48.連鎖詠唱
「連鎖詠唱を始める。目標は部隊後方、属性は水、式句は魔導書の第二章第五項の第七節。魔術の形成は私が行う」
エカレアは自分の指揮する【冥王ノ書架】の兵士全員にそう告げた。
連鎖詠唱。
それは魔術における奥義と言っても過言ではない。
魔術とは元来自分の中の魔力を刻印、呪文、魔法陣などを用いて体外に超常現象を発現させる魔族特有の技だ。しかし一人の魔力には単純に限界があり、いくら手の込んだ術式で魔法陣を描いて魔力をブーストしようとも、良くて倍程度の魔力しか扱うことが出来ない。
そこでエカレアの尊敬する先代の【冥王ノ書架】の団長によって編み出されたのが、連鎖詠唱という魔術の起動方法だった。
一人では限界のある魔力の質量を、複数人で共有することでその限界を取っ払うという一種の裏技的技法だ。言葉にすれば単純だが、接続する人数が多ければ多いほど、その難易度は増していく。
接続する全員で同時に詠唱を行わなければならない上、その内の一人でも呪文を誤れば接続が解け魔力が無駄に流出し、悪ければ暴発さえしかねない。ひいては部隊を危機に陥れかねない諸刃の剣でもある。
しかし、【冥王ノ書架】は魔術騎士団である。
こと魔術に関しては、魔王軍において右に出る部隊はない。
この連鎖詠唱の成功確率もほぼ100%と言ってもいいくらいの練度を誇っている。故に、エカレアは敵が迫っているという状況下においても、連鎖詠唱の行使に迷いがない。
迷っている方が無駄というものだった。
「それでは、詠唱を始めるぞ」
細かい指示はしない。必要がないからだ。
魔術の形成を行うエカレアを導士とし、その詠唱に全員が合わせて詠唱をするだけ。
システム的には簡単なことだ。そうすることですべての兵士の魔力がエカレアに集中する。
もう過去に幾度となく繰り返してきた儀礼である為、細かい指示などなくても呼吸を合わせるように詠唱出来る。それが魔術騎士団と呼ばれる所以でもあった。
導士というのは集まった魔力を代表として体外に出力し、魔術を形成する役割のことだ。膨大な魔力を操るには繊細な技術を要するため、誰でも出来るわけではない。魔術騎士団の中の指折りの実力を持つ騎士であればその役割を担える素養を持っているが、その安定性でいえばエカレアを超えるものは居ないだろう。
《海底の覇者、その世界は青よりも青い。》
遥か以前より代々の魔術騎士団団長により記されてきた魔導書、その第二章第五項第七節。
《静謐なる息吹をその身に、心に宿して深層に至れ。》
《全ての色を失くし、空の記憶も露と消え。》
《辿り着く一条の光は、されど何にも触れることなく。》
《生きとし生けるもの、その命の脈動すら傀儡とし。》
《いつかの時、呼吸を思い出したその時に。》
《瀑布となりて、この世のすべてを清浄に還せ。》
そして放たれる、その魔術の名は。
「アドミラル・ネレイス」
【冥王ノ書架】が一つの乱れもなく詠唱を終えたその時、エカレアの双眼に丁度標的が現れた。
幸いなことに。
相手にとっては不幸なことに。
魔術はもう、発動を開始している。
何もない中空から突如現れた巨大な水塊が弾け、敵を圧倒的な圧力をもって押し流す。
それはエカレアの狙い通り、そしてシャアラの狙い通りに、先頭を走っていた青い戦闘装束の女だけをその場に残した。
「これでいいのか?」
「ええ、ありがとう、エカレアさん」
エカレアの馬に轡を並べる品のいい少女が満足そうに頷く。
エカレアはこの人族の少女――――シャアラのことをよく知らないが、それでもその作戦に乗ることにした。
その作戦は、相手の副隊長であるクーカに一騎討ちを申し込み、それに勝利し交渉を持ち掛ける、というものだった。
『一騎討ち? はっきり言うが、近接戦闘において私は速さでクーカに劣る。勝つ見込みがまったく無いとは言わないが、どちらかといえば厳しい戦いになるのは間違いない』
『ああ、いえその、一騎討ち自体は私がします。だからエカレアさん達には相手にそうせざるを得ない状況を作ってほしいんです。相手は背後から来る以上勢いに任せて突っ込んでくるでしょう。なので、相手の足を止め、そして出来れば周囲の兵士を戦闘不能にしてもらえるとありがたいんですけど……そういうのって出来ますか?』
