29.縄張り争い
レオニスの知り合いということで、リーゼは身体に巻きつけられた縄を解かれた。それはレオニスを信頼するシャアラの指示によるもので、アストライアもシャアラに絶対の忠誠を誓っているのだから意見を差し挟むことはしない。
「レオニスさまー、お会いできてリーゼは嬉しゅうございますー」
今は馬車の中でレオニス、リーゼ、アストライア、そして向かい側にシャアラ、イリス、クレビオスが向き合うように座っている。
リーゼは捕虜の身から解放された安心もあってか、レオニスの腕にべったりとしがみついていた。
当然、そんなリーゼを見るシャアラとイリスの目がとてつもなく厳しい。
「縄を解いたのは失敗だったかしら」
「うん、絶対失敗だったね」
自身の判断を悔いるように言うシャアラにイリスが真面目な顔で同調する。
そんなことにはまったく気付かないレオニスとリーゼはそこまで久しぶりでもないのに感動の再開という雰囲気を漂わせていた。
「俺もリーゼに会えて嬉しく思っている。しかし何故ここに?」
「いえその、リーゼはフィナンジェさまの命でレオニスさまのお目付け役として飛ばされたのですが、しかし辿り着いた村にはレオニスさまの姿がなく途方に暮れていたところに馬車の近付く音が聞こえて助かった! と、思って近寄って行ったら……」
ちら、とリーゼがアストライアを見る。
「はい、この耳と尻尾が明らかに魔の者だと誇示していたので反射的に捕えました」
「まー、正直びっくりしたのですがー、結果レオニスさまにお会い出来ましたので、感謝致しますー」
「あ、いえいえ。どういたしまして」
と、リーゼとアストライアのおかしなやりとりを呆れたような目で見る向かいの三人。その中で何かと核心に触れがちなクレビオスがその役割をまっとうする。
「で、僕達はまだ理解できてないんだけど、レオニスさんとそのリーゼって人はどういう関係なの? というか、なんで魔族に知り合いが居るの?」
「それはだな――――」
レオニスが頷き話出そうとしたその矢先。
「待った。時間が惜しいから、その話は移動しながらにしましょう。アストライアが気を利かせて馬車を引いてきてくれて良かったわ。これで滞りなくバオル平原に向かえる」
「あ、はい、シャアラさまはエルフに協力を仰ぐと言っていたので、気持ち程度ですが移動手段が必要かと思いまして」
「さすが、優秀な私の側近だわ」
「お褒めに預かり光栄です。してシャアラさま、ミシェランダは私が乗っていきましょうか?」
「いえ、いいわ。私の馬だもの。しばらく放置しちゃったし、構ってあげないとね。アストライアは馬車を操縦して。他の4人は、道中でゆっくり話すといいわ」
「ありがとう、シャアラ」
機転を利かせてくれたことにレオニスが礼を言うと、シャアラは顔を赤くして「別に大したことじゃないわ」と言って馬車を降りる。
「イリス」
「ほぇ?」
「私が近くに居ないこの道中だけ、レオニスのことを任せるわ」
「あ、うん、今だけと言わず未来永劫任せて!」
「それは絶対嫌」
いつの間にか仲良くなったシャアラとイリスの会話にレオニスは微笑みを、クレビオスは呆れ顔を浮かべて、シャアラがミシェランダの元へ向かうのを見送る。
「それでは、わたくしはこの馬車を操縦いたしますので外に居ります。何かありましたらお声掛けください」
そう言ってアストライアも外へ行くと、中にはレオニスとリーゼ、そしてイリスとクレビオスが残される。
やがて馬車が動きだし、少し離れた位置をシャアラがミシェランダとともに並走しているのが馬車の中からも見える。レオニスはシャアラに手を振って笑顔を受け取ると、気を取り直して話を始めることにした。
「えーとそうだな、何から話そうか……」
「と、その前に、ちょっとレオニス真ん中にずれて」
「ん? えっと……」
「あー、猫ちゃんはそっち、アストライアさんが居たところに座って。で、レオニスはそう、真ん中。よし、これで大丈夫だね。んしょっと」
レオニスが座っていた端の席にイリスが身体を納め、リーゼと左右対称になるようにレオニスの腕に自分の腕を絡める。
「なあ、この体勢はおかしくはないか?」
レオニスの疑問にイリスはぶんぶんと音がしそうな勢いで首を左右に振る。
「ぜんぜんぜんぜん! むしろこれが普通だよ! ね、クレビオス!」
「僕に振られてもなぁ。まあ僕はゆったりと座れるから別に構わないけど」
「ほらね!」
「あの、エルフさまー」
リーゼが身を乗り出した結果柔らかい胸をレオニスに押し付けながら、イリスの方を見て口を開いた。
「ん、私のことかな? イリスでいいよ、エルフ二人居るしね。あ、ついでにこっちがクレビオスね」
『ついで』扱いされたクレビオスが不機嫌そうにイリスを睨むがリーゼの方を向いているイリスはまったく気付かない。やれやれと得意の表情を浮かべるクレビオスの顔をリーゼの目が捉え、
「イリスさまに、クレビオスさまですねー。かしこまりましたー。リーゼはリーゼと申しますー、よろしくお願い致しますー」
「リーゼちゃんね、よろしくね」
「よろしく」
とりあえず自己紹介が済み、レオニスが安心したのも束の間、リーゼがイリスに話し掛ける。
「それでー、ですねイリスさま、あまりレオニスさまに近付かないでいただきたいのですがー」
「ん? んん? 何を言ってるのリーゼちゃんは?」
レオニスは思った。
まずい、これはまた修羅場の流れだ……。なんでこうなるんだ、俺は一体どうしたらいい。どうすれば惨劇を回避出来るんだ!
