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30.王族

 大いなる太陽が遥か上空の真上から、地上に無数の光の線を降らしている時刻に、馬車はその車輪を止めた。

 進行は滞りなく進んでいた。エルフの里のある精霊の樹海を抜けて少し進んだところの常風地帯――――ウェンドレス荒野も、今度はイリスが風の精霊を操ってくれたおかげでスムーズに進行でき、それ以降もまったくと言っていいほど何も起きなかった。

 現在はザート北の山岳地帯をさすがに馬車で進むのは厳しいと判断し、山の東側を迂回するように進路を取っている。その途中、昼食を取るべく山の麓に栄えている『ベルカッダ』という街に寄ることになった。

さすがにエルフ族と魔族、そして王族で有名人のシャアラを歩かせて騒ぎになっては大変なので、4人を街から少し離れたところで馬車に待たせ、レオニスとアストライアだけで食糧の買い出しに行くという流れになっている、のだが。



「え、アストライアさんとレオニスさまだけですかー、それはー、心配ですねー」



 最初に言い出したのはリーゼだった。

 リーゼとの出会いの話も含め最初から最後までをイリスとクレビオスに話し終えて、理解のある二人はどうにか飲み込んでくれたようでレオニスは安堵した。

 その後女子同士で楽しく会話していたということもあり、イリスとリーゼはすぐに意気投合して、それはレオニスにとっても嬉しいことだったのだが……。



「確かに! レオニスだもんね、絶対アストライアさんにも何かするよ!」



 リーゼの言うことに対する同調が強くなっているのは誤算だった。



「な、何もしない! 大体俺はまだアストライアとはほとんど話していないんだぞ!」



「ほら、レオニスって自然に名前呼び捨てにするから怖いよね。それで距離感詰められるんだよ」



「そんなこと言われても、俺は敬語を使うのが得意じゃないんだ。名前も呼び捨ての方が言いやすいだろう? 特にアストライアなど名前が長いのだし」



「呼びずらい名前で申し訳ありません」



 真面目過ぎるアストライアは真面目に受け取って謝罪する。



「いや別に責めているわけではない。ただ、そうだな、略称でライアと呼ぶのはどうだろう?」



「レオニスさんがその方がいいのでしたらいかようにもお呼び下さい」



「だーかーらー、そういうところなんだってば。レオニスってホント無自覚の女ったらしだよね」



「んー、それは同感ですねー」



 ここに来て酷い言われようだった。

 確かにレオニスは特別女の子に好かれようと思って行動しているわけではないが、行動した結果自然とそうなってしまうのでそれは天性のものなのだろう。しかし、本人は自分のその性質に未だ気付いていないのでイリスの言うことはあながち間違っていないのかもしれない。

 が、やはりレオニスは納得出来ないので、先ほどから黙っているシャアラに助け舟を求めることにした。



「シャアラ、イリスになんとか言ってくれ」



「んん、そうね……確かにレオニスは危険なところもあるけど、アストライアは私の側近だし、信頼してくれると嬉しいわ。アストライア、あなたなら大丈夫とは思うけれど、レオニスには気を付けてね」



 言葉を聞く限り、シャアラはレオニスの敵ではないが味方でもなかった。



「はい。えっと、気を付けるとは具体的にどのようなことを、でしょうか?」



 アストライアから見ればレオニスは特別変わった様子のない普通に善良な男性に思える。

 しかし、被害者であり経験者である彼女たちはこう語る。



「そうね……私の場合は、出会ってすぐに馬乗りになられたわ……」



 と、とある王族の少女。



「私は、出会ってすぐにおっぱいをすごい触られた」



 と、とあるエルフ族の少女。



「リーゼは、出会ってすぐに全身を舐めさせられました」



 と、とある魔族の猫耳少女。



「そんなことが……分かりました。警戒を怠らないよう注意致します」



 アストライアの決意に女子全員が頷く。



「違う……全部誤解だ。シャアラのは決闘の結果だし、イリスのはイリスの言葉に甘えただけだし、リーゼに至っては一方的に……」



「レオニスさん、諦めた方が楽だと思うよ」



 クレビオスの言葉は、常に論理的で現実的だった。




 * * * 




 ベルカッダの街は特に何の異変もなく賑わっていた。

 街、というだけありザート村よりも人口も規模も大きく、街中の地面には丁寧に石畳が敷かれていて歩きやすい。

 ザート村から一番近い人族の集落とはいえ、基本的に生活するだけなら村の中で事足りるのでレオニスも足を踏み入れたことは数えるほどしかない。

 アストライアは初めて訪れる街のようで、レオニスが先導することになった。



「レオニスさんは訪れたことがあるのですね。お恥ずかしいですが助かりました」



「ああ、だいぶ前にはなるが、村では満足に装備が揃わなかったのでな。この街まで足を運ぶ必要があったんだ。しかし王城に居て外を出歩くということは少ないのか? ザートの村にもたまに視察と言って城の者が来ていたが」



「ええ、大陸各地の治安を調べるために視察をする者も確かにおります。しかしそれは執政官や、執政官に遣わされた一部の人たちです。わたくしのように王族の方の従者という立場ですと、城から出ることはほとんどないのです」