『誰に言っている。そんなことは容易だ。しかし、お前がクーカを倒すことが出来るのか、その事に私は疑問を覚えるが』
『大丈夫です。私は負けません』
そんな会話があった。
シャアラの言葉に根拠は見出だせなかったが、その歪みのない目を、そして自信を、エカレアは買うことにした。
脆弱な人族と屈強な魔族が一騎討ちなど、普通に考えて無謀だ。
だがエカレアは残念なことに、無謀な人間が嫌いじゃない。
戦の場で興味本位で判断を下すなどあってはならないことかもしれない。
だからもし、シャアラが負けるようなことがあれば、その時はエカレアが責任を持ってその尻拭いをするつもりでいる。
――――それまでは、お手並み拝見といこう。
シャアラが部隊から進み出て、馬を降りた。
クーカは虚を突かれ、その端正な顔にある小さな口をポカンと開けている。
そしてシャアラも、口を開く。
* * *
す、すごい。
こんな簡単に敵を一層出来るなんて……。
エカレアさんの隣という特等席でその魔術を見ていた私は、素直に驚愕していた。
正直結構無茶なお願いをしているなと、我ながら思っていたのだけれど、想像以上にというか理想的な形で私の願いは実現した。
本当に良かった、この人が敵じゃなくて。
しみじみ。
と、呆けている場合ではない。
今度は私の番だ。
あろうことか魔王軍のすごい人にわざわざこうしてお膳立てしてもらっちゃった形なので、この先私が失敗するわけにはいかない。
自分の目的のこともあるが、しかし先のことを見据えるなら王国軍もすごいというところをエカレアさんにも見せておきたい。多分、エカレアさんも私を見定めるつもりで、この作戦に乗ってくれたのだろう。
失望させるような事態は避けたい、いや、避けなければ。一人の王族として。
王族を捨てる覚悟はあるが、だからこそ王族を軽んじるわけにはいかない。
意を決して、ミシェランダに合図を送る。
長い付き合いのミシェランダは私の意図に違わず、【冥王ノ書架】から抜けるように前に進みだす。
エカレアさん達の魔術によって、【穿光】の副隊長に付いてきていた兵士達は彼方へと押し流されてしまった。そしてクーカという副隊長は、辺りを見回し呆然としている。
5メートルほどの距離まで近付いてミシェランダから降りたところで、その女性と目が合った。
うわあ、綺麗な人……。
三つ編みにされたターコイズの髪は丁度真上に来た太陽の光を帯びて神秘的に煌めく。その衣服はそよぐ風にひらひらと揺れ、まるで妖精のよう。
そして何より、顔が整い過ぎてる!
驚くべくことに、なんでだか知らないけど魔族の女性はみんな決まって顔が整っている。そりゃあ、私だってそれなりに容姿を褒められることはあるけれど、それでも魔族の女性はなんか、そう言う次元ではない。
そう、あれだ、どこか作り物じみてる。
フィナンジェという人も、リーゼもパラフェも、エカレアさんも。
そして、このクーカという女性も。
精巧に作られた美術品のような顔、そして押しなべて、それに似合うようにスタイルもいい!
同じ女として、ずるいと思う。
そこまで考えて思い当たった。
そうなるとやはり、魔族の男性も美男子が多いのだろうか。まあ別に興味はないが。
それにしてもこのクーカという女性、眉尻が下がっているのが少しアンニュイ気味に見えて、個人的にとても好きな顔だ。
そしてレオニスの周りにはまだ居なかったタイプ。
うん、この子は絶対にレオニスに近付けちゃダメだな。
と、雑念を浮かべている場合じゃない。なんて話し掛けるべきか。
「初めまして」
場所的には違和感あるかもしれないが、でも人族として初対面でこの挨拶は欠かせない。
「えっと、初めまして?」
おっと、戸惑いながらも返しくれた。
いきなり襲い掛かられる可能性すら考えていたけど、少しは話せる人なのかな?
「クーカさん、ですよね?」
「そうですけど。あなたは?」
「私はエリオト王の妹でシャアラと言います」
「なるほど。王の妹ですか。……それにしても、まさかエカレアさまの【冥王ノ書架】までそちらに味方しているとは、大きな誤算でした」
やっぱり、その情報は持っていなかったか。この状況でそれを言うということは、今この人は圧倒的不利を自覚しているはず。もしかしたら戦わずに交渉出来る可能性もあるか?
