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10.高貴なる殿下

「あなたたちは、この村の者ですか?」



 先に声を掛けてきたのは来訪者の少女だった。

 見るからに気品の溢れる長い白金色の髪と、磨き上げられた白銀の胸当て、その下の漆黒のドレス。そして最後に目についたのはその腰に下がる、綺麗な装飾の施された剣だった。



「そういうお前は、王族の者か?」



 レオニスの答えになっていない答えに嫌な顔をするどころか、その少女は少し驚いた顔を見せ、そして笑った。



「へえ、なかなか鋭い観察眼ですね。いえ、これはわたくしが失礼でした。まずは自己紹介をするべきですね。わたくしはレーザン王国第十三代国王・エリオト王が妹、シャアラ・ニルヴェリン・レーザンフロイツです」



 王の、妹。

 レオニスには聞き覚えがあった。現国王のエリオト王には一人の妹が居り、その妹は非常に勤勉で素行もよく、品行方正で文武両道の才女である、と。王国の民は親しみと畏敬の念を込めて皆こう呼ぶ。



「シャアラ、殿下」



「知っていてくれたようで、安心しました」



 そういって笑うその顔は、あどけなくも非常に美しい。

 シャアラ殿下はいまだ15歳になったばかりの少女であるが、その立ち居振る舞いは噂に違わず流麗かつ繊細で、一つ一つの動作に魅了されてしまいかねないほどだ。

 青い目に射られ、レオニスも礼儀を尽くさなくてはと、無意識に思う。



「俺は、俺の名前はレオニス・フェローリアと、言います。こっちはフィナンジェです」



 貴族の習慣に親しくないレオニスにとっては、それが精一杯の言葉遣いだった。

 儀礼的に頭を下げるレオニスの傍ら、フィナンジェはただ立ち尽くしてその王族の少女を見つめている。涙はいつの間にか乾いていた。

 王族と魔族の、視線がぶつかる。

 すると王族の少女、シャアラはにこりと笑い、それに対しフィナンジェは何となく目を逸らしてしまった。



「レオニス、そしてフィナンジェですね。よろしくお願いします」



 その言葉で挨拶を締めくくったシャアラは、つかつかと歩き、二人との距離を詰める。

 そんな姿に疑問を持ったレオニスは、王族に対しどんな言葉遣いをすればいいのか迷った挙げ句、いつも通り話し掛けることにした。



「従者は居ないのか?」



 おおらかなのか、レオニスの無骨な言葉にも表情を変えることなくシャアラは答える。



「城を飛び出してきたので。普段はそれは居ますけれど、今の状況では邪魔なので、ゆっくり支度をして来るように申し付けてきました」



 聞いておいて、レオニスが気になったのは聞いたことに対する答えよりも“今の状況”という言葉だった。



「俺たちはこの村の者だ。出掛けていて帰ってきたらこの惨状だった。もし何か知っているなら教えてほしい」



 レオニスの言葉に、シャアラは少しの間レオニスの目を見つめた。

 レオニスはフィナンジェまで村人に含めた嘘を見抜かれたかと思ったが、しかし目を逸らしそうになったところでシャアラから視線を外された。



「そうですか、それは不幸中の幸いでしたね。今より三時間ほど前、王城に手記が届きました」



 そう言いながらシャアラは胸当ての隙間から一枚の紙を取り出す。

 その紙を受け取り、フィナンジェと一緒に目を通す。


 紙には、こう書かれていた。




 『エリオト王へ


  ザート村の人族は預かっている。返してほしければ


  三日後、騎士団を率いてバオル平原に来い。


  人族と魔族の争いの歴史に、終止符を打とう。』



 ザート村というのが、レオニスが生まれ育った村だった。

 その後に続いて、恐らくは差出人の名前が書かれているのだが、この国で使われている文字とは異なりレオニスには読めない。しかし、これだけ定型的な文を用いられると、これが脅迫込みの果たし状であることは明らかだった。



「言いづらいことですが、王はこれを読んで尚、自身がバオル平原に赴く気も、騎士団を動かす気もありません」



 本当に言いづらかったのだろう。先程まであれほど凛としていたシャアラの表情は曇り、視線はレオニスから燃え盛る炎へと移された。



「そうか」



「そうか、ってそれだけですか?」



「それ以外に、俺にどんな言葉を求めるんだ?」



「求めているのでありません。あなたの恨みつらみを、わたくしは甘んじて受けると、そう言っているのです! 王は、兄はっ……この村の人を見殺しにすると言っているのですよ!?」



 レオニスは素直に驚いた。あの冷静沈着、品行方正、清廉潔白、純情可憐で名高いシャアラ殿下が、こんな風に、声を荒げるのか、と。会ったことも見たこともなかったが、想像上でのシャアラはこんな炎上している村に足を運んだりはしないし、自責の念に駆られて人に詰め寄ったりしない。


 想像は所詮、想像でしかないということか。

 レオニスは思う。


 魔王の城に行く前もそうだった。


 魔族はすべからく悪だと思っていた。

 何度も、何度もあの凶悪な城に挑み、しかし何度も城から弾き出された。

 何故か命を失うことはなかった。

 数多のトラップに掛かっても、それはすべて致死性に欠けていた。


 今なら分かる。あの優しい魔王が、アールメリアが、わざとそう仕組んでいたんだ。

 魔王を倒そうなどと間違った思考を持って城に入ってきた者が、命を落とさずに帰れるように。


 それでも愚かな俺は、何度も挑んだ。諦めなかった。

 すると諦めたのは、魔族の方だった。ある時フィナンジェが現れ、こう言った。

 魔王さまに会いたいですか?