「なるほど。大変そうだな」



「いえ、わたくしはシャアラさまが大好きですので、傍に居られてとても嬉しく思っております」



 アストライアの浮かべる笑みは非常に優しく、それが本心から出る言葉なのだということがレオニスには分かる。主従関係というのは感情に歪みが出ることも多いが、シャアラもアストライアも心根が真っ直ぐで相性が良いのだろう。

 レオニスは配下や部下というようなものを持った経験がないので、その感覚は想像しか出来ない。飼い猫は居るが、それはまた少し違うのだろうなと思った。



「時にレオニスさん」



 目当ての食料品の店に辿り着かず歩き続ける最中、アストライアが妙に意を決した感じで切り出す。



「何だ?」



「いえ、わたくしとしてはせっかくレオニスさんと二人きりになれたので、この機会に聞いておきたいことがあるのですが……。そうですね、その辺で落ちついて少しお話などしましょう」



 アストライアの純粋さの浮かんだ目が示していたのは街角の喫茶店だった。昼時ということもあってそれなりに客が入っていたが、奥の方のテーブル席が空いていてそこに腰かける。

 不思議と、こういう喫茶店では周囲の喧騒が気になりづらい。自分もその一部になるからだろうか。

 飛んできた店員にアストライアが珈琲を二つ注文する。

 何を話したいのか全く見当もつかないレオニスはそわそわと落ち着かない。そんなレオニスを見て、くすくすと笑うとアストライアは話を切り出す。



「シャアラさま達も待っておられますし、そこまで長話をしようというわけではありません」



 それはレオニスの緊張を解そうと思っての前置きだったのだろうが、アストライアの真剣な表情のせいでレオニスの心はまったく落ち着かなかった。



「単刀直入に聞かせていただきますが、レオニスさんは王族に名を連ねる覚悟はおありですか?」



「へ?」



 アストライアに聞かれたことに答えようにも、その意味がレオニスには理解出来ずに言葉を発することが出来ない。



「えっと、単刀直入過ぎましたか? すみません、わたくし実は会話というものがあまり得意ではなく……」



 アストライアはレオニスの反応を見て肩を落とす。長身の綺麗な女性が落ち込む姿はそれはそれで来るものがあるが、しかし根がフェミニストなだけにそのままにしておけないレオニスはフォローを試みる。



「だ、大丈夫だ! いきなり過ぎて正直何を言っているのかよく分からず驚いたのは事実だが、しかしなんかすごいことを言われているということは伝わったぞ。だから詳細の説明を、お願いしたいのだが……」



 レオニスの思いに反し、アストライアはどんどん重力の影響を受けていく。

 となると、口下手なレオニスが取れる行動は一つしかなかった。お得意の、アレである。



「っ!?」



 レオニスが無骨な手をその艶やかな黒髪の上に乗せる。

 さらさらとした心地いい感覚がレオニスの指の間をすり抜け、それ同時に

アストライアはビクッと身体を震わせ顔を上げた。



「え、えっと……レオニスさん?」



 羞恥を湛えた目で見られ、その予想以上の破壊力にレオニスの心は打ち震えるがなんとか踏みとどまって、口を開く。



「あ、ああっと、すまん。嫌だったか?」



「いえ、その、嫌とかそういうわけではないのですが……こんな風にされた経験がわたくしにはなく、えっと、そう……ですね、戸惑っている、と言えばいいのでしょうか……」



「そ、そうか、それはすまない……。しかしせっかくこうして頭に手を乗せてしまったので、このまま撫でてもいいだろうか?」



 正直自分でも何を言っているのかよく分からなかったが、これだけは確かだった。


 ここまで来て、止まれるものか。



「え、ええと、それじゃあその……お願いします?」



 今までの誰とも違う反応にレオニスは否応なく興奮する、


 これだ、これが女子というものだ!

 このいじらしさ、上目遣い、紅潮した頬、少し乱れ息遣い、そしてなによりも、羞恥に耐えている表情!

 素晴らしい、とても素晴らしいぞ!

 店内の客達の視線は俺達に釘づけだ。そんなことは分かっているし、この際そんなことはどうでもいい。

 今の俺には目の前のライアしか見えない。いや、ライアを撫でるという目的しか見えん!

 許諾は得た。これで合法だ、思う存分撫でられる!


 レオニスの性癖がアストライアの秘めたる女子力で暴走させられていた。

 どちらが被害者でどちらが加害者なのか、残念なことにそれを判断出来る人間はこの場に存在しなかった。


 目にも楽しいきらびやかに光を反射する艶髪は撫でれば撫でるほどに、まるで絹のような手触りでつい夢中になってまう。さらに摩擦による相乗とアストライアの精神的な理由で高まった体温を楽しみながら、レオニスは手を優しくゆっくりと、まるで割れ物を扱うかのように手を動かす。



「ひゃっ……」



 彼女のイメージからはかけ離れた声色が飛び出しレオニスの興奮を助長する。それに伴って表情も更に歪みを増し、それ見ながらレオニスは唾液の分泌を感じる。

 手を動かす度に、レオニスの生命線とアストライアのキューティクルが摩擦を生み出す度に、熱量が増大し、快楽が、愉悦が滞ることなく溢れ出す。



「うぅっ、あっ、レオニスさん……」



 もはや真っ赤になっているアストライアは、完全に目を閉じてレオニスの手の感触、そしてそれによって背筋に走る電撃のような初めて感じるものに困惑しながらも身を委ね、自分が愉しんでいることを実感していた。


 なに、これ……! この感覚は、なんなんでしょうか!