「正直なところ私も、魔王の軍勢と組むことになるとは思っていませんでした」
「そうでしょうね。私は後悔しています」
「後悔?」
「はい。ワッファルさまが魔王軍を離反した以上、魔王軍も敵に回るという可能性を、私は失念していました。魔王さまは人族との共和を求めていた。それを考えれば、魔王さまが人族と手を組むことは自然なことだったのに、それに私は気付けなかった」
もともと憂いを帯びているその顔の眉間に、悔しさで皺がよる。
話して分かった。この人は、頭が良くて冷静な人だ。
であれば、いまこの状況で私の交渉に乗ることが得策だと分かるはず。
「交渉を、したいのだけれど」
ストレートに言う。
私はこれ以外の話し方を知らない。
「交渉、ですか。どう考えても私の方が不利な状況、その上で私に持ちかけられる交渉とは、何なのでしょうね」
「悪い話ではないわ。その――――」
「いえ、私にはまだその交渉を聞く権利はありません。私の中にはまだ、ワッファルさまの命令が生きていますから」
頑なに思える声音で言う。まるで自分に言い聞かせているようにも聞こえる。
「命令って……」
「私に下された命令は、『背後から敵陣を突き王の首を取る』、です」
ダメだ、この人はまだ諦めていない。彼女にとって絶望的なこの状況で、起死回生を狙っている。
「本当に出来ると思いますか?」
「可能性はあります。確かにあなたの背後には【冥王ノ書架】が控えています。しかし魔術は来ると分かっていれば回避出来ます。それにあなたは人族です。私の速さに付いてこれるとは、到底思えない」
イラッと来た。
この人、人族を、そして私をバカにしている。
ふーむ、そっか、なるほど。やっぱり最初の方向で行くしかないか。
「私、これでも結構速いんですよ?」
満面の笑みをぶつけてやる。気色悪かろう、それでいい。
「なら、試してみますか?」
ほら来た。
ただまあ、実際この人の速さは尋常ではないだろう。なら私も、最初から本気で行くしかない。
「是非とも。その前に、少し準備してもいいですか?」
「構いません。どんなことをしようが、速さで私が負けるとは思いませんし。あなたを倒し、私は目的を遂行します」
よし、それじゃあ。
私は一度腰に下げていた剣を草の上に降ろすと、袖から腕を抜く、そして瞬く間に頭からドレスを脱ぐと、それと一緒に髪飾りも外れる。丁度いい。
下着姿になり、次は大胆に座り込んで具足を外し始める。
「な、なにをしているのです?」
困惑の表情のクーカさん、可愛い。
何を戸惑っているのかは分からないけど。
「何って、準備ですよ?」
速さを追求したら誰しもこうなるはず、だよね?
この人、本当に速いのかしら。
空気抵抗の高そうなお洒落服を着ているけど。
よーし、具足オッケー。
あとは、っと。
「え、それも脱ぐんですか……?」
クーカさんの目が驚愕から不審者を見る目に変わる。
とても失礼だ。これでも私は王族だというのに。まあ魔族には関係ないか。
脱ぎますよ、そりゃあ。
クーカさんの奇異の目に耐えながら、私は胸部に巻いている布を外すべく背中の結び目を手探りでみつけ、解く。すると簡単にその布は重力に負けて私の胸元からすべり落ちる。
それなりの大きさ(と自分では思っている)の胸が草原の微風に晒され、その先端が過敏に反応してしまうのが少し恥ずかしい。
が、そんなことを気にしている場合ではない。
次に膝立ちになって、腰部をすっぽりと覆うようにして脚の通る部分だけ穴の開いた袋のような形の、下半身の下着に手を掛ける。
もう躊躇いなどない。
速さを、勝利を手に入れる為なら、私は羞恥心だって捨てる。
品位や尊厳など、とうに失っているのだし。
一息でずり降ろす。開放感。
私は立ちながら片足ずつ、その布を抜いていく。
うん、準備出来た。
まだ傍に居てくれた愛馬のミシェランダの背中に、乱雑に脱いだものを乗せ、手で合図して下がらせる。
振り向くと、クーカさんがまるで化け物を見るような目で私を見ていた。
自分の方が化け物のくせに。
「準備、出来ました」
「良いんですか、本当に、それで……」
良いんですかも何も。
「はい、これが良いんです♪」
戦場で自ら服を脱ぐのはこれが初めてだったけど、やっぱり。
とっても高揚する。昂ぶる、興奮する、濡れる。
身体が疼く、熱くなる。
目の前の敵を、殺したくなる。
ああっと、いけないいけない、殺しちゃダメなんだっけ、今回は。
逆に難しいなぁ。
でも、難しい方が、萌えるよね。
「さ、ヤリましょう?」
私の言葉に、クーカさんもようやく覚悟を決めたようだ。臨戦態勢を取る。
遅い、私が脱いでる間何をしてたんだこの人は。
私も地面に置いていた剣を掴み上げ、そしてすぐに鞘から引き抜くと、鞘をノールックで背後に放り投げる。天高く舞ったであろうそれが再び地面にぶつかる音を合図に。
私は、クーカさんに斬りかかった。




