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53.邂逅する指揮官

 あの夜から、ワッファルはユリアに対して苦手意識を持ってしまった。

 ユリアのことを意識しないようにすればするほど、ワッファルの頭の中はユリアのことでいっぱいになってしまう。こんなことを兵士達に知られれば、隊長としての沽券に関わる。

 だからこのバオル平原に着いてからは捕虜を遠ざけて、顔を合わさないようにしていたというのに。


 あろうことか、ワッファルの指示で兵士が連れてきた人族はユリアだった。

 だがしかし、兵士を責めることは出来ない。兵士には何一つ落ち度はないのだから当然だ。

 ワッファルが隠している以上その心情など知るわけもないし、知られても困る。それに体格と性別だけを考えれば人質に丁度いいのは確かにユリアであろう。

 だからどちらかと言えば落ち度があるのはワッファルの方なのだ。


 それを自覚しているので、ワッファルは何も言わずに兵士からユリアを引き受けた。

 のだが。



「私が自分で人質になるって言ったの」



 ユリアはそんなことを言う。その意図を、ワッファルは掴むことが出来ず戸惑ってしまう。



「何をする気なの? ワッファル」



 気安く名前を呼んでくる少女。ワッファルは本当ならそれを怒るべきなのかもしれないが、不思議と名前を呼ばれて嫌な気はしない。先代の魔王であるグロリオスに付けてもらった名前を、先代の魔王が嫌った人族に呼ばれているというのに。

 ワッファルは自己嫌悪に陥るだけだった。



「俺は敵軍に突っ込む。お前はその盾になってもらう」



「分かった」



 何の抵抗もなく、少女は頷く。

 調子が狂う。ユリアは捕虜らしくない。泣き喚くことを一切しない。まるで仲間のようですらある。

 だからワッファルは、ユリアのことが気になるし、苦手だ。そう思い込む。

 決して好意などではない。この少女に対してそんなものはない。

 そう割り切っても、少女と目を合わせれば心拍は上がるし、会話をすれば心が感じたことのないざわめきでいっぱいになってしまう。



「それじゃあ――――」



 行くぞ、と言いかけたその時。

 どこからか馬の駆ける音が聞こえてワッファルは反射的に振り向いた。



「ワッファルさま!」



 聞きなれた声。それは信頼する副隊長であるクーカのものだった。出発する時には騎乗していなかった馬に乗っていることと、周囲に連れだっていった兵士達が居ないことは少し気になったが、それでもその姿を見てワッファルは無意識に安堵の笑み浮かべる。


 近くまで来るとクーカは馬を下り、すぐにワッファルに向けて跪く。後ろ手で縛られた縄の端をワッファルに握られているユリアも、それを黙って見ていた。



「申し訳ありません。奇襲は失敗致しました」



「そうか、ご苦労だった。他の兵は?」



 その報告は予想していたものでもあったので特別驚くことはなかった。



「敵の背後にはエカレアさまの率いる【冥王ノ書架アトロポス】が控えていました。その魔術を食らい、他の兵士は消息不明です」



「【冥王ノ書架アトロポス】が……」



 まさか、エカレアまで王国軍に付いていたとは。魔王はよほどワッファルに憤慨したのだろう。恐らくもう、【穿光】を壊滅させる気なのだ。であればもう、退路はない。やはり敵陣に単身突撃するよりない。

 ワッファルは決意を新たにする。



「他の兵士のことも心配だが、俺はとにかくお前だけでもこうして無事に帰ってきてくれて嬉しく思う。少し、ゆっくり休んでいろ」



「無事……ですか。いえ、そうですね、私は無事です。ワッファルさま、相手方からワッファルさまに伝言があります」



「伝言?」



「はい。相手方の指揮官、エリオト王はワッファルさまとの一騎打ちを望んでいる、とのことです」



「なに、一騎打ちだと?」



 人族が、この魔族の俺と?

 それは嘘のような申し出だ。だってどう考えようとこちらに有利な条件である。一騎打ちで俺が人族に負ける可能性などない。それは相手だって分かっているはずだ。

 なら、その目的はなんだ?

 バカなのか、それとも罠か。

 仮にも一国の主がそこまで愚かとは思えない。であれば後者の確立が高いが。



「いいだろう」



 もとより敵陣に突っ込むつもりだったのだ。だとすればそれよりはむしろ危険性は低いだろう。それが例え罠だろうが、この拳で罠ごと粉砕してやればいいだけのこと。

 ワッファルは覚悟を決めた。

 そしてにニヤリと笑った。




 * * * 




 土に下半身を埋めたまま騒然としている敵兵を横目に見ながら、レオニスはその南側を迂回し【穿光】の本隊、つまりはワッファルの居場所を探していた。

 途中パラフェに相手が動きを見せるまでは待機するようにお願いしてきたので、これで余計な犠牲は出ないはずだ、敵にも味方にも。


 オルフェラーガは風のように走る。そうするとすぐ敵陣の後方が見えてくる。だがその手前に、陣を離れてこちらに向かってくる影をレオニスは見つけて、レオニスは手綱を引いた。

