22.怪物の末路
空間がざわつく。
風が吹き、木が揺れ、砂埃が舞う。
髪が揺れ、クレビオスの口が、その祈りを空気中に放つ。
精霊もきっと、それを待っていた。
「火の精に祈り奉る。彼の怪物の悪辣なる無数の端末のその全てを、その聖炎に絡み焼べ浄化し、父なる大地へと帰順せしめん――――【蹂躙せし火蛇】」
クレビオスが祈りを捧げた直後、無数の火の玉がローズリーパーを取り囲むように地面に落ちる。しかし消えることはなく燃え続けそしてそのひとつひとつが歩くようなペースでローズリーパ―に近寄っていく。
しかし化け物は危険を感知する脳がないのか、それとも余裕を見せているつもりなのか動く気配ない。
レオニスが根を相手にしている傍らで、イリスは火の行方を注視していた。
「イリス、こいつに火がつく時に教えてくれ!」
「うん!」
それ以上の言葉は誰も発さない。クレビオスにもシャアラにも、もう出来ることはない。後はレオニスを信じるだけだ。術が発動している以上クレビオスがその祈りの姿勢をやめることは出来ないが、しかし傍らでそれを見ているシャアラには、その形が違う意味を持っている気がしてならない。
しかしそれも、シャアラ自身の心境を反映しての思考なのかもしれないが。
じりじりと、まるで炎で出来た蛇のように通った場所を燃やしながら、紅の火球が薔薇の魔獣に、そしてレオニスとイリスに近付いていく。そして、やがて。
「レオニス、火がつくよ!」
尾ひれの付いた火の玉を目で追っていたイリスがそう言った次の瞬間、ボワッ! と空気の爆ぜる音がして一気に火の手が上がった。
そしてそこから、一瞬ごとに状況が変わっていく。
根の一本一本に絡み付くように火の玉が上り、気付けばレオニス達は炎の壁に囲まれ、そしてそれを知覚したその時――――
「イリス! 伏せろ!」
異変をいち早く察知したレオニスが叫び、イリスがそれに従うと同時に頭上にあるローズリーパ-の本体――――目が、急激に下降する。しかしレオニスは伏せることなく、この時を待っていたとばかりに腕を突き上げた。
その手に握られていた剣の先が、その巨大な眼球へと。
怪物の自重が仇となりそれは深々と突き刺さった。
燃え尽きつつある根が広がりながら暴れる。それは苦悶の表れだろうか。レオニスはなおも立ち剣の柄まで来ている眼球をそのまま両腕で支える。かなりの負荷が掛かっているのであろう、その腕にはいくつもの血管が走っていた。
「うおおお!」
気合いの雄叫びを上げるレオニス。眼球からはローズリーパーの体液が溢れだし、その下の二人を濡らす。イリスは不快さに耐えていた。
レオニスの足が地面にめり込み、ローズリーパーの根はもう燃え尽きていた。だからレオニスは今、自分の身体だけでその巨体を受け止めて居るのだ。
このままでは潰されてしまうのではないかとシャアラが駆け寄ろうとした、その時。
バシュンッという破裂音とともにローズリーパーの巨体が存在ごと弾け、そこから溢れだした闇色の瘴気もやがて空気中に霧散した。
シャアラがへたり込む。
「お、終わったの?」
「ああ、多分な」
答えたレオニスはまだ立っていた。イリスは下から黙ってレオニスを見上げ、クレビオスは呼吸が止まっていたことを思い出し、深く呼吸、そして吐き出した。
化け物は、蔓も根も茎も花も、一片として残ってはいなかった。
* * *
「ねえシャアラちゃんは、レオニスのどこが好きなの?」
「は、はあ!? いきなり何聞いてきてるのよ! ていうか、シャアラちゃんて急に馴れ馴れしくない?」
「えー、だってシャアラちゃんだって私に口調キツイじゃん。私のこともイリスって呼んでいいし」
「まあ……それでいいならいいけど……」
「ていうか話逸らさないでよ。シャアラちゃんはレオニスのことが好きなんでしょ?」