 黙って頷いた俺を、フィナンジェは黙って導いた。

 半信半疑で付いて行った俺を待っていたのは。


 満面の笑みを浮かべた、可憐な魔王だった。


 あの時、俺の想像は間違っていたと知った。

 想像など当てにならないと知った。


 魔王があんな純粋な少女だなんて、俺は思ってもみなかったのだ。



「そうだな、俺は忘れていたんだ」



 レオニスのその呟きの意味を解するものはこの場所に居ない。

 それでもレオニスは構わなかった。



「まったく、どいつもこいつも、お人好しばっかりだな。自分のせいだ、自分の責任だって、被虐を喜ぶ性癖でも持っているのか?」



「なっ!?」



 レオニスの言葉は、この村が炎上したことを自分の責任と捉えたフィナンジェと、王が村を見捨てる選択をしたことを自分の責任と捉えたシャアラ、その双方に向けられたものだったが、声を上げたのはシャアラだけだった。フィナンジェは、レオニスの顔を見て、静かに微笑んでいた。



「わたくしはそのような変態ではありません!」



「元気がいいな、良いことだ。なら、もう自分のせいだなんて思うな。正直な話、俺は王が愚かではなくて安心しているんだ」



 シャアラはレオニスの言ったことの意味をゆっくり咀嚼するように、レオニスの顔を見つめ、そして。



「というと?」



 結局解することは出来ず、素直に問う。



「この国は、王が居なければ終わってしまう。万全の状態であればまだしも、騎士団は再編中だろう。それとも終わったのか?」



「いえ、まだ全然、です」



 言いにくそうにに言うシャアラに、レオニスは苦笑する。



「なら、王の選択は正しい。たった一つの村の為に国を終わらせるなんて、それは国を統べる者がするべきではない選択だ。心苦しかろうが、誰に糾弾されようが、結果的に犠牲の少ない選択を間違いなくする。それが出来る人がこの国の王で、俺は良かったと思う」



「なる、ほど……そう、ですか。わたくしは、まだまだですね」



「どうした?」



 自嘲するように笑うシャアラが、レオニスは気になった。



「あなたがすごいのでしょうか。わたくしはそんな風に考えることは出来なかった。だから、この手紙を王城で、謁見の間で兄と見た時、わたくしは……」



 兄さま、早く騎士団に号令を! 急がなくては村人たちが!

 何故です! どうして自国の民を見捨てるのですか!?

 わたくしには理解できません!

 もういいです、兄さま、見損ないました。

 あなたが行かないのでしたら、わたくしが一人でも助けに行きます!


 城を出た時のことを思い出す。

 兄は、民を見捨てたいわけではなかった。

 王として、一つの大きな決断をしていたのだ。

 それなのに、わたくしは……!


 その時、涙をこらえていたシャアラの頭に、レオニスの掌が乗る。



「勇者さま、それ、お好きですよね」



 ぽかんとしてレオニスを見上げるシャアラ殿下を横目に、フィナンジェが言う。



「あ、すまない、癖なんだ。その……不敬、だったよな?」



 ばつが悪そうに言うレオニスだが、まだその手はシャアラに乗ったままだ。



「いえ、その……頭を撫でられたのは生まれて初めてのことで、その、悪くはないですね。……ですが、不敬は不敬です、王族の頭上に手を置くなど、本来なら死刑です」



 それを聞いてゆっくりと、シャアラの上から大きな手が退いていく。

 そんな様子を見て、シャアラはおかしくなって噴き出した。



「ふふっ、あなたのような人が居るなど、世の中はまだまだ面白いことがありますね。今回は不問にしてあげますよ。ですが今後は、わたくしの命なく同じことをしたら、保証はしませんよ?」



「あ、ああ、肝に銘じよう。って、それは命令されることがあるということか?」



「さあ、どうでしょう」



 誤魔化す殿下に、まあいいかと思いながら、レオニスは言葉を紡ぐ。



「後で謝ればいい」



「へ?」



 シャアラは最初、何を言われたのか分からなかったが。



「詳しいことは分からないが、王と何かあったのだろう?」



「ふうん」



 と、シャアラはレオニスの顔を覗き込み、不思議なものを見るような顔をする。



「レオニスあなた、見た目ほど鈍感ではないのね」



 そう言うとシャアラは、屈託なく笑った。

 未だ燃え続ける炎が、皮肉にもそれを美しく照らしていた。




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