最近になって、まるで獣が天災を事前に察知するかのようの空気の悪化を察知できるようになったレオニスは悲嘆に暮れた。しかしそんなレオニスの様子などいにも介さず、魔族とエルフの舌戦はヒートアップしていく。
「いえー、リーゼはレオニスさまに悪い虫が付かないようにと見張り役で遣わされているのでー、任務をまっとうしようとしているだけでございますー」
「悪い虫? それ、私のことを言ってるの? いやいや、リーゼちゃんちょっと待って。あなたこそレオニスにべったりじゃない、それはいいわけ?」
「何をおっしゃいますかー、リーゼはレオニスさまの飼い猫なのですー。でしたらこうして主人にひっつくのは道理かと思いますがー?」
「はああああ!? え、あなたレオニスに飼われてるの!?」
「イリスちが、落ちつ――――」
必死に否定を試みるレオニスだが、それは虚しく終わる。
「はいー、とても大事にしていただいておりますー。リーゼはもっと乱暴にしていただいても大丈夫ですのにー、レオニスさまってばお優しくてー」
嬉しそうに目を細めながら頬をすりすりしてくるリーゼは確かに可愛いが、しかしレオニスはそれをそのままにしておくわけにはいかない。
「リーゼ待て、誤解を生むようなことを言うんじゃない!」
「誤解? 本当のことではないですかー。レオニスさまはお優しいですー。あ、レオニスさま疲れてはおりませんか? またお身体お舐めしましょうかー?」
火に油を注ぐリーゼ。もうレオニスにその火は止められそうになかった。
「身体を、舐める!? ま、まままま、まさか!? 二人はもう行くところまで行っているというの!?」
「それはまあ、寝台の上でとても濃密な時間を過ごさせていただきましたー」
「い、いやーーーーー! 嘘、レオニス、そんな! 私のおしっこに興奮するだけじゃなく女の子を飼育して身体を舐めさせるなんて!!」
「いやだからそれは――――」
「え、レオニスさまはおしっこがお好きなのですかー? ふふ、それならリーゼは得意ですよー。なにせリーゼは、獣ですからー」
どんどんおかしな方向に行く話をレオニスはもうどうにも出来ない。そんな様子を見るに見かねて、クレビオスが勇敢にも口を挟む。
「よしじゃあ、まとめるけど、えっと、リーゼさんはレオニスさんの飼い猫で、姉さんはレオニスさんと結婚したいんだから別に問題ないでしょ、立場は全然違うんだから。リーゼさんは誰かにレオニスさんの護衛を言い付けられているみたいだけど、とりあえず姉さんは今のところ無害だから、腕を組むくらいは許してあげて。姉さんも君と同じでレオニスさんのことが大好きなんだ。そう考えれば、姉さんの気持ちも分かるだろ?」
「うー、はいー、それは痛いほどに分かりますー。仕方ないですねー」
「分かってくれて、ありがとう。で、姉さん。別にやりたいなら姉さんも後でレオニスさんの身体を舐めればいいじゃない。弟として姉さんがそういうことしてるのはあまり見たくないから、居ないところでやって欲しいけど、別に止めはしないよ。それこそ姉さんはレオニスさんのお嫁さんになりたいんだから、本当にそうなったらいくらでもその機会はあるでしょ?」
「あ、そっか。それもそうだね!」
「うん。それでまあおしっこは……レオニスさんが好きな時に好きにしたらいいと思うよ。安心して、僕はもうこれ以上レオニスさんを軽蔑することはないから」
「これ以上、というのがものすごく引っ掛かるな……」
「まあ、そこは気にしない方が幸せだと思うよ」
しかしまあ、ここはクレビオスの言葉に従っておくのが賢明だろう。
実際この場は俺ではどうにも出来なかった。それをこんなあっという間にまとめる力は、さすが大賢者を目指しているだけのことはあるな。
ところで、さっきからちらほらイリスが俺のお嫁さんになりたいみたいなことを言っているが、何だそれは。初耳なんだが。さも当然のように言っているが、そうなのか?
まさか、セレネさんが言っていたイリスの夢というのはそのことだろうか。だとすれば、あの時よく分からずに頷いてしまったのは無責任だっただろうか。
いつの間にか仲直りの握手を交わすイリスとリーゼ。
屈託のない笑顔を浮かべるイリスの横顔を見ながら、レオニスは苦いものを噛み潰していた。
「さ、じゃあまとまったところで、そろそろ本題を頼むよ」
クレビオスに促されレオニスはやっと、ここに至るまでの経緯を、エルフ族の二人に語り始めるのだった。




