51.種族というシステム
何もしない間に戦況は刻一刻と変化していた。
本隊でパラフェの指揮する【檻】の戦いを遠目に眺めている。
この戦いが始まってからおおよそ1刻が経とうとしていた。
最初のころ、魔獣達の奮戦で優勢に立っていたが、次第に相手の攻撃の勢いが増し前線が押し返されていた。
魔獣達の被害が酷い。
一つの犠牲も出したくないといったが、それは魔獣だって例外ではない。パラフェの家族であるのなら、それは俺にとっても仲間だ。犠牲を出さないことは出来なかったが、それでも最小限に抑えることは諦めるわけにいかない。
何か、俺に出来ることはないか。そう考えいると、前線を指揮していたパラフェが後方の本隊に下がってきて俺に向かってきているのが見えた。
「パラフェ!」
表情の変化に乏しいパラフェだが、この時ばかりは険しい顔をしていて状況が悪いことを察する。
「レオニス、ワッファルが奮戦していて相手の士気が上がってる! このままだと、押し切られる!」
【檻】が突破されれば、ごく少数で編成された本隊、そして実質この軍の筆頭である俺も、すぐに攻撃を受けるだろう。俺が討たれればこの戦いは敗戦という形で終わり、俺が王でないことはすぐに相手に知られるだろう。そうなればワッファル達は、騙されたことに怒り、捕虜にした村人達に危害を加えるかもしれない。最悪、皆殺しすらあり得る。手を打つなら、今が潮時だ。
「パラフェ、もう少し耐えてくれ、すぐに手を打つ!」
「分かった、やってみる」
パラフェは頷くと、少し顔を緩めて戻っていく。そしてすぐに魔獣達を激励する声が、俺の耳にも届いた。
とはいえ、気合いもいつまで持続するかは分からない。俺は早急に手を打たなければならない。
「イリス、クレビオス」
少し離れて待機している二人を呼び寄せる。
シャアラはまだ戻ってきていないようだ。心配ではあるがシャアラを信じるしかない。
今俺がするべきことは、前線を維持することだ。
ある程度の敵の数を減らし動きを封じることが出来れば、あとはエカレア達【冥王ノ書架】の魔術で敵を一掃することになっているが、まだ数が多いだろう。それに、出来ることなら俺はワッファルと話がしたい。
人族と魔族は分かり合える。ワッファルともきっと。
その機会を窺っていたが、しかしこのままではこちらが壊滅してしまうだろう。
自分だけなら死んでも構わないなどと、そんな綺麗ごとは言わない。
俺は生きてやらなければならないことがある。そして、大切な人も死なせたくはない。
だから、俺は。
「レオニス、どうしたの!?」
「聞く必要はないよ姉さん。精霊術の出番だろ?」
クレビオスも戦局を見て同じように判断したようだった。
「正直、少し遅いと思ったけどね」
耳が痛い。確かに俺は、精霊術を相手に仕掛けることを躊躇っていた。精霊術を使えば、こちらが大きく優勢に傾くことは分かっていてなお――――いや、だからこそ、俺は精霊術をなるべく使いたくはなかった。
それはきっと、この軍の指揮官として正しくない判断だっただろう。
この戦いに勝つために、手段を選ぶべきではなかっただろう。
だが俺にとっては、敵を殲滅することが勝利じゃない。
相手側にもこちら側にも被害が出ている以上、もう完全勝利とはいかない。でもなら、なるべくより良い形で勝利を収めたいと思うのは、人間としては間違っていないはずだ。
だから今でも、精霊術を使うのは正直あまり気が進まない。苦肉の策とも言える。
相手に大きな打撃を与えれば、きっとワッファルは激昂するだろう。そうすれば、話し合いをするという理想は遠のき、お互いの軍に更に被害が広がる。
それでも、全滅よりはましだ。そう、思った。
「姉さん、いくよ」
「うん!」