 わたくしはこんなもの知らない、知りたいとも思わなかった!

 でも、知ってしまったら、わたくしはっ!


 反射神経が勝手に身体を揺らす、アストライアは身体の奥が火照っているのを感じている。


 す、ごい……! なにこれすごいっ!

 わたくし、おかしくなってしまう!



「レオニスさん、レオニスさんレオニスさん! わたくし、もうダメです!」



「大丈夫だ、俺に身を任せるんだ!」



 それは不思議な感覚だった。

 まだ会って間もないというのに、この男の人は当たり前のようにわたくしの心の中に入ってくる。

 でもそれが、不思議と嫌ではない。

 なるほど、こういうことだったのですね。

 最初はどういうことかさっぱり分かりませんでしたが、今ならば分かる。もっとも、もう手遅れではありますが……。

 確かに皆さんが言うように、この方は、レオニスさんは危険な殿方です。



 やがて悦楽の時は終焉を迎えた。

 周囲の目を引きつけてしまった二人は我に返ってから、その恥ずかしさを実感し、いつの間にか来ていた珈琲にも手を付けずに、それでもしっかりお金だけは置いて店を後にした。





「ふふっ、ふふふ」



 街中を夢中で走り抜けた先にあった見晴らしのいい高台で息を切らして立ち止ると、アストライアは急に笑い出した。



「ライア?」



「ふふっ、いえすみません。新鮮で楽しい経験だったのでつい……」



 目尻に涙を浮かべながら見せる笑顔に、レオニスも微笑みを浮かべずにいられなかった。



「いや、構わない。ライアは笑ってた方が可愛いな」



「…………レオニスさま、これ以上は、やめてください」



「え?」



 切実な目をしていた。



「わたくしが先ほど、レオニスさまに聞いたことを覚えていますか?」



「えっと確か、王族に名前を連ねる覚悟はあるか? だったか」



「そうです。何故そのようなことを聞いたかと申しますと、わたくしは分かってしまったからです」



「分かった、とは?」



「シャアラさまが、レオニスさんをお慕いしている、ということをです」



 分からないはずがなかった。

 アストライアは子供の頃からシャアラという人を誰よりも近くで見てきているのだ。そんな彼女が他人に向ける視線に今までと違う色があれば、それに気付かない方が難しいだろう。




「ですからわたくしは、レオニスさんに覚悟がおありでしたら、シャアラさまを(きさき)として迎えていただきたいと思ったのです」



「妃……しかし、それは……」



「レオニスさんの言いたいことは分かっております。ですがシャアラさまは、レオニスさんももう分かっているかもしれませんが、我が強く、そして頑固で自身の信念を曲げないと言う性格の持ち主です。それが良いところでもあり、悪いところでもあるのですが」



 従者であるアストライアがシャアラの欠点を語るというのはレオニスにとって意外でもあったが、しかし本物の信頼関係を築いているからこそ、相手の長所も短所も分かっているのだろうと思うと、少し羨ましくもあった。レオニスには、そこまでの相手は居ない。

 幼馴染みのユリアは付き合いこそ長いが、あの惨劇の夜からユリアがレオニスに気を遣っているということは分かっていた。だから少し、心の距離を感じているのも事実だ。



「だからわたくしは、シャアラさまがレオニスさんのことを諦められないということも、分かっています。きっと葛藤はあったのでしょう。でも今のシャアラさまの目は、真っ直ぐにレオニスさま、あなたを見ています。ですから、出来ることならシャアラさまとの未来を、レオニスさんには選んでいただきたいのです」



「シャアラとの、未来……」



「不安なのは分かります。王族というのは世界が違いますから。しかし、現在の王族は昔ほど血の繋がりに固執しておりません。現国王エリオトさまのお考えの賜物でもありますが、今の王族は血よりも、心の繋がりを重く見ております」



 それはきっと革新的なことだ。

 王族が長い歴史上で血脈を貫いてきたことは、誰でも知っている厳然たる事実だ。

 それを、今の王族は覆そうとしていると、そう言うのか。

 エルフ族も、人族も、そして魔族さえも、変わろうとしている。



「レオニスさまであれば、わたくしも謹んで補佐させていただきたく思いますし、何よりわたくしは、シャアラさまに幸せになっていただきたいのです。シャアラさまが選んだあなたであればこそ、それが出来ると思っております」



 どこまでも限りなく、アストライアは真剣だ。

 その言葉に嘘も偽りもない。

 だからこそレオニスも、誠意を持って答えなければならない。



「ライア、俺は――――」




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