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白い円

作者: N(えぬ)

 初夏の晴天が続いたある日、それはわたしの住んでいる町で起きた。

 最初、それを見た人は皆、道路工事か何かのために引かれた白線だろうと思っていた。

 けれどその白線は、道路に引かれているだけではなく、道路から塀の上へ、そして民家の庭に入り、家の屋根の上まで、切れ目なく線が書かれていることが分かった。

 そしてその線がどこまで、どう続いているのか分からなかったが、とにかく町のそこら中に線が続いているようだった。

 この話題がメディアに知れて、とうとうどこかのテレビ局がヘリコプターを飛ばして空からこの白線を撮影した。空から見れば、白線がどのように引かれていて、どんな形をしているのか分かるだろうということだ。

 謎の白線はナスカの地上絵のように、何か意味のある形をしているのではと期待されたが、上空から見れば一目瞭然で、それはただの「円」を描いていた。

 わたしはテレビで、その謎の白線について報道している番組を見ながら、描かれていたのが単純な円であることに少しガッカリしたが、それでも、誰がなんのために、どうやって、町を一つ囲むほどの円を描いたのかは不思議だった。それに、わたしの家はその円の中にあったので、妙な胸騒ぎがして気持ち悪かった。

 謎が話題を呼び、新種のミステリーサークルか、なんて話も出た。

 建物や道路に、勝手に白線が引かれたことで、警察も乗り出して捜査しているようだったが、何日たっても犯人は捕まらなかったし、円が描かれた理由もまるで不明のままだった。その上、この白線は、消そうにもなかなか消えなかった。家に線を書かれた人は、躍起になって消している人もいたが、消せずに相当苦労したようだ。しかも、やっとほぼ消えたかと思っていたら、翌日またきれいに白い線が書き直されていたりした。どこの誰がこんな悪さをしているのかと思われたが、近所の監視カメラなどを警察がチェックしても、容疑者は誰一人浮かばなかったらしい。

 そんなわけで、その謎の白い線は、いつしか町の風景として定着してしまった。

 わたしも、始めこそ線を見物に行ったことがあったけれど、今はもうなんとも思っていなかった。気味の悪い謎も、慣れてしまえば、ただの白線のなのだった。

 もし白線で描かれた図形が、もっと複雑な何かを意味するものだったなら、いろんな憶測を呼んだりして話題も長続きしたのだろう。だが、いかんせん、ただの円形では、話題作りも難しかったのだろう。数週間すると、どのメディアもすっかりこの事件に興味を失い、上空を飛ぶ取材ヘリも姿を見なくなった。

 わたしもいつしかこのことを忘れていたし、町に平和が戻ったという感じもした。



 わたしの仕事場は隣の町だ。毎朝電車に乗って出勤している。

 その日は、仕事の帰りに真っ直ぐ家に帰った。日が暮れても少し蒸し暑い。もう夏が迫っているのだと思った。

 わたしはコンビニで夕食にする惣菜と缶ビールを3本買った。

 家まではここから1本道だが、まだ歩いて数分かかる。

 わたしは何気なく買い物袋からビールを一本取り出して蓋を開け、一口飲んだ。

「ふぅぅ」っと、自然に一息口から漏れた。

 歩きながらビールを飲むなんて行儀が悪いな。そんな風に思ったが、その行儀の悪さがかえって心地よい気がした。

 歩いているうちに、もう忘れ掛かっていた「例の白線」が道の途中にあるのを見た。

「そうか。ここにあるんだよな」

 大体朝の出勤の時は、まるで気にせず歩いているし、帰り道でも大抵は気にしなくなっていた。だが、白線自体はまだ鮮やかな白さを持っていた。ここから数百メートル先を中心にして円が描かれているのだというのも思い出した。

 わたしはビールを飲みながら歩いていた。真っ直ぐな道が街灯で照らし出されている。

 喉が渇いていたので、わたしはビールを一本飲んでしまった。そして空きっ腹に飲んだ上に、歩きながらだったのでよけい早く酔いが回ったようだった。

 道は静かで誰も歩いていない。車も走っていない。

 わたしにいたずら心というべきか、妙な衝動が湧いたのはそのときだ。

 わたしは小さいころサッカーをやっていた。その記憶がなにか作用したのだと思う。手にしたビールの空き缶を道の真ん中に据えて、数歩後退し、勢いを付け助走すると、思い切り缶を蹴った。缶は角度よく暗い空へ上がったが、すぐに失速して落ちた。

カシュゥーン カン コロン カン

 軽いアルミ缶だから、あまりいい音はしなかったが、静かな道に空き缶の音はよく目立つ音だった。わたしはその音を聞いて、あらためて、自分が酔っていて、社会人として恥ずかしいことをしたと思い、前方に転がった空き缶を拾って帰ろうと思った。しかし、空き缶は見当たらない。

「おかしいな。この辺りに落ちたと思ったんだが」

 わたしが少し背を曲げて地面を見ていると、どこからか声が聞こえて来た。

『缶が蹴られたゾ!蹴られた!逃げろ、逃げろ!』

『おー!今だぞ、逃げろ!』

『しまった。誰が缶を蹴ったんだ?』

 そんな声が響き渡ったけれど、声の主の姿は見えなかった。わたしは、何か自分が今した行為が大変なことだったのかと思い、焦った。

「俺の蹴った缶が、なんだって言うんだ?どうしたんだ?」

 わたしが呟くと、また声が聞こえてきた。

『アンタが缶を蹴ったのか。エラいことになったぞ』

「な、なにが、エラいことなんです?」

『奴らをやっと捕まえて白線で描いた円の中に閉じ込めていたんだが、アンタが缶を蹴ったおかげで、捕まっておとなしくしていたアイツらが逃げ出してしまったんだ。……これでまた、当分は捕まらないな。アイツらまた、好き放題するだろうナ』

「捕まえたとか、逃げ出したとか。あなたたちは何をしていたんです?何者なんです?」

『ううん?うん……、何をしていたかというと、缶蹴りだ。そんで、我々が何者かというと、それは知らないほうがいいナ』

「そうなんですか。缶蹴り……。誰が缶蹴りをしてたって言うんだ。あんな大きな円を描いて、誰が」

 わたしがそう言うと、今度はさっきと違う声が話しかけてきた。

『おまえさんの缶の蹴り方はすごくよかったぞ。あれなら戦力になりそうだ。おまえが望むなら、缶蹴りに混ぜてやってもいいが、どうだ、やるかぁ?』

「え、いやぁ、遠慮します」

 わたしは、声の誘いを断って一目散に逃げ出した。

『そうか、そりゃあ残念』


 あの白線の円の中から、何が逃げ出し、解放された何者かがこれから何をするのか。それは、わたしには何も分からない。

 しばらくして、遠い町にまた、あの白い円が出現したことを知ったわたしは、住んでいる人たちに、缶を蹴ってはいけない、と言いに行こうか迷っている。

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