「それは……」
「私はレオニスのこと好きだよ?」
「はい!? いやいやいや! それなら私の方が好きです! ていうか、イリスあなた、レオニスに会ったばかりなんでしょ?」
「一目惚れしちゃった。そういうシャアラちゃんはどれくらいの付き合いなの? レオニスと」
「え、いや、その……イリスより一日は長いわ」
「え! 変わんないじゃん!」
「か、変わるわよ! ていうか私は一目惚れじゃないんだからね!」
「じゃあ、どうして?」
「そんなの、分かんない。私、恋ってこれが初めてだから」
「そうなんだ。実は私もだよ」
「そう。私達、似てるのかもね」
「いや、似てはないと思うよ。おっぱいとか」
「おっぱいの話はしてないわよ!」
「おっぱいは大事だと思うんだけどなぁ」
「ふん……けどレオニスが女の子のおっぱいを好きかどうかなんて分からない――――」
「え? レオニスはおっぱい好きだよ? 私結構触られたもん」
「はあ!? それは嘘だわ!」
騒がしい声に意識が覚醒し目を開くと、そこには天井があった。
知らない天井のはずなのに、どこか懐かしく感じるのは、きっとそれが幼馴染みと住んでいたあの家に似ているからだ、と思った。
木製の、程よい広さの、住みよかったあの家
それに似た空間に、もう見ることは敵わない燃え尽きてしまったあの家を想い、レオニスは寝起きに酷い郷愁を感じた。
直後、なんで自分は寝ていたのかと思い至る。
こんな優しい柔らかさの寝台に横になった記憶がレオニスにはない。レオニスにあるのはローズリーパーなる薔薇の魔獣が消失した辺りまでだ。
「あ、レオニス、目が覚めたのね!」
「え、ホント!?」
聞き覚えのある二人の声に横を見ると、寝台の横にシャアラとイリスが居た。
「おは――――」
「ねえレオニス! この子のおっぱい触ったってホント!?」
「ね、触ったよね、レオニス!」
おはよう、と言おうと思ったら詰め寄ってきた二人の女子におっぱいの話で遮られてしまった。
なんでそんな話になっているのか分からないが、寝起きで判断力の欠けるレオニスの口からは正直な言葉しか出ない。
「えっと、どちらかといえば触ったような……」
「ほらね!」
「なんでよレオニスの浮気者! 私あなたのこと好きって言ったわよね? 触るなら私のを触りなさい! 私なんて頭撫でてもらっただけなのに!」
「え、口づけもしたような……」
「今それを思い出さないでよ!」
「何それ私どっちもされてないよ!?」
「いや口づけはシャアラからされたんだ」
「いやー! 言わないで!」
「シャアラちゃんだけずるいよ! レオニス私にも頭撫でてチューしてよ!」
「え? なんで俺がイリスにするんだ?」
「だって私もレオニスのこと好きだもん!」
「あなたはなんてタイミングで告白してるのよ!?」
「いいからレオニスはやく! してくれないなら私から行くよっ!」
「やめなさい! くっ、こうなれば私もおっぱいを触ってもらうしかない!」
「うわっ! お前らやめないか!」
シャアラがレオニスの右手を両手で掴み自分の胸元へと導き、イリスはレオニスの唇を狙い顔を近付ける。
レオニスは右手を引き、左手でイリスの頭を押さえる羽目になった。さすがに男として女子の力に負ける気はしなかったが、二人の勢いは凄まじくこの場を収める方法が見つからない。
「レオニスなんで!? 私とチューするのが嫌なの!? シャアラちゃんは良いのに!?」
「くっ、レオニス、私の胸じゃ大きさが足りないとでも言うの!?」
「どちらも違う! とりあえず落ち着け!」
レオニスが叫んだその時、この部屋に一つしかないドアが開き、
「この状況、僕は出ていくべき? 止めるべき?」
クレビオスが入ってきて呆れ顔でそう言った。




