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20.覚醒の予感

 手離していた意識をシャアラは取り戻す。

 どうやら命はまだある、ということを自覚しながら意識を周囲へと向ける。

 そこは確かに樹海なのだが、入り口の陰湿な空気とは趣が異なった。なんというか、どこか青みがかっていて、どこか神聖な気配がした。

 なぜかシャアラの居る場所は開けていて広場のようになっている。まるでこの広場の中心に何かがあって、それを避けて木が空間を作っているような、そんな感じがした。


 しかしシャアラは、もしかしたら何かがあるかも知れないこの開けた空間の中心を見ることが出来なかった。何故ならばシャアラは今身動きが取れない。例の蛇のような蔓に四肢を、いや四肢に留まらず胴体までも、華奢な身体を完全に絡め取られていた。

 引きずられてきた過程で外れてしまったのか、白銀の胸当てはなくなっていた。故に今シャアラは、豪奢な黒いドレスのただのお姫さまだった。具足だけが不釣り合いで虚しく思える。自分の姿に惨めさを感じ、シャアラの口には嘲笑の色が浮かぶ。


 背後に植物じみた材質の壁のようなものがあって、シャアラはそこに(はりつけ)にされていた。

 あるいは、この背後の何かがこの空間の中心なのか、という推測も浮かぶ。シャアラには前方向の180度しか見ることが出来ないが、それでもこの空間を半円形に感じるのだから可能性はある。


 まあ、今問題なのはそこではなかった。



「これは、まずいわね……」



 シャアラの呟きに呼応したのかは分からないが、右わき腹から左肩に伸びる蔓が、ギシリと音を立ててシャアラの身体を締め付け、程よく発育している乳房の形が露わになる。

 シャアラは苦悶の表情で、息苦しさに吐息を漏らす。


 まだそれほど苦しいわけではない。そこまでの締め付けではない。しかし、不快感は凄まじかった。

 生き物に全身を這われている感覚がここまで気持ちの悪いものだということを、シャアラは生まれて初めて実感した。

 そして、次の瞬間更なる嫌悪がシャアラを襲う。



「いやっ! なに、これ!?」



 身体に巻きついてい蔓のそこかしこから、なにか粘液のようなものが噴き出し、シャアラのドレスに染み込み、やがて清らかなシャアラの肌を汚す。

 身体のあちこちに感じるぬるぬるとした不快な感触に、シャアラは身動ぎをする。しかしそれは逆効果だった。反応したのか蔓は締め付けを強め、粘液は分泌量を増す。



「いやっ、いや……いやぁ」



 気の強いシャアラといえども、この状況で声は弱々しい。泣きそうなのを、すんでのところで堪えていた。しかし、状況は更に悪化する。

 蔓から噴き出して粘液の染み込んだドレスに、一つ、また一つと穴が空いていく。



「へ?」



 泣きたいのも忘れ、シャアラは呆然とする。

 その間に穴はどんどんその個数を増やし、そしてその一つ一つの穴が少しずつ大きくなっていく。


 脚、背中、太腿、わき腹、二の腕、肩、胸、尻、腹。


 次々とシャアラの身体が、これまで身内にしか見せたことのない清らかな姿が、大自然の元に晒されていく。



「嘘……嘘、いやだ! 嫌だぁっ!」



 しかしその悲痛な叫びは周囲の木々に吸い込まれて消える。

 気付けばシャアラの身体には金属で出来たささやかな髪飾りと、具足と、腕の使えない今となってはお飾りに過ぎない剣だけしか残っていなかった。不幸中の幸いと言えるのは、シャアラの恥部を巻きついた蔓がかろうじて隠していることだろうか。


 それでもこれ以上悪いことは起きないだろうと高を括ったシャアラは考えが甘かった。

 シャアラの身体に未だ巻きついた蔓が、その蠢きを激しくする。

 シャアラのその柔らかな肢体を蹂躙するように、隅々までをまるで舌で舐めるように這い回る。



「い、いやっ……ああんっ!」



 その時シャアラは今までとは違う感覚を覚えた。不快感でもなく、嫌悪でもない。ただそれが何かは判然としない。蔓がシャアラの身体を滑り、擦り、形を変える度に、何か弾けるような感覚を伴ってシャアラの脳を熱くする。



「はぁっ、はぁ……なに、これ……」



 昨夜、レオニスにキスしてしまった時、確かにシャアラはこの感覚に触れた。あの時のドキドキとした感覚、身体の奥が疼いて、熱くなって、そして――――。


 シャアラは自分が今なにかとんでもないものに目覚めそうになっているのを、本能で感じ取っていた。


 断続的に続く感覚に溺れ、声が溢れ、自身から何かが零れ落ちるのを感じたシャアラは、それでも脳裏で、レオニスのことを思い浮かべていた。



 ――――私は彼のことが好きだ。

 そんなことは分かってる。でも……でもじゃない。

 私は彼が好きだ。それはもうどうしようもないことだ。認めなさい、私。

 それでも王族だから、わきまえなければ……なんて嘘。本当はもう、王族なんていう肩書きはどうでもいい。私は彼と、レオニスと一緒に居たい。彼に受け入れられないのが怖い?

 バカじゃないの?

 いつからそんなに私は弱くなったのかしら。

 それでもいいじゃない、別に。

 だって、彼が私を好きになるかどうかなんて、私が彼を好きなこととはなんの関係もない。

 私が好きなら、それでいいじゃない。それを貫けばいいじゃない。

 もし、それで兄さまがとやかく口やら手やらを出してくるなら、私が全部止めてやる。レオニスには一切手は出させない。王族を捨てる覚悟なら、それくらい出来るでしょう?