そうしてエルフ族の姉弟が不可視の精霊に祈りを捧げる様を、俺はまた眺める。
俺はこの戦場に立って、まだ何もしてない。
もどかしい。
指揮官はそれでいいのだと皆は言うだろう。でも、俺は所詮お飾りの指揮官だ。
偽りの王だ。
一人だったはずの、勇者志望のただの庶民が、まさかこんな軍隊を率いて戦うことになるとは。
仲間が出来たことは嬉しい。
人族にも、魔族にも、エルフ族にも、大切な人が出来た。
大切な人が居るのは、幸せなことだ。でも、大切な人が居なくなってしまうのは、とても哀しいことだ。
だから俺は、『すべての人の大切な人』を守りたい。俺自身は、平和なんてどうでもいいと思ってた。自分が好きな人が幸せなら、それでいいと思ってた。でも、好きな人が幸せでいるためには、好きな人の大切な人も幸せでなくちゃいけない。それが連鎖していったら、多分この世界の人がすべて幸せになれないと、俺はにとっての幸せは訪れないんだ。そしてそれこそがきっと、母さんの言っていた平和ってやつでもあると、気付いた。
「イリス、クレビオス」
名前を呼び二人と目を合わせる。それだけで伝わったようで、二人は同時に頷いた。
「安心して。誰かを傷つけるのは、大賢者のすることじゃないからね」
「クレビオス、まだ大賢者じゃないでしょ?」
「うるさいなぁ、気持ちの問題だから! ほら、いくよ!」
微笑ましい姉弟のやり取り。
なるべく敵にも被害を出したくない。その思いが伝わっていて安心する。
二人を信じ、その術の発動を見守る。
「地と水の精に祈り奉る。絡み合い、織り交ぜ、土流を用いて仇なす者たちの足を取りその動きを封じん――――【安寧たる泥濘】」
クレビオスが唱えた次の瞬間、前線の地面が揺れ出す。
「みんな、下がって!」
野性的な速度で異変を察知したパラフェが魔獣達に指示を飛ばす。
いきなり後退していく【檻】に【穿光】の兵士達は困惑し足を止めて周囲を見渡している。
「お前ら、後退しろ!」
敵軍の中から若い男の声が響いた。
しかし、その時にはもう遅い。
【穿光】の兵士達の足元の地面が急にその硬さを失い、それは泥へと変質する。驚いている内にみるみるその足が沈み、脚が沈み、前方の兵士達は瞬く間に腰辺りまでを地面に埋めてしまう。
そこにイリスが更に精霊術を重ねる。
「風の精に祈り奉る。天空から舞い降り、陽光の熱を孕み、ふやけた大地を速乾せん――――【真昼の烈風】」
次の瞬間風が吹き抜けるのを感じた。すべての方向から、真上にある太陽に与えられた生ぬるさを帯びた空気が流動し、地面のぬかるんだ部分に集中する。足を動かせないでいる兵士達は突然吹き始めた温風に驚くが、目を細めることしか出来ない。
しばらくの間常夏の島の気候を感じていると、
「ぬくくて眠くなりますねー」
と背後のリーゼが猫のようなことを言う。あ、猫か。
やがてその風が止んだ頃、イリスも組んでいた手を解く。それと同時に敵軍にざわめきが生じた。
それもそのはずだ、さっきまで泥と化していた地面が温風によって乾燥し、下半身を地に埋めたままの兵はもう完全に抜け出せなくなってしまったのだから。
足止めする為の精霊術に関してはイリスとクレビオスに一任していたのだが、まさに“足止め”そのもので二人のセンスには恐れ入る。確かにこれならば誰も傷つけることもない。二人は本当にレオニスの意を汲んでくれたようだ。
前線部の敵兵が身動きを取れなくなったことで、その後ろの兵士達にとっては前方に障害物が出来た形となった。実質、これで時間稼ぎは完了だ。後はここでエカレアに、魔術を準備してもらう予定ではあるのだが。しかしここに来て俺は、まだ判断に迷っていた。
