15.和らぎの少女
お……て、ね……おき…………。
ぼんやりとした意識の中でレオニスの脳に音が響いていた。最初は何の音か全く分からなかったが、次第に意識が鮮明になってくるとそれは誰かの声だということが分かる。それでもその声に聞き覚えはなかった。
「ねぇ……起きて」
今度ははっきりとした振動を伴って聞こえた。これまでに聞いたことのない可愛らしい声音に戸惑いながら、ゆっくりと目を開ける、と。
そこには見たことのない少女の心配そうな顔があった。
レオニスは自分が意識を失っていたことを自覚し、同時に目の前の可愛らしい少女に困惑し、咄嗟に起きようとするが、身体のあちこちが痛んですぐには起き上がれそうになかった。
「無理しないで、しばらくこのまま休んでていいから」
「すま……いや、ありがとう」
昨夜シャアラに言われたことを思い出し、言い直す。誰とも分からない少女は慈しむような目でレオニスを見つめていた。
金色の長い髪を後ろで一本に括っている少女の顔はまだあどけなく、見た目には十六歳くらいに見える。少し目尻が垂れているのが可愛らしい。服装は緑に染色された布を切り合わせて作られているようで、どこか妖精のような雰囲気を醸し出している。
レオニスはそこまで観察してようやく、頭の下に何か柔らかい物があるというところに意識が向く。
その柔らかさと彼女の顔との距離を考えると、どうやら膝枕をされているのだと気付いた。ということは、この視界の端にある大きくて丸い弾力のありそうな球体は……。レオニスは生唾を飲み込んだ。
その少女の豊満な胸が、レオニスの顔のすぐそこに迫っていた。
少女がレオニスの顔を覗き込んで前屈みになっていることもあり、超至近距離だが少女は特に気にしてはいないようだった。
「ねえ、ちょっと触っていい?」
少女からそんな言葉が出て、頭の中でその言葉に近いことを考えていたレオニスはドキリとする。
そうしてレオニスが返事をできない内に、少女の両手がレオニスの顔の側面に伸びる。今度は違う意味でレオニスの心臓が跳ねた。
少女の綺麗な手はレオニスの耳に到達し、両の耳を優しく、しかしこねるように撫でまわす。
レオニスの鼓動はどんどんと早くなっていく。女性に耳をいじられたのは初めてで、意図せず興奮してしまう。
そんなレオニスの様子に気付くことなく、少女はじっくりとレオニスの耳を眺めると。
「やっぱり、尖ってない」
「え?」
少女の呟きに生じた疑問のおかげで、レオニスの興奮はようやく霧散した。
「キミは、人族? それとも魔族? あ、でも魔獣にここまで連れてこられたんだから、人族なのかな?」
少女の言葉に気になる箇所はあったが、とりあえずレオニスは質問に答えることにした。
「俺は人族だ。名前はレオニス・フェローリアという」
「レオニスか。そっか、やっぱり人族なんだね」
「そういう君は?」
「あ、ごめん。名乗るのが遅れちゃったね。私はイリス。エルフ族だよ」
「エルフ族、君が?」
それはこの樹海に来た目的の種族ではあったが、こんなに簡単に出会えるとは思っていなかったのでレオニスはすぐに信じることは出来なかった。
「そうだよ、ほら」
そう言って自称エルフ族のイリスと言う少女は髪をかき上げると右の耳をレオニスに見せた。
確かにその耳は、人族や魔族と比べると鋭利な形をしていた。
レオニスも幼少の頃、御伽噺でエルフ族の外見的特徴はなんとなく捉えていて、確かにその中に耳が尖っているというのも含まれていた。
「触ってみても構わないか?」
別にもう疑っているわけではないが、それは単なる知的好奇心だった。
「あ、うん、いいよ。私もキミの触っちゃったし」
笑顔で快諾するイリスの耳に、レオニスはゆっくりと右腕を伸ばす。やはり身体には痛みを感じたが、今は好奇心の方が勝っていた。
「ん……」
手が触れると、イリスの身体が少しビクッとしたのを後頭部から感じるが、それに構わずレオニスはイリスの綺麗なフォルムの耳を物色する。
「へえ、これはすごいな」
「は、んっ……!」
耳たぶは人族のそれと大きく変わらないが、やはり上端の形が大分違う。レオニスは興味深げに耳裏からなぞるように指先を耳の先端へと向かわせる。その過程で何度かイリスの身体が震えるが、レオニスは耳に集中力を全部持っていかれて気付けない。
何度も何度も、裏表、裏表とレオニスの指がイリスの右耳を往復して撫で、時に指で弾いてみたり。
「い、やぁっ……あの、ちょっと……んっ、そろそろ……ひゃっ、んっ!」
身体をビクビクと震わせながら、イリスの声には艶のようなものが混じり始める。
だがレオニスの興味は留まることを知らず、
「中は一緒なのか?」
そう言って、指をイリスの耳の穴に突っ込むと、中の輪郭を確かめるようにグリグリとする。
「いやっ! ちょっ! ああんっ、そんな、激しくしないでっ! 私……わたし、もうっ……はぁんんっ!」
その時、イリスの身体が今まで以上に大きく何度か律動し、レオニスの頭も揺れに揺れた。そうしてようやく我に返ったレオニスを、揺れの収まったイリスはどこか陶然とした表情で、しかし涙目で見ていた。
