか。説明すると長いのだけど、一応話しておこう。それにこれは、私の記憶が蘇った…いや、私がソフィリアになったときの記憶でもあるから。
ソフィリアとルーウェンの出会いは4年程前に遡る。
身分の違いはあるものの、ダンウォール家とデンパール家は母同士の仲が良く、度々お茶会にお呼ばれしていた。ソフィリアもお茶会の勉強をしたほうがいいということで、母と一緒にダンウォール家に何回も訪問した。
最初、引っ込み思案のソフィリアはガチガチに緊張していたが、回数を重ねるにつれ緊張もなくなり暇を持て余していた。なぜなら大人のお茶会だ。子どもはいたりいなかったりで、私一人の時も多々あった。だからほとんど話をすることもない。なぜ連れていった母よ。あそこの旦那は誰々と浮気をしているんですってとか、あそこのご婦人は誰々を嫌っているんですってとか…正直どうでもいいです。
庭に咲き誇っている真っ赤な薔薇を眺めながら、暇だなぁ。早く帰りたいなぁ。そう思っていると、薔薇の向こうから綺麗なお顔をした男の子がやってきた。
風にサラサラと揺れる漆黒の髪にさっきまで見ていた深紅の薔薇のような瞳。私は一目でルーウェン様だとわかった。だってお顔が!ご尊顔が!!幼いのにとても整っているのがよくわかる。
このお茶会の主催者でありルーウェン様の母であるカミーラ様が手招きすると、柔らかい笑顔と共にやってくる。
はぁあああああん!なんて愛らしいんでしょうか!ねえ?神様?流石です!!このまま額縁に入れて飾っておきたい…。ほぅ…。これは眼福!お母さま!連れてきてくれてありがとう!ありがとう!
おっと、説明の途中だったわ。ごめんなさいね。
まぁ、実際あの時は息子のことなんてどうでもよくて。いや、でもかっこいいなっては思っていたけれど、それ以上に早く帰りたくて仕方なかったと記憶されている。だけど、この記憶があることは本当に良かったと今の私は思う。あんな笑顔、ゲームでは見ることができなかったもの。何回この記憶を回想したことかしら。まぁそれは置いておいて。
カミーラ様と並ぶルーウェン様のご尊顔は、整った顔の輪郭や鼻や唇がよく似ている。だが、瞳の色や髪の色は全く違っていた。カミーラ様は美しい白みがかった金髪に琥珀色の瞳で、なんとも儚げに見える。お会いしたことはないが、彼の瞳や髪色はきっと父親に似たのだろう。
「こっちにいらっしゃいルーウェン。皆さま、この子は私の可愛い息子です。どうぞ可愛がってあげてね。」というと、ルーウェン様は可愛くお辞儀をして「はじめまして。ルーウェン・サン・ダンウォールと申します。以後お見知りおきくださいませ。」と微笑みながら自己紹介をした。
回想だけで鼻血がでそうなほどの可愛さなのである。やはりイケメンは幼いころから相当であった。いや、傾国の美男子と言われるぐらいなのだから当たり前か。
だが、私が知っている冷酷なイメージとは全く違ってニコニコとしていた。つまり子どもの頃は表情があり、愛らしかったのである。
そしてダンウォール家のお茶会に参加するたびに少しずつ仲良くなっていった。庭を散歩したり一緒に本を読んだり、他愛もない子ども同士の話をしたり。元々ソフィリアはあまり人と話をするのが得意ではない。引っ込み思案で話が下手な私に、いつもニコニコしてゆっくりと話を聞いてくれた。とても優しくてかっこいい男の子。ソフィリアの中でルーウェン様はそんな印象だった。
ルーウェン様の思い出はこの辺で置いておこう。まだまだ話したいことはいっぱいあるんだけどね!
それで、なんだっけ。ああ、ルーウェン様がうちに来るようになった理由ね。
ああ、そうだ。たしか彼の母親が亡くなった日だ。カミーラ様が不慮の事故で亡くなった日。それは彼にとって最悪の1日だっただろう。
ソフィリアは両親に伴いカミーラ様の葬儀に参列した。その日はどんよりとした曇り空で、今にも雨が降り出しそうだった。長い参列者の列がカミーラ様の求心力と権力を象徴しているように見えた。黒い喪服を着たルーウェン様は必死に涙を堪え耐えていた。その姿がとても痛ましく、私も泣きたくなった。私は泣くまいと必死に涙を堪え、ルーウェン様の方を意識して見ないよう努めた。どうしても彼を見ると涙が溢れそうになるから。
それから暫くして、私がカミーラ様の棺の前に花を添えるときにはルーウェン様の姿は見えなかった。
どこへ行ったのだろう?もしかしたらどこかで泣いているのかもしれない。
そう思って、両親がルーウェン様の父に挨拶しに行っている間にルーウェン様を探すことにした。屋敷の中にはいない気がして、よくお茶会を開いていた薔薇園に向かった。すると、すぐに薔薇園の隅で蹲っている彼を見つけた。
「…。」
何も声をかけることができなかった。私はただ隣に座った。彼はビクッと体を動かしたが、その場所から移動することはなかった。
しばらくすると横から鼻をすする音が聞こえてきた。きっと彼は泣いている。たぶん見られたくないだろう。そう思って、ただ隣に座っていた。
どのくらい時間が経っただろう。わからない。どす黒い空から冷たい雫がポツポツと落ち始めた。それはまるでこの世界が泣いているようだった。すぐにその雨は激しさを増していく。けれどルーウェン様はその場に留まっていた。声をかけようかどうしようか迷っていると、ぼそりと声が聞こえた。だが雨の音できちんと聞き取ることができず、私はルーウェン様の方を向いた。
「…なんで。」
「…?」
「なんで母が死ななければならないの。ねぇ、なんで?…なんで?」
顔を上げ私を見るその顔には涙が溢れ、顔は酷く歪んでいた。すぐにその涙は雨と同化していく。
私は何も答えることができなかった。
この時のソフィリアは知らなかったけれど、カミーラ様の死因は不慮の事故によるものと公表されているが実際は違う設定だったはずだ。ルーウェン様は聡い子だった。大人たちの心ない会話が少しでも聞こえてさえいれば、母の死因が不慮の事故によるものではなかったと推察していたに違いない。だからこんなに悲しみの感情だけではないどす黒い感情を感じたのだと思う。
「ねぇ。お母さまを返してよ!ねぇ!ねぇ!!!」
先ほどよりも大きな声で叫ぶルーウェン様を見つめることしかできないソフィリアは、ただ彼の悲痛な叫びを受け入れることしかできない役立たずだった。
歳が近いといえども男の子だ。ソフィリアより力が強く、捕まれ揺さぶられる両肩がとても痛かった。だが、ソフィリアにはどうすることもできなかった。うまく言葉を紡げないソフィリアは、慰める言葉も出てこない。どうしたらいいのだろうとただ涙が溢れるだけだった。
痛い。心が。
そう思った時だった。一瞬目の前が真っ白になった。何も見えない。そしてすぐに真っ暗になった。
ソフィリアには何が起こったのかわからなかった。気が付いた時には私がソフィリアの部屋にいた。ソフィリアの記憶はそのままに、中身だけが鷹城綾になっていたのである。そして、本当のソフィリアはこの時に死んでしまったのだと…今は考えている。