 オルフェラーガは前足を上げて急ブレーキ。草を踏みつけてとまる。

 視線の先から迫ってくる影も馬に乗っているようで、瞬く間に接近してくる。

 どうやら向こうもこちらに気付いている。方向はこちらに一目散といった感じだ。


 近くまで来ると、その謎の人物も馬を止めた。どうやら馬には二人乗っているが、後ろの人物は前の人物に隠れてその姿がほとんど見えない。

 前で手綱を握っているのは、見た目にはレオニスよりも少し若く見える位の、やんちゃな見た目の少年だった。長からず短からずの髪は無造作に乱れ、肌は浅黒く、目付きは少し悪い。服装が特徴的で、下は白い麻のズボンを穿いているのだが、上半身は裸の上に丈の短い黒いジャケットを羽織っているだけで、へそなどは丸出しだ。

 戦場に居るにしては防御力の低そうな格好だった。

 少年と目が合う。



「お前が人族の王か」



 少年の方から声を掛けてくる。見た目は若く見えるが声変わりは終えているようで、抵抗の少ない通る良い声だった。



「ああ、そうだ。そう言うお前はワッファルか」



 相手もレオニスを見定めるように視線を無遠慮にぶつけてくる。



「ああ、【穿光】の隊長ワッファルだ。まさかそっちから来るとは思わなかったぞ。お前が一騎打ちを望んでいると聞いて、今向かっていたところだ」



「一騎打ち?」



 何の話だ? いや、確かにそう出来ればいいと思ってはいた。

 俺一人が戦って決着が付けられるのであれば、それに越したことはない。もっとも犠牲の出ない方法がそれだと、真っ先に思いついてはいた。だがしかし、一騎打ちに持ち込む方法などないと思い諦めていたのだが。

 まさか、シャラアか?

 シャラアにはこの戦いが始まる前にその話をしてはいた。もしかしたらシャアラが、何らかの方法で敵にそれを伝えたのだろうか。



「なんだ、一騎打ちする気がないのか?」



 ワッファルが怪訝な顔をする。

 こちらから申し込んでいてレオニスが知らない顔をすれば、それはそうだろう。

 このチャンスを無駄にするわけにはいかない。



「い、いや、そうだ、一騎打ちだ! 受けるのか?」



 慌てて取り繕ってみたが、どうやらそこまで不審には思われなかったようで、ワッファルの表情は真剣なものに変わる。結構単純な性格なのだろうか。



「受ける」



「そ、そうか。なら、丁度いい、ここなら邪魔は入るまい」



 レオニスはオルフェラーガを下りる。

 そして目線が低くなったことで、ようやくワッファルの騎乗している馬がミシェランダだということに気付く。しかし、何故ワッファルがミシェランダに? と疑問が浮かぶばかりで答えは出ない。

 出ない内に、レオニスの胸には新たな驚きが去来した。

 ワッファルもミシェランダを下りたことで、後ろの人物の姿がやっと見えるようになった。

 それは見紛うことのない、愛すべき幼馴染みだった。

 ユリアもレオニスを見ている。だが特に声を上げない。ただ、瞳の奥の輝きが少しだけ増した。


 恐らくユリアは今のレオニスが王を騙っていることに気付いて、声を掛けないで居てくれているのだろう。故にレオニスから声を掛けるわけにはいかない。


 見守っている間に、ワッファルがユリアにも降りるように促している。馬に乗る際に外されたのかもしれないが、手首には縄の跡があってその赤さが痛々しく思える。



「その女性は?」



 さすがに庶民であるユリアが王族と知り合いというのは無理があるので、ここは知らない振りで通す。



「分かるだろう、捕虜だ。もしもの時のために人質として連れてきたが、その必要はなさそうだったな。だが丁度いい、一騎打ちを見届けてもらおう」



 ワッファルがユリアとミシェランダを手で下がらせるのを見て、レオニスもオルフェラーガに離れるように合図をする。

 そうして再びワッファルに向き合うと、その身長はレオニスよりも頭半個分は小さかった。

 暖かめの風が吹いて二人の髪を揺らす。

 視線は一直線。

 人族と魔族、10メートル程のその距離が隔たりを感じさせた。



「戦う前に問いたい。お前は本当に俺に勝てると思っているのか」



 ワッファルがレオニスに疑問をぶつけた。

 その答えにレオニスが迷うことはない。



「勝てるとは思ってないが、勝つしかないと思っている」



「ふっ、お前面白いな」



「光栄だな。お前が勝ったら、何を望む?」



「決まってるだろう。人族の滅亡だ」



「そうか、好きにしろ」



「いいのか?」



「負けた俺に挟める口はない」



「それはそうか。そういうお前は、何を望むんだ」



「決まっている。世界の平和だ」



「その答えはつまらんな」



「そうだな、世界の平和など特別面白いものではない。当たり前にあるべきものだからな」



「そうか」



「そうだ」



「ならその“当たり前”を手に入れるために俺を倒してみろ」



「ああ、そうさせてもらう」



 それを最後に会話は途切れた。

 レオニスは腰から剣を抜き構え、ワッファルは拳を胸の前で構える。

 そんな二人を無表情で見守るユリアの瞳が揺れた時。

 二人は同時に地を蹴った。




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