 そう、そうね、そうよね。

 うん、ありがと、決めたわ。私はレオニスを好きな気持ちを、もう誤魔化したりはしない。

 一晩で恋に落ちるようなチョロイ女だって思われてもいい。

 だって、好きなんだもん。レオニスが、レオニスのことが。

 レオニス……レオニス――――。



「レオニスっ――――!!」



「シャアラ! 今助けるっ!」



 混濁とした意識の中で叫んだ思い人の名前。返ってきた声。

 次の瞬間、身体に巻きついていた蔓は次々に断ち切られ、シャアラの身体は解放され弾き出される。

 あらゆる力を失って地に落ちそうになるそのか細い身体を、レオニスの腕が抱き締めていた。

 シャアラは、その泣きそうな顔を見て、嬉しそうに笑った。




 * * * 




 時間は少し遡る。

 広い空間にその化け物は居た。

 太い幹、その周囲に無数の蔓が蠢いている。

 そして何よりも目を引くのは、茎の上に据えられた巨大なピンクの花だった。それはバラの花によく似た形をしているが、巨大過ぎると形状は美しかろうが不気味に思えるから不思議だった。その存在感が、これをバラ科の魔獣・ローズリーパ―の本体だと知らしめていた。


 花に気を取られて発見が遅れたが、その花の真下、レオニスから見て茎の正面に、シャアラは居た。

 何故かその衣服のほとんどを失っていて、綺麗な身体を惜しげもなく晒しているが、そんなことは今どうでもいい。その身体に絡み付く蔓を排除し、シャアラを助け出す。

 それが最優先、と思ったときにはもう、レオニスの身体は動き出していた。



「レオニス危ない!」



 背後からイリスの忠告。

 それでも駆けるレオニス、襲いかかる無数の蔓。

 その一本一本がまるで意思を持ったように動き、数えきれない刺突がレオニスに降り注ぐ。

 しかし――――。



「動きが単調過ぎるな」



 そう呟いたレオニスは腰の鞘から剣を抜き放ち、その居合の一閃で眼前の蔓をすべて薙いでみせる。

 しかしそれで終わるローズリーパ―ではない。第二波の蔓の群れが左右から襲いかかる。


 だがそれもレオニスは並外れた反射神経で跳躍回避、交差する蔓たちを縦に裁断、残った数本はまだレオニスを追ってくる気配があったがそれは無視して着地と共に地面を蹴って前へ。


 それでもまだ前から襲い来る蔓のすべてを流れるような剣技で斬り払い、もう少しでシャアラの元へ辿り着く。

 その時、シャアラがレオニスの名前を叫んだ。


 レオニスの身体に力が滾り、感覚が研ぎ澄まされる。



「シャアラ! 今助けるっ!」



 意識の薄い様子のシャアラを呼び戻すように声を掛け、そして駆け寄りながら剣を身体の後ろに構える。

 あと3歩。

 あと2歩。

 あと1歩――――今。


 レオニスの狙いに寸分も違わずに剣は軌道を描き、シャアラの身体にはかすることすらせず巻き付く蔓を手早く次々と断ち切る。そしてすぐに解放されたシャアラの身体を受け止め、その場を離脱しようとしたその時。



「くっ!」



 振り向いたレオニスを待っていたのは、視界一杯に広がる蔓の群れ。片腕にシャアラを抱いたままでこれを斬り抜けるのは難しいか―――という迷いを見逃がさずに、ローズリーパーは蔓を繰り出す。


 もうダメか、と。せめてシャアラだけでも守らんと左腕に抱いていた細く白い身体を抱き締めて蔓達に背を向ける。レオニスはもう覚悟していた。

 蔓がレオニスの身体を貫く――――と思われた瞬間、しかしその衝撃は訪れず、代わりに一陣の風を感じて振り向くと。


 蔓がバラバラになって落ちていた。

 何が起きたのか分からず周囲を見ると、周囲に漂う無数の蔓が、次々死骸となって地に落ちていく。

 最初目に見えない何かが蔓を攻撃している、と思ったが、レオニスは頬を優しい風に撫でられ、悟った。


 思い当たって遠くを見てみれば、やはりイリスが祈りを捧げている。

 あれは、精霊術。


 それがどういう類いの術なのかは分からないが、恐らくは凝縮した空気の刃が縦横無尽に蔓たちを切り裂いている、のだろう。

 そんなことを考えながら、レオニスはこれを好機と駆け出す。


 綺麗に道は拓かれていた。

 断続的に緑の蔓は襲いかかってくるが、風の刃がそれを寄せ付けない。レオニスは風のトンネルをくぐっている気分だった。

 それを真っ直ぐに駆け抜けると、あっという間にイリスの元へと辿り着いた。



「イリス、助かった! ありがとう!」



「ううん、遅くなってごめんね!」



 助けてくれたのに謝罪してくるのがイリスらしい。そう思いながらレオニスは気を失っているシャアラをイリスの後ろに横たえると、上半身の甲冑と布の衣服を手早く脱ぎ捨てると、脱いだ衣服をシャアラの身体に掛けた。

 その間にもイリスは風を操り蔓を防いでいる。



「イリス、シャアラを頼む」



 祈りの姿勢を崩さぬまま、イリスは応える。



「頼むって、レオニスはどうするの?」



「俺はあいつを倒しにいく」



「一人で!? 無理だよ!」



「無理だろうがなんだろうがやらなければ、恐らく俺たちはここから生きて帰れない。だからやる」



「そう、かもしれないけど……何か考えがあるの?」



「考え、か。そうだな、イリスに一つ、お願いがある」



 レオニスは策とも言えないような策を、イリスに語り始めた。




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