ここで魔術を放てば、エカレアの話では敵をほとんど一掃出来るという。だがしかし、それで本当にいいのだろうか。俺は指揮官である以上、本当はここで迷いなく勝利への一手を打つべきなのだ。
でも、俺は――――。
自分の優柔不断さには嫌気が差す。ここで攻めなければ、攫われたザートの村人を助けられないかもしれない。不意を突かれて形成を逆転される可能性はある。でも俺はまだ、ワッファルと話していない。
戦場でこんなことを考えるのは甘いのだろう。分かっている。
それに、他に何か具体的な方法があるわけでもない。
「レオニスさまー、どうかなさりましたかー?」
戦場を眺めて呆然としている俺を不思議に思ったのか、リーゼが声を掛けてくる。俺の腹に回った手は、さっきから痛いくらいに締め付けられていた。
怖いのだろうか。
いや、怖いに決まっているか。リーゼは魔族だが、戦場とは全く関わりのないメイドなのだ。魔族でも、そういう人は居る。人族と同じだ。魔族にもいろんな人が居て、いろんな考えを持っている。
いや、違う。
今気付いた。
俺がしようとしている、全ての人の大切な人を守る、という思想は言うなれば種族の隔てを失くすということだ。全ての種族が全ての種族を認め、手を取り合う。それが俺の理想の形だ。
それなのに、俺が種族を分けて考えていた。
人族は、魔族は、エルフ族は。
きっとそれは全ての人にとって当たり前のことだ。生まれながらにしてそのシステムは当然のように存在して、成長の過程で何の疑問もなく歴史とともにその価値観に組み込まれていく。だが、そのシステムこそが、根本からして間違っている。
種族を分けて呼ぶそのことこそが、種族の間に壁を作っている。種族間に起きた過去の事例が、その時代に生きていない者の思考も束縛している。
でもそれはおかしいことだ。
過去の人族は今の人族ではないし、魔族もエルフ族もそれは同じだ。
人族を虐げようとしたのは今の魔王ではないし、その魔王を討ったのも今の人族ではない。エルフの族長と人族の王が駆け落ちしたというのも、今はもう昔の話だ。
それなのに。
どうして人は、歴史なんてものに縛られているんだ。
なんて、俺は責められる立場じゃない。
だって、俺がそのことに気付いていなかった。
この戦場に立ってようやく、そこに行きつくことが出来たんだ。
だから俺は、皆にそのことに気付いてほしい。恨むべき相手はそこに居ない。もうそれは時間が解決してくれたことなんだって、そう言いたい。
「レオニスさまー?」
汚れなきリーゼの瞳が再び問う。
それはまるで神に心を試されているようだった。
だが俺にはもう、迷いなどない。
「リーゼ」
「ちょっとここで、待っていてくれないか?」
「何故でございますかー?」
「俺は、ワッファルと話をしてくる」
リーゼの腕が、俺の身体を更に締め付けた。
「危険でございますよー?」
「分かっている。でも、行かなきゃならないんだ」
「そう、でございますかー……」
少しの間、リーゼは沈黙した。俺はこの戦場で、今はリーゼの呼吸と心音だけに耳を澄ませている。
「レオニスさまー」
リーゼは腕を緩めたかと思うと、今度は首に腕を回して身を乗り出してくる。
次の瞬間、リーゼの息が耳に掛かった。
「リーゼは、レオニスさまにお仕え出来て、本当に幸せでございますよ」
いつになく真面目なリーゼの言葉に驚いている間に、リーゼは猫のような身軽さでオルフェラーガから降りた。
「お気をつけて、行ってらっしゃいませー」
「ありがとう」
リーゼと笑顔を交換し、俺はオルフェラーガに足で指示を出す。するとオルフェラーガは素直に走りだし、瞬く間に本隊を抜ける。とは言ってもごく少数の本隊だが。背後からイリスの呼ぶ声が聞こえたが、そこで振り向くことは躊躇われて、俺は颯爽と魔獣の群れの中を駆け抜けた。