「もう、レオニス……女の子の穴に指入れちゃ、ダメだよ?」
「な、なんかすまん、つい、夢中で……」
素直に謝罪するレオニスの頭を、イリスは優しく撫でる。
「まあいいよ、悪気があったわけじゃないみたいだし、許してあげる。それでまあ、ちょっと過激な自己紹介が済んだところで、いろいろと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「ああ、それは俺も同じだ。じゃあイリスから聞いてくれ」
膝枕されたままの質疑応答タイムが始まる。
「じゃあまず、どうしてレオニスはこんなところに居るの?」
「俺は、もう一人仲間が居るんだがそいつと一緒にエルフ族に会いに来たんだ」
「え、私達に? それはどうして?」
「力を借りたいことがあって、だな」
しかしレオニスは気付いた。ここに至るまでシャアラに聞くことが出来ず、魔族と相対するのにどうしてエルフの力が必要なのかを自分が知らないことに。
「そう、なんだ。きっと緊急事態、なんだよね、今人族がエルフを訪ねてくるってことは」
「ああ、緊急事態だ」
少なくともレオニスにとっては、間違いなく。
「なるほど、大体分かったかな。それでレオニスはこの精霊の樹海に踏み入って、ローズリーパーの蔓に捕まってここに連れてこられたんだね」
「ろーずりーぱー?」
そこからはレオニスのターンだった。
「あ、ローズリーパーっていうのは、最近樹海に住み着いた植物系の魔獣なの。どこかに本体の花があるんだけど、そこから蔓を伸ばして広い範囲で樹海にいる生き物を捕まえてるみたいで、最近里でも討伐を計画してるんだ。でもそれまではとにかく蔓に捕まらないように気を付けるしかなくって」
「その魔獣が俺をここまで連れてきたのか?」
「うん、そうだと思うよ」
「何のために?」
「それはまあ、養分にする為、だと思うけど……」
苦笑しながらのイリスの言葉を、レオニスは頭の中で噛み砕いて理解する。
「つまり、食糧ってことか……」
ローズリーパーとやらが魔獣なのだとしたら、その事実はそれほど驚くことでもない。
魔獣の中に人や他の動物を食らって生きる種がいることは、レオニスも知識ではなく経験として知っていた。
「うん。ここは多分、食糧庫なんだと思う。お腹が空いたときにここから取り出して食べられるんじゃないかな」
「なるほどな。で、なんでイリスはここに居るんだ?」
「うん、まあ、普通に……私も捕まったからね」
赤くなったイリスを下から眺め、レオニスはその愛らしさを密かに噛みしめていた。
「里にまで蔓が伸びてきたのか?」
「ううん、私はちょっと目的があって樹海に出てたんだ。そしたらまあ、まんまと、ね」
「そうなのか。じゃあ、さっさと脱出した方がよさそうだな」
そう言って頭を少し上げ、レオニスは辺りを見回す。
しかし前後左右、四方八方、三百六十度に視線を巡らせても出口らしい所が見当たらない。だが入ってきた以上どこかに入り口があるはず。そうして思案顔になるレオニスに、申し訳なさそうにイリスが声を掛ける。
「あの、レオニス」
「ん? なんだ」
「さっきから頭がすごくおっぱいに当たって、くすぐったいなって思ってるんだけど、でもきっとわざとじゃないんだよね?」
レオニスはハッとする。確かに今、レオニスの側頭部にはすさまじい弾力がその存在感を示していた。
至高の柔らかさを堪能しておきながらそれに気付かないなど、なんて愚かなのだと、レオニスは自分を責める。そして同時に、そんないやらしい思考に至ってしまう自分の男性としての浅ましさに罪悪感を覚えてしまい、レオニスは謝罪をせずにはいられなくなってしまった。
「イリス、すまない……」
「え、わざとだったの?」
「いや、わざとではなかった。しかし俺は、君の胸に頭を埋めていると気付いた時、酷く興奮してしまった。自分の意思とは関係ないとはいえ、それは君に対して失礼だったと思う。だから、申し訳ない」
「レオニス……。ううん、私平気だよ。わざとじゃないなら全然怒らないから、気にしないで。男の子なら、女の子の身体にえっちな気分になっちゃうこともあると思うし。私弟いるし、そういうところ理解あるから。それになんか、そんなに嫌でもなかった。男の子におっぱい触られるのが初めてだったから、少しびっくりしちゃっただけだよ」
イリスが気を使ってくれていることが分かり、レオニスは目頭が熱くなる。
「ありがとう、イリス」
「えへへ、何泣いてるの? もう、しょうがないな。ほら、おいで。私の胸で、泣いていいよ」
それはとても甘やかな誘いだった。痛みを忘れて身体を起こしたレオニスは、イリスに向き直る。
そこで初めて、その少女の体躯が自分よりも格段に小さいということが分かる。しかしそのたわわな乳房と柔和な笑みが、異常なまでの母性をレオニスに感じさせた。
両腕を広げて待つイリス。レオニスは本能的な欲求に抗うことが出来ず、イリスの胸の中へと飛び込んで行った――――。




